第10話 親友の盟約/Rely
昼休み。
クラスメイトたちの誰もが、転校生を好奇心の檻に閉じ込め尋問しようと画策しているなか、伊賀響子は見事に彼女たちの視線をすり抜け、学食や他教室へと移動する人の流れに紛れて姿を消していた。
結実もそのことに気がつくと同時に、響子以外にももう一人、今日は姿の見えないクラスメイトがいることに気づいていた。
和泉紗香が、教室にいない。
*
屋上に続く階段を、駆け足気味に上っていく。
普段ならばその先は行き止まりになっているはずだった。なんでも過去に飛び降り自殺をした女生徒がいるとかで、それ以降は屋上に出る扉はいつも固く閉ざされているのだ。
紗香はためしに扉を押してみるが、それはやはり開かなかった。
向こう側から押さえつけられているような、強い抵抗を感じる。
紗香はスカートのポケットから封筒を取り出した。丁寧に開封された開け口から中身を出し、再度確認する。
『屋上にて待つ』
恋文というにはあまりに簡素な文字列だ。
その上、極めて短いその一文は、筆致からして毛筆で力強く書かれている。
改めて紙の裏表を確認してみるが、差出人の名前はどこにも書かれていない。果たして、これは本当にラブレターなのかどうか。
紗香は手紙を封筒に戻してポケットにしまった。
今度はもっと力を入れて、より強く、屋上の扉を押してみると――開いた。
いきなり風が吹き込んできて、思わず目を閉じる。
どうやら感じていた抵抗は、風によるものだったらしい。
目を開けると、人の影が見えた。
女の子だった。
長い黒髪が、風に
大きな黒い瞳が、紗香を射止めた。
「……伊賀さん?」
彼女の目は凛々しくも、どこかに空虚をたたえていた。
一種の諦観にも似た、虚無。
まるでそこに眼球がなく、ただ穴が空いているだけのような錯覚に囚われる。
彼女の目がゆっくり一度まばたきをするまで、紗香は歩を進められなかった。
「あなたよね。わたしに、この……手紙、を書いたのは」
ラブレター、とは言えなかった。
「……ああ」
響子は小さく頷く。
物静かなタイプ。紗香はこの手の人間を相手にするのはあまり得意ではない。
「それで……わたしをここに呼び出した用事っていうのは……?」
「仲間が欲しい」
「なかま」
予測外れな言葉に、紗香はぽかん、と繰り返してしまう。
それに対して、響子は静かに頷くだけ。
「えと……〝仲間〟っていうのは、友達のことかしら?」
「……そんなようなものかもしれない」
紗香は頬をぽりぽりとかき、
「じゃあ……とりあえず、わたし達はもう〝
「ああ、頼む」
気がつくと、響子は紗香の手を両手で包み込むように握っていた。
顔に出る感情は少ないが、その内面では意外と喜んでいるのかもしれない。
しかし、いつの間に手を握られただろうか。
なんとなく引っ掛かったが、響子がすぐに手を離すと、紗香は平然と扉の方へ向かっていった。
「それじゃ。お昼ご飯、食べないとだから」
屋上扉の前まで歩いて、紗香はさっと振り返る。
「どうしたの? お昼ご飯、一緒に食べましょう」
響子は躊躇いがちに頷いて、紗香に付き従う。
紗香だけが先に校内に入った瞬間、響子はポケットから取り出した端末に、一言だけ呟いた。
「こちら神風、レッドプレデターとの接触に成功――」
*
食券販売機の前には長蛇の列が出来上がっていた。
屋上で話していた分、食堂に来るのが遅くなってしまったせいだ。
紗香と響子の順番が回ってきたときには人気のメニューはもうなくなっていて、売切のランプが点灯していないのは『たぬきうどん』と『たぬきそば』だけだった。
響子は無言で券売機に硬貨を投入し、『たぬきうどん』を選んだ。
「伊賀さんはうどんが好きなの? わたしはどっちかというとそば派」
「……」
沈黙。
響子はもう一枚硬貨を投入して、今度は『大盛り』の食券を買った。
「へえー、伊賀さんは大盛りにするんだ。わたしも大盛りじゃないと足りないわ」
「……」
沈黙。
響子はまるで亡霊のように暗く無言で、紗香は白けた気まずい沈黙に耐えられなくなりつつあった。
間を埋めるために喋り続けるのも、そろそろ苦しくなってきた。
そんなふうに紗香が困っていると、思わぬ助け舟が訪れた。
それは、聞き慣れたクラスメイトの声。
「紗香、ここに来てたんだ」
紗香の唯一の友達ともいえる存在、篠塚結実った。
食堂のテーブルでオムライスを食べながら、こちらに手を振っている。
響子が食券をたぬきうどんに替えるのに付き添ったあと、彼女の元へ。
紗香は自分で作って持ってきた弁当を広げた。
三人での昼食。
なんとその間、話題が尽きることはほとんどなかった。それはひとえに、結実のコミュニケーション能力のおかげである。
部活の話。課題の話。音楽、ファッション、映画……。
よくこんなにも多くの話題を引き出せるものだと、紗香は彼女を心から尊敬していた。
彼女がいてくれたおかげで、無口な響子と会話する労力はかなり軽減された。
響子の方も、表情の大きな変化は相変わらず少ないようだが、どこか楽しそうな目をしている気がする。
結実は、響子を見て訊いた。
「ねえ、響子ちゃんは友達欲しいんだよね?」
「……」
無言で頷く響子。
結実は満面の笑みを浮かべ、こう言った。
「それ、わたしも手伝わせてもらっていいかな?」
*
「部活に入れば、友達もつくりやすいはずっ」
というのが、結実の提案だった。
ありきたりだが、極めて安定感のあるアイデアだ。
帰宅部の紗香だけでは、その発想に辿り着くことはできなかったかもしれない。
彼女の提案にしたがって、放課後は三人で響子の部活動を探すことになった。
はじめに響子の意向を訊いたが特にないということなので、三人は結実の所属している美術部に向かった。
体験として響子がデッサンをしている間、結実は美術部員の武田と話していた。
「今日も白石先生、来てないの?」
「そうっぽい。昨日の美術の授業でも先生いなかったし、どうしたんだろね?」
「さあ……?」
突然、ガタッという大きな音がして、二人は音のした方を振り向いた。
響子が筆を置いていた。描き終わった、ということらしい。
武田がカンバスを覗き込む。
「これは――」
そして、唸った。
数秒間じっくりと言葉を選んで、一言。
「かなり……個性的ね」
覗き込んでみると、確かに個性的な絵ではあった。輪郭は歪んでいて、色彩も妙に黒ずんでいる。
歪みきった世界に対する、絶望と憎悪を感じさせた。
「ま、それでも楽しめるなら続けたほうがいいわよね!!」
紗香はぱん、と手を叩いてフォローにまわる。
「……」
響子は、瞑想をするように目を閉じて黙り込んでいた。
「……あまり楽しくなかった、ってことでいいんだよね……?」
なんとなく結実が感情を読み取る。
美術部はなしということになった。
――占い研究会。
薄暗い教室に、眼鏡をかけた大人しそうな女生徒と紗香が二人きり。
なぜか一人ずつ占われることになったのだった。
大きな帽子とマントを身に着けて魔女のような恰好をした部長は、青白く光るオーブに手をかざす。
本当に魔法を使えるのではないかとつい思ってしまうほど、その姿は画になっていた。
しばらくして、がっ、と目を見開き、紗香を見た。
「貴方……気を付けたほうがいいですよ。貴方の心の内側には破壊衝動が渦巻いています。道を誤れば、邪神に呑み込まれるかもしれないです……それも、最も業の深い、親殺しの炎の邪神……」
「……へ、へえ……炎の邪神、ねえ」
紗香の全身から嫌な汗が吹き出す。
困惑しながら教室を出たときには、残りの二人も神妙な面持ちで待ち構えていたが、何を占われたのかは訊かないでおくことにした。
響子の部活探しは、西日が傾きはじめるころまで続いた。
――剣道部。
最終的に響子がいちばん気に入ったのは、剣道部だった。
防具を身につけ、夕陽をバックに竹刀を構えて真っ直ぐに立つその姿は、とても様になっている。
そしてその足元では、同じく防具を身につけた男子部員がうずくまっていた。
「あの先輩が……負けた……!?」
観戦していた結実が嘆く。
突然現れた最強の剣士に、部員全員が好奇の視線を集中させた。
「竹刀なら何度も扱ったことがある。これなら簡単だ」
言って、響子は竹刀で空気を切った。
ひゅんっという軽快な音がする。
響子は床の上にうずくまる彼を見据えた。
「だが、剣道というのはあまり実戦向きではないな。もっと踏み込んで、実践的な戦い方も身に着けるべきだ」
「なん、だと……!!」
その言葉に衝撃受けた部長はすぐさま立ち上がり、響子にずんずんと歩み寄った。
部員たちを前に見下したような発言に彼の権威も失墜し、ついに憤怒するかと思いきや、
「――剣道とは、礼に始まり礼に終わるもの……。伊賀響子、君の実力は確かだ。是非剣道部に入部してほしい」
言って、響子に手を差し出していた。
一方響子は、差し出された手を前に一瞬迷いを見せる。
先輩の顔を一度ちらりと見た後――その手を握った。
こうして響子の友達作りは無事に一歩、前進したのであった。
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