③ 問題は、本人がどう思ってるかだな

「沢田先生、ちょっといいですか…?」


つい五分前、生徒からとんでもない話を聞いてしまったわたしは、部活の点呼に顔を出すのもやめ、急いで職員室に戻って学年主任の沢田先生に声をかけました。幸い、山村先生は部活に行っているらしく、空席でした。


「んー?」


間延びする声で振り返った沢田先生でしたが、わたしが周囲をちらちら見やりながらジェスチャーで廊下へ出るよう促しているのを見ると、何かただごとではないことが起きたのを察したらしく、小声で「えっ、なになに」と言いながらこそこそと廊下へ出てきました。


「なになに、どしたの。なんか問題あり?」


「問題あり、です。しかもけっこうやばいやつ…」


廊下に出たとはいえ、いつだれが通りかかるかわからない状況です。わたしはできる限り声を落として、「すみません、ここでも話しづらいです、できればあそこで…」と、廊下の奥の小部屋を指さしました。


「いいけど、大丈夫?怖いなー、ほんと、もうちょっとで冬休みなのに」


冗談ぽく言いながらも、沢田先生の顔は少しこわばっていました。



―――――――



「えっ、それ本当!?うわー、やばいよ…」


飯田さんと宮下さんから聞いた話をざっくりと説明すると、沢田先生は前のめりになっていた体を反らしてパイプ椅子にもたれかかり、「ううん」と、ため息ともうなり声ともつかない音を漏らしました。


「飯田と宮下って、金山のお友達でしょ?あいつらいっつも一緒にいるもんな。その二人が言うんなら、間違いねぇかぁ…」


「間違いないどころか、飯田さんのスマホにはいろいろ履歴も残ってるんです」


「証拠もあるってこと?マジかよぉ」


沢田先生はおおげさに顔を覆いました。


「ただまあ、証拠といっても、金山さん本人のスマホを見たわけじゃないので、山村先生の家に行ってる、ってところがどうだったかは…とりあえず飯田さんのスマホを見せてもらえば、ある程度わかるはずです。わたしもちょっと慌ててて、全部詳しく見せてもらったわけじゃないんですけど」


「いやぁ…ほんとさ、山ちゃん、何やってんだよ、学年団どうすんだよぉ…」


沢田先生は途中からわたしの言葉をあまり聞いていない様子で、心底残念そうに嘆いていました。


無理もありません。今回の問題がすべて事実なら、明らかに山村先生の行為は”懲戒”モノであり、最大なら免職、最低でも停職はまぬかれない事態となるでしょう。

そうなれば担任団や教科にも欠員が出ることとなり、急いで代替の教員を探すことになります。


どのような理由であれ、担任が途中で抜けるということは、当該の学年はもちろんのこと、学校全体にとってもかなり大きな痛手です。


それでも。


「沢田先生、これ…とにかく管理職に言わないとですよね」


そう言うと、沢田先生の顔がほんの一瞬だけ曇りました。

しかしすぐにまた困ったような表情に戻って、


「まあ、そりゃ当然、言わないわけにはいかんでしょう」


と、自分に言い聞かせるように言いました。


「副校長、職員室にいたよね?ちょっと呼んできてくれない?そんでそれから、一緒に校長室だなぁ」


わたしはうなずき、職員室に戻ると副校長に耳打ちしました。副校長は血相を変え、すぐに校長との話の場を設けてくれることとなりました。



―――――――


午後四時四十分。わたしたちは校長室にいました。


事情はさっき、沢田先生がかいつまんで話してくれました。

話を聞いている間、校長はただ「ふん、ふん」と相槌を打つばかりでしたが、時折「ふうん…」と、沢田先生のようにため息なのか何なのかよくわからない声を漏らしていました。


「―で、まあ、三組の飯田って子と宮下って子が、そのへんの証拠になりそうなメッセージを持ってる状況らしいです。だよね、先生?」


説明の最後、不意に沢田先生に話を振られたわたしは、「は、はい」と少しどもりながら、


「飯田さんがスマホを見せてくれました。山村先生の車に乗ってディズニー行ってる写真もありました」


と付け加えました。


すると、それまで一切質問をしてこなかった校長が、思いついたように、


「金山さん本人には?まだ何も聞いてないんだっけ?」


とたずねてきました。


「あ、はい、まだ飯田さんと宮下さんから話を聞いただけで、金山さんとは話していないですし、スマホの履歴とかも見せてもらってないです」


「そうか。じゃあ金山さんと山村先生とのLINEのやり取りも、その内容も、まだ確かじゃない?」


「あ…まあ、そうですね、さすがにLINEはしてると思いますけど、内容はまだ…」


「なるほど…」


校長は少し考えるように腕を組みました。


沢田先生がわたしと校長に目配せをしながら、話をつなぎました。


「そのへん、金山にも確認しないとですね。今日はもう帰ったんだっけ?」


「あ、おそらく。飯田さんと宮下さんがそう言っていました」


「どうします…?電話して本人に確認しますか?」


沢田先生がそう言いましたが、校長が答えるよりも先に、わたしが「あ、でも」と遮りました。


「まだ金山さんには、この話をわたしたちが知ってるってこと、言ってないので…。飯田さんと宮下さんにも確認とって、慎重に進めたほうがいいかもしれません。もちろん、早く動いたほうがいいっていうのもあるんですけど…」


言いながら、わたしも反省していました。

早く動くためにも、金山さん本人から事情を聞くことは当然必要です。今日は帰った、と二人から聞いたときに、もう一度呼び出してもらうとか、せめて金山さんに何か連絡してもらうとか、いろいろやるべきことはあったように思えました。


「あと、山村先生にも確認すると思うんですけど、その…飯田さんと宮下さんから聞いたってことは絶対に言わないでほしいんです。お願いできますか」


ここも重要でした。こういうとき、われわれ教員が何よりも重視しなければいけないのは生徒との信頼関係です。「言わないでって言ったのに!」などということになれば、もう必要な情報を提供してくれなくなるかもしれず、何より、教員や大人全体のことを信用できなくなってしまいます。


沢田先生がうなずいて、「それは安心していい」と言ってくれました。


「まあ、いずれにせよ本人たちに聞いてからだな。明日、聞いてみて、そのあともう一度関係者で話しましょう」


校長が話をまとめにかかりましたが、最後にぽつりと、こう付け加えました。


「問題は、本人がどう思ってるかだな…」


これでこの日の校長室での会談はいったんお開きとなりましたが、校長のこの最後の一言が、このあとのねじれた展開を暗示するものになるということを、このとき、わたしはまだ知る由もありませんでした。


(続く)

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