第17話 夢見る機械/Remind

「改めて貴方あなたの協力に感謝するわ、モルガン」


 六一六号室のゲートをくぐって、玲が言った。


「どういたしまして、擬態能力者シェイプシフターさん」


 モルガンは皮肉を込めて言い返す。彼女はこの十数分の間で、自分は京極玲が嫌いなのだと確信していた。任務を黙々と処理したいたちのモルガンにとって、玲の減らず口は厄介だ。

 それに、自分のことを実験材料かなにかのように扱うのにも腹が立っていた。


「じゃ、そこに座ってくれる? あ、服は全部脱いでね」


 玲が手で示したのは、密閉されたカプセル型の機械だった。

 カプセルの足元からは無数のワイヤー束が伸び、囲むように配置された半円状の制御卓コンソールに接続されている。

 モルガンは透明の強化ガラス扉に手を置いて、装置の内側を覗き込んでみる。


「これ、何なの?」


模倣体もほうたいから採集した血液成分の注入器インジェクター経頭蓋けいとうがい交流電気刺激装置――といってもわけがわからないだろうと思うけど。一言で言えば、〈夢見る機械ドリーム・マシン〉」


「これで夢の世界を探索するの?」


「そ。私はリーサル・インジェクターと呼んでいるわ」


「はい? 今なんて言った? 薬殺刑執行機リーサル・インジェクター?」


「冗談よ」


 そう言って玲は制御卓の前に立つ。


「見た目はなんとなく電気椅子って感じだけど。そもそもこれ、どういう実験なわけ?」


「その装置で貴方の身体に多量の血清を注入して、CSTV-04因子――超能力に関する遺伝子――を活性化させる」


「血清?」


 モルガンは繰り返して言う。


「そう。その注射筒シリンジの中身と同じもの。さっきは報酬として沢山あげられるって言ったけど、厳密には違うの。血清の投与こそが、私自身の目的でもある」


「厳密には、って。あんた嘘しかつけないの?」


 モルガンは不満をたれる。


「というよりは言葉のね。結果的に利が一致したんだから同じことよ」


「はいはい」


 対立する気力も削がれ、モルガンは話を切り上げた。


「要するに、いつも貴方がしていることをちょこっと大袈裟おおげさにやるだけね」


「あっそ。じゃ、とっとと始めましょ」


 モルガンはさっそく服を脱ぎ始めた。


「それ……戦士の証ってやつかな?」


 半裸になった彼女の背後に、面白がるような玲の声。

 モルガンはカプセルに映る自分の身体を見て、ようやく何の話か理解した。

 無数の切り傷と、しおれた花弁のような銃創。

 何年もの戦闘でできた、モルガンの傷だらけの身体だった。

 そんなもの監理局では珍しくもないので、すぐには気付かなかったが。


「あんたは綺麗な肌、してそうね」


「あら、もしかして初めて褒められた?」


「うっさい。別にうらやましくないけど、普通にムカつく」


「私も貴方のような人材と出会えて、嬉しい限りなのよ。貴方の血液特性と血清の適合率は、奇跡としか言いようがないほど――」


「いいから、始めて」


 モルガンは言って、玲の操作で展開したカプセルの中に入った。

 彼女が急かしているのには理由があった。面倒めんどうな仕事を早く終わらせたいのでも、不愉快でりが合わない依頼者クライアントと過ごす時間を短くしたいのでもない。

 血清を体内に取り込むときの万能感を、一秒でも早く味わいたかったのだ。

 血清にはCSTV-04因子を活性化させることで超能力を増強できる以外に、脳神経に作用する興奮剤としての効果があった。いつしかモルガンはそのとりこになっていたのだ。

 普段の任務では、出動前にあらかじめ血清を入れておくことで、仕事中はそのことを意識の端へ追いやることができた。だが、これから血清の注入が行われると知ってしまった今、モルガンは餌をおあずけにされていた犬のようなものだ。

 モルガンは、血清依存者だった。


「でも、今から投与する血清の量は普段よりも多いだろうから、注意してね」


 玲の忠告を聞いてなお、抑圧から解放される欲動になかば理性を失ったモルガンは〝普段よりも多い〟という言葉にもむしろ胸を高鳴らせるだけだった。

 カプセルが閉じて、スピーカー越しに玲の声が響く。


「説明はもう充分みたいだから、始めるわね」


 制御卓のレバーが下ろされる。

 物々しい機械音がして、細い針がモルガンの後頭部を刺した。

 緑の液体がチューブを満たし、モルガンの脳内に到達する――。


  *


 モルガンは真っ白な空間に立っていた。

 ふと、映画『マトリックス』のワンシーンを連想する。

 主人公ネオが船長モーフィウスに、今まで生きてきた世界が人工知能AIによる仮想空間だったと教えられるシーン。あの場面と同じ場所だ。


「マトリックス? 公開当時はまだ貴方は生まれてないんじゃないかしら」


 振り返ると、そこには革製の椅子とブラウン管テレビだけがぽつりとあった。

 映画では、その椅子に座っていたのはモーフィウスだったはずだ。

 しかし、いま座ったまま振り向いて話しかけているのは、京極玲。


「貴方にとって自然な形式でしか、この領域を認識することはできないのよ」


 なぜ映画とこんなにも似ているのか、という質問に先行するように玲が言う。


「まあ、自然な形式といってもはふつう自然の中では起こり得ないんだけどね。人間の想像力は風船みたいなもの。手放しで飛んでいくけれど、すぐ天井にぶつかってしまう。厄介な生き物よね」


 モルガンはどうしてか、彼女の言っていることが初めて理解できた。

 言葉の意味が簡単で分かり易いのではない。

 読解する必要さえなかった。

 まるで、初めからその言葉を知っていたかのよう。


「……どうして、あたしが連想した映画が分かったの?」


「私達は今、普遍的無意識の中にいるのよ」と玲は言う。


「普遍的無意識の中……つまり、夢の世界の中ってこと?」


「そう。さっきから、私の考えが手に取るように伝わってくるでしょう?」


「……ここは、すべての意識がつながっている場所だから」


「その通り。貴方と同じようなことが、私の頭の中でも起きてるの。例えば貴方が映画の一場面を思い浮かべると、それは私にも伝わってくる。そしてこの領域内においては、その場面を目の前の現実かのようにえがき出すことができる」


「じゃあ――」


 モルガンは目を閉じて、革製の椅子を思い浮かべる。

 目を開けると、想像した通りの椅子が玲の隣に出現していた。 


「さすがは私の助手。うまく使いこなせているみたいね」


 玲の浮かべている微笑みが、純粋な喜びと愛によるものだと伝わってくる。

 モルガンは玲の隣に座った。


「さて、そろそろ本格的な夢探索を始めましょうか」


 そう言って、玲はブラウン管テレビのチャンネルを操作した。

 画面に映ったのは、小綺麗な病院の室内。


「これは……分娩室? どうして?」


「私達に共通の意味をもった場所だから」


「分娩室が?」


 玲は何も言わずにテレビの画面を顎で示した。

 彼女の考えが伝わってくることもなかった。

 玲の意志で、自分の考えが伝わるのをき止めているようだった。

 そんな方法があるなら自分にも教えてくれと訴えるのを我慢して、モルガンは画面に集中する。

 ずっと意識を向けているうちに、いつの間にか画面に映るその場に自分がいるのと変わらなくなった――。



 分娩室には、生まれたての赤ん坊の泣き声が響き渡っていた。

 ベッドに腰掛けた母親が、それを優しく抱きかかえている。

 彼女の身体の線は細く。出産後の疲弊と、いつくしみのこもった微笑み。

 外見から、彼女が西洋人であるとわかる。

 麦のような黄金の髪と、みきった碧色へきしょくの瞳。

 母と娘。美しい構図。それが、部屋の中のすべてだった。

 しかしそれを見つめるモルガンの横顔は、唖然あぜんとしていた。

 やがて零れ落ちるしずくのように、ぽつりと、言う。


「どうして、こんなものを見せた?」 


 モルガンは玲の白衣の襟首を掴む。震えて、青ざめる。

 言葉をなんとか押し出そうとする。嘔吐にも似た苦しみにまぎれて。


「へえ、これが貴方の母親。やっぱりハーフだったのね」


 玲はとぼけた顔のまま、面白半分といった様子で言った。

 彼女の言葉通り、あの母親は――モルガンの実母なのだ。

 そして抱きかかえられた赤ん坊こそが、モルガン自身。


「普遍的無意識は、まさに無限のホームビデオの宝庫ね」と玲が言う。


 しかし彼女たちにとっての未来にいるモルガンは、それを喜ぶことはできない。

 その先に何が起きるのかは、誰よりも彼女自身がよく知っているから。

 五歳の誕生日を迎えた日、モルガンは母親に


「とにかく、こんな場所にはいたくない」


 モルガンは今すぐにでも分娩室から飛び出そうと、その母娘おやこに背を向けた。

 が、次の瞬間には、モルガンは見えない壁に突き当たったように、はっと足を止めていた。


「父親とは、会ったことがないのかしら」と玲が訊いた。


「……ええ」


 そう答えるモルガンの視線は、目の前の男に強く吸い寄せられている。

 その男は泣き喚く娘にも母親にも興味を示さず、窓の外を眺めていた。

 煙草とライターを取り出し、吸おうとして――やめた。

――白石しらいし幸雄ゆきお。男。日本人。1962年生まれ。

 父親に注目していると、情報が自然と伝わってきた。

 普遍的無意識では、すべての意識がつながっている。

 当然、その中にはこの男の意識や記憶も含まれているのだ。


「あれが、貴方の父親?」


 モルガンは静かに頷いた。

 彼女の記憶のなかに、父親の姿はない。

 それでも、この場所と状況から、男が自分の父親なのだと彼女は明白に理解していた。

 あるいは、はるか昔に意識から消えたはずの記憶情報が普遍的無意識とのつながりによって活性化し、その感覚に確信を与えているのかもしれなかった。

 モルガンは初めて目にする父親の〝読解〟をさらに続けた。


「あ。この人……不倫してる」


「そのようね」玲は苦笑した。


「しかも、あたしのママが不倫相手。すでに別の人と結婚してて、その間にも子どもが二人」


「下の子が生まれたのは……二年前ね。母親としてはいちばん目が離せない時期。妻が構ってくれなくなって、別の女性と肉体関係を結んだってところかしら」


 お盛んなことで、と口の中だけでモルガンは呟く。この声も、玲のには届いているのだろうか。

 とたんに赤ん坊が、一際ひときわ大きな声で泣き喚いた。

 それを抱きかかえる母親の方へ、意識をやる。

 枝のような手首には、ヴィンテージ風の腕時計が巻きついている。

 黒い革製のベルト。文字盤の中心には、筆記体のメーカー・ロゴがある。


Lacoラコ――」と、モルガンは書かれた文字を口に出す。


 厳密には、意識のなかでその文字列をなぞる。

 1920年代から続く、ドイツの時計メーカーだ。


「へえ、よく知っているわね。腕時計、好きなのかしら」


「いや、別に好きじゃないけど――」モルガンは言いよどむ。「その、昔はよくそういうの盗み出して、売ったりしてたから」


「そ」玲は微笑んで言う。


 かのように。


「……なんか、ムカつくわ」とモルガンはぼやく。


 母の顔を見て、リンクした情報をさらに検索し

た。


――リサ・ストロングマン。女。1900


「いや……違う」


――1900年、で誕生。

――1945年、渡米後、アメリカに帰化。


「元はドイツ人ってこと?」とモルガンは言う。


「1945年に渡米……ペーパークリップ作戦ね」


「ペーパークリップ作戦?」


「学校で習わなかった?」


「学校行ってないし。それも知ってるでしょ」


 玲は唇で薄く笑って、言った。


「第二次世界大戦末の話よ。アメリカ軍が、多くのドイツ人技術者とその家族を、ドイツからアメリカに連行したの」


「それでアメリカに連れてこられて、そのまま帰化したってわけね」


「そういうこと」


「でも、なんかおかしくない?」とモルガンは言う。


 モルガンが生まれたのは、2002年のことだ。

 この場面も、2002年の記録ということになる。

 壁に掛けられたカレンダーの日付からも、そのことは間違いないとわかる。

 しかし母親が1900年生まれだとすれば、この時点ですでに百歳を超えていることになる。

 ありえない話だった。

 もっと深く情報を検索しようと、意識を集中させるが――、


「さてと、外に出ましょうか」


 玲は興味なさげな顔で、分娩室から出ようと扉のほうへ歩き出した。

 モルガンはあわてて玲の後に続き、彼女の肩を掴む。


「ちょっと待ってよ。何のためにこんなとこ見せたの?」


「意味はないわ。夢探索の定常処理ルーティーンとでも思っておいて」


「でも、さっきはここがあたし達の最も意味ある場所だって――」


 二人は扉を――普遍的無意識のなかでは、扉を開ける動作をせずに意識するだけでも部屋の外へ出られるのだ。

 分娩室の外は、白を基調とした廊下がロビーまで続いていた。

 モルガンはロビーに向けて歩く。


(ここって――もしかして――)


 徹底された清潔さと、強い消毒液の匂い。

 クーラーのよく効いたロビーは、患者で溢れている。

 無限に続くかのように、遠く伸びる病院の廊下。

 はたしてロビーとの距離は、変化しているのかどうか。

 やがて真っ白な空間の上に、薄暗い廃病院の廊下がかさなって見えた。


(――ああ――ここだ。この病院だ――)


 白く清潔に保たれた壁や床も、消毒液の香りも、患者たちで埋まるロビーも。

 とあまりにも様変わりしていたから、気づかなかったのだ。


「どうしたの? モルガン」隣から玲の声がする。


「住んでたの、ここに」言いながら、モルガンの両足は止まらない。


「あまり余計なことに意識を向けないで! お互いを見失ってしまうわ!」


 背後から、玲の声がモルガンの意識を貫いた。

 いつの間にか玲よりも前に出てしまっていたようだ。

 だが声のした方を振り返ると、そこに玲の姿はなかった。

 再び前を向く。

 ロビーから人が消えていた。

 あんなにも沢山いたはずの患者たちの姿が、一人として残っていない。

 消毒液の香りが、土と埃の匂いにすり替わっていた。

 壁や床がぼろぼろと崩れ、灰色に朽ちた瓦礫に変わっていく。

 瞬時に、追憶が目前もくぜんの景色を塗り替えた――。

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