第28話 深層/Reference

〈監理局〉日本支部。

 そこには中枢諜報員コア・アセットだけが入ることを許されている場所がある。

 厳重に閉ざされた扉の先にある、何もない空間に、レインバードはいた。

 その部屋は壁や天井、床までもがすべて鏡張りで、一度足を踏み入れれば無数の自分の鏡像たちに囲まれ、そこがどれほどの広がりを持った部屋なのかすら、わからなくなる。


「〈評議会〉と通話」


 レインバードは、天井から逆さまにぶら下がっている自分の鏡像を見つめて、言った。


『何をしに戻ってきた、レインバード?』


 男とも女ともつかない合成音声が、部屋中に響き渡った。


「少し調べておきたいことが。伊賀響子という在野の能力者について」


 レインバードは慇懃いんぎんな態度で答える。

 普段は極めて横柄おうへいな彼でさえ無力に思えるほどの権威との通話だ。


「彼女とはレッドプレデター対策として一時協力していますが、基地内には彼女についての情報が一切ありませんでした。こんなことは初めてです」


『それでA級諜報員アセットのお前が、最高機密トップ・シークレットにアクセスしたいとでも言うのか?』


「アクセスはせずとも」彼は直截に言う。「口頭での説明は許されるでしょう」


『……いいだろう。こちらにも精確な情報はないが、関連性の高い情報はある』


「それについて話せる限りの情報を、どうか」


 沈黙が続いた。

 不用意に情報を洩らさぬよう、司令部も慎重になっているのが分かる。


『〈Gungnirグングニア〉から〈RainBirdレインバード〉に、最高機密の一部を口頭にて通知する』


 記録を残すためか詳細に事態を明言した後、司令官グングニアが言う。


『恐らく、彼女は伊賀家の人物であることが推測される』


「伊賀家? それは重要な家系なのですか?」


『伊賀家は古代より皇族の元で厄払いを担っていた一族だ。日本の為政者とも呪術に関する側面で歴史的な繋がりがある。極度の秘密主義を徹底しているがゆえ表社会には姿を現わさないが、確認されている血統者は例外なく、〈監理局〉による血清の投与を受けることなく超能力に発現している――つまり、在野の血筋だ』


「そんな血筋が――」


 在野の超能力者は極めて稀な存在だ。

 CSTV-04因子が血清なしで活性化する事例は、確かに何度か観測されている。

 潜在的能力者ごとに固有の神経細胞ニューロン発火パターンに、因子が反応した場合だ。

 だが、その発現条件に血統が無関係であることも分かっていた。

 司令官の、極度の秘密主義、という言葉が頭に残る。

 伊賀響子の血筋には重大な秘密があるはずだと、レインバードは確信した。

 その推察を読み取ったか、グングニアはさらに言い足す。


いにしえより日本の政治に関わる一族だ。無用な干渉は避けろ』


  *


「――ぷはぁっ……!!」


 乾杯のあと、モルガンと玲は同時にショットを一気に飲み干した。

 モルガンが苦い薬でも飲んだように顔をしかめる一方で、玲はだらしなく曖昧に微笑んでいた。モルガンは玲のその表情を見て、彼女より先には絶対に酔い潰れまいと心に誓うのだった。


「じゃ、私から先に質問するわ」と玲が宣言する。「母親に知られたくない秘密は?」


「――は、なにその質問?」


 本当にゲームのような浮ついた質問に、モルガンはすかさず不快感を表明した。

 しかし玲は何も言わず、ショットの縁を指で撫でながら、回した独楽を眺めるみたいに、じとついた視線を向けているだけだった。

 いまモルガンに与えられた選択肢は二つだ――真実を明かすか、酒を飲むか。


「あ~っ、はいはい、わかったわかった」


 モルガンはショットいっぱいに蒸留酒を注ぎ、それを一気に飲み干してみせた。

 これで二杯目ではあるが、初めて口にする酒というのは想像以上の体験だった。なかでも濃度の高い蒸留酒だけあって、その強烈なアルコールの苦さには、舌そのものが感情を持って驚いているかのようだった。


「はい、これでいいんでしょ」


 モルガンは音を立ててグラスを置く。

 今度は、彼女が質問する番だ。

 モルガンは口内の苦味が消えるまでの間ずっと、玲の目をじっと見ていた。

 何から訊くべきか、まだ迷っていたのだ。

 擬態能力者シェイプシフター。エリクシア。復讐。血液特性。夢探索。普遍的無意識。血清。夢見る機械ドリーム・マシン。リサ・ストロングマン。そして、究極理論。何から訊く、何から――。 


「それで、訊きたいことは何かしら?」


 そんなモルガンを前に、玲は余裕の笑みだった。

 その表情をみていると、モルガンは妙に急かされた気分になり、必死で質問を引き摺りだした。

 まずは――今日の夢探索での出来事から。

 あの猟奇的な光景は、今でも脳裏にこびりついている。肉と骨で組み上げられた二重螺旋。少し思い出そうとするだけでも吐きそうになるのをなんとか堪えて、モルガンは言う。


「今日の夢探索で見せた記憶について、教えて。あんたは、あの記憶を見せる前、〝今日は自分の話をする〟って言ってたでしょ――でも、あれはなに? 最初に分娩室で見せられたのと同じ、リサ・ストロングマン――あたしのママがいるだけだった。どこにもあんたの姿はなかった。あの記憶は、いったいどこから来たの?」


は、私の記憶よ」玲はさらりと答えた。


「どういうこと? あんたがあたしのママだとでも言うわけ?」


 そう追及するが、モルガンの手番はもう終わっている。

 玲は質問には答えず、逆に訊き返してきた。


「貴方は、私のが何だと思っているの? 聞かせて頂戴」


「わからない、けど」とモルガンは前置いた。


 彼女は玲と出会ってからのここ二日の間、言葉尻を捕らえたりしては相手を揺さぶるような玲の言動を、何度も経験している。それに、このゲームにも負けたくなかった。さっきのような余計な遠回りは避けて、慎重に言葉を選ばねばならない。


「わかるところまででいいわ」と、玲はまた優しく背を押すように言ってくる。それがどうしてか、自転車には初めて乗ったとき横から支えてくれた、母親の手の温度を思い出させる。


「あんたの今の言葉を信じるなら……あんたがリサ・ストロングマンである可能性は、高いと思う」と、モルガンは自分なりの推測を率直に語りだす。「他にも根拠はある。昨日の夢探索で見せられた実験室の壁に掛けられた絵。あれは、初めて会った日に見たあんたの実験室にも飾られてあった」


「アドルフ・ツィーグラーの〈四大元素フィア・エレメンテ〉ね」と玲はその絵画の名を言った。「そんなのは、単なる偶然の一致コインシデンスじゃないかしら」


 もちろん、それが根拠として不十分であることは分かっていた。

 だが、つい先ほどの玲の答えは。

 こそが、玲の記憶なのだと言った。

 それはやはり、京極玲がリサ・ストロングマンであることを意味しているのではないか?

 擬態能力者シェイプシフター京極玲とは、同時にリサ・ストロングマンでもあるのでは?


「でも、それで疑問がぜんぶ解決するってわけじゃない。そもそも、最初の夢探索でリサ・ストロングマンは1900年生まれだった。じゃあ、あたしを生んだ時点でも百歳を超えてるってこと?」モルガンは自分の推測を語り続ける。「今のあんたがそのリサと同一人物なら、それ以上になるね」


 いかに変身系能力者といえど、それは有り得ないことだ。

 不老不死にあたるような能力は、監理局のデータベースにも存在しない。


「その辺りの疑問は……悔しいけど、まだ分かりそうにない」


 そう言って、モルガンは推測を語り終えた。

 今度は、彼女が質問する番だ。


「じゃあ、あたしの質問ね。いま話した推測がどこまで合っているのか、それだけでも教えて」とモルガンは言った。「どうせ、答えをすべて教えてくれたりはしないんでしょ?」


「貴方のここまでの推理は、間違ってない。順調に真実へと向かっているわ」玲は答えた。「私は1900年に誕生したリサ・ストロングマンで、第二次世界大戦後にはアメリカに帰化し、そこで〈オーファン〉についての研究計画に従事した、一人の理論物理学者よ。そして――」


 そう話す玲の眼鏡のレンズには、モルガンの姿が映っている。

 母によく似たその顔つきが、だんだん母の顔そのもののように見えてきて。

 左右に並ぶ二人の母親が、モルガンをじっと見つめていた。

 ――ドイツ人の理論物理学者、リサ・ストロングマンと。

 ――モルガンを生んだ売春婦、リサ・ストロングマンが。

 視線は二人の間を抜けて、レンズの裏側――玲の両眼へと収束する。


「そして――貴方は私の大切な娘よ」


 玲の眼光が一直線に伸びる。

 モルガンはその視線を追いかけて背後を振り返り、そこに誰もいないことを確認して――自分を指差した。


「……あたしが?」


 玲は答えなかった。

 ただ両眼の瞼をゆっくりと下ろし、長い睫毛を揺らして再び開けた時には――その虹彩の色が変わっていた。

 左の瞳は飴色で、右の瞳は青白い――黄金と白銀、太陽と月、昼と夜、陽と陰――あらゆる極性を包括するかのような、その金目銀目ヘテロクロミアの両眼は、紛れもなくモルガンの母のものだった。

 その瞳に言葉を失っている間に、玲の眼は瞬きとともに戻っていく。

 感情の通らない、黒色の瞳へ。


「貴方は、自分の能力をなんだと思う?」と、玲は訊いた。


 モルガンはまだ彼女を質問攻めにしたい気分だったが、そのためにゲームの規則を破りたくはなかった。それに、性急かつ強引に話題を固持するよりも、気持ち良く酩酊した玲の饒舌さに期待して流れに任せた方が、結果的には効率よく情報を聞き出せるような気がしたのだ。

 だから、母親のことについての追及は一旦やめることにして、質問に答えた。


「そりゃ、透明人間になれる能力、でしょ」モルガンは肩をすくめる。「身に着けている物までは透明にできないから、毎回全裸にならなきゃほぼ無意味なのが難点だけど」


「そうではなくて、これはより本質的な話をしているの」玲は言った。「手品師マジシャンは、魔法で鳩を取り出しはしない」


「それは……そうだけど。いまいち質問の意味がわかんない」


「私達も手品師と同じはず。どこかに種や仕掛けトリックが――論理ロジックが隠れている。擬態能力シェイプシフティングも、高速処理オーバークロックも、未来予知プレコグニションも、発火能力パイロキネシスも。あなたの、不可視化クローキングだってね。力を持つ者と持たない者の間には、決定的な違いがあるはずでしょ」


「たしか……監理局で受けた説明では、遺伝子中にとある特異な因子を持っている者が、超能力に目覚める可能性が高い、みたいな感じじゃなかったっけ」


「CSTV-04因子のことね。それはその通り。間違ってないわ」玲は頷いた。「でも、まだ不十分なことは貴方も分かっているはず」


「なぜそれが、個々の超能力という現象を起こしているのかまでは、わからないから」


「そう。貴方にはその答え、分かるかしら」


 分かるはずがなかった。

 なぜ超能力が、その所有者ごとに固有の現象を引き起こすのか?

 それぞれの現象は、どのような原理によって引き起こされるのか?

 その問題は、〈超能力の難問ハードプロブレム〉とも呼ばれ、超能力科学者が立ち向かわなければならない未解決問題として提示されている。

 モルガンはこのゲームのルールを思い出す。

 それはすなわち、質問に答えなければ酒を飲まなければならないということ。

 モルガンが鼻を鳴らしてウイスキーを一気飲みすると、彼女の全身がじわじわと熱を帯び始めた。胸元のファスナーを少し開けて、風を通す。


「卑怯な質問ね」とモルガンはぼやいた。「そんな質問、この地球上の誰も、まだ答えられないじゃない」


「そうね。厳密には、私以外には誰も、答えらえない」


「へえ、あんたには答えられるの?」とモルガンは面白がるように訊いた。


「わたし自身がエグゼクティヴであるということは、他の研究者に対しても大きなアドバンテージとなっているからね。この世界の誰よりも、エグゼクティヴのことを理解しているという自負があるわ」


「エグゼクティヴ……?」


「エグゼクティヴっていうのは、超能力者のことね。そう呼んでるのは、今のところ私だけだけど。超高度事象記述言語を用いて超能力プログラム記述コーディングして実行するから、〈実行者エグゼクティヴ〉」


「ふうん……」


 唐突な専門用語の連発に、モルガンは空っぽの相槌を打って返した。

 玲の言っていることが分かりそうで、分かっていないような。

 意識に薄いもやがかかってしまったみたいで、ぱっとしない。


「この記述コーディングという過程には、〈論理〉というものの隠された性質が、深く関わっている」


 玲は構わず話し続けるが、そのときにはモルガンは、


(――あれ?)


 微かな違和感を覚えはじめていた。

 何かを忘れているような気がするのだ。


(ええと、なんだっけ――そうだ――)


 玲に、何かを尋ねようと思っていたのだ。

 彼女の話を聞いている途中ふと心に引っ掛かることがあって、質問しようと思っていたのだ。それが玲の話に乗って酒を飲んでいるうちに、何の話をするつもりだったのか今はもう忘れてしまっていた。

 大事なことだったのか別に大したことではなかったのか、それさえも思い出せない。


「ああー、いらいらする……っ」


 と口に出してしまったりもする。


「どうかした?」


 頭を抱えて悶えるモルガンに、玲が話を中断して声をかけた。

 モルガンは俯いたまま、返事をしない。

 玲がもう一度声をかけようとしたとき、モルガンはがばっと頭を上げた。


「いや、いいよ。あんたの話、続けて」


 もう諦めてしまっていた。


「そ。何かあったらいつでも言ってね」


 玲は関心なさそうな顔で言うと、すぐに話をもとに戻した。

 モルガンは気を取り直して、玲の話に集中する。


「えっと、どこまで話したっけ? ……ああ、そうそう、エグゼクティヴの能力と〈論理〉の隠された性質の関係についてね」


 本題に入る前に、玲はウイスキーを一口だけ飲んだ。

 あんな苦臭いものをゲームに関係なく好んで飲んでいることに、モルガンは心底驚いた。


「論理学には〈真理値〉という概念がある。ある命題が『真』であるか『偽』であるかを示す値のことね」


「まあ、それはなんとなくはわかるけど」


「じゃあ、さっそく論理学から飛んで、量子力学の話をしましょう」


「はあ……」


 これは話が長くなりそう、とモルガンは察知する。

 アルコールに気疲れが重なった途端に眠くなり、悟られぬよう欠伸を噛み殺した。


「量子コンピューティングにおける情報の基本単位である量子キュービットは、『1』と『0』だけでなく、その『〈重ね合わせ〉の状態』を持っていることは、知っている?」


「それも……なんとなくは。なんちゃらの猫、とかいうやつだよね。……箱の中の猫は、観測されるまでは『死んでいる状態』と『生きている状態』が重ね合わせになっている、みたいな」


「うん、よく知っているわね。ここで真理値の話に戻るけど、『真』と『偽』――この二つの値はね、電子回路内では整数で代用されることがあるの。デジタル信号の『1』が『真』で、『0』が『偽』――といった風にね」


「……もしかして、あんたの言いたいことって――」


 モルガンはぼんやりとした意識の中で、玲の言葉の真意を掴む手応えを感じた。

 真理値の表す状態、『真』と『偽』――すなわち『1』と『0』。

 量子ビットが持つ、『1』と『0』と――その『〈重ね合わせ〉の状態』。

 二つの概念に橋を掛ける常識外の仮説が、彼女の頭の中で組み上げられていく。


「そう。私はこれによく似た概念が、猫のような物理学的実在だけでなく、その背景にある数学的構造――にも関係しているのではないかと考えているの。命題は、真理値が確定される前には、『真』と『偽』の『〈重ね合わせ〉の状態』を取っている、とね。まるで量子キュービットが、観測されるまで『0』と『1』の『〈重ね合わせ〉の状態』を取るように」


 モルガンはウイスキーを一ショット飲むと、玲に質問した。


「じゃあ、たとえば箱の中の猫の生死が観測によって確定するとして……いったい何が、命題の真理値を確定させるの?」


「それはもちろん、証明よ」玲はすぐに答えた。「例えば数学のABC予想は、完全な証明が未だに確認されていないけれど。現状これはまだ『〈重ね合わせ〉の状態』にあると言えるかもね。その真理値は、この宇宙のどこかの数学者が『Q.E.D.かく示された』と宣言したときに初めて確定するのかも」


 まるで常識をひっくり返すような話を、モルガンは簡単には受け入れられなかった。


「でも、ABC予想からは幾つもの有名な定理が導かれているはずでしょ?」」


「良い着眼点だわ」玲はショットグラスを指で弾いた。「だから、そういう意味では、ABC予想はすでに証明が完結しているのかもしれない。それは、でしょうけどね」


「……どういうこと? この宇宙のどこかで、別の知的生命体が証明したとか?」


「まあ、その可能性も否定はできないけれど」玲は静かな笑みを示した。「それよりももっと以前――もしかすると宇宙が誕生した直後にでも、素粒子のランダムな相互作用が、偶然にもなにかの命題を証明することも考えられるでしょう?」


 そんなことはあるのだろうか。話があまりにも抽象的すぎて、もはや彼女には理解できない。

 だがそれは、玲の仮説を否定する根拠を持ち合わせていないことも同時に意味していた。


「……それで、あんたのその仮説が正しかったとして、超能力の本質やらの話は?」


私達エグゼクティヴの能力の本質は、この真理値を〝取り消し〟にして〈重ね合わせ〉の状態に戻すことにあると考えているわ。その上で、高度事象記述言語で別の結果へと向かう証明を記述コーディングして実行するのが、実行者エグゼクティヴってわけ。だから、論理から外れたような現象も、簡単に現実にしてしまう」


「じゃあ……数学は永久に不変のものじゃないの? 人間や素粒子……物理的な存在が、いつも先にあるっていうの? そしてあたしたち超能力エグゼクティヴは、能力を使うたびに、その世界の構造を弄んでいるって?」


 聞くともなくぼんやりと聞くだけのつもりだったのに、いつの間にか食い下がっていた。

 玲の語る仮説が、あまりにも彼女の常識から外れていたからだった。

 それに対して玲は、まるで子供に言い諭すようにやさしく返すのだった。


「前へ進むには、常識を捨てなければならないときもある」玲は言う。「貴方は、自分の知っていることや、考えていることが、すべて真実だと思い込んでいるのでしょうけど」


「ちょっと、知った風に言うのやめてくれる?」


「いいえ。よく分かってるわ」と玲は断言してみせた。「貴方はまだまだ若いからね。いつも自分が正しいと思ってしまうの。でも、若いのはいいことよ。まだ何度でもやり直しが効くから。もし世界が新しいバージョンに変わっても、すぐに受け入れられるはず」


「新しいバージョンの、世界……」


 玲の言葉を繰り返す。

 京極玲は、この理論物理学者は――モルガンの母親は、いったい未来に何を視ているのだろう?


「いいこと、永遠の真理なんてものは、どこにもないの。それは数学であってもね」


 玲がそう語っている間、モルガンの視線は別のところに向いていた。

 見知らぬ金髪の男が、玲の背後からこちらにゆっくりと近付いてきていたのだ。

 ワインレッドの上質なスーツを身に纏った、長身瘦躯の青年。

 極端に緊張の抜けた表情や動作に、弛みきっているとまで言える佇まい。

 レインバードに似ている――とモルガンは思った。

 金髪の男は玲の背後に立ち止まると、彼女の肩にそっと手を置いた。


「いいね、僕もそう思うよ――」

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