第23話

「――何をしている」


 けたたましい音を響き渡らせる店内に、鋭い声が投げられた。

 ぴたりと魔法が止む。こわごわと目を上げると、ガロンは光の糸に拘束されもがいていた。この光の糸を、シェリルは前にも目にしたことがある。


「お前は……キルノック子爵だな。こんなところで何をしている。随分と店を荒らしたようだが」

「ディ、ディートリヒ様……? なぜこのような場所に……」

「僕が、先に聞いているのだぞ」


 ディートリヒにぎろりと睨まれ、ガロンは怯えたように震えあがった。先ほどまでシェリルに対して横暴だった態度が嘘のようにしおしおとしぼんで、その様子はあまりにも滑稽だった。


「し、失礼いたしました、ディートリヒ様。実は、この店の薬が良く効くと噂で耳にしたもので、専属薬師にならないかと声をかけていたのです」

「ほう。それがどうしてこの惨状に繋がるのだ」

「断られたのでございます。……ええ、そうです。この薬師は身分不相応にも、貴族である私に反抗したのでございます!」


 次第に、瞳が爛々と輝いていく。

 平民階級が貴族階級にたてつくなど言語道断。少し前まではシェリルの爵位の方が上だったが、今は違う。ガロンの考えている通り、「ルフュージュ」の薬師は平民も同然である。

 ガロンはまだ自分に分があると思ったのか、先ほどまでの萎縮モードはどこへやら、宣誓するように声高々に訴える。


「そうです、ただ私は、反抗した罰を与えていただけでございます」

「なるほど」


 ディートリヒから同意を得られ、ガロンの顔が喜色ばんだ。しかし次の言葉で、一気に表情が抜け落ちる。


「ならばその薬師に罪はない。既に僕が、専属薬師にどうかと声をかけていたんだ。彼女はそれを気遣ったのだろう」

「は……ディートリヒ様が、専属薬師を、ですか?」

「僕が専属薬師を持つのは変か? 彼女は、お前のような貴族の耳にも入るほどの腕の持ち主なのだろう。その技術を保護しようと、専属薬師に誘いをかけていてもなんらおかしくはないと思うが」

「め、めっそうもございません! 魔法だけでなく、薬師としての技術にも積極的なご活動、さすがでございます。そうとは知らず、大変な失礼をいたしました」


 ガロンは手のひらを返したように、ディートリヒにひれ伏した。切り替えの速さが、いかにも貴族らしい。


「謝罪するのは僕ではないだろう」

「………………店を荒らして、申し訳なかった。弁償金はあとで、使いの者に持ってこさせよう」

「……謝罪だけ、受け取らせていただきます。弁償金は、結構でございます」


 とても嫌そうに、こちらに顔も向けず、口先だけの謝罪なのは明らかだった。でも、シェリルとしてはこれ以上ガロンと関わりたくない。もう二度と顔を見せないでくれればそれでいい。

 シェリルの言葉を受けて、ディートリヒは手を振ってガロンを拘束していた糸を解いた。


「そういうことだ、キルノック子爵。専属薬師なら他をあたってくれ。その店主からは、手を引いていただきたい」

「……は、承知しました」


 ガロンは頭を下げ、そのまま店を後にした。表情は見えなかった。

 扉が閉じるのを見届けて、シェリルは解放された心地で細く息を吐き出す。その息がわずかに震えていた。

 店はめちゃくちゃになってしまった。この後に、変に言いがかりをつけてもっと酷いことをされるかもしれない。

 場所を移すべきか。せっかく、シェリルが築き上げたこの店を、捨てなければならないのか。

 とりあえず、目先のことをなんとかしなければ。シェリルは割れた仮面を顔に押しつけたまま、口を開いた。


「助けていただき、ありがとうございました。……店はご覧のとおりの有様でして、薬のご用意ができそうにありません。申し訳ないのですが、本日のところは……」

「ああ、今日店に来たのは、薬のためじゃないよ。最近は随分と調子が良かったんだ。……まあ、ここ数日の間に色々ありすぎて、僕の胃も限界がきたみたいだけど」


 そう言って、思い出したようにお腹を押さえるディートリヒの顔は、死人のように青くなっていた。あまりの顔色の悪さに、シェリルはぎょっとする。


「と、とりあえず落ち着くまで、どこかおかけになっていてください!」


 ソファも風の刃でビリビリに破けてしまっているが、座れないことはないだろう。

 ディートリヒの薬に使用する薬草が無事か確認するにも、まずは仮面をなんとかしなければならない。無事そうな仮面を手に取って、奥に引っ込もうとした。


「待って」

「あの、お話しなら、仮面を取り替えたあとに」

「僕の前で、仮面(それ)は不要だ――シェリルさん」

 

 シェリルははっと目を見開いた。

 どうして、という思いと、やっぱりか、という思いがまぜこぜになる。

 誤魔化そうか一瞬迷い、やがて諦めたようにぽつりと言った。


「……気付いてらしたんですね」


 押さえていた仮面からゆっくりと手を離した。シェリルを守っていた仮面は破片となって、崩れるように床に落ちていく。

 顔を上げると、静かな湖面のような透き通った瞳が、じっとシェリルの姿を映している。


「どうぞ、まずはおかけになってください」


 顔色の悪いディートリヒをソファに促し、座らせる。

 幸い、奥にある作業場所はそこまで被害がなかったので、リラックス効果のあるハーブティーを淹れる。腹痛に使用する薬草も無事だったため、あわせて調合をする。

 ヒビの入ったテーブルに恐る恐る茶器を乗せて、ディートリヒに向き合うかたちでシェリルも腰掛けた。

 仮面をつけずにこの席に座るのは、どうしても落ち着かない。


「……いつから」

「あの夜会で。もともと確信はなかったんだけど、君から馴染みのある薬草のにおいがしたり、マキネの花や木の実についても知ってるみたいだった。念のため説明を求めてみたら、仮面の店主と話し方がそっくりだったから」


 なるほど、あの場でマキネの説明をシェリルにさせたのは、仮面の薬師との整合性を図るためか。そしてあれほどシェリルを助けてくれたのも、そもそもシェリルに薬の知識があると分かっていたからだろう。

 そう考えると、すんなりと納得できた。

 ディートリヒは、薬とお茶を飲んで、少し落ち着いたようだった。顔色は戻っているけれど、目には覇気がない。隈もできている。

 

「……お疲れのようですね」

「ああ……、あれから一向に進捗がなくてね。あの事件があってから、あまり休む間もない。君の濡れ衣を晴らすのはまだ先になりそうだ。申し訳ない」

「私のことはお気になさらず。むしろ、感謝すべきです。ディートリヒ様の助けがなければ、今頃死んでいたでしょうから」

「君の無実は明らかだったからね。あの警察官が、あまりにも頑固すぎるのがいけない。歳もいっているようだったし、早めの退職をおすすめしたいね」

「……ふふ」


 ディートリヒは冗談めかしく、ニッと口角を上げた。

 その様子に、シェリルも釣られて笑ってしまう。

 きっと、そんな冗談を言っている余裕はないだろうに、ガロンに店を荒らされて怖い思いをしたシェリルを気遣ってくれている。


「私はすでに伯爵邸を出ていますし、警察がすぐにここを特定できるとも思いませんので、今はそんなに不安はありません。ただ、急だったものでレナとは話す時間がなくて……」

「ネルヴェア嬢か。確か、親友なのだっけ?」

「ええ。今回のことでもだいぶ迷惑をかけてしまって……。今、レナも大変な状況なのではないですか?」

「うーん、夜会直後は慌ただしかったかな。けど、最近は僕もあまり余裕がなくて、ネルヴェア嬢には会えていないんだよね」

「そうでしたか」

「ただ……」


 ディートリヒは何かを言いかけ、思い直したように口を閉ざした。視線が不自然に揺れる。言うか言うまいか、悩んでいるようだった。

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