第13話 夏祭り/Rejoice
毎年の夏祭りは駅周辺の山を少し登ったところにある、公共のグラウンドで開催される。会場が駅に近く、祭りが少ない地域ということもあってか、四人が向かった時点でもう随分と繁盛している様子だった。家族やカップルたちが、山麓から会場まで長蛇の列をなす。暑い太陽が照りつける中、列全体が坂道を少しずつ進んでいく。祭りの会場にたどり着くだけでも、結構な労力を消費しそうだ。
歩いている途中、繚介はふと違和感を抱いた。
紗香が、立ち並ぶ店のショーウィンドウをちらちらと覗いているのだ。
「どうした、和泉?」
神崎もそのことに気付いて声をかける。紗香は全身をぴくりと震わせて、何かを誤魔化すように笑い、前に向き直った。心無しか、頬が紅潮しているように見えた。
「……ああ、そういうことか」
繚介は意味ありげに呟いて、紗香が見つめていた店内へと足を踏み入れた。
「おい、なんだよ? どこ行くんだ?」
神崎と雨宮も続く。
店の看板には大きく『レンタルきもの』と書かれていた。
*
数分後、四人が店から出てきたときには全員の服装が変わっていた。
着替えるのは繚介と紗香だけのつもりだったが、雨宮と神崎も二人に薦められて着替えさせられた。
それぞれが違う色の着物を着ていて、神崎が青、雨宮が赤、繚介が緑、紗香が桃色の着物を
再びカップルや家族の行列に混じって、神崎はふと思った。
今の自分たちは、周囲からはどう見えているのだろうか。
夏祭りにやってきた友達グループ?
あるいは、もっと歪で不自然な集団に見えるのだろうか?
「……けっこう遠いな」
神崎の隣で、雨宮が肩で息をしながら呟いた。
「お前、体力無さすぎないか?」
「……放っとけ」
「運動不足?」
「あと、たぶん寝不足もな」
「そっか。帰りは家まで競走しようぜ」
「殺す気か……ッ」
そんな感じでふたり小言を言い合っていると、小石に
さんきゅ、という声からも疲弊したオーラが洩れ出していた。
振り返った繚介はそんな二人を見て、感心したような表情。
「おっ、良いチームワークだぞ。お前ら」
「はいはい。チームね、チーム」
雨宮が毒をきかせて繰り返す。
そんな感じで話していると、時間は意外とすぐに過ぎていった。段差の大きい階段を登りきると、そこはもうグラウンド。人の塊は拡散し、列はそこで終わっていた。
人混みを抜けて少しだけ新鮮になった空気を吸い込むと、鼻腔には空腹感を刺激する良い匂い。
グラウンドのそこかしこには、華やかな屋台が立ち並ぶ。
それを目にするや否や、繚介は宝石のように目を輝かせ、
「ついに来たか、皆で
言いながら雨宮と肩を組む神崎に、さらに肩を組んできた。
取り残された紗香も、呆然としている間に繚介の腕に強引に巻き込まれ、気がつけば四人で円陣が組まれている。
「通行の邪魔だろ。やめようぜ」
相変わらず不平を漏らす反射速度だけは随一の雨宮。
「だいたい、なんで円陣なんだよ」
「いいか、神崎。祭りとはな、要するに戦いだ。そもそも今日の夏祭りというのも、大昔に大規模な火災に襲われた人々が、国生みの女神である
「そういう豆知識は要らないから、はやく何か食べようよ」
紗香が遮る。
「紗香。食欲旺盛なのは良いことだが、まずは遊びに遊びまくって疲れてから食事だ。手始めにお前は射的をやってこい。俺は金魚を水槽の中から
勝手に号令をかけ、愛妹の手を引いて去って行く繚介。
一瞬にして取り残された神崎と雨宮は、同時にため息を吐いた。
*
神崎は空腹だった。
一番列の少なそうな屋台を見つけると百円玉三枚をお好み焼きに換え、グラウンドのさらに奥にある森へと続く、山道の入り口に向かった。
偶然見つけたので入ってみたがどうやら穴場スポットのようで、誰もいない空間がすっぽりと空いていた。石段の上の落ち葉を払い、腰掛ける。
「いい場所だよな」
不意に隣から声を掛けられる。
見ると、雨宮が隣に座って携帯を触っていた。
「お前、神出鬼没だな……」
「そうか? お前が来る前からここに座ってたし」
一旦会話が途切れ、神崎はお好み焼きを貪る。
「お前は何も食わないのか?」
「いい。だって並ぶの面倒だし」
まったくもって同感である。
さらに付け加えるとするならば、祭りの食べ物は基本的にコスパもあまり良くない。かの有名な社会統計学者エルンスト・エンゲルの提言を逆説的に捉えてみると、食費の節約とはすなわち生活水準の向上であることが分かる。今日は空腹だったのでやむを得ず食事をすることにしたが、それでも購入したのは一番コスパが良いと考えられるお好み焼きだ。
二人で会場を行き交う人々を眺めながら、しばらく沈黙が続く。
やたらとエネルギッシュな繚介や紗香とは違って、落ち着きのある雨宮と過ごす時間は、会話がなくとも居心地がよかった。
「なあ、神崎」
神崎がお好み焼きを食べ終えた頃、雨宮は意を決した雰囲気で沈黙を破った。
「お前は何のために、ここに来たんだ?」
「何が来るかと思ったら。えらく哲学的な問いだな」
「いや、そうじゃなくて……。お前はなぜ〈リビルダーズ〉の一員になろうと思ったんだ?」
「あー、そういうことね。まあ、消去法しかないよな」
「消去法?」
「うん。和泉のせいで家は焼け落ちたし、首にこんなのつけられてるし。消去法っていうか、そもそも他に選択肢がなかったっていうか。消極的理由ってやつ?」
言いながら、首元のチョーカーを指先でいじくる。
「そうか。じゃあさ……」
雨宮はこれから重大な発言をするというオーラたっぷりに視線を下ろして、頭の中で言葉を見繕い始めた。
神崎はなぜか緊張していた。
雨宮が言う。
「あの二人のこと、信用できると思うか?」
「それは――」
唐突な問いかけに、神崎はなんとも答えようがなかった。
〝あの二人〟というのは和泉兄妹のことだ。
だが、神崎は彼女たちのことについて実質的にはほとんど知らない。
紗香が前に語った内容――〈人類危機管理局〉や〈神の遺伝子〉や超能力者といった、世界を取り巻く壮大な陰謀や、世間の常識を覆す生命科学の概念が、すべて真実ではないという可能性も否定することはできない。
要するに、紗香や繚介が嘘をついているだけかもしれないということだ。
だから神崎は、思っている通りのことを口にした。
「さあな。わっかんねえ。そもそも
「ああ、いや。それは存在するよ。俺も以前に接触を確認してるからな」
「そうなの? じゃあ、何が信頼に足りないんだ?」
「リーダー――和泉紗香の掲げている目的のほうだよ」
「目的って、〈管理局〉の崩壊以外にあるのか?」
「おいおい、聞いてないのかよ」
「なんかあんのか? もうひとつの目的って」
「さあ、俺もよくわかんねえし、本人に聞くのがいいんじゃねえかな。くだらない作り話だよ。〈救世主同盟〉なんて、あるわけねえ……」
雨宮はすぐにまた携帯に視線を戻す。
どうやら雨宮から聞き出すことはできなさそうな雰囲気だった。
手持無沙汰になった神崎は立ち上がって、
「なんか飲み物とか買ってくる。お前は?」
「ジュース。炭酸以外で」
「はいよ」
山の中を抜けて、人混みに雑ざりこんでいった。
雨宮はひとり、ため息を吐く。
祭りの会場というのは大抵そこら中が騒がしいものだが、そのなかでもやけに目を引く人だかりがあった。
その人だかりと周囲との間の一番の違いは、空気感。
周りの楽し気な騒がしさとはまた別の方向性の、騒がしさ。
それは、動揺に近い。
その人だかりは看板に『射的』と大きく書かれた屋台の前にできていた。乾いた射撃音が響くのに続いて、おーっ、という人々の歓声がわき上がる。
なんとなく気になったので、神崎は観衆でできた壁に潜り込んだ。
背伸びして顔を乗り出してみると、人だかりの中心にいたのは、紗香だった。
真剣な眼差しで銃を構え、狙いを定めている。
身体は一切揺れていない。
止めていた呼吸をひとつ分だけ吐いて、ゆっくりと引き金を引く。
爽快な音とともに一番奥の棚の景品が、落ちる。
屋台のオヤジが、小さな鐘を鳴らして朗らかに叫ぶ。
「またしても一等賞! いやー、すごいねぇお嬢ちゃん!」
棚の上の景品は残り一つになっていた。
そして紗香の足元には、ぬいぐるみやらお菓子やらが大量に入った紙袋。
こんなに景品を当てられては屋台のオヤジも商売あがったりだろうに、楽しそうに場を盛り上げられる気前の良さに神崎は感心した。
紗香は受け取った景品を紙袋に詰めて、百円玉をオヤジに渡す。
再び銃を構えると、次の瞬間には狩猟者の容貌。
景品棚の最上部に立つ猛獣を、撃った。
紗香が猛獣を狩るのには、二発の銃弾を要した。
それ以外のすべての景品は一発で仕留めていたそうなので、最高難易度の景品はやはり強敵ではあったようだ。それでも二発だが。
その狩猟者たる少女はいま、大量の景品が詰め込まれた紙袋を抱えて、ご機嫌そうに歩いている。
神崎はその後ろで、楽しそうに揺れる後頭部をじっと見つめていた。
神崎はふと、思いつく。
先ほど雨宮が
「なあ、紗香。雨宮が言ってたんだけど――」
紗香の後頭部に問いかけようとして、しかし逡巡する。
和泉紗香のもう一つの目的。雨宮はそれを、くだらない作り話だと称した。
しかし、それが本当に取るに足らない創作だったとして、それを聞いた雨宮が、ズルズルと引き
雨宮に対する印象としては、常に他人とはある程度の距離を置いていて、物事の結論はきっぱりと下すタイプ、という人間性を神崎は見出している。
出会ってからの時間を考えれば偏見が含まれている可能性は充分にあるとはいえ、そんな雨宮が他人に対する信用を疑わずにはいられなくなるほどの〝くだらない作り話〟があるものだろうか?
もしそれをいまここで聞き出したとき、日常は日常のまま変わらないだろうか。いまは後頭部しか見えない紗香の顔は、昨夜見た寝顔のような、幼い少女のままだろうか。
和泉紗香の内面には、やはり一筋縄ではいかぬ何かがあるのだ。
「どうしたの、おーい、神崎くん?」
「……ああ、悪い。やっぱ、なんでもない」
「そう? じゃあこれ、持っててくれない?」
そこにあるのは正真正銘のあの紗香の顔で、神崎は安堵した。その神崎の胸にはいつの間にか紙袋が強制的に押し付けられていて、紗香はどこかに走り去っていた。
数秒で戻ってきて、
「りんごあめ、食べる?」
「いらん」
紗香は困ったように眉根を寄せた。
「帰ったら冷蔵庫に入れて冷やせ。その方が美味い」
「へえー」
わずかに頬を上気させている顔は、それだけを見ると普通の女の子にしか見えない。
彼女が決して普通の女の子ではないことを、つい忘れてしまいそうになってしまう。
「せっかく夏祭りに来たのに、神崎くんは何も食べなくていいの?」
「もう食ったよ、お好み焼き」
「それだけ?」
「別に来たくて来たわけじゃないし。だいたいなんで俺なんだよ。友達とでも行けばいいだろ」
「……」
「なんで黙る。もしかしてお前、友達いないのか?」
「いない、わけじゃないけど。苦手なのよ。そういう集団は」
「は? いやいや、お前〈リビルダーズ〉のリーダーだなんだっつって集団行動どころかメチャクチャ指揮とろうとしてるじゃん」
「それとは別なの。友達はなんていうか、目的がないじゃない? 〈リビルダーズ〉には、超能力者の保護とか、〈管理局〉への反抗っていう目的があって、そこにたどり着けば終わり。でも友達は――」
「あるだろ、目的。楽しむんだよ」
「誰が?」
「みんなが」
「……よくわからないわ」
眉をひそめて首を傾げる。
本当にわからないようだった。
「お前だってわざわざ着物に着替えたり、射的で無双したりして結構楽しんでんじゃん。それをみんなで分かち合えばいいんだよ。……そもそも、俺たち――〈リビルダーズ〉だって、その目的にさえたどり着ければ、あとは本当に終わりなのか? そんな奴らと一緒に夏祭りに来る理由があるか?」
神崎の指摘に俯いて、思案する紗香。
それを見た神崎は、
(まあこんなの、俺が言えたことじゃないよな――)
そんなことを思っていた。
それぞれ自分のことについて改めて考えていると、背後から声がかけられた。
「おい紗香ー! 見ろ!」
繚介だった。
後ろには仏頂面の雨宮が付いてきている。
「お前らっていつもセットだよな……」
(そして雨宮はまるで金魚の糞のようだ)
「そして雨宮はまるで金魚の糞のようだ」
「考えてることそのまんま声に出てるよ……」
雨宮が呆れたように言う。
一方涼介は、両手に持った小さなビニール袋を紗香に見せつけていた。
「見ろー! こんなに沢山取れたぞー! すごいだろ!」
紗香は持っていたりんご飴を反射的に雨宮に渡して、袋を受け取った。
二つの袋の中には、大量の金魚が入っていた。出目金だ。
それを見て、雨宮が訊く。
「お前、それいくら使った?」
「四五〇〇円ちょっと」
呆れた神崎と雨宮は、まったく同じタイミングで額に手を当て、過剰なリアクションをしてしまう。
そんなことをしていると、また背後から新しい声がかかった。
「あれ、紗香?」
「あ、結実……と、伊賀さん?」
振り返ると、そこにいたのは制服を着た女子高生。
縁のないベージュの丸眼鏡をかけていた。
そして更にその隣には、黒い和服を着た忍者のような女――伊賀京子がいた。
彼女は、紗香の目の奥をじっと見つめている。
「なんだ、友達か?」
と神崎は紗香を見た。
「えっ、えっと……たぶん、そう……」
なぜか
「友達とバッタリか。すごい偶然だな」
と雨宮が呟くと、繚介はそれを否定して、
「偶然じゃぁねえぞ。俺が呼んだんだからな」
「そうなのか」
そんな会話をしているなか、結実の興味は紗香の両手に向いた。
「すごい量の金魚! これ全部飼うの?」
「いや、まだ決めたわけじゃないんだけど……」
紗香は困ったように頬を掻く。
そこで何かに気付いた結実は後ろに一歩下がって、小鳥みたいに首を傾げた。
神崎と雨宮を手で指し示し、
「えっと……ところで、そちらのお二方との関係は?」
「「赤の他人だ」」
二人同時に答える。
赤の他人がなぜ一緒に行動しているのか。結実は一瞬戸惑いを見せたが、
「へー、たぶん複雑ながらも強い絆で繋がり合い、大きな目的のために結成された、ただの家族や親友とは違う特別な集団なんですねー」
結実は目を丸くして、強引に答えをまとめてみせた。
繚介はなぜか彼女の言葉に感動して、手を握った。
「そう。それこそが俺たちのテーマだ。コンセプトとも言えるな」
「へえ、コンセプトなんかあったんだ、俺ら」
雨宮はそう呟いて、りんご飴に
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