第12話
下町のさらに外れにある薬屋「ルフュージュ」は、外見も寂れていれば店内だって薬草のにおいが充満し、壁一面にはどこから集めたのか気味の悪い様々な種類の仮面が並んでいる。おまけに店主すらも仮面を被っていて顔も表情も分からない、一見すれば怪しい場所だ。
実際、ディートリヒは何度か店を訪れているのに、客がいたときなど見たことがない。
薬の効きがいいと町中で評判のようだが、店内の様子を見れば噂だけが勝手に1人歩きしたように思えなくもなかった。
だがそれは、ディートリヒがルフュージュに訪れてまだ間もなく、また、夕方閉店間際に来ることが多かったため、普段の店の様子を見る機会がなかっただけだったと思い知る。
すっかり今日も、いつものように誰もいない店内で、店主とゆっくり話をするつもりで来てしまっていた。ところが店内に入ってみると、次から次へと人が絶えず出入りをしていて、仮面の店主が落ち着く様子はない。
店主を捕まえられないディートリヒは行き場がなく、入口からほど近い壁に突っ立っていることしかできなかった。仕方がないので、店内の様子を観察することにした。
「店主さん、最近なんだか喉が痛くてね」
「最近、喉からくる風邪が流行っているようです。放っておくと酷くなるので、早めに来てくれて良かったです。百合の根を煎じたお薬を出しましょう」
症状を訴える嗄れた声に、時折出る痰混じりの咳。
それらの情報から素早く判断をして、沢山の種類の薬草の中から適当な薬を作り出す。
「店主さん、いつものお薬をお願いできる?」
「メルダさん、こんにちは。ご用意しておりますよ。そろそろ良くなってくる頃合かなと思いますが、以前いらした時から変化はありましたか?」
名乗りもしない、症状も伝えない。常連なのか、店主は当然のように客の名前を覚えていて、症状も把握している。
客はそれが嬉しいのか、自ら進んで症状の詳細を伝え、ニコニコと店主と話に興じる。
薬屋とは思えない、和やかさと賑やかさである。
名前も分からなければ顔も分からない、仮面を被った店主。全く素性の知れない店主について分かるのは、薬草の知識とその調薬技術は人一倍長けていて、人と関わることが好きなんだろうな、ということくらい。
(せめて顔くらいは、見てみたい)
この店主の存在が、ディートリヒの知識好奇心を煽るのだ。
店にいない時はどんな生活をしているのか。どこから薬草知識を得たのか。どんな風に薬草を調合するのか。どんな顔をして、接客をしているのか。
異常と言っても過言ではない効果をもたらす――それこそ治癒魔法具に匹敵するほどの――薬の根源はどこにあるのか。
ディートリヒは無意識に、傷を負っていたはずの腕を、反対の手でさすった。
「もし、あなた、大丈夫?」
「……はい?」
急に斜め前からかけられた声に、ディートリヒは驚いて目を見開く。反射で下がろうとしたが、後ろは壁だったので踵が壁を蹴るだけに終わった。
目の前には、シンプルだが品のあるワンピースに身を包んだ女性。ここの客だろう、手には薬袋が握られている。
近くでエリックが控えてるとはいえ、一般の女性にここまで近付かれても気付かないほど耽っていたのか。女性から悪意は感じないし、エリックも動く気配はない。
女性は、何も反応しないディートリヒを見て、怪訝そうに首を傾げた。
「ずっとここにいらっしゃいますけど、どこかお加減が悪いんですか? 今、店主さんはお忙しいですから、入り口のところで待ってても来てくれませんよ。店主さんの元まで行けないなら、手をお貸ししましょうか」
薬袋をポケットにしまいつつ、ディートリヒに手を差し出す。
エリックが控えているあたりの空気がやや揺らいだ。
身なりがいいとはいえ、貴族ではない。良くて勢いのある商家の娘といったところだろう。下の身分である者がなんの断りもなく先に話しかけ、挙句の果てに先程まで薬袋を持っていた手で触れようとしてくる始末。
ある程度教養のある者であれば、ディートリヒの身なりからして、貴族であることは明白だ。
であるにも関わらずその態度は何事かと、エリックは憤慨したのだろう。
それを制するように、視線だけで否と伝える。
ディートリヒは女性に向き直り、胸に手を充てて紳士の笑みを浮かべる。女性がたじろいだのが分かった。
「気遣い感謝する。だが今回は、こちらの店主に用事があって待っているだけなので、お気になさらず」
「店主さんに……?」
仮面の店主の薬のおかげで、ここ最近のディートリヒの体調は良好だ。薬もまだ残っているので、急ぎ必要なものではない。
体調不良でもないのに店主に用事があると聞き、女性の表情は曇った。
「まさか、この間の馬車の――」
伸ばした手を下げ、何かを考えるように頬に充てられる。そして何も無い空間を暫し見つめたあと、逸らすようにディートリヒへと向けられた。
「僭越ながら申し上げますが、店主さんも同じことをおっしゃると思うので、ご容赦くださいね。そも、ここは身分の貴賎問わず平等に救われる機会が与えられる場所でございます」
態度とは異なり、随分と丁寧な口調だ。
ディートリヒは黙ったままだが、訝しげに女性を見つめる。貴族にすごまれても、女性は動じない。
「もし、店主さんを『専属薬師』に、と考えていらっしゃるのならば、お時間の無駄かと。貴族はいくらでも救われる方法がありましょうが、私たちのような者は、店主さんの薬に頼るしかありません。店主さんも、その状況をよく理解しておいでです」
今度こそ、エリックが控えてるあたりの魔力が大きく歪んだ。
反対に、ディートリヒは女性の言葉を受けて落ち着いた表情になる。主人が罰を望まないのであれば、側近のエリックは出しゃばることはできない。ただゆらゆらと空気を揺らし、姿は隠したまま。
(――そう。ここの店主は、貴族も舌を巻くほどの手腕にも関わらず、大袈裟と言えるほどに平民に寄った商売をしている。貴族が嫌いなのかと考えたこともあるけれど、僕に対する態度は普通すぎる)
ディートリヒは思考を巡らすように、伏し目がちに少し下を向く。
明らかに貴族と分かる格好で訪れて、訝しげな態度を取っても、恐れ戦くでも気分を害すでもなく、どこまでも親身になってくれた店主。
平民が貴族に対して横柄な態度を取れば、処罰の可能性もあるので、嫌々ディートリヒの対応をしているのだろうか。
(いや、あれは慣れている?)
――魔法が使えなくて。
あの森で放った店主のあの言葉。
平民であれば、魔法が使えないのは当然のことだ。わざわざ、魔法が使えないことを卑下する必要はない。
現にディートリヒだってあの場面で、彼女が魔法を使えれば、などと一瞬たりとも考えなかった。
もう少しで、何かが分かりそうになったとき、「あの……」と困惑した声がかかった。
「マリンさんに、お客様。随分と話こまれているようでしたが、何か問題でも?」
はっとして二人はその声の主の方を向く。
そこには、牛の仮面を被って頭を傾げた、話の渦中の人物である店主が立っていた。
マリンと呼ばれた女性は店主の登場に、硬かった表情を破顔させる。
「店主さん。もう、落ち着いたのですか?」
「はい、そろそろ看板は『CLOSE』に変えておこうかと思いまして」
まだ店内にはまばらに人が残っている。
今日はひっきりなしに来店があるので、捌けなくなる前に、店を閉じてしまうつもりなのだろう。
「あら、そうでしたか。では、ご迷惑にならないよう退店しなければいけませんね」
マリンはディートリヒを見て、ニコリと微笑んだ。
店主が閉店を告げているのだから、お前も出ていくだろう、と言わんばかりである。
だがディートリヒは素知らぬ顔で、店主に一歩近づいた。
「こんにちは。僕は『OPEN』の時に店に入ったから、セーフかな? あなたに相談したいことがあるんだ」
ディートリヒに輝かんばかりの笑顔を向けられてか、仮面の店主は一歩後ろに下がる。
「……こんにちは。もちろんです。どうぞ、ソファにお掛けになっていてください」
ぎこちなく頷き、ディートリヒをいつもの席へ促す。
店主はディートリヒが軽く会釈したのを認めると、ドアを開けて表の札をひっくり返した。『CLOSE』に変えたのだろう。
マリンは俯いている。
見えているか分からないが、「では失礼」と軽く頭を下げて、その横を通り過ぎようとした。
「!」
さりげなく袖を引っ張られ、思いがけなかったディートリヒは前につんのめる。そっと、マリンの顔がディートリヒの耳元に寄る。
「幻影術。炎の魔法の中でも高度な術式ですね。とても優秀な部下をお持ちのようで」
「――なぜ、それを」
「魔力が随分乱れておりました、すぐに気づきます」
ディートリヒは驚愕の表情を浮かべる。
そんなはずはない。
エリックの幻影術は、このヴァリテル国の中でも最高峰を誇る。ディートリヒが認めるのだから間違いない。
いくら、このマリンという女性の言葉に動揺してエリックの魔力が揺れたとはいえ、余程の魔術師でなければ認識するのは難しいだろう。
「あなたは」
ディートリヒは会話を続けようと口を開いたが、引き止めているのはマリンの方である。
マリンはぱっと袖を離し、これ以上の会話は無用というように、呼び止める暇もなく仮面の店主の方へ歩き去る。
視線だけで姿を追うが、ディートリヒはやがて諦めたようにひと息吐いた。
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