第25話 宿舎にて/Recreation 2

 時を同じくして、ホテル〈澪標〉の別の客室では。


(どうしてこうなるんだよ……)


 神崎はツインルームのベッドに腰掛けてテレビを見ていた。

 画面に映るのは米国製のB級マイナー映画。

 振り向けばそこには、もう一つのベッド。

 そしてその上に寝そべるは――我らが主導者、和泉紗香だった。

 一階の漫画コーナーから借りた数冊の漫画を周りに散らして、同じく一階の売店にて購入したオレオクッキーをかじりながらページをめくっている。

 すでに夕食と入浴を終えた二人は浴衣に着替えていて、しどけない格好で寝転がる紗香は、浴後の艶やかな肌を無遠慮に露出させていた。


「お前、無防備すぎるだろ」


「~~♪」


 返答なし。

 ハミングしながら、次から次へとクッキーをんでは読み進める。


 

 そもそもなぜ、彼らがホテルの一室で二人きりになっているのか。

 それは、やはり、概して繚介の意向だった。

 男女三人ずつで二部屋に分けてしまえば良いものを、繚介は男女混合二人ずつで三部屋に分けるべきだと言って聞かなかった。というか、もはや誰も繚介を止められるとは考えず、反対意見が出ることさえなかった。

 この提案の意図は繚介曰く二人の距離を縮めるためであり、部屋を共有する組み合わせはくじ引きによって決定された。

 結果は『神崎―紗香』『響子―結実』『繚介―雨宮』という形になった。

 これでは同室になった相手以外との距離が縮まるとは思えないが、その辺りは時間をかけて構築していけば良いらしい。

 曖昧な基準だ。

 


「……お前、太るぞ」


「消費カロリーの量でいえば、あんたより上だと思うけど」


 ほとんど無感情にそう言い返してくる。

 典型的ステロタイプな女子イジリも、彼女に対しては通用しなかった。


(しかも、こういうときだけ返事しやがって……)


 彼女の神崎に対する軽侮けいぶはそれこそ出会った当初から変わっていないが、昨夜の〈焔夜〉での敗北を根に持っているのか、今日は反抗的な態度が少々目立つ。

 だからお仕置きが必要だ、と神崎が確信したのは数分前。

 これは決して個人的な復讐などではなく、健全な教育理念に基づいて与えられる罪科なのだと自分に言い聞かせ、神崎はおもむろにポケットから小さな箱を取り出した。

 小箱の表面に載せられた写真を見て、思わず神崎は口角を上げる。


『絶叫間違いなし‼ ドッキリ虫類セット』(220円+税)


 いくら和泉紗香とはいえ一介の女子であることに変わりはない。

 一度ひとたびホテルにグロテスクな節足動物が出現すれば、パッケージにも書かれる通りにコミカルでフェミニンな絶叫を聞かせてくれること間違いなしだろう。

 ちなみに本品も一階の売店にて購入したものだ(販売されていた理由については不明)。

 さっそく神崎は小箱からゴム製ゴキブリをつまみ出し、その生々しさに全身を粟立あわだたせつつ、それを紗香の枕の下にそっとすべり込ませた。

 そして今回は無視できないように、紗香の集中を乱す声量で、


「あぁーーっ!! いまなんかGっぽいのが見えた気がするっ」


 さっ、と素早く身を起こす紗香。

 計画通り、と神崎は嗤う。


「お前のとこに行ったかもっ」


 紗香の枕を指差して言う。

 彼女は少し動揺した様子で枕を持ち上げ――その下に現れる正真正銘のゴキブリ目ゴキブリ科のゴキブリを見つめて、数秒の間、硬直。


「んっ」


 平然と触覚の部分をつまみ上げ、顔の近くまで寄せたりする。

 つぶらで大きな瞳が、それをじっと観察したあと――


「ふっ」


 と、嘲笑あざわらうかのような短い呼吸。

 そいつは触覚だけ残して灰になり、消えた。


「お前、口からも火ぃだせるんだな……」


 神崎は動揺を超えて感心していた。


「当たり前でしょ。お尻の穴からだって出せるわ」


「きいてないって」


「でも、あまりやりたくはないわね」


「そうなの?」


「だって、口から炎なんて、インドの曲芸みたいで滑稽なんだもの」


「そうか? なんかドラゴンみたいでカッコいいじゃん」


「えっ肛門から出すのが?」


「その話を続けてお前は得するのか?」


 要領の得ない会話になんとなく胸の奥が冷え、神崎は短く息を吐く。


「で、こんなことして何になるわけ?」


 紗香も少し呆れた様子で、問い質すように訊いた。


「ちょっとお前に〝お仕置き〟してやろうと思ったんだけど、失敗した」


「はぁ?」


 左右非対称な変な顔。露骨に不機嫌。

 神崎は胸のあたりにある脳天に手刀打ちした。


「いたっ」


「そういうとこだよ。反抗的すぎる、お前は」


「で、それであんなくだらない子供玩具を用意したってことね」


 もう一発、さっきより強めにチョップ。

 実際には痛くなかったのか、今度は紗香の反応がなかった。


「くだらないとか言うな。俺の220円プラス税だぞ」


「やっぱり、くだらないじゃない」


 はいはい、と神崎は適当に流そうとして、ふと疑問に思う。


「つーか、お前は虫とか嫌じゃないの? 俺はキモかったぞ、あれ」


「だって、最初から偽物ってわかってたから」  


「マジ? どの瞬間から?」


「どの瞬間からというか、わたし、本物ならすぐに分かるから」


「あー、確かにお前、耳とか目いいよな。それも〈監理局〉の訓練かか?」


「いや、音とかじゃなくて。〝生命〟そのものを感知できるっていうか」


「……はい?」


 一瞬、神崎の脳がフリーズした。


「お前そんなことできんの? 相手が昆虫とかでも? 手に取るように?」 


「ええ。それはもう、手に取るように」


 紗香は自慢げに頷いている。


「なんだよ、その能力‼ 実は重複能力者ダブル・ホルダー設定ってことか⁉」


「それを言うなら多重能力者デュアル・ホルダーでしょ。Doubleダブルは同じものが二つ、 Dual デュアルはそれぞれ違うものが二つ。知らなかった?」


「そんなことはどうでもいい!!」


「急に怒らないでよ。ぜんぜん意味わかんないし」


「だってズルくないか⁉ 超能力二つ持ちとか!!」


「あなたの言っている超能力の定義がどこからどこまでなのかは分からないけど、わたしの発火能力パイロキネシスとは別種のものだから。落ち着いてよ」


「……そうなのか?」


「ええ。でも肛門から炎を出せるのは発火能力パイロキネシスの応用で――」


「だからそれはきいてねーよっ!!」


 神崎は天井に向かって叫びながら、心の隅で気にかけ始めていた。

 この部屋の状況はまさに混沌そのものだが、他の四人は――。


(うまくやれてんのかな、あいつら……)


  *


 ホテルの窓際にある、奥行きの深い縁側のようなスペース。

 篠宮結実ゆみは、その空間でゆったりするのが好きだった。

 アメニティの温かい緑茶を淹れて、窓の外を眺めて過ごす。

 海辺の高級旅館といえども、日の沈んだあとの海はほとんど黒一色で、見えるのは遠くで回る灯台の光と、それによって照らされる山や海面のごく一部だけだ。

 結実の対面に用意された椅子に、伊賀響子がそっと座った。


「キョウちゃん、どうかした?」


 元より明るい性格ではない響子だが、どこか重々しい表情が気になった。

 響子はまるで機械のように、抑揚はないが明瞭な発声で訊いた。


「……結実は……わたしと一緒が良かった?」


 彼女の唐突ともいえる質問に、結実はその意図を捉え損ねた。

 しどろもどろになりつつ、なんとか答えを言葉にしようとする。


「あたしは嫌ってことは全然ないし、確かにお互いのことはまだよく知らないけど、それは繚介さんが言ってた通り、これから変わっていくことだろうし――」


 急なことで動揺してしまったが、答えは初めから一つに決まっている。


「――あたしは、キョウちゃんと一緒で嬉しいよ」


「……そう」


 そのとき一瞬、響子が負けを認めるような顔で笑ったような気がした。

 いつも完璧さを備えた美貌が、そんな風にくだけた表情をするのを目にしたのは初めてで、思わず彼女はどきりとした。

 しかしそれと同時に、


(やっぱり、ズルいよなあ……)


 そうも思うのだった。

 響子も紗香も、二人とも自分より何倍も整った容姿をしている。

 今朝の海では、紗香はパレオ付きビキニなんてものを身に着けていた。

 ビキニを着ることすら躊躇ためらった自分には、あんな煽情的な格好は一生できないだろうと思った。響子も自信をひけらかすような真似は一切していなかったが、それでも自分より優れたスタイルを持っているのは間違いない。


(こんなの、ちんちくりんなあたしには勝てっこないよ……)


 ここ最近で、彼女の漠然とした不安は、確信へと変わり始めていた。


「キョウちゃんはさ、好きなひととかいるの?」


 気付けば、そんなことを訊いていた。

 こんな質問、まるで修学旅行の夜みたいだ。


「好きな、ひと……」


 響子は言葉を繰り返す。

 初めて聞いた言葉の輪郭を、なんとか捉えようとしているみたいに。

 困惑した様子の響子に、結実は説明を付け加える。


「そう。気づけばいつも頭の隅にいて、それで、ふとしたときに胸が締めつけられちゃうような人」


「……いる」


 少しばかり思案して、響子はそう言った。


「やっぱ、いるんだね。キョウちゃんにも」


 結実は無自覚に微笑んでいた。

 質問した彼女自身、予想していた以上に響子の言葉が嬉しかった。

 謎の美少女転校生が、自分と同じ恋の悩みを抱えていたという事実が。

 喜びつつも、恋愛という繊細な話題をどう回収するか、彼女は考えた。

 そうして、とある一つの疑問が湧いて出る。


「でも、キョウちゃんって転校してきたばっかりだよね? じゃあその人って、もしかして転校前の――」


「おそらく、向こうは憶えてもいない、と思う」


 結実が言い終える前に、響子は淡々と簡潔に言った。

 何かの事情で引き裂かれた、叶わぬ恋の物語。

 結実にとって非現実の象徴ともいえる、謎につつまれた転校生。

 そんな人が抱える恋の悩みも、やっぱりどこか非現実的で。

 すぐ近くにあった響子の影は、次の瞬間には遠のいていた。


「……」


 響子は、回る灯台の光を眺めていた。

 相変わらずその目からは心情を読み取ることができない。

 遠い地に住む想い人の記憶を、心に浮かべていたりするのだろうか。

 結実はいつも周りの視線に気を配り、空気を読んで生きているつもりなのに、いま目の前にいる転校生のことは何も分からないのが、もどかしくて仕方がなかった。


「ゆみは」


 視線を落として床を睨む結実の頭上に、降り注がれた三文字の音。

 それは言葉ではなく音で、意味を認識させない繰り返しの残響だった。


「結実は、好きなひとがいる?」


 もう一度。今度は確かな意味を持って、それは結実に向かっていた。


「あたしは――」


 ほとんど反射的に、頭の中で像が結ばれる。

 その影は、和泉繚介の姿をしている。

 結実は繚介が好きだった。恋をしていた。

 しかし彼女の所感では、それは一方的に。

 そのことを誰かに語ったことはない。

 今までずっと隠してきた。だからこのときも、同じ。


「ひみつ」


 その三文字も、言葉というよりは音だった。

 自分を守るための、形式的な呪文みたいなもの。

 でも実際は魔法なんかなくて、結局はその場しのぎにしかならない。

 アブラカタブラとか、ビビデバビデブーとかと同じ。

 いつかは種が明かされて、魔法の結界は破られる。

 それは今この瞬間かもしれない。期待と不安。矛盾。

 気がつくと獲物を捉えたような響子の目が、真っ直ぐに向けられていた。

 そして彼女はこう訊いたのだ。


「わたしが秘密を教えれば、結実の秘密を教えてくれる?」

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