第26話
魔法連合会が、魔術師らの信頼を得て権力を持ち始めてから、およそ三百年。
そして魔法連合会が魔術師から支持されるのと反比例するように、ヴァリテル王国の王族の権威は少しずつ落ち始めていく。魔法連合会のが貴族や国民に与える影響力が強すぎて、王族とは名ばかりの、ただのお飾りになってしまっていたのだ。
魔法連合会の関係者は王族と同等の地位を与えられている、などいわれているが、なんてことはない。王族が正式に認めたわけではなく、貴族の間で自然と、暗黙の了解になってしまっているというのが実際のところである。今の王族に、それを否定するほどの力は残っていない。
それを証明するように、門から王宮に向かう広い庭は、手入れがあまりされていないのか、草木が好き放題に生えており、前は立派であっただろう白塗りの壁はところどころ剝げている。
大まかなかたちを保つのに精一杯といった様子だ。
マリアンヌは苦笑して、後ろを歩く三人を振り返った。
「ごめんなさいね。王宮と言いながら、あまりお金や人を持っていないの。だから修繕や手入れまでなかなかまわらなくて。それに比べて、魔法連合会の建物は立派なものよ?」
先導を務めるマリアンヌは、ふと手を挙げて空を指さす。その指先の方向を追うと、淡く光る巨大な魔法式が浮かんでおり、その上に大きな建物がどっしりと建っている。真っ白で瀟洒な、まるで宮殿のようだ。
魔法連合会の本部である。
王宮に影を落として浮かぶそれは、我らこそがヴァリテル王国の頂点だと主張しているようである。
これが、現在の魔法連合会と王宮の力の差を物語っている。
かつての王宮は、あのように堂々としていたのだろうか。今は見る影もない建物に、シェリルはなぜか同情する。
マリアンヌは、敵でも見るような目で魔法連合会を仰ぎ、ぽつりと呟く。真っ白になるほどきつくこぶしを握っている。
「――あれを撃ち落とさんと、わたくしたちは辛酸を嘗めながら、彼らが尻尾を出すのを待っていたのよ」
撃ち落とす。随分と物騒な発言だ。
だがディートリヒは、楽しい話でも聞いたかのように、目を細めて顎を撫でた。
「尻尾ねえ……。やはり、治癒魔法具が撃ち落とす鍵かな?」
「……わたくしたちは、そう思っている。治癒魔法具の開発とともに、魔法連合会は猛威を奮ったわ。今の魔法研究では最先端をいく――いえ、本来は不可能な技術だから。でも、どのような仕組みで成り立っているのか、皆目見当も付かないの。完全に手詰まり状態よ」
マリアンヌは、両手を広げて首を振る。その様子から、治癒魔法具の解析にかなりの時間をかけたのだと推測できた。それでも、分からなかったのだ。
「治癒魔法具は、確かに得体が知れないね。僕も気になって解析しようとしたことがあるが……分かったことはほとんどない」
「そこで、この難局を切り開く要になるのが、シェリル様よ」
「わ、私ですか? あの……」
なぜか急にマリアンヌに指さされ、シェリルはたじろぐ。
「ご存じかとは思いますが、私は魔法の使えないできそこないで……。つい先日、とうとう貴族ですらなくなってしまいましたし……」
ここまでのこのことついてきて言うのもどうかと思うが、今のシェリルは何の役にも立たないだろう。ディートリヒはもちろんのこと、マリアンヌだって優秀な魔術師のはずだ。そんな人達がお手上げだというのに、シェリルに何ができるというのだろう。
しかしマリアンヌは予想外の反応を示した。
「あら、まあ。それは、魔術師としての話に過ぎないわ。そもそもの立つべき場所が違っただけのことよ」
「えっと……? だから私は貴族の身分を剥奪されてしかるべきだと?」
「違うわよ! シェリル様は魔術師ではない。きっと、あなたの力は、そう発揮されるべきものではないから。ええっと……なんて言ったらいいのかしら」
「……なぜそこで僕を見る」
「ここにいる中で、シェリル様の力を実際に体験したのはわたくしとあなただけ。あなたなら上手く言えるのではないかと期待したのだけれど。期待外れだったかしら」
「マリアンヌ様、我が主を侮辱するのはおやめいただきたい」
とうとうしびれを切らして、エリックが口を挟む。ぎろりと睨みをきかせる様は、なかなかに威圧がある。
しかしマリアンヌはけろりとしている。
「わたくしは事実を言っているまでよ」
「なんですと……?」
「ああああの、えっと、私の力というのは?」
マリアンヌとエリックの間に火花が散ったのを感じ、シェリルは慌てて間に入る。そのまま蹴飛ばされるのも覚悟したが、二人はシェリルを見て静かに引いていった。
ディートリヒが口を開く。
「魔法とは反対に位置する力、治癒の力」
シェリルはきょとんとディートリヒを見る。
「それはまあ、薬師ですから……」
「違う。君の薬の効果は、常識を逸しているんだ。これを見せた方が早いかな」
そう言って、ディートリヒは腕をまくった。綺麗な肌があらわになる。
唐突の行為に、シェリルはぎょっと目を剥く。王宮の敷地内とはいえ、誰が見ているかも分からないのに、不用心すぎやしないだろうか。
「以前、魔物に襲われて怪我をしただろう。今は傷ひとつ、跡ひとつ残っていない」
「あ……、よかった。ほんどだ、綺麗に治ってますね。治癒魔法具を使用されたんですね」
そこでシェリルは合点がいく。ディートリヒが肌を露出した腕は、知らずの森で負傷した方の腕だったのだ。
跡が残ってもおかしくないほどの具合だったので心配していたが、きちんと治癒魔法具を使ってくれたらしい。そうでなければ、こんなに早く、跡もなしに綺麗に治らないだろう。
胸をなで下ろすシェリルとは反対に、三人は困ったように視線を揺らす。
「本当に自覚がないんだね。僕は君に治療してもらってから、薬も、医者も、治癒魔法具も使ってない」
「え? でもその腕……」
「これが、シェリルさんの力だ」
どういうことだ、とシェリルは思う。
万が一、実は魔法を使えたと仮定しても、魔力の仕組み上、治癒魔法は不可能のはず。もちろん、治癒魔法具の仕組みだって知らない。
かといって、ディートリヒが嘘をついているとも思えない。
「どうしてこんなことが起こり得るのか、僕には分からない。魔力の突然変異か、無意識に未知の術式を組んでいるのか……」
言いながら、ディートリヒはマリアンヌに視線を向ける。歴史の長い王家と関わりのある彼女なら、なにか知っていると思ったのだろう。だが、マリアンヌの反応は思わしいものではなかった。
眉を下げて、ゆるりと首を振る。
「わたくしにも、分からないの。魔法の知識がある人は、ほとんど魔法連合会に流れてしまって。アンジェリカ殿下なら、なにかご存じかも。もともと、シェリル様に目をつけていたのも、殿下だから。これからの謁見で、殿下のご意見を伺いましょう」
話しているうちに、宮殿の前までたどり着いていた。見上げるほど大きな扉が、軋む音をたてながらゆっくりと開かれる。
同時に、巨大なシャンデリアが吹き抜けで吊される豪奢な玄関ホールが視界に入ってきて、シェリルはぽかんと口を開けた。
マリアンヌはああ言っていたが、それでもここはヴァリテル王国の王族が住まう王宮なのだ。知らずのうちに、シェリルはごくりと唾を飲み込んだ。
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