第9話

「あ、お客様、こちらの木はご存じですか?」


 シェリルが示したのは、少し背丈が低めの広葉樹。茂る葉を飾るように、濃いオレンジ色の粒が点々としている。

 ディートリヒはピンと来なかったらしい。難しい顔をして、ゆるりと首を振った。

 シェリルも正解が返ってくるのを期待していたわけではなかったので、予想通りの反応ともいえた。

 

「……木だね」

「マキネの木です。オレンジ色の丸い実は見えますか? あの種子には、非常に面白い性質がございます」

「面白い性質?」

「こちらの種子を粉末状にして体内に取り入れると、強い興奮作用が現れます。まあ、いわゆる催淫剤ですね」


 シェリルがさらりと言うと、隣から咽せる声が聞こえた。衝撃だったらしい。

 なんでもかんでも興味津々に聞いてくるからだ、という意趣返しでもある。なにも薬は、怪我や病気を治すものだけではない。


「無色ですが少し甘い香りと苦みがあります。使用方法としては、においの強い飲み物に混ぜるのが一般的です。例えばワインとか」

「……それを僕に教える必要性はどこに?」


 ディートリヒは片手で顔を覆っている。どう反応したらいいのか困っているらしい。

 刺激が強すぎただろうか。

 そうは思ったが、もう少し反応が見たくなったシェリルは続けることにした。


「娼館では比較的よく使われる薬ですね。自らの苦痛を快楽に変えるために使用する娼婦もいれば、客を自分に入れ込ませるために使う娼婦もいるそうです。飲んだ人間は、自分に触れた相手に欲情し、欲しくてたまらなくなるそうです。まあ、効果はそこまで長く続かないので、一夜限りの肉体関係に使われることが多いです」

「よ、欲情……肉体関係って……君は女性だろう? そんな言い方は」

「薬師ですので」


 ディートリヒは耳を赤くしてたじろいていた。

 薬師として娼婦にそういった薬を渡すこともあるため、シェリルの感覚が鈍っているのか、ディートリヒがあまりにも初なのか。どちらにせよ、なかなか面白い反応がもらえたため、シェリルは少し気分が良くなった。

 ついでにもう一つ、アドバイスをしておこうと再度口を開いた。

 

「お客様も気をつけてくださいね。基本的には娼婦が使うことが多いですが、貴族の間でもそれなりに流通があるうです。どうしても手に入れたい相手に使い、それを理由に責任を取らせる手法もありますから」

「…………人から出された飲み物は、安易に口に入れないようにするよ」


 賢明な判断である。


「そうした方がよろしいかと。上手く使えば有効な薬ですが、毒性もかなり強いので使用量は慎重にならなければいけません。量を間違えれば心臓麻痺を起こして、一時間も経たないうちに死に至ります。素人が興味半分で試していいものではないです」


 貴族の女性は特に、薬屋にそういったものを依頼するのは気が引けるだろう。きちんと薬師に依頼したとして、藪薬師も大勢いるのだ。

 ディートリヒは顔も良く振る舞いも紳士的、さらに次期レスター侯爵だ。狙う女性は多いだろう。変化球で男性からのアプローチもあるかもしれない。

 誰に狙われてもおかしくないのだから、誰に対しても警戒をしておいた方が身のためだ。

 よかれと思っての発言だったが、ディートリヒはついに吠えた。

 

「君、さっきから毒の話しかしないな!? 薬屋だろう!?」


 言われてみれば確かに、薬以上に毒の話もよくしたかもしれない。ディートリヒは、薬の知識を知りたくてこんな森まで付いてきたのだろう。物騒なことを嬉々として話す薬師が気に食わなかったらしい。

 シェリルは背伸びをしてマキネの木の実を一粒もいだ。人差し指と親指で摘まんで、木漏れ日の中にかざす。くるりと回すと、毒々しいオレンジ色の実は日の光を浴びて宝石のように輝いた。

 

「毒と薬は表裏一体です。どんなものでも上手く使えば薬になりますし、どんな有効な薬でも使い方によっては毒になります。薬とはそういうものです」


 ディートリヒは、薬師の手の中でキラキラと光る木の実に目を細めた。


「私たち薬師はそういった薬草の特性を理解し、人々が求めるかたちへ変化させていきます」

 

 だから薬草は面白いのだ。

 シェリルはつまんでいた木の実を、ぽいと籠の中に放る。マキネの木の実を使った薬を求めて薬屋に訪れる人間もそれなりにいるため、どうせなので集めておくことにした。

 なぜかディートリヒは、先ほどまでの眩しそうな顔を引っ込めて、一歩下がって木の実を収穫するシェリルを眺めている。


「それ、使うの……?」

「マキネの木の実の薬は、その性質上お求めになるお客様もおります。大丈夫です、私の薬は安心安全で販売しておりますから」

「そういう問題じゃない」

「お客様にお出しする飲み物に混ぜたりはしませんよ?」

「そういう問題でもない……」


 ならばどういう問題なのだろう。

 催淫剤は、死にはしないけれど使用した人間によっては、人生がコロッと変わってしまうような代物だ。マキネの木の実の薬は、使用量を誤れば人命にも関わる。そのため、扱える薬師は限られているし、乱用されないようにそれなりに値が張る価格設定にはしている。もちろん、薬を出す際に効果の説明や注意も忘れない。

 だが薬師ができるのはそこまでで、藪薬師だって悪用しようとする人間だっている。


「そんな恐ろしい薬が、こんな身近にあるんだな、と」


 ディートリヒはぽつりと言って、シェリルの手が届かない上の方になっている木の実に手を伸ばした。手伝ってくれるらしい。

 籠の中にぽいぽいと入れてくれるディートリヒに、シェリルはお礼を言う。


「そうですね。ですが知っていれば回避することもできます」

「何か、薬が混入した飲み物かどうか、判断できる方法があると?」

「はい。乾燥させたマキネの花を、飲み物に浮かべるのです。マキネの花は白い色をしているのですが、種子の粉末が混ぜられた飲み物に触れると、木の実と同じオレンジに変わります。変色が薄ければ混入された薬は適量、濃くなるのであればそれは毒です」

「適量という言い方もおかしい気がするけれど……でも判別できるのであれば少しは安心だね。その乾燥させたマキネの花は君は持っているのかな」

「今は持ち合わせがありませんが、店に戻れば」


 毒にもなるマキネの種子の粉末を取り扱っている以上、もちろん薬か毒か判断できる乾燥させたマキネの花だって置いている。基本的には、催淫剤を購入していく客が適量かどうか判断できるように付けているので、単品での販売はしていない。

 ディートリヒはすがりつくような目で訴えてきた。


「あとで何個か、購入させてほしい」


 先に脅しをかけて、結果的にその結論に至るように話を進めたのはシェリルだ。ここで、単品での販売はしていないので売ることはできません、なんて返事をした暁には人格を疑われるだろう。

 それに、ディートリヒを誰かに害されてもいいとは思えなかった。

 シェリルは同意を表すため、コクリと頷いた。

 隣から安堵の息が漏れる。天才魔術師でも、女の欲は恐ろしいらしい。

 

「木の実はこれくらいで十分です。ありがとうございます」

 

 籠に小さな木の実の山ができた辺りで、採集を止めた。これだけあれば、暫くの薬作りには困らないだろう。また季節を巡って新しい花、木の実が成るのを待とう。

 それに籠もずっしりとしてきた。ディートリヒが採集を手伝ってくれるおかげで、いつもの時間で二倍の量が採集できている。その分、薬草の解説で喋る量は二倍どころではないが、それもまたよしとしよう。


「お客様――」


 もう十分採集した。しばらくは持つだろうから、今日の薬草狩りは終わりにする。そう言おうと振り返ったときだった。

 がさりと、傍の茂みが揺れた気がした。

 ただの風かもしれない。

 だってシェリルは、魔物除けの精油を塗っている。

 それでも、二人の間に緊張が走った。

 ディートリヒが、シェリルをかばうように前に出た。


「――下がって」

「で、でも、魔物除けの精油を塗っています。今まで、襲われたことは」


 ない、というシェリルの言葉は、ひいっという悲鳴に変わった。

 茂みから、大きな黒い何かが目にも留まらぬ早さでディートリヒめがけて飛び出してきたせいだ。

 ぎょろりと不気味に輝く紅い目が、シェリルの前に立つディートリヒに狙いを定める。四本のたくましい手足と、人間の二倍はあろう大きさ。ディートリヒに襲いかかろうとしている爪と牙は長く鋭い。一搔きされれば骨までえぐられるだろう。

 魔物に出会わないために、魔物除けの精油は必ず塗っていたし、必ず予備を持ってきていた。そのおかげで、シェリルは一度も魔物に出会ったことはない。だから、実際に魔物に襲われた際の対処法など用意していなかった。

 恐怖に震えて尻餅をついたシェリルの視線の先には、獰悪な形相をした魔物と、なんの力も無く震える薬師を守ろうとする、堂々としたディートリヒの背中があった。

 ディートリヒは手を振り払うと、何もない空間から何本もの雷の矢が現れ、魔物に向かって飛んでいく。雷の矢は魔物の体に突き刺さり、魔物はひるんだように後ろに下がった。その隙を見逃さんとばかりに、ディートリヒは地面を蹴って更に攻撃を繰り出していく。


 (あぁ、なんて綺麗な)


  いつの間にか、シェリルの震えは収まっていた。

 目の前で繰り広げられる魔法の数々。彼なら大丈夫だと思わせられる不思議な安堵感。これが、貴族が口を揃えて褒め称える天才魔術師なのだ。

 決着がついたのか、ディートリヒが最後の一撃を加えると、魔物の体は霧散していった。後には何も残らない。


「お、お客様……」


 それが今のシェリルに出せる、精一杯の言葉だった。他にもっと「ありがとうございました」とか「怪我はないですか」とか言うべきことはたくさんあるのに。

 初めて直面した死という恐怖は、そう簡単に去ってはくれない。

 薬師の声にディートリヒは振り返り、目を丸くした。シェリルが座り込んでいることに驚いたらしい。しっかりとした足取りで近付いてきて、手を差し伸べる。


「怪我はしてない? 怖い思いをしたね。もう大丈夫だよ」

「あ、ありがとうございます……」


 差し出された手に自分の手を乗せると、優しく握られて立ち上がらせてくれる。こういうところも紳士的でスマートである。

 ディートリヒとの物理的距離が近くなって初めて、ディートリヒの顔が青ざめていることに気付いた。そういえば彼は、繊細な心の持ち主で、すぐ胃が痛くなる体質だった。シェリルの薬のおかげで症状は大分和らいでいるようだが、飲み始めてまだ二週間も経っていない。

 死ぬかもしれないという危険な場面で、無力な足手纏いの薬師を後ろに置いている状態だった。それでも魔物に立ちはだかって、シェリルに怪我ひとつさせまいと戦ってくれたのだ。ディートリヒにとっては重荷だっただろう。

 色々と考えて、ついディートリヒのことを見つめすぎてしまったらしい。仮面越しに感じる視線に、ディートリヒは申し訳なさそうにはにかんだ。


「君の薬のおかげで腹痛は治まっているけれど、こればかりはどうしようもないものだよ。ごめんね、気にしないで」


 がんと頭を殴られたような衝撃だった。

 ディートリヒは何も悪くない。いや、ディートリヒが無理矢理ついてきたのだから多少は彼にも非はあるかもしれない。

 でもシェリルは、何も知らずに崇め奉るそこらの貴族と違い、ディートリヒの体質を知る数少ない人物だったのに。魔物と遭遇すればこうなることは分かっていたのに。魔物除けの精油を塗っているから大丈夫だと、高をくくっていたのはシェリルだ。


「申し訳、ございませんでした。私が、できそこないだから……魔法が使えなくて……」

「え?」


 ディートリヒの顔が見れなかった。シェリルの視線は自然と下がっていく。

 顔から足下へ、視線が流れる途中で目を見開いた。


「お客様っ! 服が切れて――腕、怪我をなさったのですね!?」


 驚くディートリヒを無視して、シェリルは服が切れている腕に飛びついた。マントが破れ、服も切り裂いて、肌にまで到達しているようだった。なめらかな肌はぱっくりと割れ、赤い血を垂れ流している。

 あの魔物の爪は鋭かった。この程度で済んだのは不幸中の幸いだろう。

 いや、違う。

 国の宝である天才魔術師を危険な目に遭わせてしまった。

 ディートリヒの申し出を振り切って一人で来るべきだった。もっと、警戒しておくべきだった。

 魔法も使えないできそこないのくせに、そんなことも理解しない愚か者だったのだ。


「あぁ、少しかすってしまったみたいだ。たいしたことないよ」


 今日の天気でも詠うように、けろりと言ってのけた。

 そんなはずはない。人間である以上、痛みはみんな同じ。

 まずは消毒と痛み止めをと思ったが、今回の採集で消毒や痛み止めになるような薬草は摘んでいなかった。

 だが、店に戻ればいくらでもある。

 シェリルはディートリヒの手を取り、店に戻るべく足を速めた。


「え、ちょ……どこに行くの? 薬草の採集は?」

「薬草は十分採りました。店に戻ります。痛いと思いますが、もう少し我慢してください」

「腕の怪我のことなら本当に大丈夫だよ。これくらいの怪我、いつものことだし」


 ディートリヒの声に歪みはない。声が震える程の痛みではないらしい。その事実にほっとしつつも、歩みは止めない。

 だって。

 

「……慣れていても、痛いものは痛いですから」


 それがどちらに向けられた言葉なのかは分からない。

 ただ、シェリルの手の中のぬくもりが、ぴくりと動いた。それきり。シェリルに手を引かれるままついてくる魔術師は、何も言わなくなった。

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