第16話
「やってしまった」
「何をしているんですか」
ディートリヒは「ルフュージュ」を出た直後、頭をがっくしと俯け、両手で顔を覆った。
ディートリヒの後を追い、エリックは扉からするりと身体を滑り込ませて外に出る。陽炎術を解き、呻く主人に哀れみとも呆れとも言えない視線を向けた。
そんな従者の失礼な視線を完璧に流して、ディートリヒは自責の念に苛まれる。
やってしまった。こんなつもりではなかった。
店主の身分など、探るつもりも興味もなかった。
だが、それを超えるほどの衝撃だった。
貴族の間に流れる暗黙の了解など、彼女の枠には当てはまらない。
「結局、この不可思議な現象も分からずじまいか」
ぐるりと腕を回してみせる。
数日前に大けがをしたというのに、今は一切の痛みもなく、傷口もきれいさっぱりなくなっている。それこそ、どこに怪我をしたのか分からないほどに。
腕に怪我をしてから数日、ディートリヒは治癒魔法具を使用していない。
怪我をどうこうできたのは、薬屋からもらった薬以外に考えられないのだ。
そのため、薬屋に何か怪しい魔術痕が隠されていないか、仮面の店主本人が意図的に行っている事かなどを探ろうとした。今まで外で待たせていたエリックを、陽炎術を使わせて店内にいれたのもそのためだ。
ディートリヒは店主本人を、エリックは店内の痕跡を。
「しかしあの店主、随分と失礼な御仁でしたね。ディートリヒ様が貴族だということも感づいているでしょうに、あの態度」
店内の調査報告もろくにせず、エリックは口をへの字にして、薬屋の店主について愚痴る。
彼はもともと忠誠心が高い従者であるが、今の愚痴にはそれだけではない感情が交ざっているのをディートリヒは感じ取っていた。ディートリヒは、わざとらしい乾いた笑い声を上げ、エリックの図星をつく。
「ははは。下町の女性に術を見破られたからって、すねるんじゃない」
「すっ、すねてなんかいません……! それとこれとは関係ないでしょう!」
「関係あるだろう。彼女をああいう態度にさせたのは僕の落ち度だ。彼女はこちらの事情に今まで一切踏み入ってきたことないのに。お前だってそれを分かっていたはず」
「それは……」
エリックは、ぐっと言葉を詰まらせる。
ディートリヒの言うとおり、店主は貴族風な姿をしたワケありそうな客でも、他の客と変わらず「お客様」として扱っていた。こちらが踏み込まない代わりに、そちらも踏み込んでくれるなという意思表示でもあり、どんな事情でも一切干渉しないし吹聴しないという安心感も与えられていた。
店主が貴族の可能性も出てきた今、これがどれだけ配慮された対応か。
エリックはばつが悪そうに、だんだん視線を下に落としていく。
彼も優秀な魔術師だ。庶民が魔法を見破られるなど、ただ者ではない。それに、彼女自身敢えてこちらに接触し、エリックを煽るような言葉を選んでいるように見えた。
何のために?
「まあ、いずれ彼女のことも調べる必要がありそうだ」
ディートリヒは笑顔を引っ込め言った。
あの庶民の女性について調べるのは、おそらく緊急でする必要はない。それよりも。
「エリック、店内に怪しい痕跡は?」
エリックははじかれたように顔をあげた。周囲を窺うように視線を彷徨わせた後、ディートリヒを馬車まで案内する。
「まず、壁に吊り下げられている薬草に、魔力は残っていませんでした。そのほか魔法を使ったような痕跡も見当たりませんでした。ただの薬草と判断してよいかと」
「そうか」
「しかし、調合後の薬には僅かな魔力が感じられました。詳しく調べる余裕はなかったため、以前と同様な魔力かは分かりかねます。とはいえ」
エリックは一度そこで言葉を止めた。微かに唇が震えている。まるで、恐ろしい魔物の姿を語るのをためらうように。
ディートリヒはその先を引き取った。
「調合に、魔力の籠もったものは使用されていなかったか」
「……はい。もちろん、店主が調合中に魔法式を使うようなこともありませんでした。奇妙な術にでもかかっている心地です」
「ならば、その魔力は一体どこからきたのだろうな?」
ディートリヒの問いかけに、エリックはなにも答えなかった。
「単純に考えれば、調合中になんらかの生物が『誤って』混入してしまった、あたりが妥当だろう。ただ、全部となればこの推察も不可能か」
エリックに聞かせるというよりは、ディートリヒ自身で考えを口にして、正解を導こうとしているようなトーンだ。顎に手を充て、思考を巡らせる。
薬に含まれるのは、自然に漂うような魔力と同じ。調合された薬が他の薬師と変わらないというのであれば、この異常とも言える効果はその魔力によるもの。
ふとディートリヒは、あり得ない仮説にたどり着いた。
「まさか、ありえない」
しかし、考えれば考えるほど、そうとしか思えない。
店主にばかり気が行っていたが、見方を変えれば、患者は薬に籠もった魔力を取り込むことによって病気や怪我が治っている。魔法連合会が門外不出としている、治癒魔法具の仕組みとそっくりではないか。
「エリック、貴族階級で非魔術師がいるかどうか調べて欲しい」
「店主の身元をしらべるのですか?」
黒い瞳がぱちりと瞬かれた。薬に込められた魔力の話と、ディートリヒに依頼された内容は繋がらなかったらしい。
ディートリヒは、自分の推察をかいつまんで話す。非現実的なその話を聞き、エリックは言葉を失った。何度が口をはくはくと動かし、やっとのことでうめきのような声を上げる。
「……まさか。いくらなんでもありえません」
「僕達はその、『あり得ない』を何度も目の当たりにしている。これ以上、『あり得ない』の先入観で物事を考えるのはやめるべきだ」
「ですが」
「そもそも、治癒魔法具が存在している時点で、『性質の異なる魔力を取り込むことは不可能』という説が崩れている。治癒魔法具の製造方法を隠しているだけであって、魔法連合会だけが可能な技術とは限らない」
治癒魔法具を、気付かぬうちに神聖視しすぎていた。この世に存在する以上、実現不可能なことではないのだ。
店主が無意識に治癒魔法具を生成するのと同じ方法で、薬を調合している可能性。――あるいは、店主自身の魔力が、治癒魔法具に込められている魔力と同じである可能性を捨ててはいけない。
「俺はまだ信じ切れていませんが、ディートリヒ様のご推察通りならば、それはもう我々の手に負える域を超えてしまっています。夢物語の世界の存在です。魔法連合会に連絡し、後は任せてよいのではないでしょうか?」
「――本気で言っているのか?」
「え、ええ、もちろん。魔法連合会とは、そういったことを研究する機関。治癒魔法具と同等の薬を生成できるのであれば、さらなる魔法の発展に役立つはずです」
むしろそうするのが妥当だ、と言いたげだ。
ディートリヒは、エリックの顔を白々とした表情で見据える。その視線の鋭さを受けて、ややひるんだようだった。だが、なぜそんな視線を向けられるのかは理解していないらしい。
「一般的な魔術師や非魔術師は、そう考えるかも知れない。だが、僕はもうひとつの可能性を捨てきれない。彼女の薬は、全国民の信用の元、確固たる地位を築いている魔法連合会にとっては驚異だ。彼女の存在ひとつで、今まで唱えてきた理論、得てきた利益や名声が総崩れするわけだからな」
一般市民でも手の届きやすい生活用魔法具に加え、庶民が一生働いてもひとつも買えないような高額の治癒魔法具。これは、魔法では不可能な治癒を魔法連合会は可能にした、魔法連合会でしかなし得ない所業ゆえに、高額で専売している。そして庶民も貴族もそう信じているから、法外な価格でも受け入れている。
しかし、同様の効果を得られて、破格で売られている薬が存在したら? 治癒魔法具のうまみはすべて水の泡となる。
それだけでない。いままで唱えてきた理論、技術とその地位すらも、危ぶまれる。
「――正直、彼女が下町のこんな偏屈な場所に店を構えていてよかったな。貴族だったのならば、それも助けていただろう。だがそれも時間の問題だ。できるだけ早く、庇護した方がいい。ひとひとり末梢するくらい、魔法連合会はわけないだろうからな」
言い方が悪いが、庶民であれば、ひとり消えたくらいで騒ぎにはならない。しかし、貴族となれば、ひとひとり消えればおおごとになる。いくら魔法連合会とはいえ、慎重に動くに違いない。ただ、密かに機会を窺っていてもおかしくない。
「末梢」という言葉に、エリックはことの深刻さに気付いたらしい。顔を青ざめさせた。
「……おひとりだけ。貴族階級にも関わらず魔術師ではないとして、社交界で話題になったご令嬢がひとりだけいらっしゃいます。過去にさかのぼったり、隠し子なども含めて詳しく調べればまだいるかもしれませんが、俺が知る限りでは、後にも先にもこの方だけです」
「そのご令嬢の名は」
「シェリル・ソワイエ伯爵令嬢です」
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