第2話 新任領主の目標設定

 昔は季節が四つあったのだという。今の四倍だ。

 眠りの季節、冬が終われば目覚めの季節である春が来て、やがて命溢れる夏が訪れ実り豊かな秋に移り変わる。それから再び冬になる。

 地域による差はあれど、少なくともバルクハルツ帝国があるベルキア大陸においては、それが当然の摂理であった。

 森人エルフの老人や大魔女など長い時を生きる者たちに聞けば、当時の様子をしみじみと語ってくれるかもしれない。


 だが現在は、冬と間期しか存在していない。

 平均して一年の六分の五ほどを占める死の季節と、その間にある僅かな、かつてのように春と呼び季節のひとつとして数えるにはあまりにも短く弱弱しい、次の冬が訪れるまでの備えの期間。


 そして今、間期が終わり次の冬が始まる一年の六つめの月、ムールの月は最も人々の気力が削がれる時期である。

 本来であれば本格的な冬が訪れず猶予がある内に働いて蓄えを作っておくべきなのだが、冬の再来に多くの人間の心が沈み活動が鈍くなる。


 帝国の極北、スノールト領もそれは同じだった。

 むしろ、冬の影響著しい辺境だからこそより顕著だといえるだろう。


「朝から随分と人が少ないのだな」


 足跡一つ付いていない真っ白な街と、一軒だけ店を開けている服飾屋。

 それが陽が登り始める今の時刻における、スノールト領唯一の大通りの日常風景だ。


「うん? こんな早くにお客さんなんて珍しいな」


 客一人いない静寂の中で、中年の男が独りつまらなさそうに店番をする。

 昨日までは、そうだった。

 毎日早朝の街を観察している奇特な人間がいたとすれば、今日は驚きで卒倒していたかもしれない。


「まあいい。店主よ、ボクが何をしにきたのかわかるか?」


 まさか、こんな時間に客が訪れるとは。

 さらに言えばその客は一般人ではなく、民の為に頑張ろうとしている良き領主だ。


「ひやかしなら帰ってくんな」

「この愚民が!!」


 前言撤回である。

 客でもなければ良き領主でもない。

 控えめに言って暴君の発言だった。


「冗談だよ坊ちゃん。ちゃんと帰れてたみたいで安心したぜ」

「ええい、まだ立場がわかっていないようだな! 貴様なぞ……」


 二会話目にして昨日に続き罵声を吐く少年に、服飾屋の親父は薄ら笑いで応じる。

 対してさらに怒りを膨らませるシュニー……


「いやだめだ、だめだぞシュニー・フランツ・フォン・スノールト……。ここで怒りに囚われては台無しだ……昨夜反省したではないか……」

「おう?」


 とは、ならなかった。

 俯き、何かぶつぶつと自分に言い聞かせている自称領主。

 さらなる暴言が飛んでくるとばかりに思っていた親父は、シュニーのその姿に目を丸くする。


「……もう一度問おう、店主よ。ボクがわざわざここに足を運んだ理由は何だと思う?」


 数秒の間をおいて顔を上げたシュニーは、再び親父へと目を向け顔を合わせる。

 目に真剣な光を宿し、まるで演説でもするかのように。


「昨日働いた無礼の罪でひっ捕らえに来たとかか? いやでも慈悲深いって噂のウチの領主様がそんな事するワケねぇしな……」

「わかっているじゃないか。ボクが心優しき統治者であると、ちゃんと伝わっているようで何よりだ!」


 腕を組み頭を左右に揺らしながら悩む親父の姿に、シュニーは満足げに頷く。

 昨日聞いた『我儘な上怒りっぽい』という看過できない噂は、もう頭からすっぽ抜けていた。


「ダメだ、俺の頭じゃ思いつかねぇ! 気になって夜も眠れねぇや!」

「ふふ、仕方ない! 気になるなら教えてあげようじゃないか!」


 露骨な持ち上げであるが、上機嫌なシュニーは気付けない。

 歴戦の商売人から繰り出された会話術に、シュニーのテンションは高止まりである。


「ボクは、この領地の将来設計を話しに来たのだよ!」


 そうして彼は満面の笑みで自信満々に、昨日の夜考えて導き出した答えを口にした。



「ほぉ、将来設計……こっからどんな感じにここを変えてくれるか、って話かい?」

「ああ、その通りだとも。話が早くて助かるな!」


 領民が自分の話を聞いてくれている!

 シュニーの内心は今現在、喜びに満ち溢れていた。

 だかここで逸ってはいけない、と彼は己を静止する。

 領主とは、落ち着いた威厳を持ってこそだ。


「やはり、民の為になってこその領主だと思ってね」


 歓喜に暴れる内心をどうにか落ち着かせ、シュニーは一度深呼吸を挟んだ後、説明を始める。

 昨日、領主の館という名のボロ小屋に戻ってから従者に教えを請うた。

 領主に……それも、誰もが認めてくれて、どんな領民でも自分から名乗ってくれるような立派な領主になるには、どうすればいいのか。


「セバスは詳しいことは日を改めて、と言ったが……」

「誰か知らんけどありがてぇ話だな」


 これまで何事も自分自分であった主の言葉に、すぐ投げ出す思い付き以上の何かを感じ取ったのだろう。

 シュニーの傍に幼い頃から在った従者は、一度シュニーの頭を冷やし急がずじっくり話を進めるために、日を改めて教えると告げた。


「ただ頼りっきりではいけないと思ってね。ボクは寝るまでの時間を考えに考え抜いたのさ」


 だがシュニーは、その前に自分なりの答えを出していた。

 教えを請うたのは事実だ。必要なものはまだ少々足りないと認めよう。

 けれど、この地の領主なのはセバスではなく自分なのだという自負がシュニーにはあった。

 受け売りの知識をそのまま民に伝えたところで何の意味があるのか。

 領主たる者、他人の手を借りずとも自分自身で民を導いてこそだ。

 そんな風に考えて、シュニーは己の思い付きを話す。


「この地を一流の商業都市に作り替える! 高品質の品を各地から仕入れ、周辺地域に売って資金を得るのだよ!」


 まず何をするにしてもお金は大事だ。

 そんな事はシュニーだって知っている。

 だから、お金を得るために商売をすることもまた大切である。


「もちろん、富ませた後に技術を発展させることも大事だろう。たとえば魔術の先進研究などは帝都でも苦戦してる分野だと聞いたから、大々的に推していくべきだと思うのだけどね!」


 技術だって大事だ。

 それが無ければ人は獣や悪しき存在と全裸で殴り合う羽目になるし、灯りは一切用意できなくなる。

 聖神様が弱き人に与えたもうた慈悲だという魔術や神秘術だって、万人が振るえるわけではない。

 民の日常生活を助けより発展させるのもまた領主の役割だろう。


「そうして皆が溌剌と暮らせて余裕ができれば、本来の領主の館も取り返せるようになるだろうからね! ボクとしても嬉しい限りだ!」


 そしてシュニーが指さしたのは、町の東端に聳える石造りの城であった。

 いくら辺境の小さな領地といえど、流石に今のボロ小屋が本来の領主の住居というわけではない。

 かつての戦いで放棄され、今は獣と氷の魔物が跋扈する魔境になっているらしいが、ちゃんとした領主らしい居住地があるのだ。

 立派な領主には立派な家。シュニーの悲願の一つである。


「どうだろうか、ボクの思い描く理想図は! 反論の余地は無いんじゃないかい!?」

「おうおう、いいじゃねえか! 楽しみにしてるぜ領主サマ!」


 満面のしたり顔に返ってきたのは、シュニーの期待通りの反応だった。

 民からの好感触に、頬が緩みに緩む。

 有力貴族の跡継ぎだからという下心から持ち上げられたわけでない、他人からの純粋な賞賛。

 それは、今まで家柄以外に何一つ手にできなかったシュニーにとって真新しく嬉しい刺激だ。


「というワケで、手袋をひとつ売ってもらおうか。愛すべき領地に金を落とそうじゃないか!」


 鳥の刺繍が目立つ質が良さそうな手袋を指さしながら、シュニーは上機嫌のままに懐から金貨を2枚取り出す。

 それを見て、親父の目元がピクリと動いた。


 金貨は帝国の共通通貨の中で最も価値が高い。

 それが2枚ともなれば、帝都の物価なら一般的な農民の三人親子が一月は食い繋げる額である。

 手袋ひとつにはあまりに不釣り合いだろう。


「ああ、釣りはいらないとも。キミの時間を取らせた分だと思ってほしい」


 では何故シュニーがこのような大金を出してしまったのかと問われたら、理由は三つほどに分けられる。


 今まで自分自身で買い物をした経験が殆どないため、相場がよくわからなかったのが三分の一。

 つまるところ甘やかされた貴族故の金銭感覚の欠如である。

 とはいえ、具体的な相場まではわからずとも適性金額から大きく外れているのはシュニーもなんとなくは察している。


 もう三分の一は、彼なりの貴族としての考えだった。

 下々には慈悲を持って。

 シュニーの民に対する意識は善良なものとは言い難い。

 愚民、と息をするように言えることからもわかるだろう。

 だが同時に、貴族として生まれたからには果たすべき義務があるとも彼は考えていた。 


 残る三分の一は大した理由ではない。

 褒められた喜びで舞い上がって財布の紐が緩くなっただけだ。


「この新領主の慈悲にせいぜい感謝したまえよ!」


 貧しい街のしがない服屋にとっては目も眩む大金だろう。

 狂喜乱舞するだろうか。

 現実を受け止めきれず、茫然と立ちすくむだろうか。

 シュニーは親父の反応をそう予想する。


「……あん?」


 けれど、目の前の結果は彼が思い描いていたものと少し違った。

 予想の後者に近い、驚いた様が伺える顔だ。

 だが、その視線は金貨を一瞬見て以降、ずっとシュニーへと注がれている。

 まるで金貨よりも、金貨を差し出したシュニーに対して驚きの主体がある、とでも言うかのように。


「お前さん……もしかして、本当に新しい領主なのか?」


 そして次いで放たれた言葉は、またしてもシュニーの生温い予想を裏切るのだった。

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