「殺す! 殺す ! 死ね! 殺す! 死ねッ!!!」

「ゴブリンを狩ってくるって……」

「は? 言ってる意味分んねえの? あそこにゴブリンいるじゃん、そいつと戦ってこいって」


 段田は道の先を指差す。

 俺には分からないが、俺よりもよっぽど感覚が優れている段田が言うならそうなんだろう。


「いや、でも……」

「武器は持ってんだろ?」

「それは持ってるけど……」


 段田の言う通り、俺は短剣を装備している。

 だがこれは護身用だ。

 そもそも、バックパッカーとしてリュックを背負うために戦う装備すらつけてない。

 俺は弱すぎてゴブリン一匹すらまともに狩れないのだから。


「俺の言うことが聞けないっていうのか?」

「いや、そう言われても戦えないものは戦えないって、勘弁してよ……ハハ」


 こうもハッキリと断るのは段田たちの機嫌を損ねる可能性があるが、流石に命を危険を犯すことはできない。

 かわりに俺は薄っぺらいと笑みを浮かべる。


「じゃあさ、もしあいつと戦ってきてくれるなら……これやるよ」

「それは……っ!?」


 段田がそう言って取り出したのは……とある小瓶だった。

 しかしそれは単なる小瓶ではない。

 色から察するに、ポーションの上位互換、ハイポーションが入った小瓶だ。

 ハイポーションの効果は普通のポーションに比べ、100倍以上と言われている。

 ポーション一つ三万円程度なので、その100倍は300万円。

 これがあれば綾姫に渡すポーション100日分、いやそれ以上になる。

 つまり、命を張るだけで綾姫の寿命が100日伸びるのだ。


「なぁ、分かるだろ? ちょっと命を張るだけで300万円だぞ? 妹ちゃんの病気を治したいんだろ……?」

「……っ!」


 俺は息を飲む。

 正直に言って、ゴブリンとは戦えなくもない。

 だけど、傷を受けることを前提に考えるなら。

 いや、前に潜ったときは倒せなかったが、今ならあるいは一人でも……。

 俺は悩みに悩んで……結論を出した。


「……分かった、戦う」

「そうこなくっちゃな! ほら、行って来い!」


 段田に背中を押され、俺は躓きながらもも前へと出た。

 腰に差してある短剣を抜く。


(大丈夫だ。今まで何度もシミュレーションはしてきた。ゴブリン一匹くらい、狩ってやる)


「ほら、もっと前へ行けよ!」

「そんなんじゃポーションやんねーぞ!」


 段田たちの野次を受けながら、俺は前へと出る。

 近い、何かがいる。

 暗闇の中から出てきたのは。


「……なんで」


 確かにゴブリンだった。

 だが、普通のゴブリンよりもはるかに大きい体躯。

 ──ゴブリンキングだ。


「な、なんでこんなところにゴブリンキングが……さっきゴブリンだって」


 俺は後ろにいる段田たちを振り返る。

 するとそこにはニヤニヤと笑っている段田たちがいた。

 俺はそこで理解した。

 騙されたのだと。


「ゴオオオオオオオッッッ!!!」


 ゴブリンキングが雄叫びを上げる。


「ぐっ……!?」


 こんなの勝てるわけない。

 俺はたまらず逃げ出そうとした。


「おい! 一発も入れずに逃げたらポーションはやらねーからな!」


 しかし段田がそう野次を飛ばしてきた。

 脳裏に綾姫の顔がフラッシュバックする。


「っ、おああああああッ!!」


 俺は震える手で短剣を握り直し、ゴブリンキングの足に短剣を突き刺した。


「やった…………がッ!?」


 喜んだのもつかの間、ゴブリンキングに蹴飛ばされる。

 吹き飛ばされた俺は地面を何度も転がった。


「ガハッ、ゲホッ……!!」


 激しく咳き込んだ。

 左腕に激痛を感じて見て見れば、肘から先があらぬ方向に折れ曲がっていた。


「お、折れて……」

「おい星宮! 早く逃げないと死ぬぞー!」


 段田のからかうような声で我に返り、顔を上げれば目の前にゴブリンキングが迫っていた。


「ヒッ……!」


 濃密な死の気配。

 俺は逃げ出した。

 しかし先程蹴られたときに肋骨が折れたのか、痛みでうまく走れない。

 巨大な足音と、迫りくる死に怯えながら俺は逃げる。


「ぐっ、ひっ……」


 左腕と肋骨が折れた痛みで、口から嗚咽が漏れる。


「ハハ! もっとしっかり走れよ!」

「そんなんじゃ死ぬぞ!」


 そんな俺を見て、パーティーメンバーは愉快そうに笑っていた。


(なんで、なんで、人が死にそうなのにこんなに笑ってられるんだ……!?)


 俺は膝を叩きながら笑う段田たちを見て、強烈な違和感を覚えた。

 そしてやっとのことで段田たちがいるところまで逃げてくると。

 その時、背中を何かが撫でていった。

 直後に背中に熱を持ったような激痛が襲ってくる。

 ゴブリンキングが手に持っている刃物に背中を切り裂かれたのだと、後から理解した。


「ぐっ、ああああああッ!!!」


 俺は悲鳴を上げる。

 血が背中から溢れていくのが分かる。

 死ぬ、このままだと失血で死ぬ。


「あーあー、無様に逃げ帰ってくるとか、本当に『負け犬』だなお前」

「なんでゴブリンキングごときで死にかけてんだよ」


 地面に倒れている俺を段田たちは嘲笑う。

 そして各々武器を持つ。


「さっさと処理しますか。ユニークスキル、発動ォ!!」


 決着は一瞬だった。

 段田が剣を抜くと、たった一太刀でゴブリンキングの首が飛んだ。

 俺がかすり傷しかつけれなかったゴブリンキングが。


「ナイス」

「楽勝だな」


 ゴブリンキングを殺した段田は、仲間たちとハイタッチする。

 そして地面に倒れている俺の元までやってきた。


「星宮、これ、欲しい?」


 段田がそう言って俺の目の前に持ってきたのは、ハイポーションだった。


「それ、は……!?」


 俺は段田の言わんとしていることに気がついた。

 ニタァ、と段田が笑みを浮かべる。


「そうだよなぁ、お前がこれを飲んだら妹ちゃんはハイポーションを飲めないよなぁ」

「っ……!」

「でも、これを飲まないと星宮も今にも死にそうだもんなぁ? さあ、どうする……?」

「おいおい、意地が悪いな」

「プッ、そんなにいじめてやんなよ」


 パーティーメンバーはクスクスと笑う。

 このハイポーションを飲めば、綾姫に渡せない。

 でも、飲まないと死ぬ。


「ぐうううううっ……!!」


 苦悩の末、俺は段田の手からハイポーションを奪うようにして取ると、一気に飲み干した。

 痛みが消え、折れた腕や背中の傷も癒えていく。


「うわ! こいつ、ほんとに飲んだぞ!」

「ひでー! 妹ちゃんのことが大切じゃないのかよ!」


 どの口が、と叫びそうになった。

 騙したのはそっちの方なのに。


「は? なにその目。なんか文句でもあんの?」


 俺の目に気がついた段田が睨んでくる。


「……何も、ない」


 俺は、こいつらの機嫌を損ねるわけにはいかない。

 妹の命がかかっているのだから。


「はー、じゃあ満足もしたし帰るか」


 段田たちは立ち上がって、出口の方向へと向かう。


「いつまで寝てるんだよ。もう傷は治ってんだろ。はやくキングゴブリンの魔石拾ってこい」


 いま死にかけたばかりだというのに、かけられるのはそんな言葉。


「ハハ、ごめん……」


 しかし俺は何もかもを飲み込んで、薄っぺらい笑みを貼り付けたのだった。

 拳を固く、固く握りしめながら。


***


 そして、俺たちは地上へと上がってきたときのことだった。


「そういえばさ、星宮。お前、パーティーから追放するわ」

「……え?」


 一瞬、意味が分からなかった。


「そろそろ飽きてきたしな。ここらへんが賞味期限だろ」

「そうだな、俺も異論なし」

「俺もー」


 パーティーは次々に段田の言葉に賛成する。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「は? なに」

「追放って……嘘だよな?」

「はぁ? マジに決まってんだろ。何言ってんだお前」

「な、なんで……」


 俺は冒険者としてのレベルは低い。

 だが段田たちパーティーのバックパッカーとして最大限の貢献をしてきた。

 このパーティーの資金管理、アイテムの補充、ダンジョンの情報収集。

 戦えない分、雑用はすべて引き受けてきた。

 どれだけバカにされても反抗しなかったし、暴力を振るわれたって笑顔で受け流してきた。

 それなのに、ただ「飽きた」だけで追放されるなんて……。


「あのさ、この際だから言っとくけど」


 段田はガシガシと頭をかく。


「お前みたいな『負け犬』、面白さだけが取り柄なんだから、それがなくなったら追い出すに決まってるだろ」


 段田が歩き出した。

 俺はなおも食い下がる。


「待ってくれ! 頼む! この通りだ!」


 俺は地面に額を擦り付け、土下座した。


「こいつ、土下座してるぞ……!」

「プライドとかねぇのかよ!」


 ギャハハ! と笑い声が聞こえてくる。

 耐えろ、耐えるんだ。

 綾姫のために、俺は追放されるわけにはいかないのだから。


「妹の命がかかってるんだ! なんでもすると誓う! だから追放だけは……」

「お前さ、なに勘違いしてんの?」


 段田が俺の頭を踏みつけた。


「あ、ぐ……っ!」

「なんで俺が、『負け犬』の頼みを聞いてやんなきゃならないんだよ」


 段田は俺の頭に乗せた足を、グリグリと動かす。


「お前が弱いのが全部悪い。お前の事情なんて知らねぇよ。妹は勝手に死んどけ」


 内心、腸が煮えくり返りそうだった。

 でも、抵抗すらできなかった。

 踏みつけられた足をどけて、顔をあげることすらできない。

 俺が弱すぎるから。


「ギャハハハ! 蓮、お前酷すぎだろ!」

「いや、でもお前らもそう思うだろ?」

「まあな」

「てか、ここまで言われても何もできないのかよこいつ。やっぱり『負け犬』だな」


 段田たちの嘲笑が突き刺さる。

 そしてひとしきり段田たちは俺のことを笑った後、足をのけた。


「じゃあな、『負け犬』。ずっと這いつくばってろゴミ」

「妹ちゃんの治療費頑張って稼げよ〜。まあお前じゃ無理だろうけど」

「最後までいい道化だったよお前。いっそピエロにでもなれば? ギャハハハハ!!」


 段田たちはそれぞれそんな言葉を言い残し、去っていった。


 ダンジョンの入口に残された俺は、顔を上げる。

 魔石や、俺の持ち物が入ったバックパックまで奪われている。

 残ったのは、短剣とボロボロな俺だけ。


「ックソがあああああッ!!!!」


 俺は思い切り拳をダンジョンの壁に打ち付けた。

 入り口から入ってきたパーティーにギョッとした目で見られたが、俺はそんなことすら気にならなかった。

 グシャ、と髪を握りつぶす。

 髪の隙間から覗く瞳には、憤怒の炎が宿っていた。


「ここまでやってきた俺を、追放する……ッ!? 虚仮にしやがってぇッ……ッ!!!」


 頭の血管がブチ切れそうだ。

 段田に言われた『負け犬』という言葉が頭の中で反芻される。

 俺をバカにしくさったあの笑顔、頭を踏みつけられたときの屈辱。

 奥歯を割れるほど噛みしめる。


「殺す! 殺す ! 死ね! 殺す! 死ねッ!!!」


 絶対に、許さない。

 弱い俺も。俺を負け犬と馬鹿にしやがったあいつらも。

 俺を今まで笑った奴ら全員ぶち殺してやる。

 このまま終わってたまるか。

 一人でも強くなって、二度と負け犬なんて言わせないようにしてやる。


「俺が「負け犬」じゃないと、証明してやる……ッ!!!」


 俺は弱い。一人でダンジョンに潜れば命の危険がある。

 だけど、ここで帰ったら本当に『負け犬』になってしまう。

 だから、俺は身体をダンジョンの出口ではなく、奥へと向けた。


 短剣を握りしめ、俺は再度ダンジョンの中へと潜っていった。

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