第6話

 ディートリヒは薬を受け取り、仮面の店主に見送られながら薬屋『ルフュージュ』を後にする。顔を上げると、濃紫が朱色を包みこみ始めていた。

 まさか薬屋で、空の色が変わるほどの時間を過ごしていたとは思わなかった。

 店内は薬草のにおいで充満していて少し薄暗い、なんの目的で飾られているのかさっぱり分からない様々な種類のお面が壁一面にあり、不気味な雰囲気を醸し出している。にも関わらず、不思議と落ち着く空間なのだ。店内に時計がないことも相まって、自分が思っている以上に時間の感覚が鈍くなるようだ。


 貴族として普通に過ごしていれば、知りえることが無かったはずの薬屋『ルフュージュ』の存在を知ったのは、たまたまだった。

 この町付近の森で魔物が出たということで、討伐とパトロールを含めて足を踏み入れた時に、「よく効く薬屋がある」「まるで神様のようだ」という話を町の住人が噂しているのを耳にしたのだ。

 一緒に任務にあたっていた貴族の子息は、「庶民は治癒魔法具の効果を知らないから、そんな事が言えるんだ。薬などただの気休めだろう」と鼻で笑って流していたが、ディートリヒはなんとなくその話が頭に残っていた。


 ディートリヒは、プレッシャーによる腹痛が頻繁に起こっていることから、治癒魔法具を常用的に使用している。

 しかし治癒魔法具は、怪我や風邪など一時的に使う分には非常に効果的なものだが、慢性的に起こるディートリヒの腹痛は治癒魔法具とは相性が悪い。根本的な解決にはならないのだ。


 改善に繋がるかは試してみないことにはなんとも言えないが、貴族の中には専属の薬師を置いている家もあるらしい。貴族が抱え込むような優秀な薬師の調合する薬は、それなりに効果もあると聞く。

 優秀な薬師であればすでに貴族が囲っているだろうから、専属薬師ほどではないだろうが、試す価値はあるかもしれない。そう思ったディートリヒは、ダメ元でその薬屋に足を運んでみることにした。


 ――『ルフュージュ』を訪れた直後は、その決断を後悔したものだ。


 庶民とはいえ噂になるほどの優秀な薬師が、町外れのこんな辺鄙なところに店を構えるものか。入ってみても壁一面がお面だらけ薬草だらけという怪しい風貌で、いっそ黒魔術でも行っていると言われた方が納得がいく。ダメ押しに、店主も怪しい仮面をしているときた。

 衝撃のあまり思わず、ここは本当に薬屋かと尋ねてしまったのも悪かった。流れるままにソファに案内され、あれやこれやと話は進んでいく。

 こうなってしまったものは仕方ないと、記念として薬だけでも貰おうとした。


 しかし、いい意味でその思いは裏切られることになる。


 恐らく女性であろう店主は、自分の話を笑わずに親身に聞いてくれるし、不思議と話しやすい雰囲気で、いらぬことまでペラペラと喋ってしまった気がする。緊張を解すためにと、気遣って出してもらったハーブティーというものも美味しかった。

 だが処方された薬は驚くほど安価で、優しく対応してくれた店主には失礼だが、変なものでも混ぜているのかと怪しんでしまうほどだった。

 しかし飲んでみれば効果は瞭然、まるで治癒魔法具を使っているかのよう。


 果たして、ただ薬草を調合しただけの薬で、このような効果をもたらすことは可能なのだろうか?

 店内に入った時とはまた別の猜疑心が、ディートリヒの中を渦巻いた。


 ディートリヒは、誰もいない空間に向かって従者の名前を呼ぶ。

 

「――エリック」

「はい」


 少し離れた辺りの空気が揺れたかと思うと、蜃気楼のように人が現れた。

 その人物は黒いマントにフードを被っているせいで体型や顔立ちは隠れているが、長身なことだけは見て取れる。マントの裾をはためかせて、主人であるディートリヒに近づいた。


「用は済んだ、屋敷に戻る。馬車は?」

「裏路地に止めてあります。大通りは人目につきやすいので」

「分かった」


 ディートリヒは示された方向へ歩きながら、後ろを静かについてくるエリックに、先程仮面の薬師からもらった薬袋を差し出した。


「この薬の成分を至急、調べてくれ」

「かしこまりました。前回と同じものですか? 以前のものからは、毒は検出されませんでしたが……」

「それも含めて、薬草の種類や術式がかかっていないかも、調べられること全てだ」

「術式!? そんなものがかかっていたら、何人死人が出ているか考えるだけでも恐ろしいことになります!」


 エリックは驚きのあまり、受け取った薬袋を落としそうになる。まるでいつ爆発するか分からない爆弾でも抱えているかのようにおののき、持つ両手が震えている。


「例えだ。僕も一週間この薬を飲んでいるし、町民からの評判もいいから、ありえないとは思う」

「……脅さないでください」

「脅したつもりはない。ありとあらゆる可能性を考えるべきだろう?」

「……………………」


 してやったりという顔を向けてくる時点で、からかう目的の割合が高かったのは一目瞭然である。エリックは不満げな顔で、その薬袋を懐にしまった。

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