第3話 未来人なのか

 あれから、一週間が過ぎた。政幸が仕事を終えて事務所を出たのは6時半過ぎだった。斉藤は7時半ぐらいになると言っていたが、木田はぶらぶらと待ち合わせの、初めてのスナックへ向かった。スナックには勿論、まだ斉藤は来ていない。客は何組もいるが、カウンター席には一人の男が座っているだけだった。その見知らぬ40代の男が親しげに声を掛けて来た。



「こちらへ来ませんか」

 政幸は斉藤もまだ来そうもないので、いい話し相手なると思い、誘いに乗った。

「どうも」

「お相手はまだですか」

「1時間ぐらいは、来ないでしょうね」

「独りで飲むのは、お好きですか」

「よく分かりません」

自分をはかりかねている。

「私は、独りでいろいろの場所へ行き、見知らぬ人と話すのが好きです」

「大勢の人と知り合いになるのですか」

「いいえ、その場限りです。旅行ではなく、心の旅ですかね」

「友人を作るのが怖いのですか」

「いいえ、友人は会社や近所、学生時代等いますよ。それはそれとして、その人達に話せない事やまた見知らぬ人も、知り合いには話せない事を聞かせてくれる事もあり、結構楽しいですよ」

「親しい友人ほど、話せない事ってありますね」

「それに、同じ話を何度も話したい事ってないですか。また、同じ興味で話すのもいいですが、複雑多岐にわたる興味があり、一つの趣味にとらわれないで、話が広がるというのがいいです。私は、欲張りですかね」


 政幸は、この男に自分に起こった記憶喪失の話をしたくなった。

「実は私、この間、記憶喪失にかかり一部の記憶がまだ戻ってなく、性格も変わってしまっているようです」

「記憶喪失はよく聞きますが、性格が変わるというのは初めて聞きました」

「記憶が戻らないのは恋人で、失恋のようです。性格は生真面目と周りからみられていたようです。でも、生真面目とまでいかないまでも真面目だったと思います。今は、合理的な考えが支配しているようですね」


「性格を変えたいと思ったのですかね。失恋が辛いから」

「思ったとしても、性格はそう簡単に変わらないですよね」

「だから、記憶喪失の方法が使われたのでしょう」

「ええっ、誰が使ったのですか」

「あなたの未来がです」

「ええっ、過去、現在、未来のですか」


「未来は過去を変えられます。あなたという現在が生きやすいように、未来が変えたのでしょう。未来は現在の行動に影響を与えているのです。現在はなぜか未来で起きる事を知っています。

 量子力学では、観測するまで素粒子の位置が定まっていないように、人間世界でも未来は不確定です」


「あなたは、物理学者なのですか」

「いいえ、物理が好きなだけです。たとえば、ここへ飲みに来る約束をしている間に、誘いがあった場合、あなたは約束をほごにしますか。誘った相手は返事を聞くまで、どちらになるかの選択を待つわけです。でも、あなたの未来は過去に影響を与えて断らすわけです」

「普通に考えても、約束を守るだけです」


「でも、いろいろな選択肢があるわけです。つまり、未来の約束相手や未来の誘惑相手または未来の忖度相手などです。あなたの未来は、約束相手を選択し、存在する選択肢を消し去り、現在の行動を取らせたのでしょう。量子力学は、未来が過去をコントロールできる可能性がある事を示しているのです」

 政幸の脳裏に、今野物産の社長令嬢がよぎった。

「何となく、分かりました。未来の自分の選択により、現在の自分の行動が決まるという事ですね。興味深いお話でした」

「私は、ここにはもう来ません。失礼しました」

「いいえ、ありがとうございました」

政幸は自分の身に起こっている事実の意味を探っていた。



 その後、斉藤が入って来て、テーブル席へ移動した。

「待たせたな」

「いや、連れがあったから」

「高沢さんを誘ったのか」

「いや違う、カウンター席の見知らぬ人だよ」

「彼女、木田に気があるだろう」

「いや、斉藤こそ彼女に気があるのかな。応援するよ」

「お昼に食事した時、大人しいと思っていたのが、しっかり者という印象に変わったな」

 

 政幸は公認会計士で、斉藤は税理士であった。高沢は税理士を目指し、あと1科目で税理士試験に合格する。斉藤は可愛いい気さくなタイプで、木田は美人の由利が好きになるぐらいイケメンで誠実なタイプとみられていた。結果は、資産家の御曹司に軍配が上がった。しかし、今野物産の社長御令嬢との逆玉が用意されていた。

 

 斉藤は、政幸に好江への恋心を悟られ、気恥ずかしかった。

「踏ん切りを、つけたか」

「由利からの最後の留守電が入っていたよ。あっさりとしたものさ」

「そうか、忘れろよ」

と、斉藤が言った。

 正に何もなかったように、政幸の記憶の中から由利の事は消え去っていたのだ。政幸は、斉藤の言った言葉が可笑しかった。

「もう忘れたよ。酒を浴びるほど飲んで、彼女の記憶を全部洗い流したよ」

「それは良かった」

「心配してくれてありがとう」

「それにしても、木田がそんなに思い切りがいいとは思ってもいなかったな」

斉藤は疑心暗鬼ながら見守ることにした。

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