第27話

「こっちよ。宮殿内のものは好きに見て良いけれど、迷子にならないようにね」


 冗談であろうが、どちらにしてもそんな余裕はない。

 粛々とマリアンヌの後をついていくと、ある場所で立ち止まる。謁見の間だ。

 マリアンヌは扉に手をかけながら、振り返った。先ほどのような冗談めいた表情はない。


「この先に、アンジェリカ殿下がお待ちよ。どうか失礼のないように」


 そう言って、ぐっと両手に力を込める。

 シェリルは思わず目を細めた。

 玄関ホールほどの豪華さではない。広い大理石の床。階段の上にある玉座に向かう、真っ赤なカーペットが敷かれている。

 一歩、中に足を踏み入れる。

 空気が、違う。

 ピリリと肌を刺すような緊張感に、シェリルは自然と背筋が伸びた。

 

「殿下、お連れしました」


 階段の下までたどり着くと、マリアンヌは膝を折り頭を下げた。

 それに倣うように、シェリルも、ディートリヒ、エリックも礼をとる。

 

「お待ちしておりました、シェリルさん、そしてレスター侯爵家のご子息であるディートリヒさん、陽炎術使いのエリックさん」


 砂糖菓子のように柔らかく甘い声が、シェリルの耳に届く。カツンカツンと、ヒールが階段を踏む音が近付いてくる。


「どうぞお顔をお上げになって。お会いできて嬉しいわ。ご存じだとは思うけれど、わたくしがヴァリテル王国の第一王女、アンジェリカ・ヴァリテルですわ」

「お目にかかれて光栄に存じます、王女殿下」


 ディートリヒのその言葉で、シェリルはゆっくりと顔を上げる。

 アンジェリカは、雪のような真っ白な髪を結い上げ、淡いピンク色の瞳を優しげに細めて二人を見下ろしていた。年齢は、三十代後半くらいだろうか。立ち姿から、王族の威厳が感じられる。

 雲の上の存在のアンジェリカが、どうしてできそこないのシェリルを気にかけていたのか、不思議でならない。それも、わざわざマリアンヌという使者を送ってまで。

 貴族ですら、滅多にないであろうこの機会に、シェリルは宙に放り出された気分になる。一体自分は何者で、どうしてここにいるのだろうかと。

 恐縮していると、アンジェリカはシェリルに目を向けた。


「あなたが、シェリルさんね。ふふ、緊張してらっしゃる? 大変な目に遭ったと聞きました。災難でしたね。あら、怪我をなさったの?」

「い、いえ。そんな……。怪我も、たいしたことありません。薬を塗ったので、数日もすれば治ります」

「そう? ……見せてちょうだい」

「おっ、王女殿下!? おやめくださ……あれ?」


 アンジェリカが、包帯を巻いているシェリルの手を不意に取る。驚いて手を引こうとしたが一歩遅く、包帯がはらりと床に落ちる。

 シェリルの手の甲には、怪我をした痕跡など見当たらない、つるりとした肌があった。

 アンジェリカの表情が、一気に厳しくなる。シェリルは慌てた。騙したのかと、お怒りになるかと思ったのだ。

 しかし、アンジェリカの第一声は違った。


「マリアンヌ」

「はい。……ええ、確かにこちら側の手の甲に、切り傷がありました。血も出ているようだったので、通常この数時間で治るような傷ではないかと」

「そう。本人にも適用されるのね」

「あの……?」


 シェリルがおずおずと声をあげると、アンジェリカはにっこりと笑った。


「ずっと、あなたのような方を探しておりました。あなたこそ、あの魔法連合会に対抗する鍵となりましょう。そうね、話すと長くなりそうだわ。マリアンヌ、応接間に案内してちょうだい」

「かしこまりました」


 恭しく頭を下げたマリアンヌは、シェリル達を、謁見の間の隣にある部屋へ案内する。

 中は、随分とシンプルだった。部屋の真ん中に三人掛けのソファが向かい合うように二つ置いてあり、真ん中にガラステーブルが置かれている。

 謁見の間のような豪奢さはないが、どれもシェリルの手に届くような金額の家具ではないのだろうなと思わせる、洗練された上品さがあった。

 アンジェリカが座り、後ろにマリアンヌが控える。反対のソファに、シェリルとディートリヒが座り、後ろにエリックが控えた。

 すかさず、それぞれの前に紅茶の入ったティーカップが置かれる。

 アンジェリカは頬に手を充て、「さて、何から話しましょうか……」と思案げな表情を浮かべる。


「今、貴族の間で薬師排斥の意見が出ているのはご存じよね? 歴史を辿ると、これに似たような事件がありました」

「似たような事件……?」


 アンジェリカはカップに手を置いて、シェリルを真っ直ぐに見つめた。


「――『魔女狩り』」


 シェリルにはピンとこない単語だった。しかし、ディートリヒとエリックは表情を険しくした。

 魔法学校では勉強するのだろうか。

 首を傾げていると、助けるようにディートリヒは語りだす。


「……およそ三百年前、魔法連合会が設立されるきっかけにもなった事件ですね。『魔女』……つまり、魔術師を滅ぼそうとした非魔術師を『魔女』と呼び、その者たちを弾圧したという」

「ええ、そうです。よくお勉強されていますね」

「実際に魔術師に危害がおよび、被害者も相当数出たと聞いています。魔女から魔術師を守るため、魔術師たちが集まって結成された保護団体が、現在の魔法連合会になった。要するに、魔法連合会は魔術師の英雄の集いであったと、授業では教えられています」


 やはり、魔法学校で教わるこの国の歴史らしい。魔法学校に通っていないシェリルは、全くの初耳である。

 だから魔法連合会は、魔術師から絶対的な信頼を得て、憧憬の的になっているのか。ただ単に優秀な魔術師が集まっているだけではない。悪い魔女から魔術師達を守った英雄たちが集う場所なのだ。


「つまり、魔術師は薬師の力を恐れており、それを排除しようと魔法連合会が動き出すかもしれないと、そういうことですね?」

「その通りですよ、ディートリヒ。あなたに毒が盛られた。それは魔術師たちに、それほど大きな衝撃を与えたのです」

「僕がその毒を飲まずに済んだのも、同じ薬師の知識のおかげだったんですがね」


 ディートリヒは横目でシェリルを見た。


「そんなこと、他の魔術師には分かりませんよ。その場にいた貴族たちは、ディートリヒに毒が盛られたという部分だけが、印象に残ってしまっていることでしょう」

「まったく。犯人さえ特定できれば、薬師排斥なんて突飛な考えも消え去るでしょう。少なくとも、僕の殺害が目的ではないようですから」

「ですが、天才魔術師ほどの人物を、毒で殺害できるかもしれないという考えは、みなの中に刻まれたでしょう」

「それは……」


 アンジェリカの言うとおりだった。

 ディートリヒに、マキネの木の実の粉末の知識を、マキネの花を与えていなければ、あの場でディートリヒはワインを飲んでしまっていただろう。更に言えば、ワインに仕込まれていたのが、マキネの木の実の粉末でなく、他の毒であったなら。

 天才魔術師と謳われるディートリヒですら、亡き者にできてしまうのだ。

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