第26話 秘密の交換/Resonate
「わたしが秘密を教えれば、結実の秘密を教えてくれる?」
感情の宿らない響子の目は、決して冗談を言っているふうではなかった。
彼女の視線に捕らえられ、結実は動けなくなってしまう。
「武田
補足された説明を聞いて、結実は思う。
(あの〈探偵〉さんか……)
人と人との会話は、秘密の交換。
確かに咲姫には、そう捉えている節がある気がする。
「――で、サキに教えられたことを実践したい、ってこと?」
そう訊く結実の心は、もうすっかり落ち着いていた。
響子は答えるでも
自分自身でも本意を捉えかねているのだろう。
「そっかぁ……」
結実は迷っていた。ここで繚介への恋心を、打ち明けるかどうか。
打ち明けたとしても、響子がそれを言いふらしたりはしないだろう。
ただ――不安なのだ。
自分の悩みが、実は矮小なものだと気付かされてしまうかもしれないことが。
響子は転校する前に〝好きなひと〟と遠距離になった。
その上、向こうは響子のことを憶えてもいないだろうというのだ。
そんな彼女を前に、毎日顔を合わせる友人の兄への恋など
秘密の交換が最も効果的なのは、似た悩みを抱えた仲間同士だった場合。
でも自分と響子の間には、こと恋愛に関しては大きな距離を感じていた。
だから、
「
別の話をしよう、と決めた。
響子は、その確認に静かに頷いてくれた。
「ん、ごめんね」
と謝っておいて、結実は話し始める。
彼女だけが知っている、〈秘密〉についての話を。
「キョウちゃんは、〈七不思議〉って、知ってる?」
「……知らない」
「だよね。転校してきたばかりだもんね」
結実が話そうとしているのは、朱鷺沢高校に伝わる不可思議な秘密の話。
そして、それは彼女自身の秘密の話でもあった。
「一段多い階段とか鏡にまつわる話とか、すごくありふれた話なんだけど……実は、朱鷺沢にだけ八つ目の話があって――」
八つ目の七不思議。怪奇現象。
その話題は響子の関心を
響子は、結実の声に耳を傾ける。
「――それが、〈黒魔女〉の話なの」
「魔女……」
「そう。聞いたことある? 学校でもたまに話題になってるからかな」
「結実」
響子の水晶のような瞳が、結実を映す。
「なに?」
「その話、詳しく聞かせてほしい」
響子の予想以上の食いつきに、結実はすこし
「〈黒魔女〉っていうのは名前の通り、黒い魔女のことなんだけど……」
食い入るように聞く響子。
「魔女の素質のある人を見つけ出しては黒魔女修行を積ませているとか、若い女を憎んでいて、女の髪を集めて黒い衣装を
響子が自分の話題に強い関心を示すとは思わず、結実は楽しくなった。
「で、〈黒魔女〉の正体なんじゃないかって噂されてる人がいるの。美術の白石先生。知ってる? あたしも入ってる美術部の顧問もやってる人なんだけど、ちょうど一週間前から、行方不明になった」
白石先生が行方不明になったのは、一週間前。
響子が転校してきたのは、過ごした時間の密度は高いものの、まだ昨日のことだ。
知っているはずがない。
「……知っている。見学会のときに、話した」
意外にも彼女は知っていた。
「見学会? ……ああ、転校する前に来てたんだ。知らなかった」
どこの学校でもそうかもしれないが、
「それで、なぜ白石
「よく黒いワンピースを着てるからっていうのが一番大きいかも。勿論それだけじゃ証拠として弱すぎるんだけど、昔から、とある男子生徒と肉体関係にあるとかいう噂もあったみたいで。妙に色気がある人だし、美術って担当科目のミステリアスな印象もあったんじゃないかな。なんていうか、こう、〝魔女〟って感じがするんだよね、
端から見ると、だ。
結実は、違った。
「それでまあ、うちの学校の誰かが、白石先生が〈黒魔女〉なんじゃないかって言い出したの。そもそも都市伝説なんだから、実在するかどうか自体が怪しい話ではあるんだけど」
「……」
響子は黙って考え込んでいる様子だった。
ここまではまだ、よくあるちょっとした怖い噂話の
聞いている響子があまりに深刻そうな反応をするので、結実はしばらく、続きを話し始める機会を掴みかねてしまった。
「それで、また別の都市伝説の話になるんだけど――〈神隠し〉ってあるでしょ? 最近、この町の辺りで話題になってる一連の行方不明事件」
「神……」
響子の薄い唇が
「この前もあったよね? 男子大学生がある日突然歓楽街に消えて行方不明になったって事件。白石先生も、その〈神隠し〉に遭ったんじゃないかって。おかしいよね、都市伝説の〈黒魔女〉が同じ都市伝説の〈神隠し〉に遭って姿を消すなんて」
交錯した二つの怪異。
ただの偶然の一致、かもしれない。
だけど、結実にはある強い確信があった。
「これは、あたしの直感だけど――」
結実はその確信を、口にしようとした。
浅倉以外の人間に話すのは、初めてのことだ。
「――二つの出来事は、個人か、組織か……とにかく大きくて、それでいて人の目には見えない存在を通じて、裏で繋がってる」
そう結実は本気で信じていた。
〈黒魔女〉も〈神隠し〉も、いかにも女子高生が好みそうな、非現実的な怪奇談だ。その二つの関連性についての確信を学校の友人たちの前で熱心に披露しても、きっと冗談として受け取られるだろう。だから、いままでは誰にも言えなかったのだ。
でも、この不思議な転校生ならば、何か特別なものを与えてくれるかもしれない。
それが
「その背後にいる組織というのは、何だ?」
相変わらず真剣な目で、響子は訊いてきた。
「それは、わからない――けど」
改めて自分の話の根拠のなさを突きつけられたような気がして、結実は項垂れてしまった。
そもそも、旅行にまで一緒に来てくれた新しい友人に、こんな与太話などするべきではなかったのだ、と後悔し始めたところで、
「――なぜ、結実はそこまで必死に、白石永花の跡を追っている?」
と、響子が問うた。
彼女のその低く鋭い声には、どこか威圧感がある。
それは純粋なコミュニケーションを逸脱していて、彼女のなかにある正しい解に、相手が辿り着くことができるかを推し量っているかのようだ。
結実は面接を受けた経験はまだないが、きっとこれによく似た気分になるのだろうと感じた。
「それは、 すでに色んな人が神隠しに遭っているからで……。白石先生だけじゃ、なくて――」
「――ほかにも、結実にとって大切な人がいるのか?」
あまりにも核心をついた問いかけに、結実はどきりとした。
「実は、
またしても、重苦しい秘密を明かしてしまう。
唐突な事実に、いったい彼女はどんな反応をするかと結実は思ったが、響子はほとんど無反応だった。まるで話を聞いていなかったか、何を言っているのか理解できなかったかのようだ。
「……そうか」
とだけ呟いて、響子は立ち上がった。
「私からも、秘密を教えてあげる」
窓の外に広がる暗闇を見つめて、響子は言った。
「私の好きな人は――和泉紗香」
響子の口から飛び出した、あまりに予想外の名前。
その途端、二人にまつわる今日までの記憶が、無数の疑問と、勝手ともいえる憶測とともに、結実の頭のなかで渦巻きだした。
なぜあの日、響子と紗香は一緒に食堂に来ていたのか?
転校初日に同級生の誰とも口を聞こうとしなかった彼女が、なぜ最初に、紗香に友達作りを頼んだのか?
なぜ、響子は今日の旅行について来たのか?
いまの響子の言葉が、すべてに対する答えなのだ。
しかし、結実の胸中で巻き起こっている動揺など知る
「この世はいずれ、彼女の炎で燃え尽きる」
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