春待ちウサギ、冬の章~ぽんこつ貴族は滅びかけ領地にて~
ししゃも
プロローグ ぽんこつ貴族と雪うさぎ少女
第1話 大ベストセラー伝記『雪うさぎの英雄~辺境伯シュニー・フランツ・フォン・スノールト、その軌跡~』序章部分真相編
「この愚民が……!」
罵声である。
新任辺境伯、シュニー・フランツ・フォン・ルプスガナ改めシュニー・フランツ・フォン・スノールトの第一歩は、愛すべき領民への罵声から始まった。
「あのなぁ、坊ちゃん。貴族ごっこはやめとけ」
煌びやか
御付きの職人に作らせた貴族の威を示す豪奢な衣服は、吹き付けられる雪に白んでそうとは見えなくなっている。
皇家も御用達の高級油で丹念に整えたはずの髪は、冷たく乾いた風で散々にかき回されもはや見る影もない。
「新しい領主サマはワガママな上怒りっぽい方って噂だからよ。見つかったらやべえぞ?」
「だから、ボクが! その領主だ!」
ガチガチ歯を噛み合わせる音と言葉が、だいたい半々ずつ。
顔は青ざめ、怒りに叫ぶ声すら寒さに震えか細い。
そんな様子で服飾屋の店主に食ってかかる姿からは、領主の威厳は何一つとして感じられなかった。
「まあいいや。吹雪いてきたし、とりあえず今夜は泊ってきな。自称領主様に凍え死なれちゃたまらん」
当然、そんな少年の主張がまともに受け取られるわけもなく。
「ええい、もういいッ! 後で覚えておくことだな!」
「あっ……おいっ!」
新任領主の仕事、第一歩目……これから治める領地の視察と威光の誇示は、大失敗に終わった。
「くっ……平民風情が、一体誰に口を利いていると……!」
『領主の居館』とは名ばかりのボロ小屋に戻るため、シュニーはふらふらと道を歩いていく。
彼の眼前には、雪の白で覆い尽くされた町が広がっていた。
軒に氷柱が垂れ下がった家々からは、暖炉の灯りは所々にしか見えない。
倒壊したまま放置されているものもある。解体する余力すらないのだろう。
「なぜ、ボクが……このような目に遭わねばならないんだ……!」
貧しく凍てついた、見捨てられ滅びゆく世界。
シュニーの眼前に広がる光景はまるで、彼の現況をそのまま写しているかのようだった。
「ボクは……ルプスガナ家の……長子、なのに……」
有力貴族の家に生まれ、我儘放題に生きてきた。
生家が『才無き者、自ら知り育たぬ者に生きる価値なし』という苛烈な思想を持ち、その放任が跡継ぎに相応しき能ある子か確かめる為だったなどと、欠片も気付くことなく。
その果てが、12歳の誕生日に贈られた辺境の地と領主の地位だ。
きっとそれはシュニーに与えられた最後の機会だったのだろう。
地位の重さを自覚した上でお役目を受けられるのか。
はたまた己には荷が重いと辞退できるのか。
治める地が帝国にとってどんな意味を持つ場所なのか、自ら調べて判断できるのか。
「認められたのだと、思っていたのに……」
だがシュニーは二つ返事でそのプレゼントを受け取った。
これくらいは自分なら当然だ、と。
そんな傲慢さと無知のままに判断した結果、彼は今ここにいる。
帝国の“流刑地”。
辺境伯という地位が本来置かれる他国との最前線ではなく、世界を白く閉ざす災厄に敗れ、もう既に見捨てられた土地に。
誇りとしていた家名すら剥ぎ取られた上で。
「どうして、なんだ……」
嘆きの声は、一面の白に吸い込まれるだけだった。
積る雪と疲労に足を取られ、シュニーは受け身も碌に取れず白の絨毯に飛び込む。
ああ、こんなはずじゃなかったのに。
恥辱と怒りに、乱暴に体を起こそうとするシュニー。
だが愚かな少年の現状を嘲笑うかのように、足元の踏み固められた雪が脚を滑らせ、その身を今度は仰向けに転倒させる。
「は、はは」
青ざめた唇を震わせて、シュニーは途切れ途切れに笑った。
これが、辺境伯の有様か。
帝国史に語り継がれる将を数多く輩出し幾度も“冬”を駆け氷魔を薙ぎ、『帝国の狼』と内外から畏れられた公爵家の跡継ぎの姿か?
少年の内心を支配する感情は、徐々に傲慢な怒りから自嘲へと移り変わっていく。
もう起き上がることもできない。起き上がろうとするのを、止めてしまった。
体に、意識に、冷たさが降り積もっていく。
けれど、それでいいのかもしれない。
鈍化した思考が、シュニーに諦めを囁いた。
ここで終わっておけば、これ以上苦しむことも恥をかくことも無いだろうと。
しんしんと雪が舞い落ちる、鈍色の空。
生涯最後に見る景色としては、なんともまあ陰鬱で。でも、今の自分に相応しい気がして。
ざく、ざく、という耳鳴りか何かが聞こえた気がした。
それから、赤色が滲む視界に映り込む。
ああ、とうとう死神が迎えに来たらしい。
そんな薄ぼんやりとした思考を最期に、シュニーの意識は白に埋もれ──
「ずぷっとなー」
「おひょぉうっ!?」
──なかった。
唐突に襲い来た、腹への熱。
「ななっ、なにをすするぶぶぶ無礼者っ!」
「せーぞんかくにん」
とんだ蛮行であった。
領主の服を捲り勝手に肌に触れるばかりか、指を挿し入れるなど!
怒りと動揺のまま勢い任せで立ち上がり、下手人の姿をはっきり目に捉えようとし。
「いきてたならよかった。とっととおうちにかえるといい」
シュニーの思考は、そこで一度停止した。
彼の眼前には、雪兎のような少女が立っていた。
目を凝らさなければ雪景色に溶けてしまいそうな、ところどころが跳ねた白銀の髪。
身に巻いている灰色のぼろ布からは、髪に負けない程に色の薄い肌が覗いている。
まるっとした赤い二つの瞳だけが、彼女の存在に彩りを残していた。
「ここはあまちゃんがいきていけるとこじゃないぞ、しんいり」
「な、あ……」
その顔に浮かんでいたのは、無。
色と同時に感情もどこかに置いてきてしまったのかと思わせるような無表情であった。
一方のシュニーの内心は、すんとした少女の表情とは真逆だ。
どこに住んでいるのだろうか? きっとここの民だろう。ボクの命を助けようとしたなんて、大義じゃないか。礼を取らせてやってもいい。なんであれば名前を聞いて、いや別に不埒な感情があるわけじゃないとも。家族にも纏めて褒章を与えるためだ。他意なんて何も。
無礼者、と繰り返そうとしたのに、感情が次々飛び出して考えが纏まらない。
さっきまで凍えていたはずなのに、頭が茹ったように熱くてたまらない。
「な、な、名乗ることを許す! このスノールト領の新たなる領主、シュニー・フランツ・フォン……スノールトにな!」
結局、大混乱の中でシュニーにできたのは不格好な自己紹介と質問だけだった。
寒さに縮こまる身に逆らいできる限り背を逸らして、少女へと人差し指を突き付ける。
これまで散々威光に縋ってきた生家ではなく、この地の領主としての名を名乗る。
自分を強く格好よく見せる方法を、それしか知らなかったから。
今の彼に見せられる意地は、それだけしか無かったから。
そうして、こてんと首を傾げる少女の返答を待つ事、3秒、4秒、5秒。
「なのってほしかったら、はるまでまつことだな。べいべー」
少女は、シュニーの精一杯をさらっと流して背を向け去っていった。
気まぐれで行動が読めない、ウサギのように。
「そしたら、なまえくらいはおしえてあげる。ぽんこつ領主」
「な、な……!」
シュニーには、少女の後ろ姿を唖然と見送ることしかできない。
平民風情がなんという態度だ。罰してやる。
帝都で暮らしていた時には、思い通りにならない相手にはすぐそう言ってやっていた。
でもそんな普段通りの傲慢さが、何故か出てこない。言葉にできない。
何故、どうして。
「……そうか」
寒さも忘れて、しばし立ちすくんで。
己の無力無能を突き付けられていた少年はようやく理由に気付いて呟いた。
「領主、か……」
ああ、成程。
あまちゃんだとかぽんこつだとか散々に言ってきたけども。
彼女は、自分が領主であるということを疑いも否定もしなかったのだ。
―――――
「セバス……セバス!」
「おかえりなさいませ。そして私はセバスではなくセルバンテスです、お坊ちゃま。執事といえばセバスという固定観念は全国のセバスさんを不幸にするのですよ? この程度の配慮もできないグズだから厄介払いされたのでは?」
「主人に対して口が過ぎるだろ!」
帝国歴1725年。雪歴137年。
人類文明最後の国家バルクハルツ帝国最北端、スノールト領に新たな領主が着任した。
帝国の鼻つまみ者や脛に傷持つ者たちが追いやられる流罪の地。
先代領主が逃亡し、支援の打ち切りが決定された見捨てられた地。
氷魔の大規模侵攻が予測され、一年経つか経たないかの内に滅ぶ事が確定した、誰もが諦めの中で最期を迎えようとしている絶望の地。
「……いや、今はどうでもいい! 頼みがある!」
「はぁ。お坊ちゃまが『命令』でなく『頼み』なんて、雪じゃなくて炎が降るのでは?」
そんな地に追いやられた少年は、熱を持った口調で従者に
彼は無知で無力で、おまけに無謀だった。
過酷な現実の数々を、ほんのひと欠片程度しか理解していなかった。
けれど……だからこそ、今この瞬間に逃げ出さないで済んだのかもしれない。
「いい領主になる方法、今すぐ教えてくれたまえ!」
かくして、第一歩から躓いた愚かな少年の二歩目は始まった。
「それと同時並行で、できれば最速で学びたい」
「何をですか?」
後にシュニーの歩みがやたら美化された物語として纏められ(恥じらい嫌がる彼を無視して)領民の手に届けられた時、序章の最後の一文で吹き出さない者はいなかったという。
「あの……その……だな。アレだ。えーっと……」
我儘ばかりのダメ貴族だった少年が、時に民と衝突し時に分かり合い、歯を食いしばり命を懸け、失敗に失敗を繰り返し心をへし折られながら、それでも己の役目を投げ出さず次々起こる問題に立ち向かい続けられた理由とは。
最初のきっかけとは、いったい何だったのか。
「女の子を、確実に口説き落とす方法だ」
それが、ただの一目惚れだったなどと。
今更言われなくたってみんな知っていたけれど、それでも改めて文字に起こされると笑わずにはいられなかったのである。
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