第7話

 仮面の薬師が作った薬の成分検査結果は、日付が変わる頃に出た。

 ソファに腰掛けて休んでいたディートリヒは、崩れた姿勢のまま、検査結果の報告に来たエリックを招き入れた。


「成分検査の結果が出ましたので御報告を」

「……どうだった?」


 頬杖をついたまま尋ねると、エリックは片手で紙をつまみ、己の顔の前に掲げて内容を読み上げる。


「薬草の配合量に若干の差があるかもしれませんが、至って普通の薬ですね。毒物も検出されませんでした。……あとは、魔力が少し」

「魔力?」

「とはいっても、人間が持つような魔力ではありません。恐らく、自然界にごく普通に漂っている魔力です。混じっていてもおかしくはない程度の。採れたての新鮮な薬草でも使ってるんですかね?」


 ありえない、とディートリヒは首を振った。

 仮面の薬師が、壁に吊るしてある乾燥した薬草を抜いているのを見ているのだ。あの状態の植物に、魔力が残っているとは考えにくい。


(魔力を留めておく魔法式でも使っているのか?)


 だとしたら、術式を使った痕跡が残るはず。

 それに、魔法が使えるのであれば、どこかの魔法学校に通っているか卒業しているだろう。人の体に入るものに、自身の魔力を流し込む術式を使うのはタブーと分かっているはず。


 ディートリヒは己の顎を撫でた。


 どちらにせよ、あの仮面の薬師は興味を掻き立てる存在であることに違いはないようだ。


 仮面をしているせいで、薬師の表情は分からない。

 ディートリヒは明らかに貴族だとわかる格好で赴いているが、恐れおののくでもなく、かといって専属薬師として抱えてもらおうとか、代金をふんだくってやろうとか媚びてやろうとか、そんな気配は全くない。

 歓迎されているのか忌避されているのかすら、読み取ることが出来ない。


 特殊な魔法も特別な薬草も使っていないとあれば、それはほかの薬師とはかけ離れた天才的な調薬技術を持っているということ。

 それだけの才能があるのなら、庶民ではなく貴族に向けて営業をすれば、比べ物にならないほどのお金が入ってくるし、上手く行けば貴族に取り入ることが出来るだろう。後者の方が、明らかにメリットが多いはずなのに。

 あのような場所で、庶民向けに営業をし続ける理由が、ディートリヒには分からない。


 そもそもなぜ仮面なのか。初めて行った時にはうさぎの仮面、今日は人の顔で口元が変に歪んだ仮面だった。特定の仮面である必要性はないようなので、怪しげな店の雰囲気にあわせてのことなのか、はたまた顔を隠すことが目的なのか。


 ふむ、とディートリヒは少し考えて、

「……エリック」

「はい」

「薬を買わないのに、薬屋に行くのはアリか?」

「………………ナシなのでは?」


 薬屋の訪問理由など薬を買う以外にないだろう、と言わんばかりの顔だった。

 ディートリヒは腕で顔を覆い、天井を仰いだ。唸るように呟く。


「一週間と言わず、三日分くらいにしてもらうべきだった」

「そんな短期間で通ってたら、店主もいい迷惑だと思いますが」

「薬を購入するために訪問する以外の手がないなら、仕方ないだろう……」


 一週間後でも、仮面の薬師が逃げることはないし、なにかを失うこともない。しかし、ディートリヒの中で湧き上がった興味は待ってくれない。

 ディートリヒが天才魔術師と言われる所以は、生まれ持った才能ももちろんあるが、そもそも魔法に対する探究心が強いこともある。仮面の薬師の薬は魔法が関係しているとは考え難いが、だからこそ未知のものへの興味が止められない。

 

 だって、魔法が絶対だという常識が覆されるかもしれないのだから。


 悶々と考え込むディートリヒに、エリックは呆れた顔をした。そして付き合ってられんと、検査結果とは別に新たな紙を懐から取り出した。

 封蝋が押されている、手紙のようだ。


「一週間待てばよい話でしょう。……別件でのご報告も。ネルヴェア伯爵家から、夜会の招待状が届いております」

「あぁ……ネルヴェア伯爵か。そんなことより、『ルフュージュ』に行きたい」

「わがまま言わないでください……。ネルヴェア伯爵のご令嬢は、ディートリヒ様と同じく優秀な魔術師だと聞き及んでおります。あまり無下になさらぬよう」

「彼女のことを無下に扱った記憶はない。皆の言うように、優秀な魔術師だよ」


 ディートリヒは、レナのことを思い浮かべる。

 自分が天才魔術師だともてはやされているのは知っているが、『天才』は一人だとは限らない。現に同じ歳のネルヴェア伯爵の娘、レナ・ネルヴェアもディートリヒと同じように『天才魔術師』だと囁かれている。

 

 二人を比べてしまえばディートリヒの方が圧倒的に上なのだが、全体で見ればディートリヒが他の追随を許さないほどに抜きん出ているだけで、レナだって普通の魔術師よりは上だ。

 その点は、ディートリヒもレナの事を評価している。

 

 しかしどうにも、レナはディートリヒを神聖視している節があるらしい。ディートリヒを見る目は、本当のディートリヒではなく、レナの中で作り上げた理想のディートリヒを見ているようなのだ。

 そういった視線は、足かせを付けられたまま、沼地にゆっくり沈められていくような不安感や息苦しさがあった。

 

 ディートリヒとレナは結婚するべきだという声も上がっているが、結婚すれば否が応でもお互いのことを知ることになる。レナが本当のディートリヒを知れば失望するだろう。勝手に理想の人間に仕立て上げて、そうでないと分かると勝手に失望していく。そういう目はもう懲り懲りだ。

 幸いなことに、身分も実力もディートリヒの方が上のため、ディートリヒが頷くことさえしなければ進まない話である。

 周囲の圧というのも面倒なものだが、結局勝つのは周囲が作り上げた地位である。


 ――だからだろうか。身分も実力も外に放り投げた関わりができる、仮面の薬師に安心感を覚えるのは。

 

 ものぐさな姿勢を崩さないディートリヒに、エリックはため息を吐いて魔法の言葉を放った。


「そういえば、『ルフュージュ』の外で待っていたときに耳にしたのですが、あの店は薬だけでなくハーブの茶葉なども販売しているそうです」

「ハーブの茶葉?」


 ディートリヒはぴくりと反応し、身体を起こす。

 エリックは頷き、さらに続けた。


「はい。つまり、薬が目的でなくとも薬屋に訪問できるということです」

「ハーブの茶葉……あぁ、あれか」


 前回行ったときも、今回もそうだった。仮面の薬師は、相談の際や調薬の待ち時間に客が手持ち無沙汰にならないよう、おいしいハーブティーを出してくれる。

 仮面の薬師の言葉から察するに、ハーブにも様々な効果があるようだ。ディートリヒにはさっぱり分からない分野である。だが、ディートリヒがハーブティーを気に入ったのは間違いがない。その茶葉も買えるのならば、一石二鳥だ。

 

 エリックの話すとおり、ハーブの茶葉を購入する目的であれば、店主も嫌な顔はしないだろう。仮面をしているせいで、嫌な顔をしているのかは確認できないので無意味な心配かもしれない。


「なるほど、早速明日にでも行くとしよう」

「では、ネルヴェア伯爵の招待状は参加で返事をしておきます」

「待て、なぜそうなる」

「ディートリヒ様のご要望にお応えしたのですから、私の要望も聞き入れていただかないと」

「……君は、そういうところあるよな」


 エリックの言葉遣いや物腰は柔らかいが、言うことはきちんと言うしやることはきちんとやる人間だ。今回のように抜け目ないこともする。

 

 ディートリヒは嘆息したが、参加を断って関係が悪くなるのも本位ではないし、エリックの意見が正しい。夜会への参加は免れなかったはずなので、おまけで良い情報をもらえたと思った方がいいに違いない。

 断固として譲らないという顔をするエリックに、ディートリヒはつまらなそうに片手を振った。


「分かった、夜会には参加する。ただし、エスコートの依頼があった場合は断ってくれ」

「……承知しました」


 納得していないような声色だったが、これ以上押しても無駄だと判断したらしい。エリックはおとなしく引き下がった。

 この話はおしまいと言いたげに、ディートリヒは話を変えた。その表情はどこか楽しそうである。


「明日の授業は午前中までだったな。その後は『ルフュージュ』に行くことにしよう。できるだけシンプルな服を用意しておいてくれ」

「はい」

「では、そろそろ休む……あぁ、薬はあるか?」

「こちらに」


 差し出された薬袋を受け取る。仮面の薬師が言うに、腹痛があろうとなかろうと、一日三回呑む必要があるらしい。治癒魔法具に比べて不便さはあるが、効果のほどは己が身で経験済みだ。

 エリックは何も言わずに水差しからコップに注ぎ、テーブルの上に置いた。

 薬袋から一粒取り出す。薬袋に入っていると臭いはしないのだが、中から取り出すと薬草独特の臭いが鼻をつく。薬屋も同じように様々な薬草のにおいで充満しているが、ディートリヒはこのにおいが苦手ではなかった。

 ころんとした綺麗な形の薬を、水と一緒に飲み込んだ。

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