第2章
Day 04
第21話 小休止/Recess
リビルダーズ一行との共同生活を初めてから、三度目の朝。
驚くべきことに、この日、神崎は自力で起床した。
あの
夢から現実へ――。
「うわっ、どうしたんだお前」
部屋の隅に、小さな影。和泉紗香だ。
すでに身支度を一通り終え、制服姿で。
なぜか正座していた。
「おはよう、神崎くん。今日はね、海に行くわよ」
唐突に言った。
「どうして急に海なんだよ」
神崎の質問に、紗香はこう答えた。
「今日は海の日だからっ」
爽やかに親指を立てている。
神崎は充電器につながれた携帯で、今日の日付を見る。
七月十七日。土曜日だ。
一方で、海の日は『国民の祝日に関する法律・第2条』において、七月の第三月曜日と定められている。
今年で言うと、明後日の七月十九日。
「明後日じゃん」
「……そうよ。だから今日は、〈海の日・イヴイヴ〉でしょ?」
「ああ、これ夢だわ」
「は?」
紗香が顔を
神崎は天井を見上げ、自分の額に手を当てた。
「こんなあほらしい夢を見てしまうとは、我ながらショックだ……。だいたい
「何わけわかんないこと言ってんの、ほら、はやく起きて準備してっ」
起こされて、強引に手を引かれる。
「いや、お前、学校はどうすんだよ?」
言った瞬間、急に手を離された。
神崎は床に倒れる。
紗香の足元から、なんとなく憂鬱なオーラ。
まるで、学校の話をされて気分を損なったみたいに。
そのまま仰向けになり、紗香の表情を伺ってみると、
「今日が終業式だったの。今はもう、夏休み」
「そうなのか」
では、さっきまでの憂鬱そうな空気の原因は、
(――クラスのやつに会えなくて寂しいとか、そんなところだろうか。俺にはよくわからん……)
しかし夏休みということは、これからは四六時中こいつと家にいることになるのだろうか。
正直に言って、恐ろしい。
神崎はそう思った。
「いいから、準備してね」
紗香はそれだけ告げて、去っていく。
「そういや」
神崎は床に伏したまま、紗香の背中に言葉を投げかける。
「さっき、今日は海の日って言い切ってたよな?」
「いいから、準備してねっ☆」
目の縁から星のエフェクトが出てそうなウインクだけど、怖かった。
*
そのツインルームのテーブルの上に、モルガンはバーガー店の紙袋を置いた。
ベッドの脇にあるデジタル時計は、十三時十分を示している。
「貴方って毎日ここのホテルで生活してるの?」
玲が、紙袋の中から自分の分のコーラを取り出しながら訊く。
「そ。一つの家にとどまるような生活は、しない主義。悪い?」
「いいえ。ただ、お金はかかりそうよね」
「ここ、監理局の末端が経営してるホテルだから。コネで無料」
「へえ」
玲は何かを考えるように視線を上の方に固定しながら、ストローでコーラを
「そういえば、テスラも晩年はホテル暮らしだったわね」
「テスラ――ニコラ・テスラの話? なんで知り合いみたいな話しぶりなわけ?」
「だって、私たち仲間みたいなものじゃない?」
科学者として、という意味なのだろうとモルガンは勝手に解釈しながらも、
「はいはい」
と無関心に話を流した。
「てか、そんなこと知る必要あんの?」
とモルガンが訊く。
「貴方の生活について」
玲はハンバーガーを紙袋から取り出した。
「個人的に興味があるから」
「だからって、わざわざあたしと同じ部屋に泊まるとか言い出すなんて――」
モルガンは顔を
「いきなり注射したりとかしないでよね」
「それってつまり、注射が怖いってこと? かわいい」
玲の
「何これ、でかっ」
出てきたのは、紙で包装された円筒状の物体。
バーガー店の紙袋に入っていたのだから、当然ながら食べ物である。
包装されたままでは、その円筒形はロールケーキのようなものを連想させるが。
実際には、その筒は縦に立てた状態が本来の姿で――塔のように積み重ねられた、巨大なハンバーガーだった。形が崩れてしまわないように、長い串が上から真っ直ぐに突き刺さっている。
「どう? すごいでしょ。私のお勧めの逸品よ」
そう言う玲は、たっぷりとチーズソースのかかったフライドポテトをつまんでいた。
「あんたの好みって、意外とジャンキーなのね」
とモルガンは呟く。
「貴方はどうなの?」
「あたしは」
モルガンはフライドポテトを一本つまんで、口の中へ放り込む。
「嫌いじゃないよ。監理局の施設にいたころは、当然こんなの食べさせてくれなかったし。存在すら知らなかった」
「それで、
「……」
モルガンはふくれっ面になり、包装の解いたハンバーガーに乱暴にかぶりついた。
鼻や頬にソースがつくのもかまわず、捕食する肉食動物のように。
もとい、
タルタルソースとケチャップとマスタードとチーズソースが複雑に混じった、けれども単純で、粗雑な味。バンズの間に何枚も挟まれたパティと、いくつかの野菜。いったい自分はどの具材の風味を感じているのか、食べている本人でさえ認知できない。
モルガンが初めてハンバーガーを食べたとき、たった二枚のバンズの間に何もかもを挟み込み、まとめて全部のみ込んでしまうというのが、彼女にとって血清の使用に次ぐほどの強烈な快感だった。
「だから、挟む具材は多ければ多いほど気持ちいい」
と玲が言った。
モルガンが食べることに夢中になっている間にも、気付かなかったが玲はひとり語り続けていたのだろう。しかし、今の言葉はモルガンの思考とあまりにも途切れなくつながっていたので、彼女は思わず玲の方を見て目をパチクリさせた。
「私達、意外と似た者同士なのかもね
と玲は言った。
食事を終えるとモルガンはテレビをつけ、ベッドに腰掛けて有料チャンネルの映画をぼんやりと眺めることにした。
米国のエイリアン映画。表題すら知らない作品だったが、安っぽい
けれども、退屈は退屈だ。
「ふわあぁ~……」
つい気の抜けていくような
午前中はデータの整理やらで玲の手伝いをしていたのだ。
彼女の言葉通り、まさに〝助手〟らしい雑用係として。
モルガンはポーチから電子端末を取り出す。
「監理局から何か連絡が?」
「ううん」
モルガンは首を振った。
「眠くなってきたから、先にやることやろうと思って」
「規範意識が高いのね」
玲が皮肉を込めずに言う。
「細かく確認しとかないと、あとで面倒なことになったら嫌だし」
そう言って、モルガンは端末で監理局のデータベースを確認する。
『〈
最新の情報は、昨日の深夜から更新されていない。
さらに詳細な状況説明が、下に続いている。
『〈
最初に同僚の死を知ったとき、彼女の心は
監理局で働いている人間にとって、同業者の死などは日常茶飯事だ。
もし画面に表示する情報の範囲を地球全土に広げれば、末端
ただ、この報告データには他と違って特別な点が一つだけある。
昨日死亡した
監理局の〈委員会〉はすでにこの任務の指揮をレインバードに一任すると宣言しているが、ではレインバードは死亡したワイルドファイアに代わる新たな
要するに、死亡した彼の担当であったはずの仕事のいくつかは、モルガンが処理する羽目になるだろうということだ。
「……はあ、面倒くさ」
モルガンがぼやくと、
「ワイルドファイア……これ、名前?」
玲が画面を覗き込んでいた。
「勝手に見んなって」
モルガンは玲の腹を肘で小突いて、端末をポーチの中にしまう。
そして、ベッドの上に仰向けに倒れ込んだ。
仄暗い間接照明に照らされた天井を見つめて、モルガンは呟く。
「昼寝、しよっかな」
「さっきも欠伸してたけど、寝不足なの?」
「ていうか、昨日の夜あんま寝れなかったから」
「悪い夢でも見たのかしら?」
言葉は出さずに、モルガンは頷く。
「その夢の内容、私に話してみない?」と玲。
「心理カウンセリングみたいに?」
「そう、心理カウンセリングよ」
そう答える玲の表情は、やはりいやらしく歪んだ笑顔だ。
「職業資格なしの偽カウンセラー」
とモルガンは嘲った。
「人の脳だって物理的に作用しているだけなのに、物理学者に心がわからないなんてことがあると思う?」
と玲は自信に満ちた声で言う。
「なに言ってんだかわかんない」
モルガンは頭だけを持ち上げて玲にそう言った後、再び視線を天井に戻す。
「でも、話してみようかな」
「どうして?」と玲は訊く。
「話せば楽になる、ような気がするから」
とモルガンは言った。
「まあその相手は、あんたみたいなのじゃない方が良かったけど」
「それは、話してみてから判断したら?」
そう言って、玲もモルガンの隣のベッドにうつぶせで倒れ込んだ。
「あれは……あたしの記憶だった」
モルガンは天井を見上げたまま、話し始める。
「昔の仲間の、記憶。六年前に監理局から逃げ出して、その後のこと。あたしには、監理局の外の世界に居場所がなかった。あたし、小さい頃から両親がいなくて、監理局に入るまでは孤児院で育ったから。それで、一緒に逃げ出した能力者と徒党を組んで、廃病院に隠れて生活してた」
玲は沈黙して聞いている。
ボールを打ち返すような憎まれ口は、もう返ってこない。
「昨日見た夢は、その間に起きた出来事の記憶」
こんな奴を相手に喋り過ぎかも、とモルガンは心の隅で後悔する。
それでも、彼女の口からはまた言葉が
「――母親を、殺したの」彼女の声は震えている。
静かな部屋のなか。息遣いから、玲が頷いたのがわかった。
「よく言えたわね」
その声音は、今まで聞いたことがないぐらい優しい。
その空気が余計に調子を狂わせてきて、モルガンは自分がなにから話せばいいのか、なにを話したかったのか、わからなくなってしまう。
そうすると、玲が会話の手綱を握った。
モルガンを、あるべき場所へと導くように。
「貴方は、孤児院で育ったと言ったわよね? 母親っていうのは、監理局から逃げ出した後に、自分で見つけ出したということかしら」
モルガンは首を横に振る。
これではまるで子どものようだ、と彼女は思った。
「実の母親ってわけじゃない。ただ、あたしにとって唯一信頼できる人だった」
「その人とは、どこで出会ったのかしら?」
「あたしを監理局に勧誘した人だよ。コードネームは〈
「経緯と名前から察するに、監理局の
モルガンは首を振った。今度は、縦に。
「監理局の研究者たちは、皆あたしを実験の材料としか見ていなかったけど、彼女だけはいつもあたしに優しく接してくれた。監理局から逃げ出した後だって、廃病院のなかで支え合って生きてた。でも、血清の誘惑に負けて、あたしは……」
玲はモルガンを真っ直ぐに見据えて、言う。
「化学の法則に従えば」
と玲は言った。
「物質の存在が消えてしまうことはないけど、時間と共に変化することはある。それは、貴方にも言えることなのよ」
「あんた……」
モルガンは玲をじっと見つめる。
その表情は歪な笑顔ではなく、慈悲深く理解するような目をしていた。
眼鏡には、モルガンの顔が映っている。
「はあ、なんか眠くなってきちゃった」
「おやすみ」
そう言って、モルガンは顔を背けた。
窓際のベッドに寝転んでいた玲は一度起き上がり、カーテンを閉める。
「おやすみなさい、モルガン」
*
監理局支給の特殊電子端末が、人知れずメッセージを受信した。
『IR周辺のビーチにて、〈RedPredator〉への奇襲作戦を実行する。』
それはモルガンの指揮官レインバードからのものだった。
だが、すでに夢の世界にいた彼女がこのメッセージに気付くのは、目覚めた後のことである。
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