第17話
「最っ悪」
シェリルは、鏡に映る自分の姿に悪態をついた。
鮮やかな黄色のドレスに、光の反射で僅かに青色に輝くスパンコールがちりばめられている。
ブルーサファイアのイヤリングに、同じ宝石を中央に置いた豪奢なネックレス。
何も知らずに見れば、とても美しい装いだ。
しかし、シェリルはこのドレスの持つ意味が嫌でも分かってしまう。いや、シェリルだけではない。レスター次期侯爵であるディートリヒを意識していることは、見る人が見れば明らかである。
無意識に、「はっ」と鼻で笑っていた。
皆が嘲る「できそこない」が、天才魔術師に懸想しているなど噂が流れたら、それこそお笑い草だ。
それだけでなく、レスター家とネルヴェア家、どちらも敵に回しかねない。世間体のことばかり考えているくせに、そんなことも分からないのか。
せめてアクセサリーだけでも取ってしまおうと、感情のままにイヤリングに手をやったとき、扉を叩く音がした。
諦めて手を止め、扉を開いた。
「まあ、シェリル! とっても素敵よ。流石私たちの娘ね。ねえ、あなた」
「ああ。これならディートリヒ様も、シェリルに見とれるだろう」
仲むつまじげに、シェリルの部屋に押し入ってくる。いつもにましてケバケバしい。
シェリルは心の中で唾を吐いた。本気で思っているのなら、おめでたい頭だ。シェリルが黙ったのをどう受け取ったか、にこりと笑った。
「安心してちょうだい。レナ様のドレスは、ネルヴェア家紋章と同じ緑色だそうよ。シェリルのドレスも、招待状が来て早々に決めたから、被るご令嬢はいないと思うわ。大丈夫、ちゃんと目立つに決まっているわ」
そういう問題ではないのだが、訂正するのも面倒なので黙って頷いておいた。
これでレスター家やネルヴェア家と疎遠になっても、シェリルの知ったことではない。もっと言えば、ソワイエ家がなくなったところでどうでもいい。かれらはシェリルの責任にするかもしれないが。
シェリルの相づちに安心したのか、今度は「そろそろネルヴェア伯爵邸に向かわなければ」などとのたまう。いそいそと馬車に向かうふたりの後ろを、静かに付いていく。
兄たちは先に向かったか。こんな機会を逃すはずもない。
憂鬱な気持ちで馬車に乗り込み、浮かれた声で会話する両親から顔を背ける。ネルヴェア伯爵邸に着くまで、シェリルは口を開かなかった。
「お招きいただき感謝します。こちらを」
「ソワイエ伯爵、お待ち申し上げておりました。どうぞこちらへ」
父が招待状を見せると、ネルヴェア家の執事は心得たようにお辞儀をした。彼に案内され、メインホールまで歩いていく。
中は喧噪としていた。
シャンデリアの煌々とした光、人々が談笑する煩音、軽食のにおい。ホールにあるすべてが、シェリルの五感を刺激する。ルフュージュの方が百倍マシだな、と心の中でひとりごちる。怪しげに店内を照らす僅かな光、相談をする客の声、充満した薬草のにおい。あそこは唯一のシェリルの居場所。
「シェリル! 待っていたわ」
鈴を転がすような凜とした声が、シェリルの意識を連れ戻す。はっとして視線をやれば、深く美しいグリーンのドレスを纏ったレナがこちらに駆け寄ってくるところだった。つややかな亜麻色の髪を見せつけるように、レナが動く度にふわりふわりと揺れる。
レナが近付いてきたのに気づき、隣にいた両親は慌てて礼をとった。レナはそれに応えると、改めてシェリルの方に身体を向けた。
シェリルの纏うドレスを見て、虚を突かれたような顔をした。「ほら見ろ」とばかりに呆れた表情を浮かべる。レナはこのドレスの意図に気付いただろう。言い訳するのも違う気がして、隣に目配せした。自分の本意ではない、勝手に着せられたのだと。
納得したのかしていないのか、レナは鷹揚に頷いた。
「来てくれて嬉しいわ、シェリル。どうぞ奥まで入って。お菓子もたくさん用意したの、一緒に食べましょう」
「お招きどうもありがとう。でも私はそんな」
壁の隅に置いておいて欲しい。できるだけ目立ちたくないのだ。
夜会の主催者であるネルヴェア伯爵の娘となれば、否が応でも注目を集める。おまけにレナは優秀な魔術師だ。
渋るシェリルの手を、緩慢ながらも存外強い力で掴んだ。
「レナ」
「この間約束したでしょう、ディートリヒ様ももういらしてるわ。行きましょう」
本気で?
レナは、シェリルがいるだけで場が和むなどと言ったが、シェリルはそうは思わない。むしろ空気を悪くする気がする。今の自分の格好も相まって、とても会いたくなかった。
しかしシェリルの意思に反して、レナはぐいぐいとシェリルの手を引っ張っていく。絶望的な気分で、レナの後ろ姿を見つめた。
「レナ様、ご挨拶申し上げます」
途中、次々とレナに声がかかる。その間にも、方々から視線を感じる。虎視眈々と、ネルヴェア伯爵令嬢に声をかける機会を窺っているのだ。
そしてレナに声をかける人は必ず、隣にいるシェリルに眉をひそめ、去り際にもう一度侮蔑の視線を寄越してくる。
――お前のような出来損ないが、無礼にもレナの隣を陣取るのか、とも言いたげに。離れたくもレナがその手を離さないせいなのだが、そんなことは彼らの視界に入らないらしい。まったく便利な目をお持ちなことだ。
「魔術師・レナ様、本日はお招きいただきどうもありがとうございます」
「あら、魔術師見習いのアンネローズ様、わざわざそちらからご挨拶に来ていただけるなんて、驚嘆の心地ですわ」
ヴァリテル国の社交界では、招待客から主催者に挨拶に行くのが常識とされている。レナは、アンネローズにそんな常識を知っていたなんて驚き、とでも言いたいのだろう。アンネローズもその意味をきちんと捉え、ひくりと口元を歪ませた。
レナの話では散々になじられていたアンネローズだが、シェリルの印象としては「綺麗な人だな」だった。
薄いブルーの髪を、レースの飾りで華やかにまとめあげている。中心にはアンネローズの髪色と同じ、透き通った青い宝石が鎮座している。深い青色のドレスは、アンネローズの白い肌を強調しているようだった。
つり目がちの瞳が、レナを見据えた。彼女にはシェリルの姿など視界に入っていないらしい。
「ふん、そう強気でいられるのも今のうちよ。見てなさい、あっと言わせてやるから。後悔しても遅いわよ」
「なにがおっしゃりたいの?」
その問いに答えることなく、アンネローズはなぜか勝ち誇った顔をして、ドレスを翻した。早足のためか、シフォン生地のドレスの裾が空気を巻き込んでぶわりと浮いては沈んでいる。波のようだと思った。
レナがいぶかしげに頭を傾げて、その後ろ姿を見送る。
「……なんだったのかしら? それはそうと、あの方のあの顔、とても腹立つわね」
「新たな魔法でも習得したんじゃない?」
とはいえ、レナには遠く及ばないと思う。だが少なくとも、シェリルより優秀なのは間違いない。比べるのも失礼な話だ。
自分よりも圧倒的に格下のシェリルになんて目もくれず、優秀な魔術師と評されるレナに真っ正面から突っかかっていく姿は、いっそ好感が持てた。ぜひそのまま頑張っていただきたい。
「まあ、いいわ。それよりシェリル、こっち」
色々邪魔が入って遅くなっちゃったわ、などとぶつぶつ言いながら、音楽が鳴りダンスが始まっているホールを器用に抜けていく。ある一点にたどり着くと、ドレスの塊――いや、人の塊があった。
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