第11話 大脱走計画(企画倒れ)/Retain

 神崎は自室のベッドで微睡まどろんでいた。

 昨日はこの家に来たばかりで色々と慣れていなかったので、あまり休むことはできなかったが、この家で一日を過ごした今、神崎の気は完璧なまでに緩みきっていた。

 そして何よりも、


(昨日の夜、遊びすぎた……)


 あんなにもはしゃいだのは学生の頃以来――いや、学生時代もあんな馬鹿騒ぎはしていないだろう。

 特にあのヘンテコなボードゲーム――〈全面戦争オール・アウト〉は大盛況だったし、今でも目を閉じると瞼の裏でゲームが始まりそうだ。


(あとで読んでみるか、あの鈍器ルールブック……)


 そんなことを考えながら、豪快な欠伸あくびをする。


「ふわ……」


 現在の時刻を確認することすらせずに布団をかぶり、寝る。こんなにも幸せなことがほかにあるだろうか。


「どんだけ寝るんだよ。引くわ」


「うわっ」


 神崎はベッドから転がり落ちた。

 絨毯に寝転がったまま見上げると、掛け布団の上には雨宮が座っていた。


「おお、帰ってたのか。あめみや」


 帰ってきていたことにまったく気づかなかったので、もしや監理局で教え込まれた暗殺の技術か何かを応用して、誰にもさとられないように帰宅しているのかとも思ったが、神崎はすぐにその考えを打ち捨てた。和泉の家が広すぎて、部屋の中にいると玄関の物音がまったく聞こえないのだ。神崎の住んでいたアパートでは考えられないが、この豪邸であればそういうこともうなずける。


「ただいま。ちなみにあめみやじゃなくてあみやな」


「へえ。漢字はどうやって書くんだ? ベタに米国アメリカアメ?」


「あめじゃないって言ったし、そんな書き方はベタじゃない」


「なんで俺の寝床に這い寄ってきてんだよ」

 

 雨宮は、話の流れをぶった切っての非難するような問いかけに呆れたような顔をしたあと、神崎に着替え一式を差し出した。


「ん? なんで着替え?」


「なんか、皆で夏祭りに行くらしい。繚介が言い出した。俺たちも来いってさ、どうするよ?」


「どうするったって、俺は家から出たらまた電流が――」


 言いながら首元に触れて、チョーカーが外されていることに気づく。


「特別に外すことにした。和泉や繚介と一緒なら、もし監理局に襲われそうになってもなんとか対応できるってことらしい」


 ということは、今の神崎は完全に自由だ。夏祭りに行く行かないも勿論自由だし、チョーカーのない今なら――この家から逃亡することだって出来るわけだ。


「チョーカーないからって、あの二人からは逃げ切れないと思うぞ」


「おい、人の思考を読むな。そしてその上、真っ向から希望を否定するな」


「別に逃げたきゃ逃げればいいさ。その決断には俺も賛成するし、手伝ってやるよ」


 これは意外な返答だった。

 神崎の逃走を手助けしてくれるとは、雨宮は和泉兄妹のことをさほど信頼していないということなのだろうか?


「でもあいつらは――特に妹の方は、かなり執拗だし強引だぞ。逃げ切れないよ」


 それはまあ想像がつく。

 だが、このままずっと和泉家にいられるわけでもないのも事実だ。最初から、自宅が焼失したので一日泊めてもらうだけのつもりで、このまま和泉家の居候になるつもりはなかったのだ。これからは和泉家ではなくどこかのホテルに泊まるなりすればいい。多くはないが、倹約すれば生活できるぐらいの貯金はある。その上で働いて得た金で、また新たに家を取り戻せばいい。

 それに、そもそも神崎の自宅が焼失したのは紗香の所為ではないか。

 考えれば考えるほど、この家に居続けることへの不安が募る。

 結局、なにを選ぶべきなのだろう?

 選択肢が脳裏にちらついている。


 A.夏祭りに行く

 B.夏祭りには行かない

 C.このまま逃走する

 D.雨宮に真実を告げる。


「Dだ。俺、お前が好きだ」


「はい?」


「すまん嘘。Cだ。一緒に逃げよう、太陽が沈まない方へ」


「愛の逃避行に誘われてるわけではないよな? 前後の繋がりが気になるんだけど」

 

「いいから逃げるぞ」


「はいはい」


 窓辺のカーテンを開けると、あたたかい夕陽が部屋の中に溢れ出してきた。

 一度だけ部屋の中を振り返る。廊下で、紗香と繚介の会話する声がした。 

 

「行くか」


 窓から外に出る。裸足で触れる芝生の感覚がこそばゆい。

 家は、大きな塀に囲まれていた。垂直に高くそびえ立つ塀を登るのはほとんど不可能に見えたが、真正面に玄関から出るのは心許無ここもとない。あの兄妹のことだから、神崎の無断外出を妨害するためのセンサーなりが設置されているのは確実だ。

  

「ほら、乗れ、神崎」


 雨宮が、塀の側に立って屈んでいた。


「持ち上げるから、俺の肩に乗れ」


「でも、お前はどうするんだ?」


「俺はお前みたいに軟禁されてるわけじゃないから。後でなんとかするよ。ほら、早くしないと見つかっちまうぜ」


 神崎は急かされて雨宮の肩に乗った。


「ゆっくり立つぞ」


 ぐぐぐぐぐぐ、と持ち上がっていく。雨宮の肩はそれほどがっちりしていなく、ぶるぶると震えていた。あまり良い足場とは言えなかったが、ギリギリ塀の上に届く高さにまでは無事に持ち上がった。神崎は腕を伸ばして塀の上に手をかけ、腕の力だけで身体を引き上げる。

 視線を上げると、そこにはゆらゆらと揺れる布のカーテンがあった。


「あァ? なんだこれ?」


 視界を遮っている邪魔な布を摘まんだ瞬間、顔面に強い衝撃が響いた。


「――ッガ⁉」


 後ろにぐらついて、雨宮ともども芝生に倒れる。

 

「なにやってんの? あんたたち」


 見上げた塀の上には、仁王立ちする小さな影があった。紗香だ。

 神崎が摘まみ上げようとした布は、スカートだったようだ。大胆なスリットの入った黒いロングスカートで、その隙間からは健康的な太ももと脚が覗いている。


「い、いや、暇だし二人で訓練でもしよっかなぁ、とか……」


 雨宮が上擦った声で弁解する。もちろんこれは嘘だ。


「暇って、どこが暇よ? もうすぐ出るから準備しなさい。あとあんたは早く着替えて」


 言って、紗香は神崎を指差す。


「俺に行く以外の選択肢はないんだな」


「当たり前よ」


 我らが救世主様は、かなり横暴な人格のようだ。

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