第15話
さらにダメ押しというように、ディートリヒは懐から包み紙を取り出した。
見覚えのあるものだ。
机の上ではらりと開かれた中から、綺麗なかたちを保った真っ白な花が現れる。シェリルがディートリヒにあげたものだった。
「それは、マキネの花……」
「あなたがくれたものだ。まだ使う機会はないけれど、お守り代わりにずっと持っているんだ」
「お守り」
ディートリヒは健気にも、薬屋の言うことを聞いているらしい。
「毒や薬といったものは、魔法では見抜きようがないからね……それを自在に扱う薬師は、この国の誇りだろう」
「ありがとう、ございます。この国の宝である魔術師の方にそう思っていただけるなんて、薬師も捨てたものではないですね」
シェリルは少し下を向いて、はにかみ混じりに返事をした。
こそばゆかった。温かかった。
冗談でも励ましでもなく、心からの言葉だと分かるくらい、優しかった。
口角が上がっているのが、自分でも分かる。
反対に、ディートリヒは何故か腑に落ちないような顔をしていた。
「……お客様?」
シェリルの声で気づいたらしく、ディートリヒは表情を取り繕った。まるで絵に書いたような笑顔だ。
「あぁ、君のその薬草の知識はどうやって得たのかと、考えていたんだ。学校があるとは思えないし、師匠とかがいるのかな」
「いいえ、すべて独学です」
「独学で? すべて?」
「ええ」
きっかけは、風邪をひいて高熱を出したときだ。いないものとされていたシェリルの様子に気付く者はおらず、シェリルもそれを伝える勇気もなかった。
だからシェリルは、一時期雇っていたソワイエ家の薬師の部屋に忍び込んだ。熱でぼうっとする頭とふらつく身体に鞭打って、薬草の標本と、薬草のにおいと味を頼りに解熱剤を調合した。
幸い、シェリルが魔法を使えないと判明する前に、一度解熱剤を処方されたことがあったから、必要な薬草はなんとなくアタリがつけられたのだ。
そうして出来上がった薬を飲んだところ、翌日にはすっかり熱が下がり、身体も軽くなっていた。
それからだ、シェリルが薬草に目覚めたのは。これは自分を護る術になると思った。
庭にこっそり小さな薬草畑を作ったり、森に出かけては、自らにおいと味を確かめて様々な薬を調合した。
遅効性の毒を含んだ草を食べて死にかけたこともあるが、結果なんとかなったのでそれもいい経験だと思っている。
かいつまんで内容を話すと、ディートリヒは目を見張って、信じられないものでも見たかのように声を上げた。
「実際に薬草を食べて効果を確認したと? 知識もないのに? あまりにも無謀すぎじゃないか!?」
じゃあ、どうすればよかったというのか。
貴族として当然のことができない「できそこない」と言われ、存在ごとなかったことにされ、助けも求められない状況でどうすれば。
それこそ、誤って毒草を含んで死んでしまったって構わなかった。むしろ、その方が良かったんじゃないかと思ったことさえ、何度もある。
だってシェリルは、この世にいらない存在なのだから。いなくなったところで、誰も気にしないのだから。
「ですが、私は生きています。生き延びて、薬師になった」
そう、シェリルはそれでも生きた。
薬草の知識を得るのは楽しかった。毒を含んでも、身体が勝手に解毒薬を探し始める。
死にたいと考えつつも、心の奥底では生きたいと、誰かに認められたいと、そう願っている証拠だった。
死にかけたからこそ、ディートリヒが励ましてくれたように、「できそこない」ではない、薬師として新たな道を見つけられた。
「……まるで植物に愛された神様のようだね」
「は?」
「そうだろう? 僕があなたと同じことしたら、きっとすぐに死んでしまうよ。あなたは凄い才能の持ち主だ」
「まさか。魔術師様ともあろう方が、そんなこと」
「――……不思議だな」
ディートリヒはテーブルに両肘をついて、組んだ手の上に顎を乗せる。自然と前屈みになり、仮面の奥のシェリルを暴こうとするように、静謐な湖のような瞳がじっと捉えて離さない。
シェリルは無意識に身体を引き、肩を強ばらせる。
「な、なにがですか?」
「魔術師は、ほとんどが貴族だ。稀に平民からも生まれることもあるけれど、先祖返りという特殊な状況でもない限り、まずありえない」
「はあ」
「平民が非魔術師であることは当然の摂理とも言える。つまり、全体的に見れば、魔術師よりも非魔術師の方が多いわけだ」
「そうですね」
「なのになぜ、あなたは魔術師に拘る? 魔術師でないことを卑下する? 謙遜や憧憬であれば分からなくもないが、どうやらあなたが魔術師に抱く感情はそれだけではなさそうだ」
「は……」
予想だにしない流れだった。
今の今まで慰められていたはずなのに、いつの間にか崖っぷちに立たされ追い詰められている。一歩間違えれば、奈落の底に落とされてしまう。
確かに、平民ならば魔術師に「嫉妬」などしないのかもしれない。だって、当たり前だから。周囲に魔術師などいないのだから、貴族とは違う世界に住む人種なのだから。
貴族令嬢のシェリルは、魔術師であるべきはずだった。本来手に入れていたはずの世界から爪弾きにされ、だからといって平民の世界に住まうこともできなかった。だから、「ルフュージュ」を作るしかなかった。
ディートリヒは、ふむと片手で顎を撫でた。
「考えたこともなかったが、貴族が店を出すなという決まりはない。であれば――」
「お客様には」
シェリルは声を荒げ気味に、ディートリヒの言葉を遮った。それ以上聞きたくなかった。正体がバレるのが嫌だった。
貴族だと絞ってしまえば、あっけないほど簡単に『シェリル・ソワイエ』という名前に辿り着いてしまうだろう。それくらいには、こちらの情報をさらけ出してしまっている。
そこで初めて、ただのシェリルは、ただのディートリヒとの会話を楽しんでいたことに気づいた。
それももう、今日で終わるかもしれない。
「私が誰であろうと、お客様には関係がありませんし、お客様が誰であろうと、私には関係ありません。ここは、薬屋『ルフュージュ』。魔法具ではなく薬で、病気や怪我を治すところでございます」
ぐっと顔を上げると、ディートリヒは驚いたように目を見開いていた。
もう一押し。
「天才魔術師様には、本当に私の薬が必要ですか?」
精一杯の、拒絶だった。
ディートリヒは何か言いたそうに口を開き、だが無駄だと感じたのか唇を引き結んで目を伏せる。表情はすとんと抜け落ちていた。
「――今のは私の失態だ。今日のところはこれで失礼する」
テーブルの上に何か置き、ソファの背に掛けていたマントを手に取った。そのまま立ち上がって、出口まで歩いて行く。名残惜しむかのようにゆっくりと閉じられる扉の音が、シェリルの耳奥に残った。
テーブルの上には、箱に詰められたお菓子と、お茶一杯にしては多すぎるお金が置かれている。
ポットに残った冷めきってしまったお茶を、新しく出した茶器に移す。上から覗きこめば、美しい色をした水面に牛の仮面がゆらゆらと浮かんだ。
その顔を消すように、一緒に置いていたレモンの汁を一滴二滴と垂らすと、波紋が幾重にも広がる。同時に、透き通るような青色から紫色へと変化していく。青空から、日が落ちて暗闇になる直前の夜空のようだ。
――ひと口飲んでみたが、やはり味はしなかった。
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