第22話 多分少し近づいた

 その日の夜。夏美はどうしても眠ることができず、アイザックの部屋に向かうことにした。

(そりゃ、下心がないって言ったら嘘だけど……私は、アイザックがここから出かけないようにすればいいわけだしね……? 夜、話をして引き止めて、それから身体でも対話しようとか……)

 コンドームは持ってきている。しかし、気持ちの大部分は性欲とは違う感情だった。

(でも、今日のフラネル議員とのこと見ちゃったら、放っておけないのは事実だし……)

 夏美も実際、会社勤めをしていたときは仕事の人間関係に疲れたことがあった。それがどんな相手であれ、悪意を向けられることは気持ちのいいものではない。

(ちょっとだけ、お話するっていうつもりで……)

 だからいいよね、と自分に言い聞かせてアイザックの部屋のドアをノックした。

「誰だ」

「あ……私、夏美! 入っていい?」

「……なんの用だ」

 断られたか、と一瞬思ったが気構えずに語りかける。その気じゃない相手をその気にするのは得意だ。

「ちょっと話したいって思ったの。今日も、どこか行くの?」

「行かない」

「じゃあ、話さない?」

「……勝手に入れ」

 アイザックの返事にほっと安堵しつつ、ドアノブを回して押し開ける。部屋は暗く、バルコニーのある窓から差し込んでくる月明かりに、ベッドに腰掛けるアイザックが照らされていた。

「もしかして、もう寝ようとしてた?」

「……いや。考え事をしていただけだ」

「そっか……。隣、座ってもいい?」

 アイザックが答えるより先に、夏美は隣に座った。一瞬アイザックが驚いたような気がしたが、あえて見ないふりをした。

「何考えてたの?」

「……」

「別に言わなくていいよ。だから話そう」

「なんの話がしたい」

(あ、そこはちゃんと乗ってくれるんだ……)

 鼻から「お前と話す気はない」と突き放されるかと思っていた。そうでなかったことに内心少し安堵しつつ、夏美は会合のことを思い出していた。

「他の議員さんと、あんまり仲良くないんだね」

「……だが、それで不便もしていない」

「そっか。いつもあんな感じなの?」

「そうだ。あんなのにいちいち構っていたらきりがない」

 アイザックはなんでもないことのように言う。アイザックにとってはなんてことない日常なのかもしれない。しかし、夏美は心の中にふつふつと怒りがこみ上げるのがわかった。

「じゃあ……今度あの人が同じようなこと言ってきたら、私が言い返してもいい?」

「必要ない」

「だってなんか、ムカついちゃって……アイザックのこと、まだ私そんなに知らないけど、あの人にあんなふうに言われていいような人じゃないと思うから」

「お前な……あいつらは放っておけばいいんだ。勝手に言わせておけ」

「そんなの悔しいもん。わざと意地悪したりして、子どもみたい。悪いことしてる人には、ちゃんと言わないと。嫌だって。そういうことしちゃいけないって」

「そんなことを言ったところで聞く相手ではない」

「なんであんなこと言うようになったの? あの人」

「知らん。俺が無視をしていたらいつのまにか調子づいた」

「はぁ、いるよね、そうやってつけあがる人こっちが黙ってたら、何してもいいって思っちゃってぼろかす言ってくるんだよね。私は我慢できないから文句言っちゃうけど」

 夏美は働いていたときのことを思い出した。中途入社の男性同期に見下されて嫌味を言われていたのだ。最初は大人気ないかと思いスルーしていたが、あまりにも度が過ぎたのを見てはっきり不快であること、あなたに迷惑をかけたことはないはずだから目の敵にするのはやめてほしいということを伝えた。

「そういう人って、こっちが反抗してくるって思ってないから、いざはっきり伝えたらしっぽまいて逃げちゃったよ。それから何も言われなくなった。だから、ちゃんと撃退したほうがいいんだって!」

「……お前は、強いな」

「え……」

 思わぬ言葉に顔をあげると、アイザックの口角が少し上がっているのがわかった。今まで見たことのない表情だった。

「アイザック……笑ったりするんだ……?」

「お前があまりにも破天荒だからな」

「破天荒!? 言われたことないけど!?」

「とにかく、お前は何もしなくていい。あいつらのことは、俺が対処する」

「そう……よかった。いつでも私、加勢するからね!」

「ああ」

 アイザックの表情が、心なしか優しいものに見える。投げかけられる柔らかな視線に、夏美の胸がとくりとときめいた。

「あ、あの……」

「なんだ」

「ちょっと……シない?」

「何を」

「セックスを……」

「しない」

 ぴしゃりと言われてしまう。雰囲気的にも、アイザックの性格的にも、なんとなく性的な雰囲気にはならないと察していても、つい口から欲望が溢れてしまう。

(なんだか、あんまり性欲旺盛ってタイプでもないし……)

「……じゃあ、私そろそろ寝るね」

「わかった」

「付き合ってくれてありがとう。今日はあなたも、もうどこも出かけないように」

「わかっている」

「じゃ、おやすみ」

「ああ」

 アイザックは立ち上がりはしないものの、部屋を出るまで目線で見送ってくれた。

(うん、なんか初日よりは少し心の距離も縮まった気がするし……)

 今日のところは、なぜだかゆきずりの男とのセックスよりも、満足した気がした。

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