第29話

「ええ。逆に考えれば、動かねばならぬほどの理由があるということです。なぜ、わたくしたちがシェリルさんを知っていたか、さらには監視していたか、おわかりですか?」


 わからない。

 シェリルは素直に首を振った。

 だって、今の今まで、誰も、いやディートリヒとレナ以外誰も、シェリルのことなんかゴミでも見るような目で見て、そういう扱いを受けてきた。どうして、王宮や魔法連合会といった巨大組織が自分を見るなどと考えられるのだろう。


「魔法が使えない貴族がいるというお噂は、わたくしたちの耳にも届いておりました。一定以上の魔力があるにも関わらず魔法が使えないというのはね、通常ありえないことなのですよ。『才能がないから』だとか貴族の間では勝手に憶測がされているようですが、わたくしはそうは思いません。魔力がある以上、何かしらの自然現象と調和しているはずなのです」


 そういうものなのか。

 魔法に明るくないシェリルは、補足を求めるようにちらりとディートリヒに視線を向ける。


「……よほどの不器用でもない限り、火を起こしたり水を出したりする、簡単な魔法ひとつくらいは使えると思う」


 そうなのか。

 つまりシェリルは、そんなこともできないくらい不器用だと、貴族に馬鹿にされていたわけだ。最低限できて当たり前のことすら、まともにできない酷さだと。才能がないとはまさにこのこと。

 自分から聞いておいて、ズンと落ち込む。

 

「だからこそ、わたくしたちはシェリルさんに目をつけたのですわ。密かに薬屋を商っていることも知り、マリアンヌを客として送りました。そこで、気付いたのです。シェリルさん自身の問題ではなく、シェリルさんの魔力に、何かがあるのではないかと」

「私の魔力、ですか……?」

「ええ、それこそが、先ほどの答え。シェリルさんが持っている魔力はおそらく、治癒の力と調和するのですわ。もちろん、わたくしたちが気付いたということは、魔法連合会もすでに知っているのでしょう。キルノック子爵を送り込んだのが、いい証拠ですね」

「つまり、魔法連合会が完全秘密にして専売している、治癒魔法具と同じ力ということだ。そりゃあ、魔法連合会も面白くないだろうし、脅威に感じるだろうね」


 シェリルは顔を上げた。

 ここにいる誰も、シェリルを嘲ることをしない。それどころか、すごい力があるのだと、期待してすらいるような気がする。

 果たしてほんとうに、そこまでの力があるのかは分からない。ただ、調合技術がずば抜けているだけかもしれない。

 それでも、身分もなにもかも失ったシェリルにも、できることが何かあるのかもしれない。


「魔法連合会は、シェリルさんの魔力に関して何かしらの情報を持っているのでしょう。そして、隠蔽しようとしている。治癒魔法具の秘密が分かれば、シェリルさんも魔法が使えるようになるかもしれないし、もっと凄いことができるかもしれないわ」


(魔法が使えるように……)

 

 シェリルは、手のひらに視線を落とした。

 今まで魔法が使えないことで、散々嫌な目に遭ってきた。

 普通じゃない自分が、嫌だった。

 魔力のことが分かれば、普通になれるかもしれない。それだけじゃない。もっと、レナやディートリヒみたいに、特別な力に変わるかもしれない。

 

(そしたら、どんなに幸せだろう)

 

 魔法を使って、学校で友達をつくって、レナやディートリヒの隣に、普通に立てる日がやってくるのか。

 

「さて、肝心の魔法連合会についてまったく掴めていないのが現状なのですが。ディートリヒ、あなたがここに来てくれたのは僥倖でした。魔法連合会から推薦状が届いたようですね」


 アンジェリカが、すうっと目を細めた。

 シェリルは背筋に冷たいものが走った心地になる。目は口ほどにものを言う、とはこういうことだ。


「つまり、魔法連合会に潜入し、そこで得た情報を流せとおっしゃるのですか?」

「まあ、そんなことは申しておりませんわ。ですが罪なき人を守らんとする志は、シェリルさんの境遇を救おうとする願いは、同じだと思っていますけれど。そしてわたくしには、それをできるだけの権力も人員もあるということです」

「………………」

「もちろん、レスター侯爵家へも今以上の待遇をお約束しましょう。大切な国民のために動いていただくのですから、わたくしたちも支援を惜しみませんわ」


 しばらくの沈黙があった。考えているのだろう。

 暗にこれは、ディートリヒにスパイをしろと言っているのだ。

 いや、魔法連合会に後ろ暗いことがなければ、ただの偵察だ。けれど、アンジェリカもディートリヒも、何らかの理由から、魔法連合会が清廉潔白だと思っていない。

 アンジェリカは急かすことなく待った。女神のような微笑みを浮かべて、静かにディートリヒの答えを待っている。

 

「……身に余る光栄です。ですが、それには及びません。もう十分すぎるほどの待遇をいただいております」


 アンジェリカの表情は変わらない。


「たとえ僕が侯爵家を引き継いだとしても、魔法連合会という大きな組織の変革は不可能です。万が一、魔法連合会が国民に不利益になることを成そうとしているのであれば、それを止めるべく殿下のお力を借りることになるでしょう」

「ええ、かまいませんわ。この不安が杞憂に超したことはありませんもの。わたくしも、報告がないことを祈っています」


 両者の利害が一致した瞬間だった。

 大丈夫だろうか。シェリルはなんとなく不安に駆られる。

 ちらりと横目でディートリヒを見ると、彼もシェリルの視線に気付いたようだった。安心させるように、にこりと微笑んでくれた。


「さて。シェリルさんは、詳細が判明するまでは王宮にいた方が安全でしょう。すぐに部屋を用意させますからね」


 アンジェリカはそう言うと、後ろに控えていたマリアンヌに目配せをする。

 シェリルは慌てた。


「お待ちください。それは、私は『ルフュージュ』に戻ることができないということですか?」

「キルノック子爵は間違いなく、魔法連合会の手の者です。次こそは、強硬手段に出てくるかもしれないのですよ」

「でも、それはディートリヒ様が守ってくれました! それに、私の薬を待ってくれている方がたくさんいるんです」

「今の会話で分かったでしょう。あなたは、できそこないではなかった。むしろ、あなたは魔法連合会の脅威となる存在かもしれない。あの場所に戻すわけにはいきません」

「そんな……。ディートリヒ様に毒を盛った人だって、まだ見つかっていません。薬師の私だったら、ディートリヒ様とは違う方法で、犯人にたどり着けるかもしれないのです」


 ディートリヒはいつだってシェリルを助けてくれた。

 これこそが、シェリルがディートリヒに唯一できるはずの恩返しだったのに。

 シェリルの言葉に、アンジェリカは軽く俯いて考え込む。


「そうですね……その事件にも魔法連合会が関わっているなら、材料は多い方がいいでしょう……」


 ぽつぽつと小さく呟いた後、アンジェリカは顔を上げて、マリアンヌを見た。


「マリアンヌ、シェリルさんについてあげなさい。なにかあれば、すぐに報告すること。よいですね?」

「かしこまりました」

「シェリルさん、マリアンヌをつけます。必ず、行動を共にしてください。それが条件です」

「あ、ありがとうございます……!」


 シェリルは、パッと顔を輝かせる。

 そして、ディートリヒの方に振り向く。

 

「ディートリヒ様、きっと、あなたのお役に立ってみせます。だから……」


 だから、なんだろう。

 任せてください? 信じてください?

 胸の奥から、熱いものがふつふつと湧き上がる。この気持ちはなんと言うんだろう。

 はくはくと口を動かすシェリルをどう思ったか、ディートリヒはそっとシェリルの両手をすくい上げた。


「うん、期待している。君はいつも、僕を助けてくれているよ」

「は、はい……」


 触れられた手が、じんわりと熱を持って、顔を耳を巡っていく。

 アンジェリカは、「あらあら」と微笑ましげにその様子を眺めていたが、二人はそれに気付くことはなかった。

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