長さじゃない

うたた寝

第1話


 彼には後輩の女性社員が居た。リモートワークで寂しい、と言っていた彼女の言葉を真に受け、どうにかして彼女が寂しくないようにできないかと、先輩と距離感を感じないようにできないか、と。彼は考えて、彼女に頻繁に仕事の労いや感謝のチャットを送るようにした。

『いつもありがとうございます』とか、『凄く感謝しています』とか、『本当に仕事が丁寧で助かっています』とか。思いつく限りの言葉を使い、彼女が仕事を終わらせてくれる度に彼女に対して、決して短くは無い文章量のチャットを送っていた。

 業務に関係無い内容なので作業するのは定時後。定時後にやる時間が無ければ休日。当然残業代が出るわけもないが、彼は自分の時間を使って彼女へチャットを送り続けた。

 しかし、彼女からの反応はあまり彼が期待するものではなかった。

 基本的に彼への返信は無かった。彼の文章に対して、リアクションボタンがぽちりと押されるだけ。たまに返信があったとしても、『ありがとうございます!』の1文だけ。明らかに彼が送っている文章量よりも少ない量であった。

 ひょっとして嫌われているのではないかと、流行りのAIチャットに質問してみたりもした。『嫌われています』と言ってくれれば彼は止めるつもりだったのだが、AIチャットは『嫌われているとは限らない』と返してきた。『文章を書くのが苦手な人も居る』と。『気持ちを表現することが苦手な人も居る』と。『嫌いならリアクションボタンさえ押さない』と。どこか彼女を擁護するかのような返事だった。

 それを全部鵜呑みにしたわけではないが、そういう意見もあるのか、と嫌われているとは限らない、という言葉だけ都合よく受け取った。

 もちろん、薄々は分かっていた。こちらの送ったチャットに対し、何の返信もしないで、リアクションボタンだけ押す彼女が彼のチャットのことをどう思っているのか、なんてことは。

 だけど。本当にたまに返ってくる、『ありがとうございます』という、彼が送った文章量からすると明らかに短い文章量ではあるが、それでもお礼を言ってくれるということは、なんて思い、都合のいい方向に物事を考えたかったのだ。

 自分の時間を使い、一生懸命書いている文章。そこに何の返信も無くリアクションボタンが押されるだけ。そのリアクションボタンさえ押されないこともしばしばあった。その度に、彼の胸のどこかが痛み、送るモチベーションも萎え、送るのを止めようと思ったことなど何度もあった。

 それでも、どこか現実逃避気味に、自分のチャットを喜んでくれているかもしれない。急に止めたら相手が悲しむかもしれない。そんな願望が頭にチラつき、中々彼は彼女へのチャットを止められなかった。

 逃避していた現実をちゃんと突きつけられたのは、彼が同僚の別の男性社員とパソコンのチャットアプリで通話をしていた時だった。

 何の予告も無しに、予想外の形で告げられた逃避していた現実に彼の動悸は一気に早まった。

 画面共有をしていた同僚のパソコンの画面。そこに不可抗力的に表示されたチャット画面。

 そこでは、同僚が書いた『お疲れ様』というあまりにも短い簡易的な労いのチャットに、とても嬉しそうに絵文字付きで返信している彼女の返信があった。

 彼が何度送っても、何を送っても。ほとんど返信なんてしてくれなかった彼女なのに、この同僚から送られるたった1行の短い文章に対し、あまりにも長い返信をしていた。

 一瞬映っただけ。すぐに同僚が本来表示したかった資料に画面が切り替わる。しかしもう、そんな資料の内容など、彼の頭には入って来なかった。

 長さじゃない、と言われればそれまでの話だ。彼が送っていたあまりにも長い文章は彼女にとっては負担で疎ましいものだったのかもしれない。あるいは単純に彼のことが嫌いなのかもしれない。だが、先輩から送られたチャットに無視もできず、とりあえずリアクションボタンだけ押していたのかもしれない。

 彼女からすれば、彼に知られるハズの無かった対応の違いではあるだろう。何せ個別チャットで送っているのだ。その先輩に対する対応の差など、本来把握されることなど無い。

 チャットが苦手な子なのだろうと思っていた。自分の気持ちを表現するのが苦手なのだろうと思っていた。返信が無いからと言って、返信の文章が短いからと言って、嫌われているとは限らない。AIチャットにだってそう言われていた。

 だからそう思い込もうとしていた。信じ込もうとした。

 だが、AIチャットはあくまで断言しなかっただけだ。AIチャットはこう言っていたのだ。『それはそうとは限りません』と。

 AIチャットは嘘を吐けない。ごく一部とはいえ、レアケースが存在する以上、迂闊に断言する文章では返してこない。

 確かに、そういう人も居るのだろう。だから確かに断言はできないのだろう。だが、彼が薄々抱いていた感覚はやはり正しかった。

 どれほどチャットが苦手であろうと、果たして、好きな人から着たチャット、いや、好きな人ではないとしても、着て嬉しかったチャットに何の返信もしないなんてことあるのだろうか? と。

 そう。単純な話なのだ。嬉しいチャットであれば、また送ってほしいから、嬉しい、という感情を短い言葉だろうと何だろうと告げるハズなのだ。リアクションボタンだけで適当に済ませるハズなどなかったのだ。

 今こうしてハッキリと対応の違いを突きつけられた。最近、同僚の担当しているプロジェクトに配属されて、関わる機会が多いことは知っていた。何となく、そのプロジェクトのチャットを見て、距離が近そうだな、って思ったこともあった。

 彼の方が彼女の配属時から面倒を見てきたハズなのに。彼の方が同僚より多く、長いメッセージを送ってきたハズなのに。彼に対する反応はリアクションボタンだけで、同僚へは返信をしている。

 ひょっとしたら、そこには大した意図は無いのかもしれない。彼女から言われたわけでもない。勝手に彼がそう思っているだけなのかもしれない。

 だが、彼があれだけ時間を使い長い文章を書いたにも関わらず、同僚が送ったあれだけ短い簡易的なメッセージの方には返信する、というのは、やはりどこか納得がいかなかった。自分が時間を使い、長いメッセージを送って来たことが、酷く滑稽な行為に思えてバカらしくなってきた。

 冷めた、とも少し違う。拗ねた、という表現の方がきっと近い。どっちにしても、彼女にチャットを送るモチベーションが明確に萎えたことは確かだった。



 その日の定時後、彼は彼女に送ったチャットを一つずつ消していった。

 きっと彼女は彼とのチャットを見返すこともない。消えたことにさえ気付かないだろう。

 長さではないのだ。文章も、人付き合いも。

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