第14話
最近手に入れた茶葉は、美しいハーブティーになる。お茶だけを楽しむよりも、なにか菓子などを添えるとテーブルが映えるし、基本的にどんな菓子にも合う。
とはいえ、この店のターゲットである庶民に売れる値段ではない。レナにとも考えたが、ソワイエ家は上質な紅茶を勝手に用意し、それ以外の茶葉を許さない。
故に一人で楽しむつもりだったが、まさか振る舞える相手ができるとは。
せっかくなので、高級感のある、縁に蔦模様が施された銀トレイと、ガラスの茶器を用意する。小皿に輪切りにしたレモンを置いたら準備は完了だ。
「こちら、バタフライピーと呼ばれるハーブティーになります。綺麗な名前ですよね。花の形が蝶に似ていることから、この名が付いたとも言われています」
実際に目で見てもらいたいため、真ん中に鎮座しているお菓子の箱を失礼して避ける。
何も言わなくても、ディートリヒはシェリルの手元を注視している。
ガラスのポットに茶葉を入れ、ゆっくりとお湯を注いでいく。茶葉が開き、ブルーに染まったお湯がポットの中でふわりふわりと舞う。
ほう、とディートリヒから感嘆の息が漏れた。その反応が得られただけで、この茶葉を頑張って取り寄せた苦労が報われた気がした。
「綺麗な色だ。青いハーブティーなんてあるんだね」
「はい。異国から取り寄せた茶葉になります。珍しいもので、まだ多く流通はしておりません」
「そんな珍しいものをよく手に入ったね。味が気になるところだけど……」
「この綺麗な青色から、味も香りも想像するのは難しいですよね。不思議なことに、非常にあっさりとしていて、香りも味もほとんど感じることがありません。鼻の良い方であれば、豆のにおいが少しする程度」
「こんなインパクトある見た目で、味も香りも淑やかなのか。これは面白いね」
ディートリヒは注ぎ終わったカップを手に持って、くるくると回す。
興味津々のようだ。
「どうぞ、お飲みになってみてください。お菓子はこちらに」
シェリルは、先程端に寄せた菓子の箱を、両手で支えてディートリヒに向ける。
我が物顔の店主に不満を持ったのか、ディートリヒは僅かに眉を寄せたが、何も言うことなくマドレーヌを摘み、嚥下したあとにハーブティーを口に含んだ。
「うん、あなたの言う通り、このハーブティーは菓子の邪魔をしないね。見た目も洒落てていい」
「お気に召したようでよかったです。どんなスイーツにも合わせられますし、目も楽しませてくれます。希少価値も高いため、貴族のお嬢様にも喜ばれるかと」
「お嬢様?」
ディートリヒはカップから顔を離し、ポカンと口を開けた。
仮面越しでも分かりやすいように、大きく首を縦に振ってみせた。
「このような寂れた店で楽しむには、勿体ない菓子と茶葉でございます。過ごしやすい気温になっておりますし、ガーデンを開くのも一興。ご令嬢をお誘いになれば、いい雰囲気にもなるでしょう」
納得したのかしていないのか、「ああ」と呟いて、またカップに口をつけた。
二、三口ほど飲んで、メレンゲクッキーをひとつ食べて、はにかむように笑った。美しい所作で、手に持っていたカップを音も立てずにソーサーに置く。
もう半分ほどなくなっていた。
「この店で、あなたと一緒にお茶した方が何倍もいい。あなたもずっと喋っていて疲れているんじゃないか? この綺麗なお茶に比べたら見劣りするかもしれないけれど、お菓子も買ってきたんだ。休憩がてら、どう?」
「いえ、この茶葉は値が張りますので。それに、お菓子も私には勿体ない程でございます」
「あなたの分も、もちろん僕が支払うよ」
「そういう問題ではありません。この美しい茶葉にも、この可愛らしいお菓子にも相応しい、お誘いする相手がいらっしゃるはずです」
「……残念だけど、誘えるような相手はいないよ。男一人でガーデンパーティーなんて、今以上に勿体ない時間だと思うけれどね」
――レナがいるじゃないか!
シェリルは泣きそうだった。
シェリルよりも遥かに優れているレナを、頭の片隅にすら浮かべていないような口ぶり。
それに劣る自分をどうしてそんなに気にかける? ディートリヒの事を知らない、多少腕のいい薬師が珍しくて、新しいおもちゃを見つけた子供のようにはしゃいでいるだけだ。
仮面を外したら最後、心底残念そうな顔を浮かべて去っていくくせに。
「……お客様は、沢山の方に慕われているでしょうに」
涙の代わりにこぼした言葉は、嫉妬にも似た本心だった。
優秀で美しいレナの心を奪っている。身分の高いご令嬢が外聞も気にせず婚約を申し込んでいる。シェリルが知っているのはほんの一部に過ぎず、実際はもっと多くの女性が虜になっているのだろう。
女性だけでなく、男性すらも。憧れの対象となっているに違いない。
思わず出た独り言のような声は、テーブルを挟んだだけの静かな空間では、きちんと相手の耳に届いてしまったらしい。
「そんなの、容姿や魔力に惹かれてる者ばかりだよ。一面だけを見て、全てを知った気になって騒ぎ立てることに、どれだけの意味がある?」
ディートリヒは笑顔を浮かべていた。
けれど、小石をぽいと湖に投げるような言い方は、確かに侮蔑の色が滲んでいた。
シェリルははっと唇を噛む。
そうだ。ここにいるのは、ある程度貴族の色に染まった伯爵令嬢のシェリルではない。貴族の、天才魔術師と誉めそやされているディートリヒのことなど知らない、ただのしがない薬師だ。
少なくとも、ディートリヒはそう思っている。
ここにいる『薬師』にしか、彼の苦労を分かち合えない。
『できそこない』だからこそ、他者から向けられる感情の辛さを理解し得る。
「……失礼なことを申し上げました。どうか、お許しを」
「気にしてないよ。慣れてるから」
「そんなこと、仰らないでください。それは、慣れなくていい感情です」
苦しそうに呟いた言葉に、ディートリヒは目を丸くした。
「あなたは、前にもそんなことを言ってくれたね」
そうだっただろうか。
シェリルが口を開くより早く、ディートリヒが続けた。
「あなたの事も教えて欲しいな。そうだな、日常生活でも仮面を付けているの? 薬師は手作業が多いと思うけど、視界に影響はないの?」
「これは……。作業の邪魔にならないような、軽くて目元がくり抜かれた仮面を選んで使っているので、困ることはありません」
「仮面を付けているのには何か理由が?」
最初の質問を敢えて避けたのがバレたらしい。あからさま過ぎた。
逃げ場を残さないような問いかけに、シェリルはぐう、と喉を詰まらせた。それも一瞬で、先程の罪悪感からかポロリと言葉が転げ落ちた。
「お客様と、同じかと。一方的な角度からしかものを見ず、悪びれもなく刃を刺してくる人間から、自分を守るための仮面です」
ディートリヒが、息を呑む音がした。
しまった。自分なんかが、頑張っているディートリヒと同じなどと。
シェリルは慌てて言葉を繋げた。わざと、明るい声を出して。
「いえ、同じなどではないですね。真逆です。仮面を外した私は、それはもう出来が悪くて、周囲からは蔑まれるのです。顔を見れば、名前を聞けば、誰もが分かるくらいに、駄目な人間なのです。でも仮面を付ければほら、顔も名前も分からない、ただの薬師になれますでしょう? つまり仮面は、罵詈雑言から逃げた証です。戦うことすらしなかったのです」
「同じだ」
「――はい?」
「僕と、同じだよ。いや、ある意味では逆かな?」
意味が分からなかった。何が同じなのか。何がある意味違うのか。真逆だと言っているではないか。
だが、ディートリヒがあまりにも真剣な顔をしているから、シェリルは何も言えずに、呆然と見つめる。
「あなたは、戦っている。違う自分になろうと、足掻いている。あなたの言うとおり、その立場では認められない人間なのかもしれない。でも、薬師という立場ではたくさんの人を救ってる。たくさんの人の心の支えになっている。僕だってそうだ。一面では天才魔術師かもしれない。でも、薬師にとって僕はプレッシャーに弱いダメダメな人間だろう?」
「――っ!」
「多方面で活躍できる人間なんて、ほんのひと握りだと思うよ。活躍出来る場所を見つけられないまま人生を終える人だって大勢いる中で、あなたは名前も、顔さえ隠しても、その素晴らしい調薬技術で周囲を魅了している。ここはあなたの実力で勝ち取った、あなただけの場所だ」
まるで、ディートリヒが魔法をかけてくれたみたいだった。
身体中に燻っていた澱を全て取り出して、すうと透き通る美しい水に容れ変えてくれた。とぷとぷと優しく注がれた水は、やがて溢れて、シェリルの右目から一粒零れ落ちる。頬を伝ったそれは、仮面の縁に流れたため、ディートリヒには気付かれなかっただろう。
でも、声を出したら最後、洪水のように止まらなくなりそうで、シェリルは口を開けなかった。
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