第24話

「レナに何か、あったのですか?」

「いや、ネルヴェア嬢に直接関係していることではないんだ。社交界がちょっとした騒ぎになっててね……」

「ちょっとした騒ぎ?」

「ほら、ネルヴェア伯爵邸に毒が持ち込まれただろう? 僕がすんでの所で気付いたからまだよかったんだけど、魔法で見抜けない毒や薬が危険視され始めててね……。薬師を取り締まるべきだのなんだのと、魔術師が騒ぎ出してるんだ」

「……はあ。魔術師が非魔術師を恐れますか」

「そう言ってくれるな。僕だって君の教えがなければ、今頃死んでいたんだ」


 魔術師が憧れる天才魔術師ディートリヒ・レスターが、毒で命を落とした。そんなことになれば、社交界は今以上に混乱に陥っていただろう。天才魔術師をも殺すものが、この世にあるのだと。それを扱う薬師は、危険な存在ではないのかと。


「まあ、実際、魔法ではなく毒が使われたということで、犯人の足取りがなかなか掴めなくて苦戦させられているのも事実。魔法だったら、必ず魔力の痕跡が残るからね」

「そういうものですか」


 シェリルからすれば、薬や毒の方が見抜きやすいし対処もしやすい。しかし魔術師は違うらしい。魔法が頂点と考える彼らからすれば、その頂点が見抜けぬものは恐怖の対象になり得るか。

  

「それについて少し、気になることが」

「気になること?」

「まず、あの時も言ったように、犯人が催淫効果目的で薬を使用したのは間違いないでしょう。ただ、本当に貴族階級で実行する人がいるとは思えな……なんですか?」

「……いや、失礼。改めて、君の口から『催淫』という言葉を聞くのは、何というか……すまない、話を戻そう。貴族でマキネの木の実を使うのはおかしいのかい? 前に、『そういう』目的で使用される可能性もあると、脅された記憶があるのだけれど」


 こちらは真面目に話しているというのに、どうしていちいち引っかかるのか。シェリルの冷めた視線に気付いたのか、ディートリヒは慌てて咳払いをして、続きを促した。


「……あくまでも可能性です。マキネの木の実は、冷静な人でも我を忘れるほど欲情させる、強い効果と即効性があります。言い換えれば、正気に戻ると『あの時は何かがおかしかった』と気付く人も少なからず出てくるということ。使用するには、それなりにリスクがあるのですよ。娼館ではお互いにそのつもりでいるし、『そういう』薬が使われるのも承知の上、という前提があるから使われるのです。あの状況で使用するには、あまりにも違和感があります。きっとすぐにバレる。それほど切羽詰まっていたのでしょうか? 犯人の意図が見えません」

「疑問に思うのは、シェリルさんが薬に詳しいからじゃないかな? その……さ、催淫剤だって聞いただけだったら、そこまで考え至らないと思う」


 ディートリヒは恥ずかしそうに、そして言いづらそうに「催淫剤」と言葉にする。なんだか可愛いと思ってしまった。平気でその単語を口にしてしまう自分は、果たしてディートリヒにどう映っているのだろう。恥知らずの元できそこない令嬢とでも、心の中で呼ばれているかも知れない。

 まあ、それはいい。シェリルは軽く頭を振った。


「そこです。前にもご説明したとおり、マキネの木の実を販売する際は、使用上の注意や起こりうるリスクを必ず説明することになっています。つまり、ディートリヒ様のおっしゃるとおり、催淫剤としか知らされていなかったのではないでしょうか」

「……犯人は、マキネの木の実が毒になると知らなかった?」

「ええ。そしてもうひとつ。催淫効果目的で使用する場合、忘れてはならないことがあります。薬を飲んだ直後に、傍にいなければなりません。相手に触れるか、視界に入る必要がある。でなければ、レナか私が相手になってしまいます」

「なるほど。その条件も知っていたか怪しいけど」

「貴族であるならば、藪であれ正規であれ、必ず薬師を通して入手しているはずです。ディートリヒ様、どなたかから薬を盛られる心当たりはありませんか?」

「う、うーん……随分と答えに困る質問だな」


 ディートリヒは困ったようにはにかんだ。


「聞くもまでもない質問でした。誰から盛られてもおかしくないですね」

「…………また胃が痛くなりそう」


 シェリルの反応を受け、ディートリヒは難解な問題でも前にしたかのように、眉をぐねぐねと動かした。

 答えによってはある程度、犯行に及んだ人物に検討がつけばいいと考えただけの質問だ。決しておちょくっているつもりはない。

 ちょっと反応が面白いとは思わなくもないが。


 ともかく、いくら藪薬師とはいえ、催淫剤の発動条件くらいは伝えているはず。

 たぶん、犯人はディートリヒのすぐ近くにいたのだ。

 ワインを飲んだタイミングを見計らって、声をかけるなりしてディートリヒの意識を自分に向けさせようとしていた。だから、ディートリヒが毒だと言ったとき、とても驚いたのではないだろうか。


「――――――あ」

「何か他に気付いたことでも?」

「……いえ、まだなんとも。とりあえず、直近でマキネの木の実の売買があったか、薬師の方々に聞いてみますね。藪薬師だと、辿るのにかなり時間がかかりそうですが……」

「それはとても助かる。薬師であるシェリルさんにしかできないことだ。あなたがいてよかった」


 ふわりと優しい笑顔を向けられて、シェリルは反射でぱっと顔をうつむけた。忘れていたが、ディートリヒはとんでもない美貌の持ち主だった。その笑顔を直視するなど、顔面に拳をぶつけられるのと同じくらい暴力的だ。

 シェリルは別の意味で、仮面をつけたくなる。


「でも、今シェリルさんが動くのは危ない気がするな。また、子爵みたいに専属薬師にと誘いにくる貴族が出てくる可能性もある」

「まさか。これまで、こんな辺鄙なところに貴族が来たことなどありませんよ。キルノック子爵は例外でしょう」

「それを言うなら、僕も貴族なんだけどな……」


 そうだった。

 忘れてはいない。シェリルの中の貴族像とディートリヒがかけ離れているせいで、別枠に置いてしまっただけだ。


「ともかく、僕の予想が正しければ、また他の貴族が来ると思う。次は、もっと高い爵位の貴族が来るかも」

「でも、今は薬師が危険視されているんですよね? わざわざ、貴族の反感を買うような事をする人がいるでしょうか……」

「そう簡単な話でもないんだよ。うーん、どう説明したらいいかな……」


 ディートリヒは腕を組んで、うんうんと頭を揺らしながら考え込む。

 彼が何をそんなに気にしているのか、シェリルには理解ができない。

 口を挟まず見守っていると、いいことでも思いついたというように、ぱっと顔を輝かせた。


「そうだ、レスター家の専属薬師にならない? そうすれば、さっきみたいに君のことを守ってあげられる。薬師のままでいられる」


 シェリルはその提案に崩れ落ちる。まったく繋がりが見えない。


「ええ……? 私、専属薬師にはならな……」

「その必要はないわ」


 突然降ってきた第三者の声。

シェリルとディートリヒは、はっと扉の方に顔を向ける。

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