第4話

 来てしまったものは仕方ない。長く外で待たせるわけにもいかない。小さく深くため息を吐いて、シェリルは意を決したように扉を開いた。


 そこに立っていたのは、予想通りと言うべきか予想外と言うべきか、外套に身を包んだ美貌の青年だった。僅かに残っていたオレンジの光に包まれて、フードから僅かに覗く金色の髪も青色の瞳も、神秘的に輝いていた。


 シェリルは思わず息を飲んだ。

 ――仮面を付けていてよかった、と心から思った。表情を隠す意図で付けているものではなかったが、ディートリヒの影響で仮面を付ける理由のひとつになりそうだ。


 中から姿を現した仮面の店主に、美貌の青年――ディートリヒ・レスターはホッとしたように顔を綻ばせる。


「ああ、よかった。中に入れてもらえるかな」


 この男は、店主がいればやっているという判断になるらしい。

 別にいいのだ。今ちょうど店を閉めようとしていたところだったが、薬を必要としてくれる人がいるならば、店内にいる限りはいくらでも薬を煎じる。そのための店だ。例え、店を閉めようとしていたところだったとしても。

 店主の存在有無を確認しただけディートリヒはかなり丁寧な方だとは思うが、しかしなんとも、この貴族の自己中心的考えは好きになれない。


 シェリルはさっと、右手を店内に向けて広げた。

 

「……どうぞ」


 抑揚のない声で、訪れた客を店の奥に誘導する。

 だが店主の声色に気付いていないのかハナから興味がないのか、ディートリヒは黙って後をついていく。


 前回と同じように客用のソファにたどり着くと、羽織っていた外套を脱ぎ、綺麗に畳んで背もたれにかける。

 中には青地に金糸の刺繍が入った上品な服を着ており、一発で貴族と分かる格好だった。流石に、この町外れで貴族服だと悪目立ちすると感じたのだろう。


「本日はどのようなご用件でしょうか」


 ディートリヒが居住まいを正したのを確認して、シェリルは立ったまま訊ねた。

 本当に来るとは思っていなかった。わざわざ外套に身を包んで身分を隠して、明らかにここが目的だと言わんばかりの姿で。

 まさか、治癒魔法具が高すぎて購入できないから安い庶民向けの薬屋にチェンジしたなんてことあるまいな。

 レスター家は侯爵位でありながら、王家に重宝されていると聞く。最近ではディートリヒという天才的な魔術師が生まれたことから、殊更厚く待遇されるようになった。そんなレスター家が治癒魔法具を買えなくて、どこの貴族が買えるというのだ。


「前回いただいた薬が欲しくてね。不思議なほどよく効いたから」

「かしこまりました。調合してまいりますので、このままお待ちを――」

「あれ、本当に薬草を調合しただけの薬?」

「……と、申しますと」


 質問の意図が分からず、シェリルは聞き返す。

 透き通った青の瞳が、仮面の店主をじっと見つめている。懐疑的とも好意的ともとれない、整った顔の奥に感情をしまいこんだ表情をしていた。


「飲み始めた頃はあまり効果がなかったのだけれど、後半にかけてまるで治癒魔法具をずっと使っているかのように腹痛がなくなった」

「お身体に合ったようでよかったです」

「でも、薬草だけで治癒魔法具と同レベルの効果があるのなら、上流貴族が治癒魔法具に頼りきりというのはおかしな話だと思わないかい?」


 そうだろうか。

 治癒魔法具は非常に効果が高いと聞いているが、効果云々以前に、貴族の間では一種のステータスのようなものになっている。治癒魔法具を大量に購入できるほど、財産に余裕があるんだぞという誇示だ。

 いつからそういう認識になったのかは分からないが、懐に問題がないのであれば、敢えてレベルを下げて薬に頼る必要はない気がする。


 シェリルにとって貴族とは、プライドの塊のような存在である。見栄を張りたい、誰よりも優れていたい、外聞を気にしてばかりで中身など到底興味を持たない。薬屋を開き庶民階級の者と関わるようになってからは、その印象は以前にも増して強くなっていた。


 だから、ディートリヒの言っていることは理解ができない。

 だがそんなことを正直に言っては、貴族であることを隠そうともしない彼に喧嘩を売りに行っているようなものだ。


「治癒魔法具は即効性が売りでしょう。薬は効果はあれど即効性はありません。お忙しい貴族様方は、治癒魔法具の方がメリットが多いというだけの話でしょう」

「違う。薬草を調合しただけの薬は効果が薄かったから、治癒魔法具にシフトしていったんだ」

「それは個人差の問題では? 私が出来ることは、お客様の症状に合わせて薬草を調合してお出しするだけです」

「その効果が異常だと言っているんだよ。薬草だけで治癒魔法具と同じ効果がある薬を作れるなら、こんな場所で庶民だけを相手に商売しているのはおかしい」


 ――なんだ。

 シェリルはようやく、ディートリヒの言いたいことを理解した。

 要は、この店は怪しいから何か変な魔法か薬でも使っているんじゃないか、と聞きたいのだ。

 ストンと納得したと同時に、ふつふつとした怒りも腹の奥で燻り始める。


「うちの薬にご不安があるのでしたら、調合に使用する薬草をお持ちしてひとつずつご説明、目の前で調合をしても構いませんが」


 疑うのなら、自分の目で毒が入ってないこと、変な魔法がかかっていないことを確認すればいい。彼は知らないだろうが、後者に至ってはありえない事なのだ。シェリルは魔法が使えないのだから。

 そもそも『ルフュージュ』は、貴族のために作ったものではない。

 店主のトゲトゲしい声に驚いたのか、ディートリヒは目を丸くした。 


「……言い方が悪かったのなら謝ろう。それほどまでに、君の薬は素晴らしかった。その辺の薬師と比べても、貴族抱えの薬師と比べても、ずば抜け『すぎている』才能だよ。こんな下町の外れで細々とやっているのは、勿体ないくらいだ。どうして貴族相手に売り出さないのか不思議だと思って」


 仮面をしているのをいい事に、シェリルはこれでもかというほど不快そうに顔を歪めた。

 同じことじゃないか。


「……有難いことに、ここの薬は効きがいいと評判をいただいておりますが、とはいえ取り扱っているのは『薬草を調合しただけ』の薬です。この国の要とも言える魔法から生まれた魔法具に、どうして『ただの』薬が勝てましょう。適材適所というものがございます」


 それらしい事を、それらしい口調でつらつらと述べていく。意趣返しとばかりに、ただの薬であることを強く強調してみる。

 ディートリヒが納得しようがしまいが、シェリルにとってはどうでもいいことだ。


 敢えて、下町の外れ・怪しい外見の建物・不気味な店内という、貴族がいかにも遠ざけそうな三コンボをそろえてはいるが、貴族が客として訪れれば追い返さずにきちんと対応する。それはディートリヒ自身で実証しているはず。

 しかし、貴族は来ないのだ。来なければ、売り出すも何もない。来る者拒まず、来ない者は手招きせず。そんな精神でやっている。


 ディートリヒは、考え込むように顎に手をあてた。


「――なら、本当に薬草だけで?」


 ひとりごとのようにボソリと呟いたが、そんなに広くない店内でそんなに離れた距離ではない場所にいるシェリルの耳には、ばっちりと届いていた。

 だからそうだと言っている。

 シェリルは急かすように言葉を投げた。


「で、どうされますか」

「どう、とは?」

「薬はご入用でしょうか。当店はご相談のみでも承っておりますので、購入なさらなくとも結構です。お帰りになる際はあちらです」


 シェリルは店の扉を、揃えた指の先で指し示した。

 暗に帰れと主張している。


 強気な対応を取っている自覚はあるが、喧嘩を売ってきたのはディートリヒだ。薬にケチをつけるならば、さっさと帰ればいい。もともとは治癒魔法具を使っていたのだ。困ることはないだろう。

 ついでに、この店について「最悪な店だった」と貴族に触れ回ってくれたならば、随喜の涙を流して踊り狂うのもやぶさかではない。


 心の中で意気込むシェリルの心に反して、散々怪しんでいたにもかかわらず、ディートリヒはあっさりと首を振った。


「いや、今日は薬を買いに来たんだ。前回と同じものを」


 そう言われてしまっては、薬師のシェリルとしては断れない。


「……以前の薬を飲み始めて、吐き気や酷い眠気などの症状はありませんでしたか。なければ前回と同じものを、最長で一月分お出しできますが」

「特に異常はなかったけれど、今回も一週間分で依頼をしたいな」

「承知しました」


 シェリルは軽く頭を下げて、ディートリヒに背を向ける。

 薬草を調合するために奥に引っ込んだところで、火起こしの魔法具の上にしんと座っているティーポットが目に入った。マリに出したハーブティーの残りが入っているはずだ。

 シェリルもこの後は帰るだけなので、ハーブティーを優雅に飲んでいる時間はない。かといって、一週間分の薬を作るのにもそう時間はかからない。


(まぁ、いいか)


 シェリルは火起こしの魔法具に触れた。ティーポットを温め直している間に、吊るしてある薬草から調合に使うものを必要な分だけ抜いていく。

 ティーポットが沸いたのを確認すると、棚からカップを取り出して中に注いだ。バラの華やかで肺を充満しようとする香りの中に、ツンとした香りが紛れているため、甘ったるくならずに引き締まった呑みやすいものになっている。

 盆に乗せて、ディートリヒの元へ運ぶ。コトリと机に置くと、ほんのり漂っていた湯気も合わせて揺れた。

 

「薬ができるまでそんなにお時間はかかりませんが、お待ちの間にどうぞ」

「ありがとう。以前来た時に出してもらったお茶とは違うものかな。色合いが違う」

「ええ、はい」


 嬉しそうに、ディートリヒは目の前に出されたティーカップを指した。

 自分の前に来ていた客に出した余りものだとは、露にも思わないのだろう。貴族相手に余りものを出すような命知らずが、今までにいたはずもあるまい。

 そう結論づけたシェリルは、なんて事ないように頷いた。そして踵を返して、調薬に戻ろうとしたところで、引き留められてしまった。


「前回はカモミールだったっけ。これは?」

「……フィーバーフューとローズのブレンドティーです」

「ふぃ……?」

「フィーバーフュー。さっぱりとしていて飲みやすいですが苦味が強いので、ローズをブレンドしています」


 ディートリヒはカップを持ち上げて顔を近づける。形のいい鼻をすんと鳴らすと、いくらか目元を和らげて頷いた。


「なるほど、少しすっきりとした香りがするね。これもなにか効果が?」


 なぜ、こんなに突っかかってくるのだろう。ハーブや薬草に興味があるのだろうか。

 シェリルは眉をひそめるが、それがディートリヒに伝わることはない。


「痛みに効果があるとされており、主に頭痛や偏頭痛の緩和に用いられます」

「へえ、ハーブにもいろんな効果があるんだ。詳しいね」

「……薬師ですから」

「それもそうか。ありがとう、いただくよ」

「はい、ごゆっくり」


 頭を下げ、今度こそ踵を返す。ごゆっくりとは言ったが、さっさと作ってさっさと帰ってもらおう。

 この調子だと常連になってしまうかなと、ぼんやりと考える。それがいいことなのかよくないことなのか、今のシェリルには分からなかった。

 ディートリヒが嫌いなわけではない。そもそも、好き嫌いと区別が付けられるほどの関わりを持っていない。

 怪しまれているようだが、後ろ暗いことは何もないので、そこは追々落ち着いてくるはずだ。疑いが晴れたからといって、精神が弱いことをコンプレックスに感じているようであるし、薬を使用していることも相まって、貴族たちに言いふらすことはしないだろう。


 できあがった薬を、袋に詰める。

 ――なんだっていい。この『ルフュージュ』を壊さなければ、なんだって。

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