第14話 山火事/Revengeance

 どこか歪な六人組は、道行く人の視線を集めた。

 雨宮は最初、それは自分たちの顔ぶれや行動が目立っているからだと思っていた。が、その視線はどうも、繚介と紗香に集中的に向けられていることに気づく。

 理由はなんとなくわかっていた。繚介も紗香も、暴力的な先入観なしで見てみればスタイルも良いし、着物もそれなりに似合っている。それが周囲の目を引いているのだろう。

 雨宮はそれを特別にうらやむこともなく、神崎と並んで六人組の最後尾をかったるそうに歩いていた。

 すると前を歩いていた響子が、ふっと立ち止まった。あまりにも自然かつ緩やかに立ち止まるので、雨宮は一瞬放置して通り過ぎそうになった。

 が、結実だけはすぐにそれに気づいていた。

 響子が立ち止まったのはお面屋の前で、彼女はその店の商品である白い狐のお面を、じっと見据えていた。


「響子ちゃん? お面、気になるの?」


「……」


「じゃ、あたしが買ってあげるよ」


 響子の無言を肯定ととった結実は、高級そうな革の財布を取り出す。

 白い狐面を買い、それを響子の頭の横に斜めに被せてあげた。


「うん、似合ってると思う!! ほら、行こ」


 言って、響子の手を引いて歩く結実。

 そのとき響子のもう片方の手は、狐面の輪郭をそっとなぞっていた。

 彼女の白い指先を、雨宮はなんとなく見つめていた。


  *


 一方で五人を率いて先頭を歩く繚介は、強く警戒していた。


(どこだ――?) 


 皆に気取られぬよう周囲に視線を飛ばす。

 紗香と合流したあたりから、ずっと気配を感じているのだ。

 影に潜む、敵の気配を。

 単なる思い過ごしや勘違いではないという確信が、繚介にはあった。

 これは〈未来視プレコグニション〉――彼の持つ超能力によるものだ。

 敵の存在と、攻撃と、それによる被害が、明確なヴィジョンとして脳裏に浮かんでいる。

 繚介は視える未来を紐解いて、その原因を見つけるまでさかのぼっていく。これは、予知能力を持たない人間には説明することの難しい感覚的な作業だ。そんな高等な作業を瞬時に実行できる技術は、間違いなく〈監理局〉の施設での訓練の賜物であった。

 敵の気配を強く感じたのは、グラウンド奥にある山の木々の間。

 繚介の鍛えられた勘に頼るならば、そこに敵がいる可能性はかなり高い。

 そして無視すれば妹たちが傷つけられるという可能性も、高い。

 ――排除しなければ、と決意した。

 

「くっ……急に腹がッ――⁉」


 繚介は下腹部を押さえて前のめりになる。


「ちょっと大丈夫、繚介?」


「ああ、ちょっと食い過ぎたみたいだ……」


 心配そうに紗香が背中に触れてくる。

 彼女には申し訳ないと思うが、これは彼の演技だった。


「悪い、便所行ってくる……」


 そう言って、集団とは離れ逆方向に歩き出す。


「おい、急にどうしたんだよ?」


 が、最後尾の神崎が彼の前に出て立ちはだかった。

 繚介の深刻そうな表情を見て、神崎は一瞬戸惑いを見せた。

 一方で繚介は、こいつよく演技に気づいたな、と感心する。

 見破られたなら別の言い訳が必要になる。繚介は神崎に耳打ちした。


「せっかく紗香の友達が来てるんだ。身内の男がいるんじゃなんとなく遊びづらいだろ」


「……確かにな。じゃあ俺も――」 


「いや、お前と雨宮はいい。こいつらの側にいといてやれ」


「は?」


「これでも兄貴で保護者だからな。可愛い妹を女子二人だけと人混みの中にはおいておきたくない」


「別に俺じゃなくてお前がいれば――」


「とにかく、任せたぞ」


 繚介は神崎の肩を叩くと、再び腹痛の演技でその場を走り去った。

 背後で神崎の怪訝そうな視線を感じるが、ついてこないのならそれでいい。

 妹たちを誰にも傷つけさせないことだけが、和泉繚介という人間の、絶対条件なのだから。


  *


 繚介は、山のかなり深いところまで来ていた。

 当然ながら地面は舗装されていない。それどころか、獣道以外に道らしい道すら存在しなかった。獣道があるだけでも足場には困らないが、同時に危険性も孕む。獣道があるということは、そこは大型の哺乳類が日常的に使用する経路であることを意味するからだ。敵だけでなく、野生動物にも警戒しなければならなくなる。

 遠くで虫の鳴き声がする。

 敵の姿は見えない。

 繚介は、おそらく敵は、自分から一定の距離を保ち続けているのだろうと推測する。


(ということは、遠距離攻撃型の能力者か――)


 ――瞬間、何かが繚介の顔面に向かって飛来した。

 繚介は首から上だけをほんの僅かに動かして、それを回避する。

 振り返ると、落ち葉が小さく煙を上げていた。

 前を向く。


「さっきからコソコソと裏で動き回っているのは――〈649番〉だな」


 そう闇に向かって言葉を発した瞬間、草を踏みしめる音が高速で近づいてきた。闇の中から男が飛び出る。

 拳が、繚介の鳩尾みぞおちに食い込んだ。


「かはっ!」


 粘質のある透明な体液が口から垂れた。血は混じっていない。

 歯を食いしばって痛みに耐える。徐々に腹部が熱くなる。

 刃物で刺されて出血しているのかと思ったが、違う。 

 熱の温度は止まることなく上昇する。

 繚介は敵を押し飛ばした。

 敵の掌が、血を沸き立たせるように赤い光を帯びていた。

 その容姿はほとんど少年のようであった。

 年齢で言えば、十六歳くらいだろう。二一歳の繚介よりも幼く見える。

 その姿には見覚えがあった。

 認識番号〈649〉。

 繚介や紗香と同じ〈監理局〉の施設に収容されていた被験体の超能力者だ。

 そして彼に関する繚介の記憶のなかで最も印象深いものは――彼が紗香に対して、趣味の悪い嫌がらせを執拗に繰り返していた記憶。

 その記憶を想起した繚介は腹の底から怒りが噴き上げそうになるのを感じるが、同時に気づくことがあった。


「……そうか。三日前の夜に港で紗香を襲った発火能力者も、お前なのか」


「おいおい、今更か? 勘の悪い予知能力者プレコグもいたもんだなぁ?」


 おどかしと揶揄からかいと邪気に満ちたその声は、繚介の記憶の通りだった。他人の心を一瞬で不快に染め上げるような、醜い声音。

 しかしそれが意図して発せられているものということも分かる。

 だから、繚介は動じることなく言葉を返す。


「能力に勘は関係ない。それに能力の質で言えば、お前の発火能力のほうが、紗香より下回っている」


 繚介の言葉に、敵が――〈649〉が沈黙の中で感情を露わにする。

 それは、抑圧された嫉妬の情。発火能力者として最強の能力を持った妹に対する。

 〈649〉の燃えるように火照った瞳が見開いて、


「燃えろ――!!」


 瞳の奥にたたえられた殺意が、掌から溢れ出す。

 握りした拳に炎が纏い、〈649〉が跳んだ。

 繚介は瞬時に〈監理局〉の施設での厳しい訓練の記憶を引き出す。

 闘諍とうじょうの技術は彼の身体の一部となり、知識は記憶の中にある。

 繚介は〈649〉の攻撃を寸でのところでかわし、捻るような姿勢になる。たとえ強化された打撃であろうと、当たらなければどうということはない。繚介はそのままの勢いにのせて廻し蹴りを繰り出した。かかとが胴体に叩き込まれ、〈649〉は横倒しになる。

 更に、立ち上がろうとする〈649〉の首元を踏みつけ、動きを封じる。

 一瞬にして、形勢が決まった。


「……ぐっ!」


「俺は妹と違って無駄な殺しはしないが、情報は聞かせてもらうぞ、〈649〉」


「だったらまずその呼び方を変えやがれ……ッ! いまの俺のコードネームは〈WildFireワイルドファイア〉だ……」


 実験体として番号で呼ばれる〈監理局〉の超能力者のなかには、コードネームを実戦配備された超能力者にのみ与えられる称号のように捉える者もいた。この〈ワイルドファイア〉もその一人ということらしい。繚介がまだ施設にいたときは〈649〉にコードネームはなかったが、どうやら繚介の知らない六年間のあいだに実戦配備されたようだ。いま彼が施設の外でこうして活動していることからも、そのことが分かる。

 そこまで考えると、繚介は彼の要求を無視して続けた。


「そんなもんはどうでもいい。本名は?」


「……ッ!」


「答えろ。じきに息ができなくなるぞ」


 言って、少しだけ足の力を緩める。

 ワイルドファイアは一度深く息を吸い、答える。


「馬鹿にしてんのかよ……ッ。俺にそんなもんはねえ」


「なるほど。〈監理局〉に生み出された能力者――培養型カルチャードか」


 どうりでこの若さで実戦配備されるわけだ、と繚介は納得する。

 次の詰問に入ろうと口を開ける――と同時に、繚介の耳に微かなノイズ音が聞こえた。


『――聞こえるか、ワイルドファイア。ターゲットと話がしたい』


 聞き覚えのある男の声は、ワイルドファイアの胸元から聞こえていた。


『――おい、応答しろ。聞こえるか?』 


 繚介は彼を押さえつけたまま、胸元のホルダーから無線機を取り上げた。マイクロフォンを口元に近づけて、ゆっくりと応答のスイッチを押す。


「……誰だ?」


『知ってるはずだ』


 その通りだった。繚介は無線機越しに話すこの相手を知っていた。

 心の芯まで凍るような冷ややかな声を、繚介は一度たりとも忘れたことはない。

 施設時代の繚介と紗香の教官であり、彼らに殺しの術を教え込んだ張本人にして、〈監理局〉の諜報員アセットのなかでも最強の超能力者――〈RainBirdレインバード〉である。

 再びその声を聞いて、繚介はやはり昔と同じように密かな恐怖を覚えた。炎のような警戒心が、自然に燈る。


「……いつから俺たちを探っていた?」


『三日前の夜からだ。妹には世話になったな』


「彼女には、手を出すな」


 繚介は怯まずに語気を強めた。


「妹に手を出せば、お前たちを殺す」


『それは無理だ。妹を守ることも、俺を殺すことも不可能だ。お前にはできない』


「……お前、俺の通信機で何してやがる?」


 足元でワイルドファイアが抵抗し始める。繚介は足に思い切り力を入れて踏み、ワイルドファイアの意識を落とした。


「黙ってろ」


 通信機からは男の声が流れ続ける。


『和泉繚介――いや、〈BellWeatherベルウェザー〉と呼ぼうか。俺とお前は、よく似ている』


「お前とは違う。何もかもがだ」


『いいや、同じだ。俺たちは悪魔に魂を売った人殺しだ。俺たちの手からは血がしたたっている。


「……」


 レインバードが過去の話を持ち出すことで自分の精神を搔き乱そうとしているのを察した繚介は、毅然とした態度を沈黙と言うかたちで示してみせる。レインバードは揺さ振りが効いていないと判断し、さらに言葉を繋げる。


『お前に一度だけチャンスをやろう。お前が降服を宣言して〈監理局〉に戻れば、妹の命は見逃してやる。上層部もそれを望んでいるからな』


 通信機の向こうで、レインバードが一呼吸おいた。煙草の煙を吐き出しているようだった。きっとこいつは〈監理局〉の施設の最奥部の部屋でくつろぎつつ煙草を一服しながら話しているのだろうと、繚介は思う。あるいは、高級ホテルのソファの上に、ワインや料理をつまむバスローブ姿が居るのかもしれない。どちらにせよ、その平静さが腹立たしいと同時に、恐ろしかった。


『何より、また好きなだけ人を殺せる生活に戻りたくはないか? 妹の方はまだまだ殺し足りていない様子だが。つまらん女子高生ごっこは、もう止めにできるチャンスだ。悪い話じゃないだろう』


「……紗香を人殺しに変えたのは、あんただろ」


『そうは言っているが、あいつには赤い捕食者レッドプレデターの本能が染みついて抜けなくなっている。それに、勘違いするなよ』

 

 ――人殺しになったのは、俺の所為じゃない。


 その言葉だけが、やけに明瞭に耳に入った。

 レインバードがさらに言葉を続ける。


『お前も、すぐに本性を明かすことになる』


 その声と同時に、何かが繚介の足首を掴んだ。

 視線を下ろすと、ワイルドファイアが不敵な笑みでこちらを見上げていた。そして次の瞬間には、その表情が苦しむように歪みだして、うめき声まで出し始めた。


「くっ……うぅ……」


 繚介の足元で、痙攣するようにばたばたと暴れ出す。


「お前、何をした⁉」


 通信機のマイクロフォンに叫ぶが、通信は一方的に切られ、返ってきたのは沈黙しだけだった。

 すると、じゅうう、という焼けるような音がして、その場に焦げた匂いが立ち込め始めた。

 ワイルドファイアの全身が、とてつもない熱量を放ち始めていたのだ。 

 繚介はすぐに身を離す。

 足元の落ち葉が燃え上がり、煙を立てた。


(こいつ、自爆する気か――⁉)


 こんな所で自爆などされれば、一瞬で山火事になってしまう。

 祭りに参加している何百人もの命が、危険にさらされることになる。

 そしてそのなかには当然、繚介が連れてきた妹の紗香も――。

 何としてでも食い止めなければならないと、考える間もなく決意していた。

 ワイルドファイアの全身からは、花火のような華やかな色の光が放たれている。

 爆発まで、もう時間がなさそうだ。

 繚介は手元のナイフを見つめて、つばを飲んだ。

 全身がしびれるような感覚。

 久々の感覚だ。

 できるだけ何も感じないように、目を閉じて、手に強く力を入れる。

 ワイルドファイアの閃光は激しさを増す。数秒の内にそれは極点に達し、すると閃光がピタリと止んで、嵐の前の静けさが訪れた。


「――花火を、打ち上げようぜ」


 ワイルドファイアの声が残り――鮮血の飛沫しぶきが吹き出して――繚介は、彼の喉元を切り裂いていた。

 そして、切り離されたワイルドファイアの、頭部だけが空高く飛び上がり――爆音とともに、夜空に色鮮やかな大きな花火が、咲いた。

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