Day 02

第4話 新生活/Restart

 終わりの始まりは、あまりにも突然のことだった。

 何もかもが吹き飛ばされて、空の彼方へ消えていく。

 その空さえも、硝子のようにひび割れていて。

 辺りに響き渡るのは、けたたましい騒音。

 それは誰かの泣き声――ではなく、どこか懐かしい単調な音楽。

 神のつかわしめの如く、空の隙間から地上に降り立ったのは……頭上に、巨大なリーゼントヘアを携えた――


(ヤンキー……?)


 目を開く。

 やけに天井の高い部屋。

 状況を理解するのに、しばらく時間が要った。


(今のは……夢だったか……)

 

 少なくともまだ世界は終焉を迎えてはいないし、巨大なリーゼントヤンキーの姿も見えない。

 そして神崎はいま、寝心地のいいベッドの上。


「おはよー神崎くん。もう八時よ」


 大きな目が、顔を覗き込んでそう言った。

 和泉紗香。

 神崎が居候することになった家の主にして、その最大の原因でもある女。

 神崎の母校と同じ、見覚えのある校章が刺繍された制服の上に、パステルカラーのエプロンをつけている。

 そして手に持っているのは、真鍮しんちゅう色に輝く何か。

 それは、スプレー缶の上にラッパがついたような形状の、エアーホーンと呼ばれる玩具オモチャだった。

 暴走族がよく「パラリラパラリラ……」と音楽を流したりしている、あれだ。


「あの騒音とヤンキーは、お前のせいか」


「……なんの話?」


「あの夢が、すべて俺の脳によって生み出されたわけじゃなくてよかった。まじ安心」


「あっ。もしかしてこれのこと?」


 紗香は閃いた顔をしてホーンを近づけてくる。

 そして鳴り響く轟音。しかも今回は耳元で。 


「う、うるさいっ!!」


 神崎は両耳を塞いで、枕に顔を押し付けた。


「ってか、そんなもんどこに売ってるんだっ」


「ドンキ」


「売ってそー」


 全体的に会話が要領を得ていない。

 まだ眠気が覚めていないのだ。


「もう朝ごはんできてるよ?」


「わかった……いま起きる」


 仕方なくベッドから起き上がって、紗香と並んで廊下を歩き始める。

 廊下は異様に長く、左右には部屋がいくつも並んでいた。

 和泉紗香の自宅は、大豪邸と言って差し支えなかった。

 六畳一間のボロアパートとは大違いだ。


「つうか、なんでエアーホーンなんだよ」


 歩きながら言うと、紗香はむっとした表情で、


「あのねえ……あなたはもう〈リビルダーズ〉の一員、れっきとした戦士なの。朝はちゃんと起きてもらわないと、困るわ」


 と説明した。


「……あれ? いまなんでエアーホーンで起こすのか説明したか? 俺が聞き逃した?」


 聞いた途端、紗香はさらに不満そうな顔になり、早足で神崎の前を歩きだした。

 しばらく会話もなく歩いて、二人はリビングルームに出る。

 単なるリビングルームというよりは、ダイニングルームと一体化したような形式。

 その分部屋の総面積は広く、開放感があった。

 二階の一部分は吹き抜けになっていて、上方向の開放感まできちんと確保されている。

 兄との二人暮らしとは思えない。


「お前ん家って、部屋何個ぐらいあんの?」


「しらない。二十個ぐらい?」


 卒倒するかと思った。

 自分の生活が惨めに思えてきそうなので、あまり考えないでおくことにする。


「神崎くんは座っておいてよ」


 神崎が言われた通りにテーブルの席に座ると、その間に紗香はキッチンの方に行って、飲み物か何かを準備し始めた。

 テーブルの上にはすでに今日の朝食が。

 カリカリに焼かれたトーストと、ソーセージと目玉焼き。それと、ブロッコリーとトマトとキャベツのサラダがあった。


「これ、お前が作ったの?」


 キッチンにいる紗香に訊く。


「そ。繚介りょうすけと一緒にね」


「はあ」


 朝食のメニューまで洒落ている。

 それがなんとなく気に食わなくて、神崎はわざと行儀悪くトーストにかぶりついた。

 一口噛むと表面は意外に硬くて、粉をボロボロと皿の上にこぼれ落としてしまう。

 香ばしいバターを中まで含んだふっくらとした生地を咀嚼しながら、こんなにも健全な食事をするのは何年ぶりだろうかと考えた。

 

「……美味い」


 朝はあまり食欲が湧かないたちの神崎でさえ、料理を口に運ぶ手が止まらない。

 そうして美食を堪能していると、突然背後から首に何かを着けられた。

 それはチョーカーのような形をしていて、金属的な冷たさがあった。


「あ? なんだこれ」


 彼と向き合う席につき食事を始めた紗香に、訊く。


「あなたがここから逃げ出したりしないよう、念のためね」


 具体的な説明はせずに、紗香はトーストをかじった。

 神崎も追及はやめて食事に手を出そうとしたとき、奥のキッチンから出てきた繚介が、なぜか神崎の前だけに大きなグラスを置いた。

 中に入っているのは、緑色をした禍々しい液体。


「これ……何入ってんの?」


「スムージー」


 食事の手を止めずに、紗香はぶっきらぼうに答えた。


「なんで、俺の分しかないの?」


「……ふっ」


 なぜか今度は、紗香に満面の笑みを向けられた。


「ま、男らしく飲み干せや。さすがに毒を盛ったりなんかしねえよ」


 繚介が肩を組んで言ってくる。

 口元にグラスを差し出され、神崎は内容物を飲んだ。

 何しろこのスムージーはそこはかとなく呪術的な霊力を感じさせるが、ほかの料理に関して言えば出来は完璧だったし、確かに美味うまいのだ。

 だからきっと、このスムージーだって――


「ぶっっっっっっ!!」


 ――盛大に吹き出した。

 緑色の液体が、紗香の顔面に集中放水される。


「まっっっっっっず!!」


 禍々しい見た目の液体は、その味も悪魔的だった。 



 朝食後、神崎は与えられた自室に戻った。

 あの謎スムージーは、結局無理やり飲まされた。

 未だに胸焼けがする。気分がよくない。 

 出窓になった部分に腰かけて、外を眺めてみる。

 なんとなく心が落ち着かない。

 それはきっと、共同生活に慣れていないから。

 繚介に借りた服のサイズが、少し大きすぎるから。

 窓を開けると、涼しい風が吹き込んできた。

 なぜか誘われているような気がした。


(少し、外を歩くか……)


 必要最低限のものだけを持って、玄関へ。

 まだ雨に濡れてから乾ききっていない靴を履く。

 扉の向こうに広がるのは、目が痛くなるほどに晴れ渡った青い空。

 水溜まりに反射して、空が地上に降りてきていた。

 広い芝生の庭にはテラスもあって、丸テーブルと椅子が置かれていた。

 庭を横切って、その外側へ向かう。

 ほんとうに広い庭だった。

 まだ、中央を超えた辺り。

 さらなる一歩を踏み出そうとして、そして、


「ぐがががががががが!!!!!!」


 断末魔の叫びをあげて、倒れた。



 紗香と繚介が神崎を発見したとき、彼は地面に転がって悶え苦しんでいた。

 目は白目を剥き、口から泡を吹いていた。

 全身をピクピクと痙攣けいれんさせている。

 その姿は正直に言って……無様で滑稽だった。


「神崎くんって……実は人間じゃないとか?」


「んなわけがあるかっ!!」


 怒声と共に勢いよく起き上がる。


「うわ、元気だなお前」


「意外とまだ生きてたのね」


 平然と言う兄妹に、蹴りの一発でも入れてやりたい。

 紗香は、指で神崎の首に着けられた装置ををつっついて、


「だから逃げ出さないように着けたって説明しておいたじゃないのよ。この家から離れようとしたら、電流が流されるように仕組んであんの」


「電流の話は初耳だ!! アホ!! 殺す気か?!」


 首元のチョーカーは熱くなっていた。


「大丈夫よ、一回程度では死なないように作ってあるから。でも二回目では死ぬかもね」


 紗香の言葉にはもはや怒りを通り越して、ただ恐怖に震えるのみである。


「じゃあ、わたしたちもう行ってくるから」


 言って、神崎とすれ違いに通りすぎていく二人。


「どこに?」


「学校よ学校」


「お前らは外出できるのに、俺は無理なのな」


「だって、あなたまだ訓練も何も積んでないでしょ? わたしたちは襲われても自分でなんとかできちゃうんだから。仕方ないわ」


 神崎は言い返す気も起きず、黙りこくった。


「あ、それと昼食にサンドイッチ用意してるから、冷蔵庫のやつ食べてね。あと、お風呂に入っときなさい。昨日入ってないでしょ、汗臭いったらないわ」


「はいはい」


 サンドイッチ。

 食べ物のことを考えて、胸焼けが治ったことに気付く。


(ていうか俺、外で何しようとしてたんだっけ……?)

 

 気絶するまでの数分間の記憶も一緒に消えていた。

 あの電流は、危険な気がした。



 再び出窓になった部分に座って、大きな庭を横切って歩いていく兄妹を恨めし気に睨みつける。

 まだしばらく予定はない。

 ラブホテルでの仕事は、昼間は少ないのだ。

 予定では、今日もあとで仕事に向かうことになってはいるが、首には危険な装置をつけられているし、よくよく考えてみれば、また一昨日のような騒動に巻き込まれては今度こそ生きては帰れないかもしれない。

 だから、やむを得ず休むことにした。

 そうと決まれば、そのことを職場の人間に報告せねばならないのだが、


(しかし、この状況をどう説明したものか……)


 自分の秘められた最強の超能力を知られた結果国際機関に実験用モルモットとして目をつけられ、正体不明の女子高生と一緒に身を隠しつつ戦わなければならないので仕事はしばらく休みます、などと堂々と言えるわけがない。

 いろいろと言い訳を考えてみるが、これといって良い案も思いつかない。

 思案の果て、結局は流れに任せて適当にやってみることにした。

 連絡をあきらめて後で叱られるのは避けたい。

 なるようになれ、と思った。

 決して多くない連絡先の一覧が画面に表示される。

 神崎の携帯に登録されている電話番号といえば、母親と先輩の相模ぐらいのもの。

 前者はもう何年も使っていないし、これから使うこともない。

 電話をかけると、相手はいつもの通り一コール目で通話に出た。

 窓の外から視線を移し、まだ慣れない大きな部屋の中に視線を巡らせながら、電話する。


「あ、もしもし相模さがみさん?」


『神崎か。どうした? 何かあったのか?』


 電話口の向こうにいるのは、神崎が勤めているラブホテル〈ラブハイヴ〉の先輩。

 仕事を始めると厳しいけれど、その奥には底知れぬ優しさを感じさせる男だ。


「ええと、その……急用ができて仕事に行けなくなってしまって……それで、しばらくそっちには行けないみたいで……」


 自分でも、全く要領を得ない言葉だと思った。

 ただ、この場で話せるような真っ当な理由もないのだから、自然とそうなってしまう。

 相模はすこし沈黙をおいてから、


『……わかった。上には俺から伝えておく』


「……はい。すみません、うまく説明できなくて」


『連絡してくれただけでも有難いってもんだ』


 と相模は言った。


『こういう仕事は、いきなり消えるやつがよくいるからな。お前にもそれやられると、本気で凹む。……いろいろ大変なんだろうが、何かあったら俺を頼れ、いいな?』


「はい、ありがとうございます」


 言うと、向こうから通話が切られた。

 相手が良い人なだけに、事情を説明できないのがなんとなく、人を裏切ったようで申し訳なく思った。

 窓枠に座り込んで景色を見ると、空はまだ真っ青に晴れ渡っていた。

 一日は、神崎が今まで思っていたよりもはるかに長いらしい。


(とりあえず、風呂入るか……)

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