第3話
薬屋『ルフュージュ』は、喧騒とした大通りから何本も外れた裏道にひっそりと建っている。古びた外観で怪しい雰囲気を醸し出しているが、見た目に反して来客者は多い。とはいえ大通りのような賑やかさはなく、『ルフュージュ』への来店を目的にした客のみがちらほらと足を運ぶ静かな空間だ。
店内は、パサリパサリと薬草が重なり擦れる音だけが響いていた。今日は、比較的客の少ない日のようで、店主であるシェリルはこれ幸いと、薬草の補充に走っていたのだ。
パサ、パサリ。
薬草を種類ごとに分けて纏める作業だ。製薬する際の、客の待ち時間を少しでも減らすために必要な工程である。
可能な限り、客の症状に合わせて新鮮な状態の薬を作るべく、空き時間には様々な工夫を凝らしているのだ。
その時――カランと、来客を告げるドアベルが鳴った。
奥で薬草の仕分けをしていたシェリルの肩が、ビクリと震える。もう来客はないかもしれないと、安心しきっていたせいもある。
しかし、それだけではない。
天才魔術師であるディートリヒ・レスターが腹痛に効く薬を求めてこの店に来てから、ちょうど一週間が経つ。
貴族、しかも侯爵家嫡男であるディートリヒが、庶民向けの薬屋に二度も足を運ぶはずがない。あの時は、治癒魔法具がタイミング悪く購入できず、苦肉の策でどこからか噂か何かで耳にしたこの薬屋にきたと考えるのが妥当だ。
店内に入ってきた時も、明らかに『しまった、変なところに来てしまった』と後悔を滲ませた顔をしていた。
でも、もしかしたら――そういう考えが、今のシェリルの中にはあった。
「こんにちは、まだやってるかしら」
(違った!)
予想とは違う高い声に、シェリルは弾かれたように立ち上がった。近くに立てかけてあったお面を付けて、店の奥から飛び出す。
「いらっしゃいませ。大丈夫ですよ、どうぞこちらへ」
「ありがとう」
シェリルはほっと肩をなでおろして、訪れた客をいつものソファ席へ案内する。
綺麗な山吹色のワンピースに身を包んだ女性は、この店の装飾に驚きを見せることもなく、慣れた様子で勧められたソファに腰をかける。
「マリンさん、体調はいかがですか?」
「ええ、おかげで元気に過ごせてるわ。本当にあなたの作る薬は凄いわね」
シェリルがマリンと呼んだ女性は、頭痛が酷いということでよく薬屋を訪れている常連だ。特に季節の変わり目に悪くなりやすいらしく、寒い季節に向かい始めている最近は、頻繁に通っている。
初めて来店した時は、店内の風貌に眉を寄せ、薬の効果も疑っていたようだったが、次に来店した時にはその警戒はすっかり抜け落ちていた。余程、薬の効果に感動したらしい。
さらには感謝の気持ちということで、鹿の仮面を持ってきた。曰く、薬の効果を得た者は感謝の印として仮面を捧げるのがしきたりだと思ったらしい。そういう意味で仮面を並べているのではない。
しかし断るわけにもいかず、鹿の仮面は他のものと一緒に壁に並んでいる。角が長すぎてバランスが取りづらいため、残念ながら使用するには至っていない。
「いつもの薬をお願い。あと、この間出してもらったお茶がとても美味しかったのだけれど、またいただける?」
「もちろんです。お待ちください」
奥に引っ込み、火起こしの魔法具で湯を沸かす。その間に、マリンにいつも出している茶葉とティーカップを引っ張り出す。ふつふつと沸騰し始めたら茶葉を入れて、少し蒸らせば完成だ。
薬はマリンがそろそろ来る頃だったので、すでに調合したものを用意していた。
お盆にティーカップと薬袋を乗せて、シェリルを待つ客の元まで運ぶ。
「お待たせしました。どうぞ」
「まあ、ありがとう。いただくわ」
マリンは嬉しそうに手を合わせて、シェリルに礼を言う。
ハーブティーを飲みながら、マリンは雑談をするのが好きだった。シェリルは基本的に聞き役に回る。マリンは今日も、何かネタを持ってきているらしい。
「この間、馬車が止まっていたのを見かけたの。まさか、貴族が?」
「……申し訳ございませんが、お客様の情報は」
「あぁ、そうよね。ごめんなさい。ただ、みんな不安になっていて」
「不安?」
「専属薬師に推薦しにきたんじゃないかって」
専属薬師とは、貴族お抱えの薬師のことだ。
プライドの高い貴族は、病気や怪我の治療には大小関係なく、治癒魔法具を使用する。それが財力を見せつけるのにうってつけだからだ。
しかし、治癒魔法具をそのように使える貴族は限られている。
爵位の低い貴族や財産の少ない貴族に、治癒魔法具は高価過ぎる。見栄を張りたいがために、人目につきやすい服飾費や食費にお金をかけすぎてしまうからだ。代わりに、それなりに実力のある薬師を屋敷に抱えることで、小さな傷や風邪程度の病気は薬で治療を行う。
全く、貴族の見栄っ張りには呆れる他ない。
黙ったシェリルをどう思ったのか、マリンは困ったように微笑んで言葉を続けた。
「あなたは私たちの神様みたいな方よ。貴族が目をつけてもおかしくないくらい、優秀な薬師だわ。だから……」
「大丈夫ですよ。そんなお話は来ていませんし、あったとしても了承するつもりはありません」
「でも……貴族に逆らったら何をされるか」
マリンはぶるりと体を震わせて、両腕を自分の身を守るように抱えた。
庶民が貴族に逆らうなどありえない。下手したらその場で処罰を受ける可能性だってある。マリンの言葉は、それを心配してのことだろう。
下町の外れにある不気味な店を開く人間を、誰も貴族令嬢だとは思わないだろうが、店主であるシェリルは伯爵令嬢だ。好んで身分を明かすつもりはないが、専属薬師を迎えようとするような貴族であるなら、万が一のことがあっても逃げきることはできるはずだ。
「ううん。もしそうなったら、私たちに声をかけてね。斧や鍬を持ち寄って、みんなで追い払うわ」
「……そこは穏便に、お願いします……」
ぐっと力を入れて宣言するマリンを、シェリルはどうどうと宥める。冗談で言っているのだろうが、そんなことをすればそれこそ反逆罪で処刑されかねない。
なんて恐ろしいことを言うんだと思うと同時に、シェリルは温かいものを感じた。この町の人は、シェリルを必要としてくれている。大事にしてくれているのだ。
この町の人達を捨てて貴族の元に下るなど、シェリルにとっては天地がひっくり返ってもありえない事だった。
マリンは、ごほんと咳払いをした。
「冗談よ。でも、もし貴族がきたらこの話があったことは内緒にしてね?」
「はい」
シェリルのことを大事にしてくれるマリン達を、シェリルのことを蔑ろにする貴族に売るはずがない。
そもそも、この店は貴族が嫌うような風貌にしてあるので、いくら「腕がいい」「効きがいい」と庶民の話題になったところで、専属薬師を希望してくる貴族は現れないだろう。
それから暫く雑談をして、マリンはハッとしたように空になったティーカップを見た。カップの底に残った茶葉が乾いていることから、飲み終えてからそれなりの時間が経過している事を示唆していた。
「あ、ごめんなさい。こんなに長居するつもりはなかったんだけれど。どうも、店主さんとの会話は気が楽で、ついつい話し込んでしまうわ」
マリンは恥ずかしそうに頬に手を当てて立ち上がった。そして「これ、薬代ね」とお金を置いた。その金額は提示した薬代よりも多く、シェリルが顔を上げると、気付いたマリンは人差し指を唇の前に持ってくる。
「少ないけど、お茶代と話し相手代」
「そんな」
いただけません、と返そうと手を出すが、それより先にマリは手を振った。
「お礼の気持ちなのだから受け取ってちょうだい。それで何か、今日の晩御飯とかの足しになったら嬉しいわ。このお店は安くて効きもよくて私たちはとても助かっているけれど、それで店主さんが体調を崩されたり店が立ち行かなくなったら元も子もないのだから」
「……ありがとうございます」
そこまで言われてしまっては、受け取らないわけにはいかない。
シェリルとしては、自分が調合した薬を喜んでもらえて、自分と話すのを楽しいと思ってもらえて、自分が必要だと言ってもらえるだけで十分すぎるお礼なのだが。自らの身を案じてくれたのなら、その気持ちを貰うのが礼儀というものだろう。
このお金で頭痛に効く薬草やハーブを調達するのがお互いにいいだろうと、シェリルは机に置かれた代金を懐にしまった。
シェリルが受け取ったのを確認すると、マリンはニコリと笑う。
「いつもありがとう。また来るわね」
「はい、お大事にしてください。またお待ちしております」
マリンを扉のところまで見送り、頭を下げる。
ちらりと見えた外は、日が沈み始めているのか真っ赤に染まっていた。随分と長いこと話していたらしい。
大通りの花屋や屋台は店仕舞いの準備を始め、反対に酒屋は客を吸い込み賑やかな声が漏れだす時間だ。
流石にこの時間に薬屋来る人間はいないだろう。
そろそろ鍵をかけて帰ろうと、仮面に手をかけた時だった。
カツカツと石畳を蹴る足音が聞こえてきた。その足音はこちらに向かってきているようで、だんだんと大きくなってくる。少し急いでいるようにも感じる。
シェリルはぱちりと目を瞬いた。
急患だろうか。それにしては、静かだし足音もしっかりしている。まさか泥棒か。
鍵に手をかけて緊張しながら扉の向こう側の様子を伺っていると、足音はやはり店の前で止まった。
コンコンと扉が叩かれる。
「失礼、まだ店主はいらっしゃるだろうか?」
そして外から聞こえてきた声に、シェリルの胸はどくんと大きく鳴った。
耳障りのいい、低く穏やかな声色。一週間前にも、シェリルはこの声を、この店で聞いていた。
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