第25話

 


 ガロンが戻ってきたのかと一瞬身構えたが、女性の声だった。

 扉が開かれたままのため、日の光の加減で誰だか判別がつかない。目を凝らして人物を確認し、シェリルは喫驚して声をあげた。


「マリンさん……?」

「シェリルさん、下がって。どうやって入ってきた。外に僕の従者を置いていたはずだ」


 ディートリヒは立ち上がり、シェリルをかばうように前に出た。

 だが、マリンはカラカラと笑って目を細める。


「あら、そんなに警戒しないでちょうだいな。あなたの従者なら、ここに」


 マリンの後ろから、全身真っ黒の服で身を包んだ男性が現れる。どうやら彼が、店の扉を開けていたらしい。

 扉が閉まると、マリンの姿が浮き彫りになる。いつもとは違う、ふんだんにレースのあしらわれた豪奢なドレスに金のペンダント、宝石のアクセサリー。庶民ではあり得ない。

 ――騙されていた。

 ただ、直感的にそう思った。


「……エリック、どういうことだ」

「ディートリヒ様、まずはお話しを。この御方は――」


 裏切ったか。闇を撫でるような声でとがめるディートリヒに、エリックは深々と頭を下げる。後ろめたさも、申し訳なさも感じなかった。

 マリンが手を上げて、エリックの発言を止めた。

 

「『ルフュージュ』の薬師、シェリル様は、王宮で保護いたします」

「え?」

「王宮だと?」


 これはまた予想外の展開がきた。

 

 ぽかんとするシェリルとディートリヒに、満足したようににっこりと笑った。そして、ペンダントを外して、前にかざした。何かの魔法式を描いてペンダントに触れると、ある紋章が浮かび上がる。

 このヴァリテル王国の、王族の紋章だった。


「わたくしは、マリンアンヌ・ハイルラント。アンジェリカ殿下の命により、シェリル様の監視と、必要に応じて警護を行っていました。シェリル様、騙すようなかたちになってしまって申し訳なかったですね。ですが、わたくしが頭痛持ちなのは本当、あなたの力も本物ですわ」

「アンジェリカ殿下……? 私の、力?」

「ハイルラント……王家親族のハイルラント公爵か!」

「え⁉」


 朝の数時間で、様々なことが起こりすぎた。

 なぜ、王族がシェリルの事を知っている? 監視と警護とは、一体どういうことだ。

 シェリルが目を白黒させている間に、マリン――マリアンヌはディートリヒに向き直った。

 

「ディートリヒ・レスター様、あなたはある程度の状況は把握できているのでしょう? これ以上首を突っ込むのは危険。彼女からは一切手を引くことをおすすめするわ」

「……王宮が味方だという保証はない」

「あなたの信用などどうでもよろしい。爵位を継ぐ決意もない甘ったれに、用はないわ」


 あまりにも容赦がない。ぴしゃりと言い放たれた言葉に、ディートリヒの顔から表情が抜け落ちていく。マリアンヌの後ろに控えるエリックは、今にも目の前の人物を射殺しそうな、鬼のような形相をしていた。

 黙ってしまったディートリヒを気にした風もなく、マリアンヌはすたすたとシェリルの前まで歩いてくる。優雅な動作でシェリルの手を取ると、いたわしげに手の甲を撫でた。


「怪我をしているわね、痛かったでしょう。王宮に戻ったら、すぐに手当てをさせるわ」「あ、いえ、だいじょうぶ、です。自分でやります……」


 おずおずと、優しく握られた手を引き抜く。今まで気軽に雑談をしていた薬屋の客は、王家直属の貴族だったという。どう対応したものか悩み、言葉がぎこちなくなってしまう。


「ああ、そうよね。シェリル様の作った薬の方が、絶対にいいわ。あとね、どうかそんなに硬くならないでちょうだい。名前も身分も偽ってしまっていたけれど、中身はマリンと変わらないのよ」


 そう言われても。

 はいそうですかとも答えられず、シェリルは苦笑いを浮かべて腰を上げた。奥に引っ込み、傷薬を塗る。少し血も出てしまっているため、包帯を巻いて軽く保護する。

 痛みも引いてきたことを確認して、接客間に戻ると、マリアンヌが心配そうな顔を浮かべて待ち構えていた。


「ちょっとした切り傷なので、すぐ治ると思います。それよりあの、王宮というのは」

「事情を話したいところだけれど、ここではちょっと……。不安でしょうけれど、王宮についたら必ず説明すると約束するわ。だからどうか、今は私についてきてくれないかしら」


 マリアンヌの顔は真剣だった。シェリルのことを心から案じてくれているような声色だ。なぜ、こんなに丁寧に接してくれるのだろう。それも、王族の関係者が。

 平民に成り下がったシェリルなど、先ほどのガロンのように無理矢理力技で連れ出してもいい身分のはずだ。

 信じていいのかは判断できなかった。でも、正しい選択も分からなかった。

 シェリルの身体から力が抜けたのを察したマリアンヌは、ゆっくりと手を伸ばしてシェリルの手を取った。


「外に馬車を用意しているわ、そこまで歩けるかしら」

「はい……それよりあの、店の裏に愛馬がいて」

「ええ、その子も後で王宮へ連れて行くよう手配しておきましょう」

「――キルノック子爵は、ゲイビー伯爵のご子息だったか」


 シェリルをエスコートしていたマリアンヌが、歩みを止める。

 視線だけ、ディートリヒに向ける。

 ディートリヒとマリアンヌの視線が交わる。


「ゲイビー伯爵は、魔法連合会の職員だな」

「……それが、なにか?」

「僕が爵位を継げば、いいんだな?」


 マリアンヌは呆れたように小さく息を吐く。


「そういう問題ではないのだけれど。そこまで分かっていれば、この件はお遊び気分で関わらない方がいいことも分かっているはず。あなたは、なにをそんなに拘るのかしら」

「やはり、魔法連合会が関わっているんだな?」

「あら、わたくしそんなこと言ったかしら」

「キルノック子爵を追い払ったのは僕だ。彼女の魔力の性質についても、僕は気付いている」


 マリアンヌとディートリヒはにらみ合う。シェリルとエリックは蚊帳の外だ。とはいえ、シェリルは彼らの会話の内容がまったく理解できないのだが、エリックは幾分か理解しているように見える。


「…………あなたのところに、魔法連合会から推薦状が届いているわね? もし、わたくしたちに付いてくるというのなら、その推薦状は破いて燃やしなさい」

「わかった」


 考える素振りも見せず、ディートリヒは頷いた。懐から封筒を取り出し、中の書状をマリアンヌに見せつけるように広げた。右下に、魔法連合会のサインが入っている。

 上辺を両の指で摘まみ、力を込めているのか皺が寄る。

 その様子に、シェリルはすっと心臓が凍る心地がした。


「ま、まってください!」


 口から出た言葉に流されるまま、マリアンヌの元から飛び出し、ディートリヒの腕を掴む。

 今、マリアンヌは「魔法連合会からの推薦状」と言ったか。


「ごめんなさい、正直、お二人が何を話していたのか、なにが起こっているのか私には分かりません。でも、その書状がとても大事なものだということは分かります」


 レナがいつも言っていた。魔法連合会は、王族と同等の地位を与えられている唯一の機関。そして、全ての魔術師が憧れる機関。

 推薦状ということは、魔法連合会への入庁が濃厚なはず。それが貴族としてどれだけ重要なことか、シェリルにだって分かる。

 ディートリヒはシェリルの手をそっと握って、ほほ笑んだ。


「気遣ってくれてありがとう。でも、この推薦はもともと断ろうとしていたから、問題ないよ。破って燃やすだけで、真相に近づけるならとても安いものだ」

「断るって……なんで? だって魔法連合会は、この国の最高機関で、職員になれることは魔術師の誇りだって」

「誇れない場所かもしれないということだ。王宮が動いているなら、猶更だ。僕は、名声よりも魔術師としての矜持を大切にしたい。それが出来るなら魔法連合会に入る価値はあるけど、どうやらそうでもなさそうだ」

「え……?」


 シェリルは呆然と、ディートリヒを見上げる。

 一体、何を言っているのだ。魔法連合会に入ることは、天才魔術師(ディートリヒ)の矜持に反するとでもいうのか。

 むしろ、最もとない誉れだろうに。


「まあ、素晴らしい。思っていたより腑抜けではなさそうで安心したわ。天才魔術師と名高いあなたがこちら側についてくれるなら、こんなに頼もしいことはありません」


 後ろから、拍手をしながら明るい声を上げたマリアンヌが近づいてくる。

 ディートリヒはマリアンヌの言葉を受け、苦い顔をした。


「随分と不名誉なレッテルが張られていたようだね。爵位を継ぎ、推薦状を燃やすのが正しい道なら、僕は迷わずそうするさ」


 言いながら、親指と人差し指をこするように動かすと、ポッと小さな炎が浮かぶ。

 推薦状を燃やそうとしているらしい。本当に、燃やしてしまっていいのだろうか。シェリルが不安そうに炎を見つめると、マリアンヌは小さく笑って、魔法式を書いてディートリヒの炎を消した。


「焦らないで。あなたの決意はよくわかったわ。その書状をどうするかは、アンジェリカ殿下に判断していただきましょう」

「は? 君が燃やせと言ったんじゃないか」

「言葉のあやですわ。あなたがどれだけの覚悟で関わろうとしているのか、テストしたに過ぎません」

「………………」

「さて、王宮に向かいましょうか。気を付けて、見張られているかもしれないから」


 シェリルとエリック互いに顔を見合わせる。

 もしかしたら、ディートリヒとマリアンヌの相性はあまり良くないのかもしれない。

 初めて顔をあわせたシェリルとエリックが、初めて意見が一致した瞬間だった。

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