タマ

山崎 エイ

タマ

 夜が光りだす――朝日に明るさを、風に冷たさを――クロネコは街にくりだした。

 ブロック塀のうえを這う。身体をくねくねさせながら、あたりをぎろり。めつきがわるい。

 このクロネコ、名前はマル。飼い主の父親がすきなタバコから、名づけられた。(なんといったか、銘柄は? 思いだせない。)

 ひょい。ジャンプ! 塀をおりる。どこに向かっているのやら? 今度は、歩道をずんずかすすんでいく(思いだした、マールボロだ!)。

 クロネコはゆらゆら歩く。みぎの前足とひだりの前足が交互にうごいて、みぎ、ひだり、みぎ、ひだり。

 みぎ、ひだり、――ガサ。音がする? ガサガサ。風の声? いや。

 ぐるりと街角をまわりこむ。誰だ?

 ガサガサ。カラスがレジ袋をつっつていた。ガサガサ。

 なあんだ、がっかり、カラスかい。そんなことを言いたげなクロネコ(ガサガサ。カラスはレジ袋をあけるのに夢中。成功するのか?)。いつもどおりの午前。期待はずれもいつもどおり。クロネコはじっとカラスを見つめる。(あ、失敗。袋がころげただけだった。)

 話しかけてみる。


「どうかね調子は。上々?」


 皮肉めいている。いじわるなクロネコ。カラスはすぐに、むっと振り向く。


「やい、おまえさん。じゃまするんでないの。」

「へい、へい。」


 いつだって、クロネコの返事はテキトー。もちろん今日だって。言いたいことだけ言いたい。


「なんでまた、ふらふらしてるんだい。」(ガサガサ。)「おまえさんには、家があるのに。」(カラスのもごもごした声。)

「理由? いっぱいあるさ。大きいのは、引っ越しかね、どうにもね。いまの家は好かない。」

「なにが悪いんだい。」

「居心地?」


 もうクロネコは歩きだしている。会話に飽きた? それもある。

 てくてく。やわらかい肉球がへこむ。てくてく。地面にひっついた肉球。はじけるようにふくらんだ肉球。

 へこんで、ひっついて、ふくらむ。こんな日々が続く。へこんだり、ふくらんだり、またへこんだり。いつまでも。


「ぐぎ。」


 前から気持ちのわるい声がする。音もする。背中の毛が、ぶわっと、ひげが、ぴーんと、よだつ。


「なんだ。」

「ぐ、追い出された、むむ、ああ!」

「やかましい。」


 いつもやかましい。いつもここにいるし、いつもころがっている。(ゴギブリだから? それともこいつのせい?)


「追い出された、また、また!」


 黒い脚が、ばた、ばた(触角の動きはもう少しおだやか)、ばた、ばた。


「ばれた、ばれた!」

「はあ。」

「殺されかけた! 逃げるしかなかった!」(おどろおどろしいうごき。)

「ふん。」

「ぐぐ!」


 ばちばち(羽音も混じりだす)。ばつばつ(大きくなる)。


「……。それだけ? 追い出される? こっちだってそうだ。殺される? 普通だ。」

「あん、アンタもか?」

「んん。追い出されたのさ、ここに。ここはニホンだっけ、たしかね。どうだっていいさ、名前は。忘れるもの。とにかく、追い出されたんだ。」


 クロネコはひげをいじりだす。


「とにかくでかい音のするものが多い、やかましいところだった。もともと住んでいたのはね。」


 ひげが整う。


「なあんだい、それ、なにが、やかましい?」


 キミだ、と呟くのをこらえて。


「タマ。」

」(ゴキブリのまぬけな声色。)「どういう?」

「でかくて、でかい音のするやつさ。」


 クロネコの瞳が映しているのは、空。あるいは、風?


「たとえば、ゾウのような。知ってるかい? ゾウ。」

「知んらないよ」

「ふん。」


 まだ優しい風が吹いている。(時折、強くなる)


「トリみたいに、――トリは知ってるね?」(ゴキブリのふぬけた返事がきこえる。)「飛んでくるのさ、トリみたいに。」

「ゾォが?」

「ゾウのような、タマ、ね。」


 ゴキブリに、ずざっとにじり寄って、


「飛んできて、へこんで、はじけるのさ、タマは。それで殺す。キミなんて、一瞬だよ。」

「ひい。おそろしい。」


 得意げなクロネコ。


「バン! ってね。全部、めちゃくちゃさ。」

「ああ、怖あい、帰りたい」(急にうるさい羽音と足音。)「帰りたい!」


 ぴゅっとどこかへ消えてしまう。いつも通りでも、びっくりする。ひげを丸めて、伸ばして、落ち着く。


「ふん。」


 また肉球を踏みはじめる。(てくてく。)

 もう、あたたかい朝の時間。みんなが起きる時間。やかましいあいつにとっては、寝る時間。(いったい今日はどこで寝るんだろう?)

 クロネコも帰りたくなる。

 時間はすぐに過ぎていく。家にもあっという間につく。家にあがったら、どうしよう? 居心地のわるい家で、安全な家で。なにをしよう?

 まずは食事だ。

 ちゅ〜るがマルを待っている。

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タマ 山崎 エイ @yamasaki_ei

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