ネルヴェア家の夜会

第11話

「聞いてちょうだいよ、シェリル~~!」


 甲高い女性の声が、ソワイエ伯爵邸の庭に木霊した。

 侍女が毎日丁寧に丹精込めて整えているであろう亜麻色のつややかな髪は、その努力を水の泡にするかのようにテーブルの上に散らばっている。おしとやかな声色は遙か彼方、子供がだだをこねるようにシェリルに涙ながらに訴えている。

 いつもの伯爵令嬢然とした姿はどこにもない。ネルヴェア伯爵や侍女がこの姿を見たら卒倒しそうだ。

 

 シェリルの友人、レナがやってくるのは、いつだって突然だ。

 お茶会をしましょうと伝達が来たのがつい一時間前。ソワイエ家の使用人は飛び上がり、上を下への大騒ぎ。ドタバタとティーセットを用意して、ついでにシェリルの身支度もそれなりにしたのがつい十分前。豪華な馬車で、ネルヴェア伯爵令嬢が到着したのが実に今。

 どうかそんなギリギリを攻めないでいただきたい。

 今日こそは意義を申し立てようとした矢先、レナは冒頭のように机に突っ伏したのだった。シェリルが意見を言えるのは、まだまだ先になりそうだ。

 遠い目をしながら、おいおいと泣くレナの話を聞く体制になる。


「……なにがあったの」


 待ってましたと言わんばかりに顔をあげ、濡れた琥珀の瞳がシェリルを捉えた。

 

「悪い話と、すっごーーーーく悪い話、どっちを先に聞きたい?」

「嫌な二択だけど、強いて言うなら悪い話からで」

「悪い話ね、ええ、ええ、もちろん話すわ」


 レナはむくりと顔を上げて、シェリルを見た。その目は紅く、少し疲れたような顔をしている。

 二つ話を持ってきたようだが、レナ曰くどちらも悪い話だと言う。どんな悪い話が出てくるのだろうか。シェリルにできることは少ないのだが、果たして力になれるだろうか。身構えながら、レナが口を開くのを待った。


「あのね、アンネローズ・ディア、ディア侯爵のご令嬢なのだけれどね、その方が、レスター侯爵家に、こ、婚約を申し込んだそうなの……!」

「…………は?」


 シェリルはぽかんと口を開けた。令嬢らしくないなどというお小言はどうでもいい。

 地獄でも見たかのような逼迫した表情から紡がれた言葉を理解するのに、随分と時間がかかった。確かレナの話では、悪い話ではなかったか。


「えっと、それは驚きだけれど、どこが悪い話?」

「悪い話でしかないじゃない! ミステリアスで高嶺の花とされていて、今まで暗黙の了解で誰もディートリヒ様に手を出せなかったのよ!? それが、今になって……!」


 レナは今にもテーブルを叩かんばかりの迫力で、シェリルに訴える。

(ミステリアスで、高嶺の花……?)

 シェリルにとってディートリヒ・レスターといえば、胃が弱くて薬屋に頻繁に足を運ぶあのディートリヒの印象が強すぎる。残念なことに、ミステリアスとも高嶺の花とも結びつけづらい。

 シェリルの困惑をよそに、レナはよよと泣き崩れる。


「きっとこれを機に、他の方々もディートリヒ様に婚約を申し込むわ。受けるはずがないと分かっているけれど、それでも腹立たしいことには変わりないわ! ディートリヒ様と結婚するのはこの私なのに!」

「ううん……ならレナも、婚約を申し込んだらいいじゃない」

「私が? ありえないわ、アンネローズ様に追従するかたちでなんて絶対嫌よ。優秀な魔術師であるレナ・ネルヴェアが、その他大勢と同じなんて! 結局その程度なんじゃないか、なんてディートリヒ様に思われたくないもの」


 シェリルは目を細めた。

 ディートリヒはそんな事で人の善し悪しを決めつけるような人ではないと思うが、レナが嫌なら何も言うことはできない。恋する乙女の心は複雑らしい。

 レナはまだまだ言いたいことがあるらしく、また口を開いた。


「そもそも、アンネローズ様はディートリヒ様に釣り合っていないのよ。そりゃあお家はね、家格の同じ侯爵家ですけど、水魔法しかまともに使えないんじゃあ」

「え?」

「しかも私がディートリヒ様に想いを寄せているのを知っていて、私に喧嘩売りにきたのよ? 『心のうちに秘めているだけとは、さすが優秀な魔術師様ですわね。人魚姫って童話をご存じ?』ですって! 信じられない!」


 結構な言いようである。アンネローズ様は、なかなかクセのある御方らしい。


「だから言ってやったわ! 「でも、王子様と結婚した女性を題材にしたお話ってありませんよね。それに水魔法しか使えないような方を奥様にするなんて、完璧な王子様には似合わないと思いません?」って!」


 言い返すことは言い返しているらしい。つくづく、貴族社会とは恐ろしいものだ。

 貴族社会も魔法も知らぬ世界の話ではあるが、シェリルはひとつ引っかかった。首をひねって、レナに投げかける。


「水魔法しか使えないって、レナが普段見せてくれる風の魔法は使えないって事? 魔術師なら誰でも使えるのではないの?」


 風の魔法は、以前お茶会をしたときにレナが見せてくれてた魔法である。シェリルとレナの周りに起こった旋風。あれほどの強大な魔法はレナだからできたことだと思うが、多少の風を起こすくらいはできるのではないだろうか。

 シェリルの疑問は思ってもみなかったと言いたげに、レナは大きな目をぱちくりとさせた。


「そうよね、シェリルは知らないのよね。魔術師ならどんな魔法でも使えるって話ではないのよ。魔法は、術式に己の魔力を流して発動させる、というのは以前説明したわよね。つまり魔法とは、己の魔力を術式を通して強制的に自然現象を起こしているのと同じだわ」

「なるほど?」 

「保有する魔力量が違うのはもちろんだけど、人間の持つ魔力はひとそれぞれ性質があるの。火の現象と相性がいい魔力、水の現象と相性がいい魔力、風の現象と相性がいい魔力……のような感じね。さらに、引き起こせる現象の大きさも、魔力量や相性によって違う」


 ディートリヒも同じようなことを言っていた。人間の持つ魔力には「性格」があると。そして性格の違う魔力同士がぶつかれば、反発し合うのだと。

 レナが巻き起こした旋風や、ディートリヒが放った無数の雷の矢。魔力を変換して実現させた魔法だが、言い方を変えれば、自然現象を無理矢理ねじ曲げて引き起こすことと同じなのか。

 ひと口に魔法といっても、シェリルが思い浮かべていたような単純な仕組みではないらしい。魔力の性質上、治癒魔法が使えない。魔力の性質で、相性の良い現象相性の悪い現象がある。随分複雑だ。


「アンネローズ様は、水の魔法しか使えないのよ。多少は風の魔法も使えるようだけれど、てんで駄目ね。まあ、水の魔法はそこそこ大きな現象を起こせるけれど」


 ふうんとシェリルは相づちを打った。

 シェリルは魔力があるにもかかわらず、魔法が使えない。つまり、自身の問題というよりは魔力の性質に問題があるのか。

 レナはアンネローズを散々に言っているが、それでも相性の良い現象がひとつあるだけで羨ましい。

 

「ちなみにレナの魔力と相性がいい現象は?」

「私? 私はもちろん、風よ。他の現象だってそれなりに使えるわ」


 言いながら空中に術式をなぞると、火の玉だったり水の泡だったりがぽんぽんと現れては消える。レナの魔法やディートリヒの魔法を当然のように見てきたが、やはり同じ魔術師が賞賛するだけの力があるらしい。

 シェリルがくるくると変わる光景に感心していると、目の前で水の泡がぱんと弾けた。その先には、打って変わって目を輝かせたレナがいた。


「要はね、ディートリヒ様の魔法は本当に素晴らしいってこと! どの現象も操れる。威力だってこんなの比じゃないわ。神様に愛された方よ」


 シェリルは顔面にかぶった水滴をハンカチでそっと拭きながら考える。

 ディートリヒ様が素晴らしい話はレナから耳が腐りそうなほど聞いてきたが、魔力の背質やアンネローズのような魔術師のことを知ると、凄さがより分かる気がする。

 以前は魔物が現れてそれどころではなかったため、ディートリヒの魔法をきちんと見れていない。危険のない場所でじっくりと見てみたいが、残念なことにディートリヒとの関わりは店主と客の関係でしかない。薬屋の店主が客に魔法をねだるのも変な話だろう。

 シェリルがうんうん頷いていると、レナはきらんと目を光らせた。


「だから、お相手の方もそれなりの魔術師でなくては! シェリルそう思わない?」

「そうだねえ」


 シェリルの気のない返事が、空気中に溶ける。

 ディートリヒの相手はそれなりの魔術師でなければならない。であれば、シェリルの知る「それなりの魔術師」はレナしかいない。

 しかしディートリヒはそこに重きを置いていないことを、シェリルは知ってしまっている。


「………………」


 とはいえ、レナは美人だし、シェリルのような人間にもこうして優しく接してくれる。魔法を抜きにしても、レナは女性の中で「完璧」に近い存在だろう。ディートリヒへの愛が強すぎるのがすべてを台無しにしている気がしなくもない。

 シェリルは少しだけ視線を落とした。できそこないの自分とは違う、全然違う、完璧な女性で――


「そこで! もうひとつのすっごーーーーく悪い話に繋がるのよ!」


 シェリルは驚き、反射的に顔を上げだ。完全に油断していた。

 今日のレナはぶつけたい思いがたくさんあるらしく、いつもより興奮気味だ。

 心の奥底にある、ぬめりとした凝りのような感情に沈んでいる場合ではないらしい。レナの話を聞くべく、姿勢を正す。


「今の話から、どう繋がるの?」

「とっても深ーい繋がりよ! そもそも、アンネローズ様が婚約申し込みに踏み切ったのも、それが原因じゃないかと思っていてね。ディートリヒ様をよく見ている人なら気付けたはずだもの」


 どちらの話も、ディートリヒ関連のものらしい。

 レナは不満げに口を尖らせている。

 シェリルが黙って続きを促すと、ぽつぽつと話を始めた。

 魔法学校でのことで、それはつい最近から様子がおかしくなっていたのだという。


「だからね、ディートリヒ様、想いを寄せる方がいるかもしれないの……」

「――――はい?」

「だから、ディートリヒ様に、好きな人ができたのかもって」


 呆けた顔をするシェリルに、レナ言い聞かせるようにゆっくりと言葉を並べた。

 聞こえなかったわけではない。もちろん、「想いを寄せる人」の意味が理解できなかったわけでもない。ただ、ディートリヒが想いを寄せる人がいる、というのがどうも現実味がなかった。

 もしレナの言うとおり好きな人がいるのならば、もっとその人に時間を使うべきであり、忙しい身の上でわざわざあんな寂れた薬屋に本人が頻繁に足を運ぶ時間はないだろう。定期的に様子を見る必要はあるものの、薬が必要なら従者を寄越して済む話だ。

 明らかにレナの思い込みである。

 確信があったものの、ディートリヒと接点などないはずのシェリルが伝えることはできない。


「それは……気のせいじゃないの?」

「毎日ディートリヒ様を見ている私が、見間違えたとでも?」


 完全に目が据わっている。

 シェリルとしては、誰がディートリヒに婚約を申し込もうが、ディートリヒに想い人がいようがどうでもいい。しかし、口を開けばディートリヒの話ばかりをするレナにとっては、どちらも重大なことであり、精神的なダメージを受けることなのだろう。


「そうね、何も知らない私が言えることじゃなかった。何か確信になるようなことがあったのね?」

「ええ……ほんとうに、最近のことなの。授業が終わった瞬間に、エリック様……あ、従者の方を連れてどこかに向かったり。一度じゃない、何度もよ?」

「……」

「この間は、茶葉について調べているようだったわ。紅茶が好きな女性なのかしら」

「…………」

「昨日なんか、上の空だったのよ。いつも真面目なディートリヒ様が、ぼーっとされていて。時折、腕を気にされているようだったけれど――」

「………………」


 シェリルは頭を抱えた。できることなら、テーブルに思い切り頭を打ち付けたい。

 だってどう考えても、シェリルが原因ではないか。正確には、薬屋「ルフュージュ」についてだが、とにもかくにも心当たりがありすぎる。

 

 そんなにハーブティーが気に入ったのか。合うお菓子を探すほど気に入ったのか。


 いやそれよりも、腕を気にするということは、怪我の状態は良くないということか。傷は深かった。あんな誤魔化しの治療では間に合わないのだ。後遺症が残っては大変だし、できれば治癒魔法具を使って欲しいが、値段を考えるとそんなことをこちらから頼めるはずもない。


 ディートリヒにそれほどの怪我をさせてしまった。その事実がシェリルに重くのしかかって来ている。


 シェリルは顔面蒼白になるが、レナは話に夢中のようでシェリルの様子には気付かず話を続ける。


「もっとディートリヒ様とお話がしたいのだけれど、魔法くらいしか話せるものがなくて。そんなの、ほかの方と変わらないじゃない。紅茶についてお勉強したらいいのかしら? ……ねぇ、シェリルは詳しい?」


 レナはこてんと、可愛らしく首を傾げた。


 紅茶に詳しいか詳しくないかで聞かれれば、シェリルは1秒と待たずに「詳しくない」と答える。事実、今飲んでいる紅茶のことでさえ、満足に説明はできそうにない。


 しかし、ディートリヒと話をするためのお茶の知識があるかと言われればそれは「是」と答えることになるだろう。ディートリヒが興味を持っているのは、紅茶ではなくハーブティーなのだから。


 シェリルはゆるりと首を横に振った。


「紅茶には詳しくないかな」

「そう。まぁ、そうよね……」

「役に立たなくてごめんね。私はあまり、人との付き合い方を知らないから。面白い話もできないの」

「えっ! シェリル、私そんなつもりで言ったんじゃないわ。私はシェリルとこうやってお話するのとても好きよ。人との付き合いって、楽しませるような事を言うだけじゃないでしょ? 相手の話を聞いて、聞き出して、同意したり力になろうとすることだって、人付き合いに必要な立派な力だわ」


 真っ直ぐな瞳で、力強い言葉で、レナはシェリルを肯定する。


 シェリルが何か言うより前に、レナは更に言葉を続けた。


「それに、ディートリヒ様は今度の夜会に出席してくださるの! そこがお話するチャンスよ! 珍しい食べ物や飲み物を用意しようかしら。ねぇ、シェリルも参加してくれるのよね? シェリルがいてくれるだけで、空気が和むと思うの。どうか私のそばにいてちょうだいね」 


 ――あぁ、やはりディートリヒは夜会に来るのだ。


 シェリルは、自分の心臓が氷水に漬けられたように、急速に冷えていくのを感じた。


 伯爵令嬢シェリル・ソワイエとしてディートリヒと会ってしまったら、他の令嬢と変わらない、ディートリヒ・レスターとの結婚を狙う1人に過ぎなくなってしまう。こんな、「出来損ない」が調子に乗ったものだと、貴族の目もさらに冷たくなることだろう。


 貴族の対応は今更気にする事はないが、ディートリヒからもか「そう」思われてしまうのは、とても嫌な気持ちがする。


 (大丈夫。それこそ、今更だ)


 シェリルは二度深呼吸をして、呼吸を整える。

 そして、うるうると自分を見つめてくるレナに、ニコリと微笑んでみせた。


「もちろんよ、レナ。あなたの役に立てるなら、とても嬉しいわ」


 少しだけ、口の端が痙攣した気がする。

 あぁ、早く「ルフュージュ」に戻って、仮面を被りたい。

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