第15話 ナルク/Relationship

 〈National国立 Advanced先端 Life-Sciences生命科学 Centerセンター〉――通称〝〈N.A.L.C.ナルク〉〟は、特定国立研究開発法人に分類される独立行政法人であり、〈人類危機監理局〉の直轄する研究機関である。施設内で実施されているのはもっぱら超能力についての研究で、目的のためならば人体実験などの非人道的な方法もいとわない、超法規的組織とされている。その内実ゆえに施設内での活動は外部に対して徹底的に秘匿されており、敷地内には常に厳重な警備体制が敷かれている。

 監理局の諜報員アセットのひとりであるモルガンはこの日、要人の警護役として研究所に動員された。


 小さな人工島まるごとひとつがナルクの本部だった。島の中心では、円筒を斜めに切断したような質素な形状の建造物が、夕暮れの淡い闇の中にそびえ立っている。その内部は、地下三階から最上階である六階までのすべての階層にわたって円形の構造をしており、中央を貫くエレベーターシャフトは、耐震構造部材としても機能している。無数の部屋と入り組んだ通路がそれを囲むように配置され、白蟻が形成する複雑な構造の巣に見立てて〈蟻塚アント・ヒル〉という名がつけられた。

 その端に位置する六一六号室は、モルガンには用途もわからない電子機器やモジュールの筐体でびっしりと埋め尽くされている。筐体間を接続する制御コントロールバスは天井にまで這い、大小さまざまなモニターの上には数字と記号の羅列が流れていく。クーラント液を循環させるチューブが縦横に張り巡らされ、ぼこぼこと泡の立つ音だけが単調に響きわたっていた。

 ゲートのすぐ隣の壁には、アドルフ・ツィーグラーの『四大元素フィア・エレメンテ』が飾られている。四人の裸婦像が没個性的に描かれた、凡庸な絵画。

 薄暗くて肌寒く、乱雑を極める電子機器のジャングルの真ん中では、若い女が中枢操作卓メインコンソールの前に腰掛け、大きなモニターの上で一見無作為に変動しているように見えるデータを計算用紙に書きつけていた。

 ナルクの新人研究員、京極きょうごくれい。上はキャミソール一枚で、下着以外には何も着用していない。おおよそ国際機関直属の研究員とは思えぬ恰好であるが、彼女こそがモルガンの任務における〝要人〟だった。

 モルガンは部屋の入口に立ったまま、肩に掛けたポーチから諜報員アセット仕様の特殊な情報端末を取り出し、仕事内容を再確認する。

『N.A.L.C.から監理局施設への機密物資輸送車両トランスポーターの護衛』

 平凡な仕事だった。わざわざ超能力を持った諜報員アセットを護衛として配属せずとも、実際に機密物資輸送車両トランスポーターが襲撃されるような事態は今まででたったの一度だけしか発生していない。その一度というのは、三日前の深夜に起きた、和泉紗香レッドプレデターによる、神崎大翔ブルーストリーク輸送中車両の襲撃のことだ。そのときはモルガンも現場にいたが、最終的に二人には逃げられてしまった。それは監理局やナルクにとっては物資の損失という大痛手なのかもしれないが、モルガンにとってどうでもいいことだった。

 ――ただ、仕事の邪魔をされたのが気に食わないというだけで。

 思い出すとこみ上げてくる苛立ちを抑え、焦点を現実に引き戻す。

 止まらず作業する玲のせわしない様子など気にも留めず、モルガンは彼女に声を掛けた。


「あんたが依頼した人だよね?」


 モルガンが言ったのと同時に、玲はペンと用紙を力強く音を立てて置いて、立ち上がった。振り返って、満面の笑顔で、


「おなか、空いてない? なにか食べながら話しましょう」


 と言って、ハンガーから白衣とズボンを身に着けて通路へと出て行った。

 モルガンは戸惑いつつもついていき、並んでエレベーターに乗る。

 エレベーターの中で、玲は緑色の液体が入った注射筒シリンジを白衣のポケットから取り出して、モルガンに手渡した。

 それはモルガンにとって馴染みのあるものだったが、なぜ今のこの状況でそれが渡されたのかはわからなかった。


「なにこれ?」


「追加報酬、賞与ボーナス、前払金、プレゼント。呼び方は色々考えられるけど、私からのささやかな気持ちだと思って。貴方あなたみたいな超能力者は、お金よりのほうが嬉しいかなって」


 説明を聞いてもなおモルガンがいぶかしんでいると、玲は耳元に顔を近づけて、小声でささやいた。


「このことはあくまで内密にね。でも、心配しないで。表向きは隠されているけど、こういう取引はよくあるのよ。貴方なら知っているかと思ってたんだけど」



 エレベーターは〈アント・ヒル〉の最上階まで昇っていった。

 そのフロアには、職員専用のレストランがあった。


「お金は私が払うから、好きなものを食べて頂戴」


 レストランには二人以外には誰もおらず、玲が先導してモルガンを窓際の席に座らせた。

 IDカードをスキャナーに読み込ませると、写真付きのメニューがテーブル面に表示される。


「何にする?」


 モルガンは質問に答えず、オムライスを自分で注文した。

 玲は面白がっているのと呆れているの半々の顔で、ローストビーフとシャンパンを注文した。

 最上階の窓からは、夕陽をきらきらと反射しながら揺れる海が一望できる。

 モルガンはその景観を一瞥だけして、あとは興味を失ったように端末を取り出して訊いた。 


「とりあえず具体的な仕事の内容、聞いていいかな」


「へえ、それって監理局の特殊デバイス?」


「そうだけど、なに? それより仕事内容を――」


 言いかけたところで、ウエイターが料理とシャンパンを持って来た。

 二人の視線の間で静かに食器とグラスを置き、うやうやしく頭を下げて立ち去る。


「貴方って、ずっと退屈そうな目してるわよね」


 モルガンがもう一度仕事の内容を訊こうとする前に、玲が言った。


「実際、今は退屈だから」


「いいえ。今だけでなく、ここに来た時からずっとよ。仕事に満足していなのかしら。達成感がないとか、やり甲斐を感じないとか?」


「別に、達成感なんて要らないし」


「でも、復讐を完遂できることほど甘美なものはないわ」


「復讐? あたしの仕事は復讐じゃない」 


 モルガンに即座に否定されて、玲は肩をすくめる。


「とにかく、仕事の内容聞いていい? 〝機密物資輸送車両トランスポーターの護衛〟とは聞いてるけど、いったい何の物資を、何から護ればいいわけ?」


「それがね――もったいぶっておいて悪いんだけど。本当は何かを輸送するつもりもないし、護衛してほしいわけでもないのよね」


「は?」


「ただ、ちょっとした実験の助手になってほしいだけ」


「それが望みなら、最初の依頼メッセージの段階で書いといてほしかったけど」


「私の依頼は、貴方がいまこうしてここに来てくれることよ」


「……要するに、監理局や上層部にはおおやけにできない事情があるってわけね」


「そういうこと。物分かりの良い子は好きよ」


 彼女の実年齢はまったく不明だが、ほとんど同世代ぐらいに見える人から上から物を言われるというのは、少々不快だった。

 その感情が顔に出ていたのか、


「若く見えているのは嬉しいけど、実際にわたしは貴方より年上なのよ、四十歳くらいは、ね」と玲が微笑を口角に浮かべながら言う。


 彼女なりの冗談なのだろうが、モルガンは鼻を鳴らして軽く無視した。


「それで、どうしてあたしをその助手として呼び出したわけ?」


「監理局員の血液特性を一通り確認したところ、貴方がこの実験に最適だと分かったから」


「ふーん」モルガンは興味なさげに言う。「で、その実験ってのは?」


「簡単に言うと、〈究極理論〉のヒントを探すための、夢の世界の探索」


「夢の世界って、あの寝てるときに見るやつのこと?」


 モルガンの仏頂面が、疑心をあらわにゆがむ。

 科学とは縁遠い彼女だが、この世のすべての事象を最も美しく調和した形で説明づける究極の理論が、夢というただの錯覚のなかに隠されているとは思えなかった。

 それに、モルガンは夢を見るのが嫌いだ。


「夢には、革命的で先駆的な事実が隠されているのよ」


 玲はまるで見てきたかのように、はっきりと言い切った。

 が、モルガンは玲の考えを否定するような証拠も、意志も持っていない。

 ただ重要なのは、何が仕事で、何が報酬なのかだけだ。


「それで、わたしがその助手になったとして、その報酬は? ?」


 言いながら、モルガンは先ほど渡された注射筒を取り出す。


「いいえ。それとは別よ。報酬は……貴方の復讐の手伝い」


「さっきからなに? 復讐って」


「そう隠さなくても、知ってるのよ。六年前の、大切なお友達のこと」


 玲の言葉を聞いた瞬間、モルガンの瞳孔が大きく開いた。

 端末から跳ね上がるように顔を上げ、玲の顔を見て――さらに驚愕する。

 京極玲の顔が、京極玲のものでなくなっていた。

 鋭い切れ長の目が丸みを帯び、ボリュームのある睫毛まつげが縮んでいく。

 モルガンは訓練された通りの動作で即座に反応した。

 椅子から立ち上がって距離を取り、拳銃を抜いて照準。

 ほぼ同時に玲の顔面のが終わっていた。

 銃口の先にある顔は、もう玲のものではなく――


「〈エリクシア〉……⁉」


 見覚えがある顔つき、というようなレベルではない。

 それほど美人でもなければ、これといった特徴もない顔。

 だが、彼女は間違いなく知っている。知らないはずがない。

 なぜなら、その顔は――まさに、六年前に殺された彼女の親友だったのだから。

 その親友――エリクシアの顔が、見たこともないような歪んだ笑顔をみせている。


「どうして、あんたが……⁉」


 ここにいるのか、と訊こうとしたところで、思い惑う。

 エリクシアが本当に今、とは考え難い。

 何しろ、彼女は六年前に死んだのだ。

 実は生きていた、というのはいくら超能力が実在するといえどもあり得ない。

 それに、顔は確かにエリクシアのものだが、それ以外は白衣を着た玲のままだ。

 ちょうどその二つの境界の位置である首も不自然に変形している。

 だからはエリクシアではなく、あくまで京極玲なのだろう。

 〈擬態能力者シェイプ・シフター〉の噂は、モルガンも聞いたことがあった。

 〈不老不死〉や〈蘇生〉に比べればはるかに現実的な能力だ。

 モルガンはすぐに落ち着きを取り戻し、玲の瞳を冷静に見据えた。

 〝死んだ親友の顔〟という悪趣味な化の皮の奥にある、京極玲の瞳を。


「あんたの能力は分かったから、はやく元の姿に戻ってくれない?」


「元の姿がどれかなんていうのは、定義によって変わるけれど」


「いいから、はやく」


 モルガンは指でこつこつとテーブルを叩きながら、苛立った低い声で言う。

 エリクシアの顔が、玲の顔に戻っていく。


「彼女のこと、どこで調べたの」とモルガンは訊いた。


「貴方の記録を調べさせてもらったわ。色々とね。十九歳にして監理局の超能力諜報員アセット。コードネームは〈FataMorganaファタ・モルガーナ〉。略してモルガン。五歳の頃から監理局に所属するが、当時は戦闘用員ではなく、実験材料として――」


「――わかった。もういいよ」


 話題が不愉快な方向に向かい始めると、モルガンは玲の声をさえぎった。 

 彼女との対話には、これまでにないほどのストレスがあった。

 もしかすると、それが彼女の目的なのかもしれない。

 感情に流されて判断力が狂っている間に利用する、とか。

 そのことに気付いて、モルガンの警戒心は引き上げられた。

 玲に覚られぬよう、ひっそりと深呼吸をする。

 苛立ちを抑えるために、水をコップに注いで、飲む。


「ねえ、良ければ貴方のこと、本名で呼ばせてくれないかしら。〝ヒミコ〟って」


「――っ」


 吹いた。


「なんでっ、あんたがそれを……っ」


 咳き込みながら言う。

 最後にその名前で呼ばれたのは、もう何年も前のことだ。

 まさかそんなことまで調べられているとは思わず、動揺を隠せなかった。


「で、どうかしら? 本名の件」


 今度こそはと、モルガンは気を整える。


「却下で。依頼者が覗き嗜好の変態ピーピング・トムだったとは、驚きだね」


「円滑な交渉のための事前情報収集とは思ってくれないかしら」


 モルガンは玲の言葉を黙殺し、断言した。


「その交渉も決裂ね。とにかく、あんたの言う復讐には興味ないから。諜報員アセットとして仕事をやるだけ」


「そう、残念ね」


 玲の言葉は、まったく感情の伴わない、形式的な発話だった。

 モルガンは荷物をまとめて、席を立つ。


「適正な報酬が出せないのなら、この話はなしだけど。もう帰っていい?」


「私が奢ってあげたオムライス、食べないの?」


「〝奢る〟って。ここのレストラン、研究員は無料の契約でしょ」


「あら、そこまで調べてるなんて。勤勉なことで」


「今さら褒め潰しても帰るからね」


「でもね、モルガン――」


 モルガンはその場を離れようとしているのに、玲はまだ喋り続けていた。

 彼女がポケットに入れた注射筒を指差し、


「貴方がずっと気にしているを報酬にもできるけど。どうかしら?」


「…………」


 モルガンは振り返って、立ち止まっていた。

 受け取ってからずっと握り締めている注射筒。

 力を緩めて手を離そうとしても、身体がそれを拒んでいる。

 その様子を見て、モルガンは不敵に笑う。

 そして、シャンパンの栓を抜いた。

 ポンッ、という軽快な音が、二人を祝福するように鳴る。

 玲が宣言した。


「さて、新たな名コンビの誕生を祝いましょう!!」

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