第8話


 あたたかな季節に向かっていく最近は、麗らかな天気が続く。花がざわめき、鳥の歌声が町中に流れる。人間にとっても植物動物にとっても過ごしやすい季節だ。そして薬師であるシェリルにとっては、薬草収集にうってつけの季節でもあった。

 昨日はマリンに代金を多めに貰ってしまったし、薬草狩りや調達を行おうと店を閉めて出かけようとしたところだった。


「こんにちは。外にいるのは珍しいね」

「………………」


 シェリルは想定外の人物に、足を止める。

 振り向くと、フードを被った長身の人物が立っていた。フードの陰から僅かに覗く金色の毛先に、宝石のような青い瞳。いつもより弾んだ声をしているが、間違えるはずがない。ディートリヒ・レスターだ。どうして彼がこんなところにいるのだろう。

 店の前に立たれては、どうしようもない。シェリルはとりあえず挨拶を返すことにした。


「……こんにちは。昨日お渡しした薬に、なにか不備がありましたか?」

「いいや、最初に貰ったものと同じく、よく効いているよ」

「そうですか、それはよかったです。では失礼します」


 それだけの報告のためにここまで来たとは考えにくいが、今日は店を早めに閉めてこれから出かける予定だ。どちらにしても相手はできない。

 素早く「CLOSE」の札をかけてこの場を離れようとしたが、シェリルに何か用がありそうなディートリヒがそれを許すはずもない。


「今日はお店は終わり?」

「はい。ご覧の通り、これから出かけますので。申し訳ありませんが、お急ぎでないご用の場合は、明日以降にしてください」

「仮面のまま出かけるの?」

「はい。仮面のまま」


 シェリルはこくりと頷いた。

 裏口から出て帰宅する場合は別だが、町にいる間は基本的に仮面を付けて過ごす。町の人もそれに慣れているため、疑問に思う者はいない。

 ディートリヒは納得いったようないかないような、微妙な顔でシェリルを見下ろしている。


「そう……。どこに?」

「そこの森と、町に買い出しに」

「……森?」


 途端、ディートリヒの表情が鋭くなった。宝石のようだと思っていた青い瞳は、深海の凍てつく水に切り替わる。

 ぴりっとした空気がシェリルの肌を刺す。ただ予定を伝えただけで何も悪いことはしていないはずなのに、シェリルは思わず身構えてしまう。


「森って、まさかヴァリテルの『知らずの森』じゃないよね?」

「そのまさかですが……」

「危険だからやめた方がいい。あそこの森は最近魔物が出たばかりなんだ。この季節もあって、魔物が活発になっているから」

「ご心配なさらずとも、魔物が出やすいことは知っています。薬草の調達に行くだけですから」


 シェリルがよく薬草採集に行くのは、薬屋から少し離れたところにある『知らずの森』だ。そう呼ばれるのは、木の密集度が高く昼でも薄暗いため魔物が出やすいことに由来する。入ったら魔物に襲われて二度と戻ってこられないという、興味本位で森に入ろうとする子供たちを怖がらせ寄せ付けないための言い伝えだ。

 

 確かに魔物は出るが、身の守り方を知っていれば昼間はそんなに怖くない。恐ろしい言い伝えがある分、森に足を踏み入れる人間も少ないから薬草はすくすくと育っていく。

 シェリルにとっては宝の森でもあった。

 だがディートリヒは納得しないように、綺麗な顔を歪めた。


「危険だっていう意味分かってる? 魔物は、人間を見境なく襲うんだよ」

「今回の薬草調達には、お客様の薬に必要な薬草も含まれていますが」

「………………なら、僕も付いていく」


 深い深いため息を吐いて、妥協案だと言いたげな口調だった。


 (ため息を吐きたいのは私の方なんだけど)


 それを口に出すことはしない。流石にシェリルもわきまえている。

 こればかりは譲らないと鋭い視線を向けられてしまっては、振り切るのも困難だし時間の無駄な気もする。

 

「……分かりました。ただし、ご自分の身はご自分で守ってくださいね」

「え、待って、君がそれを言う? 僕を誰だと思ってるの?」

「心の弱い貴族の方」


 そして貴族が褒め称える天才魔術師だということも知っているが、それは下町で薬屋を営む「仮面の店主」には遠い世界の話だ。

 心の弱い貴族の方は、目を見開き唇を震わせた。

 

「ちがっ、いや、合ってるけど! そうじゃなくて、僕は、君の護衛のつもりで行くんだけど!?」

「結構です。自分の身は自分で守れます」

「自分で守れるって……君、女の子じゃないか」

「……薬師でもあります」


 シェリルは一瞬、言葉に詰まる。

 なぜそこで女の子扱いをするのか。仮面で性別までごまかせるとは思っていないが、女性だからといって垣間見える紳士の対応をするのはやめて欲しい。なんだか心臓の辺りがもやもやするのだ。


「なら余計に魔物に気をつけなくてはいけないよ。戦えるわけではないんだから」

「大丈夫です。きちんと対策は立てています」


 シェリルだって馬鹿ではない。そうやすやすと、魔物の餌食になるつもりはないのだ。

 胡乱な顔をするディートリヒをよそに、シェリルは腕に抱えていた籠から小さい瓶を取り出した。中にはさらりとした液体が入っていて、ほのかに植物の爽やかな香りがする。

 こぼさないように丁寧に液体を手のひらに広げ、腕や首筋に塗り込んでいく。

 

「……それは?」

「魔物除けの精油です」

「魔物除け? まさかそんな液体で、魔物が寄りつかなくなると?」


 ディートリヒはシェリルの言葉を信じていないようで、いぶかしげにシェリルの手の中にある瓶を見下ろしている。

 精油で魔物が寄りつかないなんてディートリヒは聞いたことがないし、そもそもそんなもので魔物から身を守れるならば、ディートリヒたち魔術師が、わざわざ魔物退治に駆り出される必要もない。

 だがシェリルは平然と頷いてみせる。


「まあ、私が独自で発見して独自で生み出した製法ですので。確実な効果が立証されているわけではありません。安全も保証できないので、店でも販売はしておりません」

「だとしても、君が今まで無事に生きているのが確かな証拠じゃないか。一体どこからそんなものを?」

「時間がもったいないので、歩きながらでいいですか」


 許可を求める形で言いながらも、シェリルはディートリヒの返事を聞くことなく森がある方向へ歩き出す。

 魔物除けの精油は万能ではないと思う。低級の魔物ならほとんどを除けられるだろうが、中級や上級になってくれば話はかわってくるだろう。さらに、魔物は日が落ち始めるあたりから活発になるというので、身を潜めている昼間のうちに済ませてしまいたい。

 ディートリヒも答えがもらえればそれでいいのか、特に反論することなく、歩き出したシェリルの隣に並んだ。 


「この精油は、ゼラニウムという植物の葉から抽出して精製したものです」

「ゼラニウム?」

「はい。割とその辺に咲いている花ですね」

「どこにでも咲いている花が、魔物除けになるんだ」

「でも、咲いている花そのものでは効果が薄いと思います。葉から抽出した成分を凝縮してはじめて、それなりの魔物除けになっています」


 ゼラニウムが魔物除けになると気付いたのは、知らずの森で薬草狩りをするようになってからしばらく経った頃だった。ゼラニウムの花が自生している辺りは、魔物の通った跡が薄かった。

 もしかしたらと思って、ゼラニウムを持ち帰り色々と試したのだ。いくつかのポイントに、花だけを置いてみたり、花粉を固めたものを置いてみたり、本当に頭に浮かんだ種類、組み合わせはすべて試した。その中で魔物の近寄った痕跡が最も少なかったのが、葉から抽出して精製した、今使用している『魔物除けの精油』だ。


「……君は、死に急ごうとしてるの?」

「どうしてそうなるんですか。着きましたよ、気をつけてくださいね」

「だからそれ、僕の台詞なんだけど」


 森の中に足を踏み入れた瞬間から、今までの喧噪とした世界から隔絶されたような空気を肌に感じる。鬱蒼とした木々の間から僅かにこぼれる日の光が頼りの薄暗さ。シェリルとディートリヒという、二人だけの足音と息遣い。耳を澄ましていれば、どこからか魔物のうめき声が聞こえてきそうな不気味さ。

 周囲を警戒するように歩くディートリヒとは反対に、シェリルは慣れたようにさくさくと歩みを進める。

 知らずの森に入る人間は少ない。シェリルがよく通っていることからある程度は踏みならされた、しかし道とは呼べないような道を進んでいく。

 ディートリヒは物珍しそうに、あたりを見回す。

 

「こうして見ると、綺麗な花もたくさんあるんだね。前に来たときは魔物のことでいっぱいだったから、気にしなかったな」

「そうですね。この森は自然豊かで様々な種類の草木が自生しているので、魔物が住んでいなければ、散歩やピクニックで人気になっていたかもしれないですね」

「魔物が住んでいることがすべてを台無しにしているね……」

「ですがそのおかげで、私はこの森の恵みを独り占めできますし。見てください、これはスズランという花です」


 シェリルは、歩いていた道から少しはずれたところに咲いている花に近付いた。白くて小ぶりな、鈴のような形をしている。

 ディートリヒも続いて、シェリルの隣に屈む。


「綺麗な花だね。下を向いているし形も……もしかして鈴に似てるからスズラン?」

「そうです。この季節に咲く花なので、スズランを見ると薬草狩りの季節が来たな、って思います」

「その感覚はどうかと思うけど……。でも、暖かいこれからの季節を告げる花としてはうってつけかも」

「あ、触らない方がいいですよ」

「え?」


 愛でようとしたのか持ち帰ろうとしたのか、スズランに手を伸ばしたディートリヒの行動をシェリルは止める。

 きょとんとした顔が、お面越しのシェリルを見つめた。


「スズランには毒があります。触るだけで死に至ることはないですが、これからまだ歩きますし、万が一のことがあるといけないので」

「毒? こんな綺麗な花に?」

「水差しに使った水を誤って飲んで死亡した、というケースもあるようです。綺麗な花には棘がある、といいますし。何事も見た目で決めてはいけない良い例ですね」


 ディートリヒの手は、そろそろとスズランから離れていった。鑑賞するだけにとどめることにしたらしい。

 綺麗なものは眺めているだけでも効果を十分に発揮する。むしろ、眺めているだけのほうがいい場合もある。敢えて中身を知って失望する無駄な作業など行わなくていいのだ。

 シェリルもスズランを採集する予定はなかったので、奥に進むことにした。

 少し進むごとにシェリルの求めていた薬草も、求めていなかったけれどせっかくだから集めておこうという薬草も見つかるので、抱えていた籠は着々と重みを増していった。そのたびに、興味津々のディートリヒに効果や使用法を説明する羽目になっていた。

 一人で来た方が効率的だったなと思い始めた頃、シェリルはある植物に目を留めた。

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