第2話

 来客を告げるドアベルが、カランカランと鳴った。

 薄暗い店内に、開かれたドアから僅かに外の光が差し込む。


「いらっしゃいま――」


 せ、という言葉は、乾いた声とともに空気中に溶けていった。

 振り返りつつ固まったままのシェリルに対してなのか、この店の内装に対してなのか、はたまたまったく別のところに対してなのか。ドアを静かに閉めた客は、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべている。


 店内は暗いので分かりにくいが、庶民が利用するこの店の客にしては珍しい身なりをしている。

 金色の髪。物珍しそうに彷徨う切れ長の瞳は、職人が丹精込めて磨いた宝石を埋め込んだような青色。身分を隠すためかローブを羽織っているが、ひと目で惹きつけられる顔がローブの意味を台無しにしている。

 シェリルは彼を知っていた。


 この国の天才魔術師でレスター侯爵家の嫡男、未来のレナの婚約者、ディートリヒ・レスター様だ。


 そんなお方が、下町の庶民向けの薬屋に何用か。

 失礼だとは思ったが、シェリルもどう扱うべきか悩み、固唾を飲んでディートリヒの様子を窺う。


「……ここは、薬屋、か?」


 なんとか絞り出された一声は、それだった。

 暗く静かな空気を震わす、低く穏やかな声色だ。


 この店に初めて来る客の大半はこんな顔をして、次にここは本当に自分の目的の店かどうかの確認をするのだ。

 ディートリヒは人間離れした様々な噂を持っているが、それでも普通の人間なんだなとシェリルは少しほっとする。


 薬屋『ルフュージュ』。外見は普通の寂れた店だが、中に入ってびっくり。

 真っ先に目に入るのは、壁に吊り下げられた無数の薬草と、その隙間を見逃さんとばかりに並ぶ、動物を象ったものから異国風のものまで、さまざまな仮面。

 次に、迎え入れるのは仮面の店主。因みに今日は白うさぎの仮面をつけている。

 店内がこんな感じなので、はじめて店に入ってくる客は怯む。薬を買い求めに来たのに、なにやら怪しい儀式でも行っていそうな風貌の場所に来てしまったと。


「はぁ、まぁ、そうですね。お客様の症状にあわせて、薬草を調合したものを販売しています」

「そうか……。なら、その、腹痛に効く薬も?」


 (腹痛?)

 バツの悪そうに視線を外す美貌の男性に、シェリルは首を傾げた。どうにも、目の前の人物と腹痛という言葉が一致しない。


「ございますが、具体的にどういった症状でしょう?」

「具体的に?」

「はい、腹痛にも様々な種類がございます。冷やしすぎが原因の腹痛や、食べ過ぎの腹痛、ほかにも……あぁ、どうぞこちらにおかけ下さい。詳しくお伺いします」


 天才魔術師とはいえ、この店に入り薬を求めてきたのなら、すべてシェリルの客だ。

 店の中央に用意してあるソファを案内する。

 テーブルを挟んで反対側には一人用のソファを置いていて、客とゆっくり話をできる空間にしてある。


 ディートリヒはぎこちなく頷き、客用のソファに腰掛けた。緊張しているようだ。


「何か、お飲み物をご用意しましょうか」

「いや、結構。それより、具体的な症状、だったか」

「そうです。一概に腹痛といいましても、先程も申し上げた通り、様々な要因を経て腹痛という症状になります。その要因に合った薬草を調合しなければ、薬は効きません。何かお心当たりはございますか?」

「それは……」


 また、言いづらそうに口を噤んだ。

 果たしてシェリルの目の前にいるこの男性は、本当にディートリヒ・レスターなのだろうか。

 レナのいうような、鬼才の魔術師で、イケメンで、何事にも動じず全てのことを赤子の手をひねるかのような涼しい顔でこなしていく、ディートリヒ・レスターの面影はない。


 以前シェリルがディートリヒを見かけた時は、遠目からちらと見るくらいだったので、もしかしたら記憶違いかもしれないとも思い始める。

 ――こんな美貌の持ち主はこの世に二人といなさそうであるが、そう、別人なのかもしれない。


「少々お待ちいただけますか」


 シェリルは席を立ち、店の奥に引っ込む。

 火起こしの魔法具を使って鍋の中のお湯を沸かし、小棚から手早く目的のものを取り出す。沸騰したらティースプーン三杯の茶葉を入れ、頃合を見計らって火を止めた。

 身体の力が抜けるような、優しい香りを吸い込み、鍋からティーカップへと移す。


 この店にはじめて来る人は、大抵が今のディートリヒのような様子で身体が強ばっている。

 店の内装や店員であるシェリルのせいと言われればそれも否定は出来ないが、まぁそれだけではなく、自分の不調を赤の他人に伝えるのには抵抗があるのだろう。

 特に、普通ではない言い難い原因が主の場合は。


「おまたせしました」

「……紅茶?」

「カモミールを使用したハーブティーです。カモミールには、リラックス効果があるとされておりますね」


 青い瞳が、二度瞬いた。長い金色の睫毛が上下する様は、まるで青空に無数の流星が流れるようだ。

 純粋に、綺麗だなと思った。


 漂う香りにすんと鼻を鳴らすと、強ばっていた表情が柔らかくなる。


「バレバレだったってことかな」

「このお店にはじめていらっしゃる方は、大抵同じような反応をなさいますから。お客様だけではございません」

「あぁ……それは、なるほど」


 ディートリヒはきょろきょろと周囲を見回し、最後にシェリルの姿を見据えて、なにか納得したように頷いた。

 心做しか、口調も砕けているように感じる。


「不思議な場所だね、ここは」


 そして、笑った。

 まるで真夏の太陽に照らされて輝く花のような、しかし静謐とした場所にしんしんと降り続ける真っ白な雪のような、美しい自然現象に胸を打たれるような、そんな微笑みだった。この笑みは人間を辞めている。

 ディートリヒは、こんな表情もするのだ。


 仮面を付けていて良かったと、心から思う。そうでなければ、シェリルの顔は酷いものだっただろうから。

 黙ったシェリルをどう受け取ったのか、ディートリヒ様は目の前に出されたハーブティーを一口飲んだ。

 ほう、と吐き出されるため息すら、聴覚を刺激する。


「僕のせいで、前置きが長くなってしまった。どんな症状なのか、ということだったね。なんて言ったらいいのかな……僕は、プレッシャーに弱くてね」

「プレッシャー?」

「そう。あなたは僕のことを知らないかもしれないけれど、外では天才魔術師だとか色々と言われているんだ」


 (知っています)

 シェリルは思わず心の中で返事をしてしまった。

 なんならつい先程まで、ディートリヒの話題で盛り上がっていた。主にレナが、であるが。


 しかし、ディートリヒにとって目の前の店主は、『天才魔術師であるディートリヒ』を知らない存在の方が都合がいいということだろう。シェリルは黙って続きを促した。


「ただ、そのことがなかなかしんどくてね。周囲の期待に答えるために、必死に努力して、プレッシャーに押しつぶされそうな自分を隠してる。そうしていつも、プレッシャーに負けて胃が痛くなる。情けない話だろう?」

「それは……」

「この間なんか、建物から落ちそうになる子供を助けようと咄嗟に魔法を使ったけど、現れたのがまさかの花びらの盛り合わせ! 子供が助かったという事実が皆を誤魔化してくれたみたいだけど、恥ずかしくて……もうちょっとかっこいい助け方あっただろうって」


 レナからは聞くことのない、もう一つのディートリヒの顔だった。

 レナの中のディートリヒとあまりにも乖離がありすぎるが、シェリルはなんとなく、ディートリヒの言っていることはなんとなく理解ができた。


 そして、先程レナが話していた花の絨毯の真実が明らかになった。「恐怖を和らげようとする優しさ」と言っていたが、花の絨毯は意図せず作られたものらしい。


 レナは、ディートリヒを完璧な人間として祭り上げている。いつも当然のように聞かされているディートリヒ様像にも、レナが作り上げた理想が織り込んであるのだろう。

 そして、レナのように思っている人間が、山ほどいる。

 かっこよくて、何事もそつなくこなす、天才魔術師という理想を作り上げてしまっている。


「……他者からの過度な感情は、時に人の心を潰すほどの大きな力を持ちます。多数からとなれば、到底一人で抱えきれるものではありません」


 シェリルも、「落ちこぼれ」だという負の感情を散々に向けられてきた。ディートリヒは大勢他者からの期待。正の感情だけれど、一身に受ける圧は同じだろう。

 むしろ「落ちこぼれ」の方が、全てを諦められる。頑張らなくていい。だって、頑張ることを期待されていないから。


「お客様は、その無責任に向けられる他者からの感情に、ちゃんと答えようとしていらっしゃるんです。情けないなんてことはありません。立派なことです」


 カチャリと、陶器がすれる音がした。


「そんなこと言われたの、初めてだ」


 ふと目をあげれば、ディートリヒ様はぱちくりと目を瞬いてシェリルを見ている。随分と、幼い表情もするものだな、と思った。


「私はお客様のことを存じませんので。聞いたままの印象を申し上げただけです。ご気分を害されたようでしたら、申し訳ございません」

「いや、むしろ……なんて言うんだろうね。感情の表現は難しい」

「不快な気分でないのなら、私はなんでも構いません」

「そっか。うん、不快な気分ではないよ。あなたは優しいね」


 どうして『優しい』になったのかは分からない。でもシェリルだって、優しいと言われたのは初めてだった。

 なんとなくいたたまれなくなって、本題に戻ることにした。


「えぇと、それで。お薬をお求めでしたね。調合してまいりますので、お待ちください」


 そそくさと立ち上がり、壁の引き出しやぶら下がっている薬草から、テキパキと必要なものだけ集めていく。

 いわゆるストレスが原因のものなので、胃の不調を改善するものや安定作用のあるものがいいだろう。合うか合わないかは試してみないと分からないので、とりあえず一週間くらいにしておくべきか。


 そんなことを考えながら薬を調合していると、ツンとした薬草独特の臭いがシェリルの鼻を突く。良薬は口に苦しを体現しているようでシェリルは好きなのだが、どうにも嫌がる客は一定数いる。それでも効きがいいからと、再び足を運びにくるのだが。

 せめてもの対策として考案した、防臭効果のある袋に詰めて完成である。


 薬が入って少し重みのある袋を、ディートリヒの前に柔らかく置く。


「注意事項ですが、この薬は即効性があるものではないので、魔法具のように痛みがあってから使用するのはおすすめしません。痛みがなくても毎日欠かさず飲むようにしてください。まずは一日三回、一週間分を用意しています。身体に異常が現れた場合には薬を飲むのを中止してすぐにいらしてください。効果がないようであれば、体調の変化などを伺い、調合を変えます。何か気になることはございますか?」

「いや、大丈夫だ。ありがとう」

「それでは、お値段はこちらになります」

「……えっ」


 値段を提示すると、それを覗き込んだディートリヒは頓狂な声を上げる。


 この店で売る薬は、それぞれの症状に合わせてその場で調合するので、決まった金額というのがない。ゆえに、調合した薬草の種類と分量をなんとなく計算しつつ、そこに手間料を上乗せした金額になる。

 つまり、客に薬を出す時に金額が決まるので、適当な羊皮紙の端っこに金額を書きなぐるのだ。


 侯爵という高い身分で、天才魔術師と崇められるディートリヒは、こんな雑な請求をされたことがないのだろう。驚くのも仕方ない。

 猜疑心の浮かんだ瞳が、シェリルの顔をうかがう。


「これは、一粒の値段かな?」

「いえ、一週間分の値段です」

「ありえない。同じ効果を持つ魔法具で一週間分となれば、この五十倍はくだらない!」


 「えっ」は安すぎるといい意味だったらしい。

 しかし、どんなに安くたって、安かろう悪かろうでは客はついてこない。


「ここは、高価な治癒魔法具を手に入れることができない方々のための店です。安価で高品質のものを、をモットーに掲げております」

「……こんな値段で同じ効果が得られるなら、魔法具にあれだけの金額をかける意味がない」


 まったくその通りである。

 だから、下町の目立たないところに建つ、庶民向けの店なのだ。そうすれば、見栄っ張りな貴族はこんなところには来ない。

 ……例外もいたようだけれど。


 何も返事をしない私にシェリルに呆れたのか、はたまた胡散臭い店認定されたのか分からないが、ディートリヒはそれ以上問い詰めてくることはなかった。

 目の前の薬袋を手に取り、入れ替わるように代金を置く。


「まいどありがとうございます」

「こちらこそ。とりあえず一週間だったね、試してみるよ」

「はい」


 ディートリヒは袋を懐にしまい、貴族らしい足取りで扉に向かう。見送りのためにその後ろをそぼそぼと着いていくと、ディートリヒ様は何かを思い出したように振り返った。

 何故か、苦虫をかみ潰したような顔をしている。


「……このことは、誰にも言わないでくれるかな?」

「……私はお客様のことを存じませんので、誰にと言われましても」

「ははっ、うん、それもそうか。ありがとう」  


 ディートリヒはそれだけ言うと、今度こそ踵を返して店を出ていった。


 そもそも、ディートリヒほどの人間が、庶民向けの薬屋にやってきたこと自体が不思議である。普段は治癒魔法具を使用しているはずだろうし、今回は壊れてしまったとかで一時しのぎで足を運ぶことになったのだろう。

 きっと、もう来ることも関わることもない。


 シェリルのそんな考えは、きっかり一週間後に裏切られることになる。

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