第35話 終末への備え(前編)/Repentance (Phase-1)

 目覚めたと思った。けれど、それは違った。

 始まりの場所は、いつもと同じ。

 あたしが生まれた分娩室。

 ホテルの部屋に並ぶくらい今では見慣れた場所だ。

 いつまでも変わらない夢の景色――あたしとリサに、共通の記憶。


「あんたを信用したあたしがバカだったわ」


 リサの姿を探すこともせず、あたしはそうぼやく。

 どうせ彼女のことだから、いつどこで何を言ったって、聞こえてるだろう。


「私も、騙したくて騙しているわけじゃないのよ。わかって頂戴」


 あたしの推測通り、リサは霧のなかから突如現れたみたいに、いつの間にかあたしの隣に立って、そう弁解していた。


「あんた、こっちでは、その姿なんだ?」


 今の彼女は、京極玲ではなく、リサ・ストロングマンとしての姿をしている。

 過去の記憶を除いて、夢の世界でその姿をした彼女と会うのは初めてのことだ。


「あら、私の見え方が変わった? だとしたらそれはきっと、そのままの意味でしょう。


 そう言って、リサはあたしの手を握ってくる。


「……で、今日の実験は? 何を見せてくれんのよ」


「さっきも言ったでしょ。今回は実験とは別のタスクをするわ」


「ああ……〝終末への備え〟だったっけ?」


「そ。だから、夢探索はこれでおしまい」


 さらりと、リサはそう宣言した。


「は――?」


 あたしは、疑問という形にすらなっていない疑問を呈する。


「どうやら私が計画していたよりも、時間が足りていないようなの」


「なにそれ? 何かがあんたの計画ってやつを妨害しているとでも言うわけ? こんな、意味不明な夢の世界で?」


「意味不明だからこそ、よ」リサは言った。「私たちが普遍的無意識を嗅ぎ回ってたことに、〈現任管理者〉は感づきはじめているみたい」


 管理者、という言葉の持つ絶対権力的な印象に、なんとなく脅威を感じ取った。

 それはちょうど、監理局内の最高機関である〈評議会〉のようなイメージだ。

 決して盾突くことの許されない決定機関。この世界そのものの意志。

 現実のあたしは今、それに追われる立場になってしまっているわけだけど。

 夢の世界でも、それは似たような状況にあるらしい。


「予め近道ショートカットを用意しておいたから、今回はちょっと急ピッチでいくわよ」


 言うと、リサは片手の指をパチンと弾いた。

 その途端、分娩室が真っ暗になったかと思うと、今度は部屋中が真っ赤に照らされた。

 場所はすでに分娩室から変わっていて、そこは監理局の〈施設〉だった。

 ニーナがあたしを勧誘しに来たときは〈学校〉と呼んでいた場所。

 その中でも超能力の訓練や試験をするための、頑丈に密閉された広いスペース。

 床に倒れ込んだまま動けなくなっている少女の影が、その中心にあった。


「エリクシアっ……⁉」


 それは、かつてのあたしの友達だった。

 施設で知り合った、あたしと同じ超能力者の仲間。

 そして六年前に、見せしめとして処刑された少女。


『本日は、被験体ナンバー135〈エリクシア〉の耐久力テストを行う』


 部屋の上部に強化ガラス張りで隔離された指令室から、レインバードの声が響いた。

 つまりこの場面は、まさにその処刑のときの瞬間だ。

 エリクシアの治癒能力限界の、耐久テスト――というのは、ただのタテマエ。

 被験体たちに反抗心の代わりに恐怖を植え付けるための、残虐な安全対策法。

 それが、このの本当の意味だった。


「逃げて、エリクシアっ、逃げてっ――!!」


 この夢を意のままに操っているであろうリサに中断を求めることも忘れて、あたしはエリクシアに向かって、届くはずのない声で必死に叫んでいた。


「貴方は、この瞬間を実際に目にはしていないのよね」


 対してリサは冷酷とも言えるほど落ち着いた調子で、そう言った。

 その声は、今なお叫んでいるあたしにも、妙に明瞭に聞き取れた。


「だから貴方は、まだの相手を見出せていなかった」


 復讐。

 京極玲と初めて会ったときの、会話を思い出す。


「――――――――――――――ッッッ!!」


 そのとき、エリクシアの断末魔の叫びが、あたしの耳に突き刺さった。

 髪の毛や肉や骨が炎に焼かれるような音がと鳴っている。

 藻掻もがき苦しみながら死にゆく友人の肉体から発せられているというだけで、その音はひどくおぞましいものに聞こえた。

 そして、永遠のような時間が流れたあと。

 ―――エリクシアの身体は、完全な灰と化していた。

 炎が勢いを失っていき、その発生源へと吸われて消えていく。

 陽炎かげろうに揺らぐもう一つの人影へと戻ってゆく、火炎。

 次第にその人影の姿が明らかになっていく――。

 

 そこに立っていたのは、まだ幼い姿の――和泉紗香レッドプレデターだった。


  *


 モルガンの身体が空中に投げ出されると、彼女の脳天は地面と見事に衝突した。


ったたッ……!!」


 即座にモルガンの意識は、夢から引き戻されていった。

 眼を開くと、そこは玲の部屋ではなく、屋外だった。

 数十分前に空飛ぶ円盤が着陸したのと同じ、芝生の公園。


「おかえりなさい、ヒミコ」


 振り返ると、背後に立っていた玲が言った。

 彼女は、工事現場で使われているような運搬用の台車を押している。

 どうやらモルガンが寝ている間に、玲はそれを使って彼女をここまで運んできていたらしい。

 

(――そうだ)


 モルガンは遅れて思い出す。

 ついさっきまで自分は寝ていた。その原因は、玲がモルガンの麦茶に睡眠薬を盛ったからで――。

 思い出すと同時、モルガンは平然とした玲に詰め寄ろうとした。


「あんた、さっきはよくも――」


「――なかなか似合ってるわよ、それ」


 玲は彼女と視線を噛み合わせることもせず、モルガンの非難を遮って、そう言った。

 その視線はモルガンの顔ではなく、彼女の首から下に向けられている。

 モルガンも、それを追って自分の身体を見下ろしてみた。

 彼女の身体を覆っていたのは――漆黒のボディスーツだ。

 寝ている間に、着替えまでさせられていたらしい。


「なに、この服……?」


「まだ正式には導入されていない最新型の戦闘服よ。多層構造の防弾繊維で構成された、強化外骨格エグゾスケルトン。お詫びのプレゼントだとでも思って頂戴」


「娘に薬を盛っておいて、そのお詫びにを一着プレゼントってわけ? すごい倫理観してるわね」


 モルガンは、母親の自分に対するあまりに粗末な扱いに、そう毒づいてみせた。

 とはいえ、玲の行動は到底許せるようなものではないが、身に着けたボディスーツの着心地そのものは、決して悪いものではなかった。

 モルガンは腕を伸ばして、手のひらを開いては閉じてを繰り返してみる。

 開いた手を見つめて、静かにうなずいた。

 スーツの繊維が身体にぴっちりと張りついてくるが、絞めつけられているようには感じない――いや、むしろ、が心地よかった。

 モルガンは本来、タイトな服装を好むのだ。

 きつく身体をしめつけているとき、彼女の不安は少しだけ和らぐ。

 そうでなければ、いつか身体を失ってしまうような気がした。

 それは、不可視化という彼女の能力から連想される、ほとんど本能的な恐怖だ。

 しかし、衣服まで不可視化することはできないために、緊急時に備えて、監理局からは瞬時に着脱可能な服装が求められている。

 結果、服装はいつも薄くて緩いものばかりになった。

 下着を身に着けないことも、よくあった。

 自分自身の超能力によって呼び起こされる恐怖は、その能力の不完全さゆえに、覆い隠すことができないのだ。


「こんな服装」モルガンは言った。「すぐ脱ぎづらいじゃない」


「それについては心配ないわ。スーツが貴方の記述したコードを読み取って、それと同調シンクロしてくれる。これからは、そのスーツを着ている限りは、超能力を使うたびに全裸にならなくて済むわ」


「そんなことが……」


 モルガンは言いながら、超能力を実行してみせた。

 普段通り、指先に少し力を入れて、不可視化する自分の姿を意識すると――彼女の姿は、忽然こつぜんとその場から消えた。スーツも一緒に、透明になっていた。

 消えた時と同様に、モルガンはスーツと同時に姿を現した。


「……ほんとだ」


「どう? 娘へのお詫びの品としては、程よいだと思うけど」


 モルガンは大きく溜息をつく。


「……とりあえず、これは貰っとく」


「気に入ってくれたなら嬉しい限りね」


 そう言って、玲は両手を合わせて喜びを表現した。

 その仕草の妙な〝母親らしさ〟にモルガンはどきりとして、思わず視線を逸らしてしまった。

 決して口にはしないが、モルガンは一度リサとしての姿を見てからというもの、玲の姿をしている彼女にも、時おり母親の面影を感じるようになっていたのだ。


「別に、あんたのこと許すわけじゃないからね」


「今はそれで構わないわ」続けて、玲は呟いた。「わたしも、許されるつもりではやっていないから」


 そのときの玲の声と表情は、どこか悲しげで。

 モルガンは、彼女を母親として認識してしまっている今、そんな感情の機微も、見逃すことができなくて。

 芝生にどさりと座り込んで、訊いた。


「なんで、あんな夢を見せたの」


「それが、貴方のためになるからよ」


「言い切らないで」とモルガンは言った。「誰だって見たくないよ。友達が殺されるところなんて」


「貴方は、あの場面を見たことがないのよね」


「ええ……。あの日、あたしは別にやることがあったから。監理局の、実験台としてね」


「それで貴方は、エリクシアの死を見届けることもなく、ただ戻って来てから、唯一の親友が死んだことをしらされた」


「だから、何だっていうの?」


「今の貴方には分かるでしょ。復讐すべき相手が」


 和泉紗香レッドプレデター

 炎のなかに浮かび上がった、まだ幼い彼女の姿を思い出す。

 親友を殺したのは、彼女だったのだ。

 

「和泉、紗香……」


「そう。貴方の親友を殺したのは、和泉紗香」


 玲はその細長い身体を折って、座り込むモルガンの耳元に、そっと唇を近づけた。


「――貴方は、彼女をどうしてやりたい?」


「あたしは……」


 

 あの〈アント・ヒル〉のカフェテリアで、玲はそう語った。

 モルガンは思い返す――エリクシアと出会ってから、彼女を失うまでの日々を。

 今まで何度も、そうしてきたのと同じように。

 ところが今では、その記憶の端々に、まるでフラッシュバックするように、和泉紗香の顔が浮かび上がってくる。

 平穏と炎、笑顔と悲鳴、希望と絶望。

 目を閉じて、何度も消し去ろうと努力する。

 つい先ほど突きつけられた、あの衝撃的な風景を。

 忌々しい逃亡者の顔を。

 それでも瞼の裏にまで焼きつけられた姿は、もう消すことができなくて。

 モルガンは一度、掌を強く握り締めた。

 その中に、まるで彼女の首根っこがあるかのように錯覚しながら。

 握り潰すように、強く、強く――。


「うぅ――――ッ⁉」


 突然、モルガンのすぐ隣で爆音がとどろいた。

 爆撃でもされたのかと思うほどの激しい衝撃だった。

 彼女ははっと目を見開いて、その音の方を睨みつける。

 砂埃でできた幕の向こうでは、地面が円形に陥没していた。

 隕石によるクレーターに比べれば、遥かに小規模なものではある。

 だが、長閑のどかな公園の一角に、ほんの数秒の間にできた地形にしては、それは異常なものだった。

 モルガンは恐る恐る、警戒心を強めながらその中を覗き込む。

 甲高い信号音のような耳鳴りが、頭に詰まったように響いていた。

 不穏な予兆に、心臓がばくばくと脈打ち、胸が痛む。

 窪みは予想していたよりも深く、その中心にあったのは――。


「――ママ――ッ⁉」


 モルガンは無意識に、そう叫んでいた。

 窪みの中心にあったのは、京極玲と、彼女が押していた台車。

 台車の錆びついた骨格は、上から強い力で圧し潰されたようにひしゃげてしまい、元の形がほとんどわからない状態で、その半分以上が地面に埋められていた。


 ――京極玲の肉体についても、ほとんど同様の状態である。


 モルガンは、窪みの中を転がるように滑り降りた。

 玲のそばまで駆け寄ると、彼女の霞んだ目が、ゆっくりと、モルガンの方を見た。


「なによ、今の……一体なにが起きたの――!?」


 まったく意味のわからない事態に、モルガンはただ動揺していた。

 上空からの攻撃か。モルガンは天を仰ぐ。

 でも、そこにあったのは、どこまでも呑気に晴れ渡った青空と、網膜を突き刺す真っ白な直射日光だけだ。


「私は何もしていないわ」玲は絞り出したような声で、言った。「貴方が、やったのよ」


「あたし――?」


 モルガンは自分の掌を見つめようとした。

 心理的な異常に身体まで反応しているのか、視界が揺らいで定まらない。

 足元がぐるぐる回っているみたいで、吐きそうになる。

 景色が近づいたり遠ざかったりする視界のなかで、玲はただ、力なく――笑っていた。


「ようやく、自分の真価に気付き始めたみたいね――」


 あの意地の悪さも感じさせない、弱弱しい笑みだった。

 モルガンはただ、思考しようと努め続けた。

 細かい状態は今はどうでもいいから、とにかく、ママを助けないと。

 玲の身体を、抱き上げようとする。


「やめなさいっ――!!」


 彼女の拒絶は、今までになく強いものだった。

 その言葉遣いはまるで娘を叱る母親のようで、思わずモルガンは固まってしまう。

 

「私はもう、助からないと思うから」


 咳き込みながら、玲は言う。


「だから、このまま――」


「――待って」


 モルガンは彼女の言葉を遮った。

 玲の咳に、血が混ざり始める。


「肺が潰れちゃったかしら……。あのね、玲――」


「――だめ」


 なにかモルガンにできることが、あるわけではなかった。

 ただ、今は彼女の言葉を聞きたくなかっただけ。

 それだけを理由に、モルガンは彼女の声を拒み続けた。


「そうだっ。医療用ポッドを使えば、ワイルドファイアみたいに――」


「言ったでしょ。彼だけが、唯一の成功例なのよ」


「じゃあ……」


「あのね、モルガン」


 諭すような声で、玲が言う。


「いずれ、こうなる運命だったのよ。……親は子よりも先に死ぬ。私との数日間は、ただの夢みたいなもの。そして――夢探索は、これでおしまいよ」


「ちがう」


 モルガンは子供のように、ただ拒絶することしかできない。

 そして少しずつ、彼女の認識が目の前の現実に追いついてくるにつれて、その気力も失い始めた。 

 玲は、勝手に話を進めていく。


「でも、最後はせめて……貴方の手で、終わりにさせてあげる」


 玲の言葉の意味することは、わかる。

 こういうことをするのは、何も始めてのことではない。

 過酷な訓練と任務のなか、両脚を失った同僚。

 自らの欠落に縛られた者たちにとって、死は確かに解放の一つだった。

 モルガンはゆっくりと、腰のウェストポーチに装着された拳銃に手を触れる。


「貴方が、このお終いを選ぶのよ」


 こんなものは、選択とは言わない。

 彼女はそう思った。

 自分はいつまでも、でしかないのだ。

 

 なけなしの自由を与えられているようで、都合よく導かれているだけ。

 でも、彼女の握る引き金が、誰かに自由を与えられるのなら。


「さようなら、ママ」


 モルガンは玲の額に銃口を向けた。


「私が自由になるのは、貴方のおかげ」


 玲の言葉を最後に、引き金を、引いた。

 こういうとき、不思議と涙を流したことはなかった。

 乾ききった銃声の響きは、いつも空っぽだったから。

 それでもすぐに動き出す気にはなれず、モルガンはしばらく立ち尽くしていた。

 かすかに微笑んだまま止まっている玲の遺体に、影が落ちる。

 見上げると、モルガンの頭のすぐ上で、巨大な空飛ぶ円盤が浮かんでいた。

 機体が緑色に発光し、ベータの機械音声が脳内に響く。


『ミス・モルガン、お迎えに上がりました』


 モルガンはただ、悄然と呟く。


「もう……遅いよ」


『申し訳ありません、ミス・モルガン』

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