第10話
なだれ込むように店に戻り、ディートリヒをソファへ座らせた。
「今、薬を調合してまいります。マントは脱いで、腕をまくっておいてください。傷口は触らないように」
戸惑った表情でぎこちなく頷くディートリヒを視界の隅で捉え、籠を乱雑に作業台の上に置いた。すり鉢を並べ、消毒、痛み止め、傷薬の材料を投げ入れる。三つの薬を同時に調合するのは初めてだったが、初めてだからとひとつひとつ作っている余裕はない。幸いにも、どれも作り慣れた薬だったため、身体が的確に動いてくれる。
自分のせいで怪我をさせてしまった。じわりじわりと襲ってくる罪悪感から逃れるように、必至に腕を動かした。
「お客様、腕のしびれや腕が動かしにくいなどの症状はありませんか」
「特に……普通に動くよ」
ディートリヒは、奥で薬を調合しているシェリルに見えるように、ぐーぱーと腕を動かして見せた。神経や骨まではいっていないと判断してよさそうだ。
本来であれば容器に移すのだが、今はその必要はない。すり鉢に入れた状態のまま、ディートリヒの座るデーブルへと運ぶ。
「まずは消毒をします。……染みると思います」
消毒薬をしみこませたガーゼを傷口にあてると、うっとディートリヒの喉が鳴った。
シェリルは申し訳なさそうに手を動かす。血を拭えば、傷口はより鮮明に見えてくる。神経は傷ついていないとはいえ、かなり深く切っているようだ。
見ているだけでも痛いのだから、傷を負っている本人は絶対に痛い。
「……私の薬は、他の薬と比べると効きやすいようですが、それでも治癒魔法具には敵いません」
「?」
「ですが、治癒魔法具をお渡しできるほどのお金も、私にはありません」
今ある店の売上をまとめても、治癒魔法具ひとつすら買えない。そもそも、店の売上はほとんどが新たな薬草を買うために消えていくため、全く儲かっていないのが現状だが。それにしたって、治癒魔法具は高すぎた。
それに、怪我を治す魔法だって使えない。
シェリルができることといえば、少しだけ効きがいいと噂される薬を塗ることだけ。
ディートリヒの視線を全身に浴びつつ、目を合わせないように怪我の治療に専念する。
「……君はだいぶ責任を感じているようだけれど、無理矢理ついていったのは僕だし、本当に大丈夫なんだ。男だったら魔物討伐に駆り出されることもよくあるから、怪我だって頻繁にする」
無言の空間に耐えられなかったのか、痛みから気を紛らわせるためなのか、ディートリヒはぽつりと言葉を落とした。
思わず視線だけ上げると、澄んだ青の瞳が、治療をするために動くシェリルの手に向けられていた。じっと見つめているだけで、感情は読めない。
「治癒魔法具はちょっと特殊だけど、魔術師ができるのってそこまでなんだよ」
「そこまで、とは」
つい、反応してしまった。それでも手は止めない。
「君は、魔法に対してどんな印象を持ってる?」
「魔法に……?」
突然の質問に驚き、手を止めてしまう。
魔法に対して、どんな印象、か。シェリルは軽く空を仰いで、考えた。
シェリルにとって魔法とは、喉が出るほどに欲しくて手に入らなかったもの。シェリルという存在を「できそこない」にたらしめたもの。シェリルの居場所を奪ったもの。それでも――焦がれてやまないもの。
シェリルにとって魔術師とは、自然に愛された者。国の頂点に立つ者。世界を守る者。そして、シェリルを蔑ろにする者。
あげていたら、キリがない。それほど、魔法や魔術師に抱く感情は複雑だ。
「魔法は、神様が人間に与えたプレゼントです。選ばれた人間が使える、特別なもの。今みたいに、守ってくれる素晴らしい力です」
どろどろとした感情は隠して、それでも本音を伝える。
しかしディートリヒはシェリルの回答が気に入らなかったのか、哀に染まった瞳でシェリルを見た。
「そうだね、そういう印象を持たれがちだと思う。いや、ほとんどの人がそう思っているかな。でもね、魔法には唯一で最大の欠点がある」
「欠点?」
魔法に欠点などあるものか。
国の要として魔術師は重宝されている。魔術師と魔術師の間には魔術師が生まれやすい。そうして歴史を刻んできたからこそ、今の貴族は魔術師であることが当然なのだ。
シェリルの考えを読み取ったのかディートリヒは軽く微笑んだが、どこか諦めたような表情にも見えた。
「魔法は、人を傷つけることはしても、人を癒やすことはできない」
「――え?」
「どうして治癒魔法具があんなに高価なのか考えたことがある?」
「いえ……」
言われてみれば、どうして治癒魔法具だけあんなに高価なのだろう。
火起こしの魔法具や衣服を洗う魔法具、風を起こして涼しくする魔法具などは、庶民でも手の届きやすい値段設定だ。おそらく治癒魔法具の二十か三十分の一で買える。『ルフージュ』にも、火起こしの魔法具を置いているほどだ。
同じ魔法具なら、そこまで差が生まれるのはおかしい。
「火を起こすとか水を出すとかなら魔術師であれば誰でもできるけど、魔術師に治癒の魔法は使えない。だからこそ、治癒魔法具は貴族でも需要が生まれる。どれだけ値段を高くしても、必要とする貴族はいるものなんだよ」
「治癒の魔法が、使えない……?」
「そう。魔法の研究が進んでないわけではないよ。魔力の性質的に不可能だと、魔法連合会が言い切っている」
魔力の性質。シェリルには難しそうな言葉が出てきた。
「この世のあらゆる生き物には、少なからず魔力が宿っているんだ。植物だって、大地だって、もちろん人間も。魔法具を誰もが使えるのもそういう仕組み。あらかじめ単純な術式を組み込んでおいて、そこに魔力を流すと火を起こしたり水を出して動かすことができる」
ディートリヒは、目の前にいる仮面の薬師が魔術師ではないことを知っている。
知識のない人間にもわかりやすいように、かみ砕いて説明をしてくれるようだ。
「でも人間の持つ魔力の性質は、ひとりひとり違う。性格のようなものだと考えるとわかりやすいかな。そして、性格の違う魔力同士をぶつけると、反発し合う。魔法というのは、術式を介して己の魔力を別のものに変換させる仕組みだから、違う性格の魔力を持つ人間に流し込むとどうなると思う?」
「えっと、性格の違う魔力がぶつかる、から……せっかく魔法をかけても、効果がない?」
「うーん、惜しい。その程度で済めばいいんだけどね。反発し合う、つまり魔力の暴走だ。身体は吹っ飛ぶだろうし、魔法をかけた位置によっては死ぬだろうね」
衝撃だった。
シェリルは魔法に関する教育を受けていないため、知識が皆無だ。多少はレナから聞くことがあるが、魔法は術式を通して発動するとかそんな程度である。魔法の仕組みや、どんな魔法が使えるのかまでは知らない。
しかし思い返すと、レナはシェリルに様々な魔法を見せてくれたが、治癒に関する魔法は一度たりとも使ったことがなかった。あれは使わなかったのではなく、使えなかったのだ。
(あれ?)
ディートリヒの言うとおりなら、ひとつ疑問が浮かんでくる。
シェリルは今の今まで、魔術師は治癒魔法を使えるのだと当然のように考えていた。だってそうでなければ、治癒魔法具という、怪我やある程度の病気を治す魔法具があるのは、今の話にあった魔法の性質の理論からいくと辻褄が合わない。
「でも、治癒魔法具も魔法ですよね。どうしてそれは害なく使えるんですか? 何か特殊な技術でも?」
「ああ。治癒魔法具だけは、他の魔法具と仕組みが違っていてね。魔力を使うのではなく、魔力を吸収するんだ」
「魔力を吸収……?」
「魔法具の中に魔力が入っていて、触れた部分に流れ込むんだ。僕は、自然に漂っているような魔力が組み込まれているんじゃないかと思っているんだけどね。そのあたりの情報は、魔法連合会が厳重に守っているようだよ。独占的に儲けられているんだ。易々と口外はしないだろう」
それもそうか。
魔法連合会は、ありとあらゆる魔法の知識を集約した最高機関と聞く。魔術師には不可能な治癒魔法でも、魔法具にしてしまえば不可能を可能にするくらいの技術と知識を持っていてもおかしくはない。
いくら何でも暴利を貪りすぎている気もするが、貴族の見栄の張り合いの基準となっているのだから、これはこれで上手くいっているのか。
ディートリヒはごほんと咳払いをした。
「話が逸れた。つまりね、僕は君がとても羨ましい」
「……。……羨ましい?」
一瞬、何を言われたか理解ができなかった。
シェリルは呆けた顔でディートリヒを見上げる。一方のディートリヒは目を細めて、眩しいものでも見るようにシェリルを見つめていた。
「君はその手で、たくさんの人を癒し救うことが出来る。僕は天才魔術師と言われたところで、人を傷つける魔法しかないのに」
苦しげに告げられた言葉で、シェリルは悟ってしまった。
(――あぁ、ディートリヒ様が侯爵を継がない理由は)
誰もが魔法は絶対的なものだと謳う中で、ディートリヒは魔法が全てではないと考えているからなのではないだろうか。
『ルフュージュ』を訪れることになった理由でもある、プレッシャーに弱く胃が痛くなる体質。魔法は傷つけることしかできないという考え。
ディートリヒは、誰よりも責任感が強い人間なのだ。周りが求めるような完璧な人間であろうとする。自分の弱点が許せない。
それでも必死にもがいている。
なんて、人間らしい人なのだろう。
レナが言う「ディートリヒ様」よりもずっと、目の前にいる「ディートリヒ」の方が好感が持てる。
「ですが、そのおかげで私はこうして無事に生きています。お客様が守ってくださったおかげで、私はこれからも多くの方を治し、癒すことができます。魔法は直接人を治すことはできなくても、間接的に多くの人を救っているのではないでしょうか」
ぱちりと、ディートリヒの瞳が瞬いた。
シェリルは傷薬を塗って、包帯を巻いた。痛くないように、早く治るように、祈る気持ちで包帯をひと撫でした。
「ありがとうございます、私を助けてくれて」
魔物に襲われて、怪我をさせてしまって、気が動転していた、というのは言い訳になる。謝るよりも先に、伝えなければいけない言葉だった。
仮面をしているせいで、表情では伝えられない。初めて、この仮面が鬱陶しいと思った。でもできる限り、言葉に感謝の気持ちを乗せた。
「今……。君は、魔術師なのか?」
「いえ、薬師です」
どうしてそうなる。
すんと温度が下がったのを感じたのか、「いや」とか「そういう意味ではなくて」とかもごもご唸っている。
真面目な雰囲気はどこへやら。シェリルはため息を吐いて、作業場へと引っ込んだ。小ぶりな容器と袋を手に取って、再びディートリヒの元へ戻る。
「念のため、薬を差し上げます。使用方法は今お見せしたとおり、傷口に塗布します。ですが応急処置ですので、きちんと医者にかかるか、治癒魔法具を使ってくださいね」
木のへらで、傷薬を容器に詰める。一日は持つだろう。あとは、医者か治癒魔法具がなんとかしてくれる。
そしてもうひとつ。
「こちらも、差し上げます」
テーブルの上に広げられた布に散らばるのは、白い花。『知らずの森』でディートリヒを脅した薬を見分ける、マキネの花。当分は困らないくらいの量を包んだ。
「乾燥させたマキネの花です。ご活用ください」
「あぁ、ありがとう。代金は」
「不要です。守ってくださった魔術師様に、お礼の気持ちです」
その言葉を受けて、ディートリヒは散らばった花をひとつ摘まんだ。
「……綺麗な花だね。毒を見分けるためとはいえ、ただ浮かべるだけでも洒落た飲み物になりそうだ」
シェリルは仮面の下で、ほんのりと笑みを浮かべた。今日一緒に薬草狩りをして気付いたことだが、ディートリヒはどんな話でもどんな植物でも興味深そうに、宝物でも見つけたかのように、真っ直ぐに向き合う。
彼の良さは、顔でも魔術師の腕でもなく、相手が大切にしているものを自らも大切にしようとする真摯さなのではないだろうか。レナも、そのほかの貴族も、もっと彼の内面を見るべきだ。
はっとして首を振った。自分は何を考えたのだろう。偉そうに分析をできる立場ではない。
「頻繁に色が変わっては困ります。小粋な趣味でも始めたくらいの意識で、使用してください。あ、ちょうど今日、木の実を収穫しましたから、実際にどう変化するかご覧になりますか」
シェリルは水の入ったカップを、ディートリヒの前に三つ並べる。
ひとつはそのまま。ふたつめには、小さじ半分の木の実の粉末を。みっつめには、小さじ一杯の木の実の粉末を。くるくるとかき混ぜると、あっという間に溶けた。
見た目は同じに見える水に、マキネの花をぽた、ぽた、ぽた、とそれぞれ落としていく。
「――これは」
ディートリヒが驚いたように水面を見つめた。
ひとつめの花は白色のまま、優雅に水面を漂っている。ふたつめの花は、薄オレンジに変わる。みっつめの花は、みるみるうちに濃いオレンジに染まった。
並べて比較すると、明らかな違いがあることが分かる。
「木の実の粉末は、小さじ半分の量が適量とされています。ふたつめの色を目安にしてください。これ以上濃く変わるようでしたらそれは毒になりますので、口になさらないように。ちなみに人間の身体も、一日小さじ半分の量が限度と言われていますので、色が変わった飲み物は飲み過ぎないよう」
「…………いや、色が変わった時点で一杯も飲まないかな」
至極真面目に説明したのだが、ディートリヒは苦笑いを返してきた。
なるほど、薬師のシェリルからすれば飲んで毒か否かが判断材料だが、ディートリヒにとっては色が変わればそれは催淫剤だ。薬で落とそうとする不届き者にいいようにされるのは不本意だろう。
マキネの花も渡したし、実演もしてみせた。それらをどうするかは、ディートリヒに委ねるしかない。
「お任せします。何か気になることがあれば、いつでもいらしてください」
テーブルの上に広げた布を包み直し、隣に傷薬を入れた容器も置く。
そういえば今日は、どうして『ルフュージュ』を訪れたのだろう。シェリルが出かけることを予想して、護衛のつもりで来たとは考え難い。
でも、ディートリヒが言わないのなら敢えて聞かなくてもいい。
「怪我をなさっているのです。どうか、今日は安静にして、身体を冷やさないようにしてください」
「冷やさないように、ね。そういえばこのお店、茶葉も扱ってるんだって? なら、身体を温めるようなハーブティーもあるのかな」
シェリルはぱちりと目を瞬いた。
「ハーブティーですか? もちろんございますが……」
「なら、購入させて欲しい。そもそも、今日ここに来たのは茶葉を買いたかったからなんだ。どんなものがあるのか分からなかったから、ちょうどいい」
「え」
次期侯爵であり天才魔術師であるディートリヒが、茶葉を買うためだけにわざわざこの店に足を運んだというのか。
茶葉くらい、城下でいいものがいくらでも売っている。どうしても『ルフュージュ』の茶葉がいいと思ったとしても、従者を寄越したら済む話だ。
よほどの事情があったにしろ、茶葉を買うという目的も果たさず薬草狩りについていくだろうか。
とすれば、本当の目的は。
(…………私か)
頭を抱えそうになった。
ただでさえ忙しい身の上であるはずなのに、貴重な時間を割くほどに仮面薬師のことが気になるのか。
これは、中身を知ってがっかりするパターンだ。羨ましいとまで言い放った人物が、実は魔法も使えないできそこないでした、なんて不憫すぎる。『天才魔術師』を知らないからと自らの秘密をさらけ出していた人物が、実はよく知っている貴族でした、なんて口が裂けても言えない。
騙したなと怒られてもおかしくない。
ディートリヒならあるいは、と考えてしまうが、知られない方が自分のため、ディートリヒのためだ。
絶対に正体がバレてはいけない。徹底的に、薬師でいよう。シェリルは心の中で誓った。
「甘いのと辛いのと苦いの、どれがお好みですか」
「選べるの? そしたら、甘いのがいいかな」
「かしこまりました。では、シナモンをブレンドしたハーブティーがよろしいかと。甘みの中に、少しスパイスがきいたフレーバーになりますので、もしかしたらお口にあわないかもしれませんが」
「それにしよう。君がすすめるものなら、きっと間違いないだろうから」
「……すぐに、ご用意します」
過信のような気もするが、間違いなものを勧めるはずもないので、変に警戒されるよりはそう言ってもらえた方が嬉しい。
ぽかぽかする気持ちを胸に抱きながら、シェリルは茶葉の用意に勤しんだのだった。
――そしてディートリヒは翌朝、奇跡を目の当たりにすることになる。
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