第3話 影の同盟/Resemble

 統合型リゾート地域。

 夜の帳が降りてなおネオンの光に満ちた〝眠らない街〟。

 幾つもの高層ビルが空へとそびえ立ち、都市を華やかに彩っている。

 その明かりは、まるで地上に縛りつけられた星空のよう。

 人々は街に集っては、笑い、歌い、踊り、飲み、そして酔う。

 地上で生きる時の間が、いずれ終わるのを忘れるために。


 一方で、その地下に広がる駐車場は静寂に包まれていた。

 ひとりの分の足音だけがコンクリートに反響する。

 長髪で、顔の左半分が火傷の痕で覆われた男。

 男の手には、黒いカーボンファイバー製のアタッシェケースが提げられている。

 ケースの表面には迷路のように細かい紗綾さや形の模様が刻まれていて、光の角度によって見え方が微妙に変化するという、独特の質感があった。

 男は、地下駐車場の一角にある扉の前で足を止めた。

 扉の上には緑の誘導灯があり、大きな白い文字で『非常口』と書かれている。

 その明かりに照らされて、細長い影が地面の上に針のように伸びていた。

 非常扉は手動で開くことはできず、その横に備え付けられた機械を正しく操作することで電子的に解錠される。

 躊躇ない足取りで扉をくぐるレインバード。

 その先には、さらに地下深くへと続く階段があった。

 長い階段をくだると、薄暗い検問が現れる。   


「両手を上げろ」


 唸るような低い声。

 背の低い男が、ガムを噛んだまま横柄に指示した。


「おい、聞こえないのか?」


 レインバードは応じなかった。

 男が腰に掛けた拳銃を握り、近づいてきたところで、検問の奥からもう一人、葉巻を咥えた肥満体型の大男がやって来た。


「よせ。そいつは俺の知り合いだ」


 と大男は言った。

 彼こそがこの〈アリーナ〉を取り仕切っている男だった。

 背の低い男は不満げに引き下がってからも、大男の背後からじっとレインバードのことを睨み続けていたが、レインバードは無視し続けた。


「来てたのか、猛牛ビッグ・ブル


「レインバードか……久しぶりだな」


 大男は葉巻を持ったまま両腕を広げる。

 レインバードはハグには応じず、かわりにアタッシェケースを差し出した。

 

「お前だけのクスリじゃない。独り占めするなよ。……あの背の低い小僧にもくれてやれ。今にもぶっ倒れそうなツラだ」


 大男はくすりと笑ってそれを受け取ると、ケース上部の小型ディスプレイを操作してロックを解除し、軽率にもその場で中身を取り出した。黄緑がかった血清の入った注射筒シリンジを一つ手に取って確認すると――部屋全体に響き渡るような大声で、また短く笑った。


「今日の〝試合〟はすごいぞ。活きのいいヤツが入ってる。俺も二年ぶりに大金を賭けたさ」


 レインバードは火傷のない右半分だけを引きつらせて、検問を通った。

 そこからは再び階段が続き、その先の分厚くて重い扉を開くと、途端に熱気が流れ込んできた。

 眩い光、男たちの歓声、血の滲んだ空気。

 鉄骨で支えられた地下空間の天井の角々には灯りが点在し、その光は、中央にある楕円形の闘技場を照らしている。

 周囲には観客席などなく、コンクリートの床に立ち並ぶ人々が、戦いの興奮に身を任せている。

 リングの中央には、熱気に包まれた男が二人。

 観客たちは興奮の声を上げ、それぞれが自分の選ぶ戦士を応援する。

 リングの外では取り巻きたちが懸命に賭けを交わし、それぞれの戦士に大金を賭けている。

 興奮と緊張が一体となった、独特の空気感。

 レインバードは片隅に立って、静かに試合を観察していた。


 一人の男は、筋骨隆々で鋭い目つきを持っている。

 彼の手元には、空気を凝縮させた透明の槍が現れ、その槍は瞬く間に相手に向かって放たれた。

 槍を操り、相手に次々と攻撃を仕掛けていく。

 この試合の原則として、を持ち込んではならないということになっているが、能力の性質によっては、素手以外で戦うことも許されている。

 もう一人の痩せた男は、俊敏な動きで空気の槍をかわし続けていた。

 ただ素早く移動しているのではなく、身体をさまざまな方向に伸ばしたり、縮ませたり――超能力による奇妙な挙動だった。

 彼は相手の攻撃を避けつつ距離をとり、拳を一発繰り出した。

 通常ならば決して届かない位置からの、勢いよく伸ばした腕による一撃。

 常人離れした速度をのせた拳は、油断していた相手の顔面に直撃し、見事に気絶させた。

 瞬時に、観客たちに歓声が沸く。


 歓喜の渦のなかにおいても、レインバードは冷静だった。

 確かに、普段に比べればはるかに見応えのある戦いではあった。

 だが、レインバードにはそれが、能力の性質上の差でしかないとわかっていた。

 ただでさえ数少ない超能力者の大半は、もっと地味で、弱い力しか持たない。

 小石を一つだけ浮かせるとか、数秒だけそよ風を起こすだとか。

 今回の試合は、ただお互いの能力の見栄えがよかったというだけ。

 戦闘――ましてや戦場での殺し合いや、暗殺の任務へのセンスや適応力は微塵も感じなかった。


(こんなものか……素人は……)


 もはや慣れ親しんだ失望を胸に、騒ぐ群衆を眺めていると――ふと、違和感を抱いた。

 リングを挟んで、反対側。

 どよめきのなか、レインバードと同様に無言で佇む少女の姿が、目に入ったのだ。

 その瞳の奥は黒く虚ろで、容姿のまったく違う他人だというのに、一瞬、鏡を見ているかのような錯覚にも陥った。

 彼女の存在には誰一人気付かず、闘技場の中は興奮に全てを支配されている。

 レインバードは人混みをかき分け、少女の元に移動した。

 うるしのような光沢のある黒髪を、片側だけおさげにんでいる少女。

 その髪を結んでいるのはヘアゴムではなく、真っ白い紙でできたリボンだった。


「お前、誰だ?」


 目の前まで来て、威圧的に見下ろして聞く。

 少女は声をかけられて、初めて彼の存在に気付いたかのように、ゆっくりと顔を上げた。


「お前は、和泉紗香を知ってるな」


 それが、彼女の第一声だった。


「和泉紗香だと?」


「救世主気取りの女。〈RedPredatorレッドプレデター〉と言えば、お前のような者には分かりやすいか?」


 レインバードは、彼女を知っていた。

 知らないはずがなかった。

 六年間ずっと捜索中だった発火能力者パイロキネシストが突如として姿を現し、監理局の物資輸送車両トランスポーターを襲撃したという報告を聞いたのは、昨日の真夜中の話だ。

 そして何よりも、あの女は――レインバードは、自分の顔面の半分を覆う火傷の痕に、手を触れた。


「私が、彼女を探し出す手伝いをしてやる。その代わりに、私からの依頼を請けろ」


「お前、俺を街の便利屋かなにかだとでも思ってるのか? お前の依頼など請ける道理は――」


「――おいおい、リングの外で喧嘩するんじゃないぞ」


 二人の間に割って入ったのは、先ほど検問で出会った大男、ビッグ・ブルだった。

 彼はこのアリーナの管理者であると同時に、賭博師でもあった。

 どうやら先ほどの戦いの賭けには負けたらしく、こういう場合、決まってこの男は突拍子もない行動に出る。

 

「ここのルールは、お前も知ってるよな?」


 彼の主意を読み取って、レインバードは呆れ果てた。

 そしてビッグ・ブルは、高らかに宣言する。


「喧嘩したけりゃリングに出て戦え、ってな!!」


  * 


 リングの端と端で、二人は睨み合う。


(なぜ俺がこんなことを…)


 まだ不本意そうなレインバードに対し、少女は相変わらず感情のない目をしている。

 レインバードが不満を抱くのも当然だ。

 そもそもこのアリーナの存在は、超能力者たちに対して監理局に捕まらないよう安全な場を提供する代わりに、彼らに会員たちの賭博のための見世物として試合を行ってもらう、という取引の上に成り立っている。

 だがレインバードに関していえば、彼はただの超能力者ではなかった。

 その監理局の諜報員アセットの一人なのである。

 レインバードは、このアリーナをに利用できることを条件に、監理局に対してこの場所を秘匿しているのだった。

 彼とアリーナとの関係も、取引によってすでに成り立っている。 

 要するに、レインバードが監理局に捕まることなどないのだから、試合に出る必要もまったくないわけで。


(……ちっ)


 そんなレインバードの胸中など配慮することもなく、響き渡るゴングの音が、試合の開始を告げた。

 瞬時に少女は容赦なく走り出していた。

 高く跳び上がり、レインバードの顔面に膝蹴りを入れようとする。

 レインバードは戸惑いつつも軽々と回避し、逆に彼女の胴体を掴み、地面に叩きつけた。

 逃れようとする少女。

 レインバードは体重をかけてのし掛かる。


能力ちからは使わないのか?」


 足掻く少女に向かって、言った。


「……まずはお前の実力を見せてもらう……っ」


 少女は冷然とそう言い、レインバードを押しのけてみせた。

 上下が逆転し、何度も拳が振り下ろされる。

 今度は彼女が見下ろして言う。


「お前の能力を見せてみろ。使えるかどうか、判断するいい機会だ」


「貴様……っ!!」

 

「無駄話をするなー!! 試合に集中しろー!!」

 

 どこかからビッグ・ブルの野次が聞こえる。 

 レインバードは少女を蹴飛ばし、立ち上がった。

 空中に氷の塊が浮かび上がり、鋭く尖った氷柱つららの形成していく。

 それは先ほど試合で見た空気の槍よりもはるかに細かく、数が大かった。

 レインバードの意思により高速連射され、少女に目掛けて真っ直ぐに飛ぶ。

 回避する際に通るであろうあらゆる動線の上にまで放たれる、攻撃。

 レインバードにとって、こんなものは序の口だが、素人の少女を封じるにはこの程度で十分だ。

 逃げ場などどこにもない――はずだった。

 少女は氷柱をすべて避けきろうとしていた。

 踊るような自然な動作で、氷柱たちの隙間を縫うように滑らかに動いていく。

 そうして、レインバードの目の前に着地した。

 少女の顔面に向かうレインバードの拳。

 それをくるりと躱し、背後に立つ少女。

 振り向いた瞬間に、彼女と目が合い――真っ白い光がレインバードの視界を埋め尽くした。

 その中で、レインバードはなにかを見た。

 赤く燃え上がる町と、黒く塗り潰された空。 

 泣き声のような轟音が響き渡ると、黒の空が砕け散り、溢れだしたのは、空よりも黒く、深い闇――。

 数秒後、レインバードは現実の意識を取り戻した。


「いま、何を見せた……?」


「私の、あたまの中――お前の変えるべき運命と、目指すべき未来だ」

 

 そう話す彼女の黒い瞳には、強い自信が宿っていた。

 だがそれは生き生きとした表情などではなく、もっと狂喜的で、虚ろな信仰心の表れのようにも見えた。


「お前は、誰なんだ……?」


「私のことは、神風カミカゼと呼べ」


「そうか、神風。運命なら――」


 レインバードは、言った。


「――お前も、自分の運命について考えたほうがいい」


 レインバードの片手には、氷の刃が握られていた。

 神風が気付くよりも早く、その刃は、彼女の脇腹を突き刺した。

 血の滴る傷を押さえて、倒れ込む少女。

 刃は一瞬のうちに溶けて消えていた。

 そして、沸き上がる歓声。

 レインバードは、試合に勝利した。


「なあ、レインバード」


 観衆たちの騒音のなかで、神風は話していた。

 冷然とした彼女の声は、ざわめきの中でもはっきりと聞き取れる。


「私からも質問がある。……なぜ、監理局の男が、こんな場所にいる?」


 神風を見下ろし、レインバードは言った。


「俺は、このアリーナのチャンピオンだ」


 倒れ伏してなお平然とした彼女を見て、レインバードはこう考える。


 ――こいつを利用してやろう。

 ――あの和泉紗香を、殺すために。

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