Day 05

第31話 日常の終り/Resume

 月の明かりも微かな暗い森の奥深くに、六人はいた。

 実質的なリーダー格の繚介だけが他の五人の目の前にドンと立ち、嬉しそうな笑みを浮かべている。

 一方で、残り五人は不安、あるいは不服そうな表情。


「もう帰らないか? 明日から学校だし……」


 雨宮がそう不満を漏らす。


「お前にはこの六人の中で最初に不満を漏らさなければならない役割でもあるのか? もしもお前が小説の登場人物なら、毎回〝雨宮がそう不満を漏らす〟と書くことになりマンネリズムに陥るし、〝ネガティブな発言で物事の進行を悪くする〟と周囲からも絶不評だろうな」


「急にワケわからんこと言わんでください」


「これ、本当に入って大丈夫なんでしょうか……?」


 不安そうに言う結実が見上げているのは――大きな廃病院だ。 

 生い茂る高く太い木々の中、聳え立つ白く巨大な遺骸。

 その建造物自体が、幽霊屋敷どころか、幽霊そのもののようにも見えた。


肝試きもだめし、ねえ……」神崎が腕を組む。「ここ以外ないのか?」


「ない。すでに俺は下見をしたし、そのときに仕掛けも設置した」


「どんだけ準備いいんだよ」


「てか、立ち入り禁止って書いてあるけど」紗香が黄と黒のテープに触れる。


 何年も管理されていないのか、かなり劣化が進んでいるようだった。


「それを引いたのは俺だ」繚介は言う。「雰囲気づくりのために」


「本当に安全だったんだな?」神崎は普段よりも厳しい目つきで繚介を見た。


「ああ。そこまで老朽化はしてなかったし、二人ずつ動けば大丈夫だろ」


「……ま、好きにしてくれ」


 これ以上食い下がるのも面倒だった。

 廃病院のなかを一周して戻るだけ。それもこの面子で、だ。

 予知能力者プレコグもいるし大きな問題はないだろう、と神崎は考える。

 繚介は、これまでに何度も紗香や他のメンバーに危機が迫る未来を予知して、事前に回避していると話していた。逆に言えば、予知能力が発動しない限りは、危険な事態に陥るようなことはない、というのが、繚介からこっそり聞いた説明だった。


「これが二日間の最後のレクリエーションなのか?」


 雨宮は釈然としない様子だ。

 それも神崎のように安全に関してではなく、肝試しそのものに反対している。


「今までになく不満そうだな。なんか引っ掛かるのか?」神崎が訊く。


「別に。ただ――」雨宮は何かを言おうとして、「やっぱ、いいわ」


「では!」と繚介は言って、両手を鳴らした。


 夜の森の静寂には、妙に大きく響いた。


「ペアは指名制で決める! 神崎は俺と来いっ!」


「「マジかよ」」


 雨宮と神崎の声が重なった。


「なんだぁ? お前ら、お互いペアになろうと思ってたのか」


 繚介が左右非対称な変な顔になって、眉根を寄せた。


「いや、別に……」と雨宮は否定する。


「俺は雨宮とがよかったのに」神崎がぼやく。「報われない想い?」


「変な言い方するな。……まあ正直、俺もお前と組むつもりだった」雨宮は素直に白状した。「だってイチバンらくそうだし。すぐ終われそう」


「だそうだが?」神崎は繚介を見る。


「いいや、神崎は俺と来い」


「だそうだ」雨宮を見る。


「ま、それでいいよ。他のペアはどうする?」


「私は――」


 最初に手を挙げたのは、意外にも響子だった。

 彼女の細い指が真っ直ぐに指差したのは――


「――え、わたし?」


 紗香がぽかんとしている。


「よしっ、じゃあ響子は紗香とペアで決定だ」


「じゃ、残った俺は……」


 雨宮が結実の方を見る。


「あの、よろしくお願いします」


 結実がゆるりと頭を下げる。


「こっちこそ、よろしく」


 そんな流れで、すんなりとペア決めは終わった。


  *

  

 最初の二組が平然とあゆったあと、雨宮と結実が病院の前に立つ。

 改めて近くで見上げてみた姿は、まるで歯の抜けた巨大な怪物が大口を開けて待ち構えているかのようで、雨宮は思わずすくみ上がった。


「とりあえず……あたしたちも入っちゃいましょうか」


 と結実は切り出した。


「そ、うだな……」


 渋々の態度で同意する雨宮。

 意を決して中に踏み込むと、結実が懐中電灯で地図を照らした。


「あたしたちの目的地ゴールは……手術室ですね」


「ああ」雨宮が地図を覗き込んで言う。「意外と入口から近いな」


 ささやかな僥倖ぎょうこうに、雨宮は闇の中で胸を撫でおろした。

 その安堵のこもった溜息を感じ取り、結実は言う。


「もしかして雨宮さん、なにか怖がってませんか?」


「いや、誰が怖がってるんだよっ!!」


「急にツッコみ強いですね。紗香や神崎さんが理不尽なこと言ってきたときのテンションですよね、それ。そんなに動揺するのは図星を指されたからですか?」


「なんか、お前の発言も辛辣さが強くなってるような……」


「とにかく、ちゃっちゃと終わらせちゃいましょう」


 怖がるような素振りも見せず、先導して歩いて行く結実。

 それは、雨宮にとっては意外な彼女の一面であった。

 一方、もし結実の協力者――浅倉快斗がこの場にいれば、いつも通りの強情で意地っ張りな彼女だと判ずることだろう。


「お前、ちょっとは怖いとかないのかよ」


「あたし、耐性あるんです」


「耐性」雨宮は言った。「そりゃつけたくない能力だな」


「ですね。こういうの、純粋に怖がれる学校の子たちって恵まれてると思います」

  

 その耐性は、浅倉とともに捜索する過程で自然に身に付いたものだ。

 神隠しに、黒魔女の話。そういう都市伝説めいたものを調べ上げていくうちに、結実は少しずつ、余計な恐怖心を失っていった。

 彼女をそこまで突き動かしているのは、ただ大切な妹を見つけたいという想いだけではない。妹が行方不明になり、慕っていた教師が行方不明になり――次こそは、自分かもしれない。そんな恐怖心が、確かにあった。

 より大きな恐怖によってかき消されていく、小さな恐怖たち。

 そんな耐性なんて、ない方がいいに決まっている。


「……」


 雨宮は黙り込んでしまう。

 咄嗟に気の利いたことが言えなかったのは、結実の言葉が、監理局に近付いていくうちに感じたものとあまりにそっくりだったからだ。


「お互い、ロクでもないモンに巻き込まれたみたいだな」


 そんな彼にできることといえば、ただの共感ぐらいのものだ。


「雨宮さんは、なんでここに来たんですか?」


 ひどく曖昧な質問だった。

 でも、詳細は知らずとも、二人がよく似た背景に立っていることに気付いた雨宮には、彼女の訊きたいことが、なんとなくわかる。


「物事には、正しくあってもらいたいからな」と雨宮は言った。「そうじゃなきゃ、気分が悪い」


「しっかりされているんですね。なんだか保護者みたい」


「保護者、ねえ……」


 雨宮は繰り返す。


「まあ強いて言うなら、精神はこん中では俺が一番マトモな自信はある」


 それは、前にも一度言ったことのある言葉だ。

 二日前の、銭湯の日に、神崎の隣で。

 もっとも、あのときは鼻で笑われてしまったが。

 要するに冗談のつもりだったのだ。


「その通りだと思います」


 しかし結実からの反応は、予想外のものだった。


「倫理基準っていうか、ツッコみっていうか……そういう役割があるんだと思います。紗香は――雨宮さんが側にいてくれると、安心できるんだと思います。少なくともいま自分は、間違ったことをしていないって」


「待て、なぜ急に紗香の話になった?」


「学校で見かけるときの紗香、もっとおとなしいんですよ?」


「そうなのか」


「はい。あんなに楽しそうに遊んでいられるのは、雨宮さんがいたからだと思います」 


 雨宮は想像してみる。

 あの和泉紗香が、もし同じ学校に通っていたら。

 ごく普通の女の子として、波を立てず、目立たず、慎ましやかで、穏やかに、教室の一角で一日を過ごす紗香――うまく想像できなかった。

 

「ここですね……」


 前では先導する結実が地図を確認して、扉を開けていた。

 すると、円型に並んだ幾つもの目玉が、こちらをじっと見ていた。


「ひゃぁっ――!!」


 小さな悲鳴とともに、飛び上がる結実。

 雨宮は結実の怯えた対象に向けて、懐中電灯を向けた。


「あれは……無影灯むえいとうだな」


 それは、天井からぶら下がった電灯だった。手術作業への影響を減らすために、影ができないよう特殊な仕組みでつくられている。


「はー、びっくりしました……」


 どこか震えた、安堵の吐息をもらす結実。

 よく見てみれば、彼女の声だけでなく、足元まで微かに震えていた。

 そこで雨宮はようやく、結実に多少の恐怖耐性があるのは事実なのだろうが、それでも今までの態度は強がっていただけなのだと気付いた。


「さ、いこうぜ」


 雨宮は震える結実の腕を掴んで、手術室のなかへ踏み込んだ。


「雨宮さん、怖くないんですか?」


「いや、怖いから早く終わらせたい」雨宮は至極率直に答える。「あと、敬語じゃなくていいから。同い年だし」


 *


 廃病院の正面入り口をくぐった途端、神崎は暗黒に取り込まれた。


「うわ、ここマジで暗いな」


「だろう。夏の風物詩たる肝試しにはベストなフィールドだ。それにこれがもしゲームなら、背景素材で手を抜く絶好のチャンスだろうな」


「さっきからのそのシリーズは何なんだ? どっかで流行ってるのか?」


「そこ、薬瓶の破片が落ちてるから気を付けろよ」


「いや聞けよっ。……ん? 今なんか踏んだな。硝子みたいな音が」


 神崎が懐中電灯を足元に向けると、靴で踏み割られた薬瓶の破片があった。


「今のところは同点だな」と繚介が言う。


「……とりま霊安室まで行って、札を取って戻ればいいんだよな」


「そうだ」


 神崎は足元に注意しつつ、懐中電灯で地図を照らして歩く。

 南と北の病棟をつなぐ通路に差し掛かると、と音がした。 

 小動物の足音だ。


「なんだ? いまの」


ネズミだな」


「足音だけでよく分かるな」


「いや――はっきりと姿が見えた」


「この暗闇の中でよくそんなに見えるな」


 繚介も懐中電灯を持ってはいるが、なぜかけていない。


「身体が未発達の状態で修行を重ねれば、これぐらいの適応は可能だ」


「修行?」神崎は訊く。繚介がいる暗闇の方へ。


「そうだ」姿の見えない繚介が答える。「闇を見る修行さ」


 神崎はその言葉から内容を連想しようとする。

 答えを待たずに、繚介はゆっくりと言った。


「暗順応、という言葉を知っているか? 明るい場所から暗い場所に移動したときに、時間経過とともに視力が確保される機能だ」


「いわゆる‶目が慣れる〟ってやつか」


「そうだ。その現象は、網膜の視細胞の一つである桿体かんたい細胞によって起きる。桿体細胞は、光量子に反応して活動電位を劇的に変化させることで暗所視をもたらす、いわば超高感度の光センサーだ。だが、色の識別機能には関与しない。暗い場所でものが見えても、色までは分からないだろう? それとは反対に、錐体すいたい細胞は色覚だけをもたらす」


 神崎は押し黙ったまま、言葉を挟まないでいる。

 それほど専門的な内容ではないとはいえ、すらすらと流れていく話を追うだけで、彼は精一杯だったのだ。


「いいか。桿体細胞と錐体細胞、この二つが人間の〝視覚〟を生み出している」


「なんとなく分かったけど、その話は今関係があるのか?」


「ある」繚介は言う。「俺と紗香は修行の影響で、常人に比べて桿体細胞が発達し、錐体細胞の感度は劣化しているんだ。それと視覚以外の五感――特に聴覚と嗅覚もかなり発達した。俺より幼い年齢で修行をしていた分、紗香のほうがその程度の差は激しい」


「だったら、前に紗香の言っていた〝生命を検知できる能力〟とかいうのも……?」


「闇の中で獲得した技術だろうな。いまや夜行性の動物に近い感覚器系だ」


「夜行性の動物……」神崎はその言葉をなぞる。「どれだけ劣化してるんだ?」


「三種類の色細胞のうち赤と緑が特に劣化している。集中してじっと見れば、なんとか識別はできるそうだ」


「そうか」神崎は闇の中で腕を組む。「でも、そもそもそんな教育、監理局にとっても意味がなくないか? わざわざ戦力を色覚異常にするなんて」


「いいや、それが、監理局は関係ないんだ」


「じゃあ、何か? 少年漫画の影響か?」


 神崎の軽口に、繚介は反応しなかった。


「なあ、神崎」繚介は言った。「お前に話さなきゃいけねえことがある」


「……真面目な話なんだな。それは」


 暗闇の中で二人の間に帯びた異様な空気に、神崎は勘づく。


「そうだ」繚介は語る。「紗香と俺には、まだ話してない過去がある」


「お前らが施設に入れられたのは、たしか十三年前だよな」


「それよりもさらに昔の話だ」繚介は言った。「話さないでおこうかとも考えたが、お前が紗香の側にいてくれるというなら、話すしかないと思った」


 重々しい雰囲気で、繚介は言った。 


「紗香は――軻遇突智カグツチなんだ」


軻遇突智カグツチ?」神崎は言い慣れない言葉を繰り返す。「なんだそれ」


伊弉冉イザナミ伊弉諾イザナギの間に生まれた神。日本神話における、火の神だ」


 軻遇突智カグツチ。火の神。発火能力パイロキネシス

 断片的なつながりだけは、なんとか捉えられる。


「まさか、ここにきて紗香が実は神様だとでも?」


「ごく一部の人間にとっては、そうだ」


「お前は、その〝ごく一部の人間〟なのか?」


「十三年前までは、そうだった。少し長い話になるが、聞いてくれ」


 暗闇の中で、繚介は言葉を紡ぎ出す。


「俺と紗香は、貧困な家庭に生まれた。母親は身体が弱く、日雇いで働く父親の収入だけが四人分の生活資金だった。そこには、貧しいながらも――いや、だからこそ、深い絆でつながった笑顔の溢れる生活があった。

 だがある日、父が勤務先で工業機械の事故に遭った。脚を骨折し、唯一の稼ぎ頭の労働がままならなくなったんだ。治療費を払うことも困難だった。

 凍てつくような冬、身動きもできない貧窮状態の俺たちの家を、ある二人の女が訪れた。車椅子に乗った老婆と、幼い少女だった。

 老婆は言った。彼女の代表する組織が、俺たちの生活を支援できると。それも金銭的な支援だけでなく、新しい住居まで提供できるという。彼女は組織を〈共同体〉と呼んでいたが――その実像は、新興宗教団体だった」


 神崎は息もひそめるように黙り込んで、繚介の声に耳を傾ける。


「新興宗教団体といえど、悪質で狡猾な霊感商法で迫ったり、法外な集金活動をしている様子はまったくなかった。実際に様々な生活支援をしてくれたし、父親の医療費も払ってくれた。新しい住居も本当に用意されていた。

 ただ〈共同体〉の関係者によって構成された集落から出ることだけは、強く禁じられていた。買物はもちろん、教育も、医療も、葬儀も、外部に接触することはすべて禁止だ。それでも生活に必要なものはすべてあった。なかでも子どもに対する教育は、特殊な形態をとっていた」


「それが、闇を見る修行か」


「そうだ」繚介は言う。「毎晩、深夜の墓場――共同体では土葬が主だった――で、闇を見つめ続ける。ただそれだけの修行だ。監理局の訓練のような直接的な痛みは、伴わない」


 繚介の声は無表情だ。

 何かの感情が込もっているとしても、それはきっと諦念でしかない。


「それに何の意味が――」あるのか、と訊こうとして口をつぐむ。


 繚介は〈共同体〉が新興宗教組織だと言った。

 ならば、そのの目的は、神秘的欺瞞や疑似科学めいたものではないか?

 聞いても理解の及ばない話が出るだけのように思えた。


は」と繚介は言った。「炎をおそれ、闇を信仰していた」


「炎――まさか軻遇突智カグツチのことか?」


「そうだ。神話では、伊弉冉イザナミ軻遇突智カグツチを生んだ時に火傷で死亡している。日本神話を神道系の宗教である〈共同体〉では、軻遇突智カグツチの象徴する炎を畏れ、その反対に闇こそがすべてを包み込む力として信奉されていたんだ」


「それで発火能力者パイロキネシストの紗香が覚醒したことで、共同体にとって軻遇突智カグツチ――つまり畏怖の対象と見做みなされたのか」


 繚介は頷く。闇の中で神崎には見えなかったが、その呼吸は伝わった。


「そのときから奴らの見る目は変わった。それは両親でさえ同じだった」


「それで……監理局に売られたんだな」


「両親や共同体の信者にとって俺たちは、わざわいを招く〝怪物〟だったのさ」


 世の万物に憎しみを込めるように、そう言い捨てた。


「さて、話してるうちに霊安室に到着したな」


 一階の機械室の隣――出入口からはちょうど真反対の場所だった。

 霊安室は関係者以外の人目につかない場所にあることが多い。

 病院内の壁にある地図にも載っておらず、繚介の地図だけがたよりだった。


「あとは札を探すだけだな」と繚介が言う。


「だな。どこに置いたんだ?」


「あとは札を探すだけだな」


「はいはい、自分で探せってことな……」


 神崎は渋々と霊安室の扉を開ける。

 一歩踏み込んだ瞬間に、異質な空気に全身が震えそうになった。

 用途上、存在そのものが隠されているような部屋だ。

 外に通じる裏口の硝子ガラス部分はひび割れ、そこからつるが室内にまで侵蝕している。

 風が吹けば涼気が流れ込み、木々の揺れる音が反響した。


「ここだけは結構ガチめに怖いな」言いながら、目当ての札を探す。


 懐中電灯をぐるりと回し――『封✪️印』と赤文字で書かれた札を発見する。

 壁に貼り付けられたそれを剥がそうと手を伸ばし、足元の蔓につまづいた。


「うおっ」咄嗟に手が動き、身体を支えられるものを空中で探り――何かを掴んだ――それは遺体収納庫の把手とってだ――中身がからだったのか、施錠されていない扉は無抵抗に開き――。


 結論、派手にコケて地面に激突した。


「い゛た゛い゛‼」神崎は汚い断末魔と共に死んだ。もとい、転んだ。


「神崎、大丈夫か⁉」心配した繚介が光を向けて言う。


「無事だけどソレ眩しい……。てかお前の懐中電灯、なんか光源小さくね?」


 神崎は目を細めて繚介の手元をじっと観察して、


「お前、それ懐中電灯じゃなくて携帯のフラッシュだろ‼」


 答え合わせでもするように、聞き馴染みのあるシャッター音が鳴った。


「狡猾なところだけは妹に似てるよな……」とこぼし、立ち上がる。


 衣服についた葉っぱや土を払い、遺体収納庫のドアに手を掛けた。


「あれ? これって……」神崎はそのままの姿勢で止まった。


「どうした?」繚介が、懐中電灯の光を収納庫の中に向ける。 


 施錠されていなかったはずの、その収納庫は――からではなかった。

 遺体収納庫という名が表す用途の通りに、遺体が、納められていた。

 女の遺体。かろうじて性別が判別できるミイラ状態、などではない。

 衣服にも人体にも、ほんのわずかな劣化すら見られないのだ。

 まだ生きていたときの体温さえ、視覚的に感じられる。

 扉は施錠されていないし、保温機能が作動していたわけでもない。

 つまり、この遺体は、つい最近の――


「この病院が廃止になったのは、五年前だよな……」


「ああ」


「一応聞くが……これは、お前の仕掛けなのか?」


 繚介は首を横に振った。


「じゃあ、一体ここで何が……?」神崎は遺体の担架に触れる。


 そこで、関わるのをやめるべきだった。

 何も見なかったことにして裏口から出て、皆の元に戻れ。

 適当に理由を付けて、肝試しは中止にしてしまえばいい。

 どうせ気紛きまぐれで始まったのだから、気紛れで終わらせたっていい。

 なのに、興奮状態におちいっていた神崎は、その担架を引き出して―― 


「知ってる……」神崎はうつろに呟く。「この人は――」


 隣では繚介も目を剝いていた。

 その女とは、二人とも面識があった。

 つい昨日、ホテルで邂逅かいこうした女。

 無処置の貫通銃創じゅうそうを額につくった、この白衣の女は。


 ――ナルク所属の研究者、京極れいだ。

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