第6話 語られる過去/Reveal

 気付けば、すでに日が傾きはじめていた。

 燃え立つような赤い夕映えの光が、窓から差し込んでいる。

 読書に耽る神崎の隣に積み上がっているのは……四冊もの官能小説。

 当然のことながら、すべて義姉ぎしもの。

 朝からずっと読み耽っていた。

 しかし、数年ぶりの長読書でさすがに目が疲れた。

 神崎は一度、本から目を上げる。

 すると、開け放たれた扉の前に――幽鬼の如く立ち尽くす影があった。

 窓からの陽光は影にはとどかず、薄暗い廊下に立つ者の視線だけを感じた。

 その視線は、神崎の手元に集中している。

 ピンク色の表紙に、見てくれと言わんばかりに誇らしく強調された女の裸体。

 今持っている本のタイトルは……『シス催眠トランス異性体』。

 瞳孔がハート型になった女の表紙ごと、破り捨てる。


「さてと、続きはまた今度」


 大きく伸びをして立ち上がる。

 影は怯えていた。


「お前、用があるなら早くこっち入って来いよ」


 さらに声をかけてやる。もうやけくそだ。

 しばらく躊躇したあと、影は部屋に足を踏み入れた。


「お前が神崎大翔はるとか」


 夕陽に照らし出された影は、学生服を着た知らない男だった。

 二人の間に、微妙な間が流れる。


「いや、誰だよお前」


「……いまから説明するんだよ」


「お前、服装からして高校生か中学生か小学生だろ。間違いなく俺より年下だ。敬語使え」


「中学生はともかく、小学生はないだろ。常識的に考えて」


「俺はその常識が通用しない世界に足を踏み入れているんだ」


「それはまあ、確かに。そうかもな」


「ああ。自分を高校生だと思い込んでる年寄りって説もある」


「リアリティライン下げすぎだわ。どんな適応力だよ」


「で、お前は誰なんだ? 男子高校生の姿をした年寄りか?」


 見知らぬ男と対峙していると、ちょうど紗香が部屋の前を通りかかった。


「彼は雨宮あまみやあきらくん。〈リビルダーズ〉のもう一人のメンバー、有能なスーパーハッカーよ。前線での戦闘員というよりは、サポート係ってとこね」


 それだけ言って、去っていく。

 そもそも紗香が学校から帰ってきていたことすら知らなかったのに。


「おい、待ってくれよ。紗香」


 神崎は紗香を呼び止めた。


「なにかしら?」


 紗香は立ち止まり、振り返る。


「この雨宮とかいう奴は、本当に男子高校生なのか、本当は年寄りなのか?」


「さあ、考えたこともなかったわ」


 紗香はこともなげに答えた。


  *


 帰宅後すぐに制服から着替えた紗香は、なぜかジャージの体操服を着ていた。

 彼女はその恰好で神崎の部屋を訪れると、無言で彼の腕を引いて、とある部屋へと連れていった。

 雨宮とすれ違った際、憐れむような顔をされたのが少し気になった。

 紗香が扉を開けると、そこにもやはり広々とした空間が。

 床はクッション性のある素材で覆われ、大型のエクササイズマシンや、ウェイトトレーニング用の機器が配置されている。ヨガマットやストレッチ用のスペースも確保されており、部屋の隅には大きさの異なるサンドバックがスタンドに掛けられていた。


「……ここは?」


訓練トレーニング用の部屋」


「……なぜ?」


「あなたもいずれ〈リビルダーズ〉の戦力になるんだから。超能力の覚醒はまだまだこれからみたいだけど、護身術ぐらいは身に付けておいてもらわなきゃね」


 紗香はそう言いながら、長い髪の毛をポニーテールにまとめはじめた。


「最初の訓練として、まずは――これをわたしから奪い取ってみてちょうだい」


 そう言って彼女がポケットから取り出したのは、艶消つやけしの黒いハンドガン。


「もちろん実弾は入っていないから、安心して」


 紗香は神崎に銃口を向けた。


「さあ、これを奪い取ってみせて。まずは、あなたの直感センスだけを使って」


 紗香は両手でハンドガンを持ち、神崎の顔面に照準したまま、動かない。


「センスで奪い取る……」


 言われた通りに、神崎は直感に任せて銃身をつかんだ。

 右手で銃身を摑んで、銃口を顔面から左に逸らすように押す。


「こう、か……?」


 銃身を紗香の手から引き抜こうとした瞬間、左肩に衝撃がはしる。


「――ッ⁉」


 動揺する神崎が自分の肩に触れてみると、手のひらに赤い液体が。


「これはペイント弾よ。実弾なら確実に負傷していたわね」


 と紗香は言う。


「そういうのは先に言っとけ。びっくりさせんなよ」


 神崎の不満にも耳を貸さず、今度は、紗香がハンドガンを神崎に手渡した。


「わたしが手本を見せてあげるわ」


 紗香は銃身に手を伸ばす。

 右手で銃身を摑み、銃口を左に押し逸らす。ここまでの動作は、スムーズだが神崎がたのと同じだ。

 ただ一つ違ったのは、その間に左肩を内側に入れていることだ。


「こうしてまとを小さくして、さっきみたいに撃たれるのを防ぐの」


 さらに彼女は次の動作を始める。

 左肩を引き寄せたまま、銃身を摑んだ右腕の下に、左腕を通す。

 そのまま、ハンドガンを握る神崎の手を下から摑んで固定する。


「これで射線から自分の身体を消したまま固定できる。あとは――」


 下腹部に紗香の強烈な蹴りが炸裂し、神崎は怯む。

 握っていたハンドガンは手元を離れ、紗香の手の中に移っていた。


「大体はこんな感じ。これはまだ簡単な方でしょ?」


 紗香は、再び銃口を神崎に向ける。


「今のを受けて再チャレンジ。できるようになるまで毎日やるからねっ」


  *


 繚介の部屋は雑然と散らかっていた。

 食べ物や飲み物のゴミなどは一つとしてないが、床には足の踏み場もなく、机の上には本棚に入りきらない多くの本やCDが積み上がっている。

 まるでおもちゃ箱をひっくり返したような空間に、四人は集められていた。


「お泊り会をするぞ」


 床のものを退かして四人分のスペースを確保しながら、繚介は言った。


「そのためだけに呼ばれたのか、俺は」


 独り言のように呟いたのは雨宮だ。


「つーか、俺が泊まるのはもう決まってるじゃん」


 神崎もそう指摘した。


「そうじゃねーよ。お泊まり会ってのはただ泊まることを言うんじゃない」


「そうなのか」

 

 と雨宮が冷めた声で言う。


「じゃあ、具体的に何をするんだよ」


 と神崎が訊く。

 繚介はニヤリと白い歯を輝かせ、ガラクタの山から何かを引っ張り出した。

 床の上に乱暴に置かれたそれを見て、雨宮が言う。


「それは……オセロ盤?」


「オセロしたいのか?」


 と神崎。

 繚介は立てた指を左右に動かし、チッチッチッと舌打ちする。

 勿体ぶる態度が妹に似ていて可笑おかしかった。


「俺たちがやるのはハイブリッド型――題して〈全面戦争オール・アウト〉だ」 


「なんだそれ」


 そう尋ねる雨宮の目は、ほとんど関心を失った色。


「チェス・将棋・囲碁・オセロ……ボードゲーム間の多元宇宙間戦争マルチヴァーサル・ウォーを題材にしたゲームさ。それぞれ違う論理法則によって演算される各〈遊戯宇宙〉ゲーム・ユニヴァースを独自の解釈によって結合させ、高度に複雑化した駆け引きを創発する」


「それ、絶対滅茶苦茶メチャクチャになるだろ」


 と神崎は意見する。


「いいえ、ちゃんとルールはあるわ。破茶滅茶ハチャメチャではあるけど」


 今まで黙っていた紗香が、ここで意外にも繚介に加勢した。


「お前、このゲーム知ってんのかよ。あと滅茶苦茶メチャクチャ破茶滅茶ハチャメチャは一緒だろ」


 反論する神崎の前に、国語辞典のような巨大な書物がどかりと投げられる。 


「これは?」 


「〈全面戦争オール・アウト〉のルール・ブックだ」


「全部読むのに一週間はかかりそうなんですが」


「まあ分からなくなったらその都度確認すればいい。始めるぞ」


 言って、繚介が本当にチェスやら囲碁やらの駒を出してくる。

 挙げ句、紗香までそれを手伝っていたりする。


「雨宮くんと神崎くんは初心者どうし協力で、こっちと二対二でやりましょう」


 準備が終わると、紗香がゲーム方式を宣言する。


「始まる前の時点で何もかもがカオスだ……」


 無秩序さに戦慄する神崎の隣で、雨宮は律儀にルール・ブックを読んでいた。 


「――僧正ビショップの結界があるから、いけるんじゃないか?」


 雨宮が提案する。


 繚介がダイスを四つ投げて転がす。『5』『3』『-7』『8』。

 敵陣に入った紗香の飛車が龍王に裏返るも、僧正ビショップの魔術で封じられた。

 雨宮の言う通りだった。


「なるほど、コツを掴んできたぞ……」


 神崎の白い碁石が、紗香の黒いオセロ石を挟み込む。

 盤面が対称性を取り戻したことで、ポテンシャルが遷移し碁石は弾き出される。


「チェックメイトだ!」


 神崎が力強く宣言する。


 この戦いは、およそ二時間ほど続いた――。


 *


 深夜、神崎は喉の渇きを感じて目が覚めた。

 場所は神崎の自室ではなく、繚介の部屋。

全面戦争オール・アウト〉を終えたあと、繚介はなぜか散らかっていた部屋中のものを無理やり隅にやって、四人分の布団を用意し始めたのだった。繚介曰く「お泊り会をするぞ」(二回目)とのことだが、その真意は全員が寝静まった現在でも不明である。

 リビングで水でも飲もうと思い、神崎は起き上がる。


「……ん?」


 起き上がってすぐ、異変に気付いた。

 繚介も雨宮も、寝ているはずの布団が空っぽだった。

 トイレにでも行ったんだろうか。


(……まあいいや)


 水を求めて部屋を出て、暗い廊下を歩く。

 窓から星明かりが射し込んでいるが、視線はそれほど遠くまでは通らない。

 神崎は壁に手をつきながら、とぼとぼと歩いた。

 するとリビングに近づくにつれ、ちょうどその方向からかすかな物音が聞きこえるようになっていく。

 神崎はリビングに足を踏み入れようとして、一度止まった。

 部屋の電気は消えているのに、テレビだけがついたままだった。

 ソファに座る何者かの後頭部が、唯一の光源となっているテレビの画面の前にある。


「……なんだ和泉、まだ起きてたのか」


 神崎は言いながら、コップに水道水を入れてぐいっとあおった。

 心臓にみるような冷たい快感。


「……和泉?」


 紗香からの反応が全くないので、少し不安になった。

 ソファに身を乗り出して顔を覗いてみると、


「……すぅ……すぅ……」


「寝てんのかい」


 それは、普段の彼女から覚える印象よりもどこか幼い寝顔だった。

 美少女、だ。

 気持ち良さそうな寝顔を見ていると、神崎はなにかが心を千々に乱していくのを感じ始めていた。こんなにも幼い少女と、自分は同じ一つ屋根の下で生活しているのだということへの罪悪感と、不安と。

 少し考えてみれば当然の感情である。神崎は既に成人していて、一方紗香は高校にも通っているまだ未熟な十代の女の子だ。

 一人で生きていけるとは到底思えないほど、安心しきった静穏な寝顔。

 彼女が昼間には反乱組織を率いて国際機関と戦っているなど、思春期特有の自己陶酔的な幻想としか思えなかった。


「和泉、寝るなら横になった方がいいぞ」


 紗香の肩を揺らして起こそうとする。

 その途端、紗香の目が大きく見開かれ、視線が噛み合った。

 そして、神崎の身体は宙を浮いていた。


「どわああああああああ!?」


 背中に強い衝撃が走って、やっと状況を理解する。

 紗香に首を捕まれ、壁に押しつけられていた。

 彼女の顔と、正面から向き合う。

 大粒の涙が、頬を伝って流れていた。

 憤怒、後悔、憎悪。

 幾つもの感情が複雑に混じったような涙。

 幼い顔立ちがこんなにも歪んでいるのを初めて間近で見て、神崎はどきりとした。

 手に込められた力も尋常ではない。

 こんな少女のどこから湧き出てくるのかというくらい、非現実的な握力だ。

 人を殺すときの、本気の力。

 そういう力だった。

 いくら離れようとしても、彼女の腕はピクリとも動かない。


「ぐぁ……いずみ……」


 絞められた喉から、掠れた声をなんとか絞りだす。

 そこでようやく紗香は我に帰って、手を離した。


「えっと……ごめんなさい、わたし……」


 正気に戻った紗香は後退あとずさって、崩れるようにソファに腰を下ろす。

 神崎は床に崩れ落ちて、空気を精一杯吸おうとして何度も咳き込んだ。

 なんとか呼吸を落ち着かせるまで、しばらく時間がった。


「……ったく。悪い夢でもみたのか?」


 と、彼女の隣に座り込んで、神崎は言う。


「ええ……ちょっと、昔のことをね」


 紗香は遠くを見たまま、目を合わせようとしない。

 神崎は一度ため息をつく。


「にしても、一昨日の戦いっぷりといい、今日のボルダリングといい、お前のそのパワーは一体何処から湧いてくるんだ? 特別な訓練でもしてんのかってくらいだ」


「その裏にどんな事実があっても……あなたは訊く?」


「別に話したくないなら聞かん」


 沈黙。

 テレビに映っているのは、二十年ほど昔のスーパーヒーロー映画。

 ヴィランに追い詰められた主人公ヒーローが、その正体を世間の目に晒し上げられる場面を迎えていた。

 過激な市民たちからの非難を浴びながらも、正義のために立ち上がり、戦いを続ける主人公。

 いい映画だよな、と神崎が言おうとした瞬間、紗香は覚悟を決めたように彼を見た。


「話すわ。わたしの過去を。あなたも〈リビルダーズ〉の一員なんだし、話さないとね」


 言って、紗香は頭の中で言葉を組み立て始めた。

 それを、ゆっくりと声にして紡いでゆく。


「なぜわたしがこんなにも高い運動能力を持っているのかっていう話だったわね。質問の答えから言えば、多分それは、わたしが〈監理局〉の訓練を受けたから」


 彼女が昨日語った話では、人類危機監理局は、〈リビルダーズ〉の敵対組織だったはずだ。

 その元で訓練を受けたということは、何を意味するのか?

 紗香は順を追って、説明を始めた。

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