第7話 救世主の贖罪/Recalling

 十数年前から、監理局は特別な資質のある子どもたちを探していた。

 膨大な情報網から目当ての人間を見つけ出せば、彼らはを手に入れるためにあらゆる手を尽くした。身寄りのない者は拉致し、そうでない者を見つけたときは、その保護者に多額の報酬を用意し買い取った。

 和泉紗香と和泉繚介も、そうして両親に売られた子供たちだった。

 紗香は、自分が両親に売られたということを監理局の施設に入ってから知らされたとき、両親にとって自分の存在は邪魔でしかなかったのだろうと思った。

 紗香の生まれた家庭は、ひどく貧しかった。

 生涯で得られる収入の数倍以上もあったであろう報酬に、両親は嬉々ききとして二人の兄妹を売り飛ばしたことだろう。邪魔者は消え去り、そのあとは一生遊んで暮らすだけでいいというのだから、両親からすれば予想だにしなかった好機である。

 だが、和泉兄妹にとって残酷な現実は、まだその先にも待っていた。



「――別にわたしは、顔も覚えていない両親のことを憎んでもいないし、他の人を羨ましいとも思わない。最初から持っていなかったものは、それは失ったとは言わないから。わたしにとって本物の地獄は、その先にあった――」



 二人は両親に売られた後、監理局の特別な施設に収容された。まず最初、そこでは超能力を〈覚醒〉させるための薬を何種類も摂取させられた。数週間、薬の味しかしないような食事を出され続けたこともあった。その間、二人の身体は薬物の大量摂取に拒否反応を起こし、独房のような室内でひたすらのた打ち回った。地獄の数週間を乗り越えると、今度は薬の摂取が突然断たれたせいで身体が禁断症状に陥り、もう数週間のた打ち回った。

 そんな苦痛を味わってもなお、不運にも薬に適応してしまった和泉兄妹を監理局は薬の実験台にするだけでは済まさなかった。 

 機関の目的は、超能力兵士の開発である。

 二人はそれぞれ別々に発現させた能力に最も適した殺しの術を教育させられた。

 初めて〝教育〟を受けたとき、紗香はまだわずか五歳だった。

 正常な教育も受けていない彼女は、倫理も道徳も善悪の判断も正しくつけられぬまま、ただ教官からの〝しつけ〟を恐れて、狼も牛も豚も人間も等しく、確実に指示通りに殺した。

 彼女には、その才能があった。

 繚介の〈予知〉の能力とは違い、彼女の〈発火〉の能力は基本的に隠密性よりも攻撃性が高い。だから彼女に求められた殺しの術は、正面から敵を抹殺するという至極単純なものであった。

 倫理観をまともに育まれていない彼女だからこそ、湧き上がる野性的な破壊衝動のままに、ありとあらゆる標的を殺すことができた。

 そんな彼女の噂は施設の中でもすぐに広がり、収容された超能力者たちだけでなく、施設の諜報員アセットたちまでもが彼女に恐怖した。

 しかしその一方で、たった一人だけだが友達をつくるチャンスもあった。

 紗香と同い年の女の子。

 被験体同士での会話は禁じられている食事時間、少女は紗香の隣に座り、耳元で小声で言った。


「あたし、〈エリクシア〉ってゆうの」


 少女の舌足らずな喋り方にはあまりに不適格で、大仰な名前。

 当然それは、彼女の本名ではなかった。

 監理局が被験体に与えたコードネームだ。


「きみのなまえは、なんてゆうの?」


「……れっど、ぷれでたあ」


 エリクシアが彼女――〈レッドプレデター〉に接触したのは、施設内での紗香の脅威を笠に着ようと企んでいたからだったのかもしれない。

 幼い外見に反して、狡猾とも言える処世術。

 しかし、彼女の真意はわからないままだった。

 彼女に話しかけられた翌日、紗香の独房に現れた教官――レインバードが指令を下した。


「本日は、被験体ナンバー135〈エリクシア〉の耐久力テストを行う」


 エリクシアの能力は、超人的な自然治癒能力。

 その限界を調査するため、紗香の発火能力を最大限で彼女にぶつける。

 それが二人に与えられたその日の仕事だった。

 しかし、紗香の能力に耐えられる者などいるはずがなかった。

 まだ不安定な彼女の能力の、その最大火力の攻撃を受ければ、どんな治癒能力者でも確実に、死ぬ。

 幾度となく二人の能力を調査し、記録し、そして目の当たりにしてきた研究員たちも、そんなことなどわかっているはずだった。

 そのときの紗香にはわからなかったが、監理局がそう指令するに至った理由が、一つあった。

 当時、施設では被験体の収集が最も盛んであり、異常な能力を持った人間は爆発的に増えていた。その大半は子どもが占めているとはいえ、なかには強大な可能性を秘めている者もいる。

 もしもそのような能力者たちが一斉に反乱を始めたりすれば、その脅威度は未知数だ。

 だから研究員たちは、彼らの心を、より決定的に折る必要があったのだ。

 役に立たない被験体や潜在的反乱者を見つけ出しては、警告の意味を込めた見せしめの処分を実行する。

 エリクシアは、その見せしめに選ばれたのだった。



「それで、お前は……」


 神崎は、お前は友達を殺したのか、とは聞けなかった。

 うまく言い換えられる手段を探しているうちに、紗香は言った。


「わたしは――」


 神崎が、ごくり、と唾を飲む。


「――わたしは、やりたくないって言った。人生で初めて、命令に背いた」

 

 聞いて、神崎は安堵する。

 彼女は殺さなかったのだ。

 施設のなかで初めてできた、唯一の友人を。



 監理局が紗香にエリクシアを殺すよう指示したのには、もう一つ目的があった。

 超能力の強度と、その行使者の神経細胞ニューロン発火パターン――すなわち行使者の精神状態との間には密接な関係があることを見出した監理局の新しい実験方針が、その指令には組み込まれていたのだ。

 超能力行使者の精神を限界まで破壊するための実験。

 紗香はその最初の標的になった。

 しかし、彼女の反抗により監理局は壊滅的状況に陥った。

 監理局が最も危惧していた事態、結託した超能力者たちによる反乱が起こったのだ。

 紗香が兄とともに施設を抜け出したのも、ちょうどその日のことである。

 その後、兄妹は路上生活を何年も続け、今に至る。

 数十もの命の犠牲の上に彼女は生き残った。

 そんな激動の人生のなか、紗香の心は、静かに壊れていった。



「――わたしの話は、これでおしまい」


 紗香が話し終わった後も、神崎はなんの言葉も口にできずにいた。

 いまの彼女にかけるべき言葉を見つけられない。それに値する経験も知識も持ち合わせていないように思えた。

 暗い記憶を語る彼女の淡々とした声風こわぶりを聞いていると、慰めの言葉すらも、軽薄けいはくになってしまいそうで。

 結果、神崎の言葉は、ただ彼女に尋ねるだけに落ち着いた。


「それで、その娘とは……?」


「エリクシアとはあれ以降は、一度も会っていないわね。でも、今でもよく夢に見るわ」


「さっきも、その娘の夢を見てたんだな」


 紗香は静かに頷く。 


「わたしや繚介やエリクシアみたいな人が今でも施設には沢山いて、みんな苦しんでいる。その人たちを助けなきゃいけない。わたし一人だけが助かるわけにはいかないのよ。それが――それこそがわたしの使命であり、贖罪しょくざいなの」


 紗香は自らの決意を示すように、その場に立ち上がった。

 神崎よりも二十センチほど低いはずの背が、そのときばかりはとても大きく見えた。


「だって、わたしは――」


 紗香は振り返って、神崎を見た。


「――だって、わたしは救世主だから」


 その凛とした目は、決して冗談を言っているようなふうではなかった。


「でも……戦うのは怖くはないのか?」


 神崎の問いに、紗香は即答する。


「怖いわよ。すごく。でもそれは別に、死ぬことが怖いわけじゃないの。いまのわたしはそれよりも、世界の誰も救えなかったときの方が、もっと怖い。それはわたしが、世界に与えられた使命を全うできなかったってことだから。わたしが世界に、これ以上は必要とされなくなるってことだから。……罪を、償えなくなるってことだから」


「お前は、罪を償わなければいけない人間なのか?」


「……どういうこと?」


「お前は、罪を犯したのか。お前はただ、両親に売られて施設に収容されて、人を殺すように命令されただけじゃないか」


 紗香はほんの少しだけ、柔らかい笑みを洩らした。


「繚介も同じこと言ってたわ。あなた、な石頭くんだと思ってたけど、意外とインテリジェントなところがありそうね。チームリーダーが直々に誉めたげる」


 言って、頭を撫でてくる。

 彼女の手には、間違いなく人間の体温があった。

 神崎はそれを突っ撥ねることも、避けることもしなかった。


「……茶化すなっての」


 紗香は撫でるのをやめて、両手を腰に当てて言った。


「過程がどうあっても関係ないのよ。わたしの犯した罪はそれぐらい重大なものなの。多くの人の命を奪ったこと、他者の安穏を侵害したこと、それ自体が罪なの。これが、命題その一。すべての殺生せっしょうは罪である」


 ぴっ、と人差し指を立てる紗香。

 そしてそのまま中指も立てて『2』を表す形をつくった。


「命題その二。罪は償わなければならない。これは言わずもがな、あなたも同じような考えじゃないかしら?」


 神崎は頷いた。

 罪を消すことは許されない、それは神崎の信条とも言える、絶対的な理論体系であった。


「以上二つの命題より、わたしは罪を償わなければいけない」


 己の罪を、理路整然と彼女は語る。

 冷徹な三段論法が導出する、至極妥当な論理的帰結。

 そこには他者を圧倒的に説き伏せる力があって。

 世界は、人間をあらゆる方向に、抗いようもなく押し流す。それが悪徳に向いていたときにその報いを受けるのは、倫理を踏み越えた人間の方だ。

 その線引きは、恣意的であってはならない。

 それは、ときに冷酷で、非情なものにもなり得るということ。

 

「監理局が存在を秘匿しているおかげで、わたしは公的な罰を受けていないだけ。だからその罪は、わたし自身で償うの。……わたしを擁護しようとしてくれるのは正直言って嬉しいんだけどね。あんまり不条理なものばかりを過信しすぎると、いつかは説明がつかくなるものよ」


 そう言う紗香は、あくまで淡々としていた。

 いまの神崎には、罪と罰を一体化しようとする世界の構造全体が、まるで子どもの爆弾ゲームのような、理不尽で曖昧な規則に囚われた、残虐なたわむれのように思えた。


  *


 神崎が繚介の部屋に戻っても、雨宮と繚介はいなかった。

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