第27話 保護者の役目/Readiness

「よっす」


 神崎が客室を出ると、ちょうど繚介が隣室を出たところだった。

 互いに軽く挙手したあと、繚介が訊く。


「どうした、こんな夜中に」


「夜中って、まだ九時だぞ」


「ガキはとっくに寝てる時間だろ」


「俺、一応お前と同い年な」


 れ合いのような会話を経て、神崎の話題は最初の質問に戻る。

 背後の客室のドアを顎で示しながら、


「紗香にアイス買ってこいって言われてさ」


「世話の焼ける妹でわるいな。お前には感謝してる」


「気にすんなって。俺も最近はあいつのこと結構――」


 そこで一度、神崎の言葉は詰まってしまう。


「――いや、こういう生活も悪くないのかなって思ってさ。ちょっとだけな」


 気恥ずかしさにらした視線を戻すと、繚介は目を丸くしていた。


「俺がそんなこと言うの、意外だって顔してんな」


「神崎、少しだけ時間もらえるか? 話がある」


 そう食い気味に頼む繚介の表情は、なぜか生真面目きまじめだった。


  *


 日本庭園風にしつらえられた、ホテルの中庭スペース。

 蛍の光が静かに飛び交うなか、石造りの台に繚介は腰掛ける。


「へえ、いいとこだな」


 周囲の風景を見回して、繚介は呟いた。


「で、話ってのは?」


 と神崎は訊いた。


「さっきお前が言っていたことは本当か? こういう生活も悪くない、って」


 しかし本題には入らず、逆に繚介からそう訊いてきた。


「まあ、ちょっとだけな。楽しい場面もあったと思う」


「そうか」繚介はうなずく。「……でもな、神崎、俺たちの本来の目的は――」


「〈監理局〉への反乱、だろ? そうは言ってるけどさあ、実際にそれらしいことは、その、なにもやってなくないか。この三日間、遊んでばっかだ」


「……だな」


 脱力したような声で、繚介が同意する。


「こんな日常が、永遠に続けばいいんだがな」


 今までになくうれいを含んだ繚介の呟きが、沈む。

 ほんの数秒の声音こわねが、二人の間の空気をき乱して。

 神崎はそこに小波さざなみのような胸騒ぎを、感じずにいられなかった。


「なんだよ。穏やかじゃないな」


 平静をよそおおうとして、場違いに軽薄けいはくな声になってしまう。


「俺には文字通り、からな。分かるんだよ」


「未来で、俺たちになにかあるのか?」


「ああ。未来で俺たちは――戦いにける」


「まけるって……監理局に、か?」


「そんなとこだ」


「だったら、俺たちは何のために――?」


 いずれ敗れるだけの戦いを、何のために続けるのか。そう訊こうとした。


「予知した未来は、事前に変えられる、そういう経験は何度もある」


「じゃあ今のうちに準備しておけば、未来は変えられるんだな?」


「ああ。……だが今回は、簡単には変えられないかもしれない。それはただの勘のようなものだが、俺の能力の性質上、見逃せない勘だ」


「……それを伝えるために、俺をここに呼び出したんだな」


「いや、本題はこれからなんだ」


 繚介は立ち上がり、神崎の前に背中を向ける。


「神崎」


 振り返って、言う。


「お前が紗香を救ってくれ」


 真っ暗な影のなかで、繚介の目だけが鋭くぎらついていた。

 丸みを帯びた紗香の目とは異なる、決意をたたえた、切るような視線。

 妹とどこか似ていないのは、目つきが違うからだったんだ、と神崎は思った。 


「救うったって相手は国連機関だろ? 俺一人になにができるんだよ」


「お前は、側にいてやるだけでいいんだ」


 思いをせるように、繚介は夜空をあおいだ。


「これまでにも、紗香は命を落としかけている」


「――え?」


「何度も死にかけてるんだよ、あいつは」


 神崎は詳しい説明を求めるような目で、繚介を見る。 


「昨日の夏祭りもそうだった。途中で俺だけが抜け出したことがあっただろ?」


「ああ、あの腹痛のフリをしてたときな」


「そうだ。ちなみに訊くが、なぜ演技だと分かった?」


「そりゃだってお前」神崎は腕を組む。「会場についてすぐ『祭りはまず遊び疲れてから食事だ』みたいなこと言ってたろ。それで、あのタイミングに食い過ぎで腹痛くなるのは辻褄が合わん」


「なるほど、鋭いな。……まあそれは置いておくとして、あのとき俺にえた未来では、紗香を含むあたり数キロメートルの範囲に被害が及ぶ可能性があった」


「なんだよそれ、爆弾テロか?」


「〈監理局〉の諜報員だよ。俺たちを偵察してたのさ」


「……ソレ、めちゃ危険やん」


 想像して声がふるえた。


「だが紗香の発火能力パイロキネシスは強力だ。大量の能力者を抱えた〈監理局〉の連中にとってもな。わざわざ偵察者を送り込んできたことからも、向こうが迂闊うかつな手は出せないでいるのが分かる。それも俺に片付けられたとなれば、なおさらだろう」


「片付けたって……その、殺したのか?」


「ああ、そうだ」


 明白な返答は、なにか強い意志の表れのように思えた。

 和泉繚介は妹のためならば、なんでもやる。

 それがたとえ殺しであったとしても。

 戦いの中にあっては保護とはそういうものだ。

 攻撃は最大の防御、とも言えるかもしれなかった。


「とにかく、俺はそんな未来を何十回と視ている。その度に未来を変えて、陰から紗香の命を守ってきた」


「それで、今回はどんな景色を見たんだ?」


「紗香は傷ついて、泣いていた。お前は、あいつのそばにいなかった」


「でも、そこに繚介はいたんだろ?」


「いたが、俺にはどうすることもできなかった」


「……」神崎は押し黙る。


「だが未来は変えられる。だからせめて、お前が紗香の側にいてやってほしい」


「その話、雨宮にはしてないんだよな。どうして俺だけに? 雨宮のほうが付き合いが長いし、信用できるだろう」


「力は、お前にしかない」


「結局、力だけか。まだ覚醒もしてないのに」


「それに雨宮は、俺たち兄妹をずっと疑っている」


「なんだ、気付いてたのか」


「当然だ。だがそれも仕方のないことだ。を聞けば、誰だってそうなる」


 あの話。

〈救世同盟〉――夏祭りの日、雨宮が呟いていた言葉を思い出す。

 そして和泉紗香の、もう一つの目的。


(一体なんの話だったんだろうな……)


 いまここでその全容を聞き出すべきか、神崎は未だに迷っていた。


「でも一番の理由はな、神崎。紗香が――お前を気に入ってるからだ」


「どうして」神崎は訊いた。


「さあな。それが分かれば、保護者として少しは苦労せずに済むんだが」


 そう言って繚介は自嘲気味に笑う。

 彼がそんなにも痛切な顔をするのを見るのは、初めてのことだった。

 だから神崎には、彼の本気が伝わっていた。

 切実に、神崎の協力を求めているのだと分かった。


「だったら――」


 神崎は可能な限り、仲間である繚介に協力したいとは思っていた。 

 だがその前に、聞いておかなければならないことがあった。


(まだちょっとはばかられるけど……それがスジってもんだよな)


 繚介は神崎の目を見つめたまま、続く言葉を待っていた。

 しびれるような緊張感のなか、神崎は言う。


「――だったらさあ、俺にも教えてくれよ。〈救世同盟〉の話を」


「……ッ」


 瞬間、繚介のまとう空気が湿気を吸ったように重くなった。


「その話、誰から訊いた?」


 刃物とまがうような視線が刺さる。


「雨宮だ」神崎は毅然とした態度で答える。「あいつはその話を聞いてから、お前らを疑っているんじゃないのか?」


「なるほど。確かにお前の言う通りだ」はっきりと肯定した後、繚介は問う。「他にはなんと聞いてる?」


「なにも。くだらない作り話だとは言ってたけど、それだけ」


「それで、お前はどうしても聞きたいか? あいつの夢のすべてを」


「話したくないなら無理には」神崎はてのひらを振る。「でも俺に紗香の側にいてほしいなら、あいつの状況ぐらいは知っておいたほうがいいだろ?」


「それもそうだ。なら、話してやろう」

 

 と繚介は言った。


「それに俺の妹の夢が〈救世同盟〉って名前の地方公務員とか思われたくないからな」


「それは思ってねーよ」


 ツッコむ神崎をよそに、繚介が提案する。


「しかし酒が欲しいな……。どうだ、この続きは中で話そう」


  *


 ホテル〈澪標みおつくし〉には、レストランや娯楽施設の他にバーも設けられていた。

 ロビーを抜けて絨毯じゅうたん敷きの階段を上った先に、そのエントランスはある。

 仄暗ほのぐらい店内で、机の上のキャンドルのあかりが手元をらしだしている。エリック・サティの〈グノシエンヌ 第1番〉がしめやかに生演奏されていた。

 客はまばらで、音楽に紛れて時折グラスや氷のぶつかる音がするだけの湿っぽい沈黙が心地よい。


「貴方は飲まなくていいのかしら」


 カウンター席、モルガンの隣で、グラスの上の方を持った玲は言った。


「あたし、19歳。未成年だから」


「相変わらず規範意識の高いことで。一口も飲んだことないの?」


「ない。ただの一口も」


 言って、モルガンはコーヒーをすする。


「でも超高速アルコール分解能力とか案外あるかもよ? 改造人間だし」


「あたしは戦闘訓練は受けてるけど、身体改造はされてない」


「血清は入れまくってるみたいだけど?」


 意地悪くにやつく玲の脚を、モルガンは思い切り蹴ってやる。


「まあまあ。貴方はこれから私の助手なんだから、そんなに怒らないで頂戴」


「いま助手って聞こえたけど? 実験台の間違いでしょ」


「昨日のこと、もしかして怒ってるのかしら」


「別に。ただ、あたしたちの関係性をはっきりさせておきたいだけ」


「でも、それにはまだお互いについての理解が足りないんじゃない?」


「理解?」モルガンは顔を顰める。「あんたが実験台の苦痛に配慮するタイプの科学者には見えないけど。いまさら動物倫理への問題提起に目覚めたとか? アルコールの影響で、あんたのその狂気じみた脳細胞が麻痺し始めちゃってるんじゃない?」


 半ばヒステリックな反撃に、玲はなおも涼しい顔でウィスキーをあおっていた。


「貴方はどうやら、自分のことを、まるで実験台の動物か、戦争のための駒のように思い込んでいるみたいね」


「それは、思い込みじゃなく事実でしょうが」


「確かに、その考えも部分的には事実ではある。貴方に――いえ、人類の誰にも本物の自由なんてものはなく、より大きなものに操られ続けているという意味ではね。でも、自由などなくとも、貴方の存在には大きな価値があるのよ。監理局の活動や私の実験なんかよりも、大きな物語のピースとしての価値が。だから、そこまで自分を卑下しなくていい。胸を張って、生きてもいい」


「随分と具体性を欠いた励まし方ね」


「それは、励ましじゃなくて事実だから」


「……ま、なんだっていいわ」モルガンは諦めたように言い、「お互いの理解が足りないって言うなら、貴方の正体について、じっくり聞かせてもらうとするわ」と、そう宣言してみせた。


「正体、ねぇ。私が重大な何かを隠していることに、そろそろ気づきだしたかしら」


「てか、最初から疑いまくってたけど」


 とモルガンは訂正を入れる。

 すると玲はカウンターの座席を回転させてモルガンの方を向き、すでに少し酔いが回っているのか、やや上気気味の笑顔をつくった。


「いいわよ、今ならどんな質問でも答えてあげましょう」と、嬉しそうに腕を組む。


 そして指を二本立てて、こう言い足した。


「ただし、いくつかのルールを設けましょう。まず一つ、質問は私からもする。このゲームの目的は、あくまでより深い相互理解への到達だからね」


「ゲーム」とモルガンは繰り返す。


 彼女としてはこれは〝尋問〟のつもりだったのだが、いつの間にそんな愉快な遊びにすり替わっていたのだろう。


「そして二つ、質問への反応は二通りあるわ」


 玲はバーテンダーに目配せし、二人分のショットグラスを用意させた。


「正直に答えるか、お酒を飲むか。〈真実か挑戦かトゥルース・オア・ドリンクゲーム〉!! 先に酔い潰れた方の負け!!」

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