できそこないの仮面令嬢は、天才魔術師様の秘密を知っている
霧谷凜
薬屋「ルフュージュ」
第1話
理想と現実は異なる。
誰だって、なりたい理想の自分がいて、そうなれない現実の自分に苦しむ。
少しでも理想に近付けるように、本当の弱い自分を押し殺して、もがくのだ。
私も、きっと彼もそうだった――
「それでね、ディートリヒ様はどうされたと思う?」
「さあ」
「なんと指をひとふり! 花の絨毯があらわれて、子供を助けちゃったの!」
キャー! と両頬に手をあてて叫ぶ友人を、シェリル・ソワイエはしらじらと眺める。
(あぁ、紅茶が美味しい)
寒い季節が過ぎ、あたたかくなってきた風が頬を撫で、鮮やかな花々が視界の端で揺れる。外でのお茶会にはうってつけの日だった。
だからお茶会しましょうと、シェリルの前に座る友人は、唐突に屋敷に押しかけてきたのだ。
レナ・ネルヴェア伯爵令嬢。
シェリル・ソワイエの幼馴染である。爵位も同じで、親同士が仲がいいことから、子供の頃からなんとなく一緒にいることが多い。
「ちょっとシェリル! ちゃんと話聞いてるの!?」
(聞いていない。というか、どうでもいい)
だが正直にそう言ってしまったが最後、目の前の彼女はさらに怒り、延々と『ディートリヒ様』の良さを聞かされるという、面倒くさいことになるに違いないので、コクコクと頷いておく。
疑うように、琥珀色の瞳が細められた。ウェーブがかった亜麻色の髪が、ささやかに吹く風に乗ってはらはらと舞う。
そもそも、レナがこんな風に一緒にいるということ自体、シェリルは不思議でならない。仲が悪いわけではない。ただ、シェリルが釣り合わないのだ。
魔法の力によって栄えたとされる、魔法大国「ヴァリテル」。大陸で名を連ねる大国となり、比較的平和な時代を過ごしている現在でも、魔法の力は重宝されている。
どれだけ魔法の力が重要視されているかというのは、『魔法連合会』を見れば一目瞭然だろう。優秀な魔術師を集めて魔法の知識を集約し、より良い国にするべく日々様々な研究を行っている機関であり、関係者は王族と同等の地位を与えられている唯一の機関でもある。
そんな、この国の要とも呼べる魔術師を育てる魔法学校は、ヴァリテル最高峰とされる『ウェネフィクス学園』を中心に各所に点在している。魔法学校を卒業した魔術師は、安定した就職先が保証されているのだ。
中でも、全ての魔術師が憧れるのが魔法連合会。しかし、入れるのは極ひと握りの優秀な魔術師のみ。
レナはウェネフィクス学園の特待生であり、魔法連合会への配属が有力と言われる一人。
一方シェリルは、特待生どころかどこの魔法学園にも通うことを拒否される、つまり貴族としては有るまじき、魔法の使えない出来損ないなのである。
なぜ魔法が使えないのかは分からない。
生まれた時に必ず受けるという魔力量検査では、魔法に具現化できる程度の魔力はあるという診断を受けている。両親も、祖母も、その先祖も、みんな魔法が使えているらしい。
というか、貴族で魔法が使えない人間など聞いたことがない。
もしやどこぞの庶民とこさえてきた子なのでは、と疑われたこともある。しかしそれは、透視魔法で父と母の紛れもない子供であることを証明済みだ。ただただシェリルには、魔法の才能がないということの証明でもあった。
残念なことである。
だからシェリルは、彼女のような優秀な魔術師の話し相手になるくらいしかできないのだ。
「でも、ディートリヒ様は本当に凄いわ。あんなにパッと魔法が出てくるなんて。普通は、術式を組んで、自身の魔力を術式に流して変換することで、ようやく発動するのよ?」
「こんなふうに」と、レナは指でなにかの暗号模様を宙に描く。そしてぽわんと光った『印』に手をかざすと、シェリルたちの周りに天まで届きそうなほどの旋風が、ぶわっと巻き起こった。
草木がざわめき、枝から離れた葉が風に攫われる。土埃が舞い上がる。直接魔法は受けていないものの、周囲に起こった風の影響を受けて、シェリルの髪は大きく靡いてボサボサだ。
「レナ、やり過ぎ」
シェリルが髪を整えながら言うと、風は徐々に小さくなり、やがて止まった。葉っぱがカラカラと地を這っている。
レナは、大きな目をぱちくりと瞬いた。
「あら、ごめんなさい。興奮してしまってつい」
「レナが興奮しているのは伝わったけど、そのディートリヒ様がどれくらい凄いのか、私にはさっぱり分からないわ」
魔法が使えないシェリルにとっては、術式を書いて魔力を変換させて、魔法を発動させるだけでも凄いことなのだ。術式を介さないということがどれくらい凄いのか、全くイメージがつかない。
これに関しては、レナの良い話し相手にはなれないようだ。
「そうね……分かりやすく説明すると」
レナは、離れたところにある木を指さした。
「例えば、あの木のてっぺんに登る必要があるとするじゃない?」
「例えばね」
「そうすると、普通の人はまず、登るためのハシゴを用意する」
「うん」
「でもディートリヒ様は、ジャンプであの木のてっぺんに登った感じ」
「ありえない状況すぎて逆に分からない」
シェリルを縦五人に並べたくらいの高さである。あれを地面一蹴りでなんとか出来るとは思えない。
無理がありすぎる例えではないか。
お手上げ状態だと首を振ると、レナはテーブルをバンと叩いた。
「そうよ、それくらいありえないことなの! 術式を介さなければ魔力は暴走する可能性が高いし、下手したら反術して死んでしまうわ」
術式とは、自身の魔力を制御し具現化するための道具のようなものである、らしい。つまり魔術師にとって、切り離すことのできない相棒的存在だ。
術式を介さず魔法を使うというのは、不可能ではないらしいが、限りなく不可能に近いというのが、魔術師界では共通の認識だという。それこそ、ディートリヒほどの天才でもなければ。
「とっさの判断力! 術式を組む間もなく発動する魔術! それに加えて、周囲の人の恐怖を和らげようとするその優しさ! どれをとっても完璧すぎて、目が回りそう……」
レナは腕で目元を覆い、空を仰いだ。目が回っているポーズらしい。
確かに、子供が危険な目に遭いそうだという恐怖の最中、花の絨毯で助けるとなれば、それはもうファンタジーである。
(ディートリヒ様は、意外とメルヘンなお方なのね)
先程から、レナが興奮気味に何度も名前を出している、二人の今話題の人物。
ディートリヒ・レスター。
レスター侯爵家の嫡男で、膨大な魔力と類稀なる才能を持つ、ヴァリテル大国屈指の天才魔術師と呼ばれている。跡を継いでもおかしくない実力を持っているのだが、現侯爵が健在でディートリヒ自身も学生という身だからか、まだ譲位の話はないようだ。
貴族の間では有名な人物で、シェリルも何度か見かけたことがある。光を反射する綺麗な金髪に、切れ長の碧眼。白磁のような肌に、ほんのり桜色の薄い唇はきゅと閉じられた、いかにもな好青年の容姿をしていた。
見た目の印象では全くもってメルヘンなイメージを抱けるような感じではなく、どちらかといえばクールな印象すら受けた。
ギャップ萌えというやつだろうか。
「あぁ、もう絶対にディートリヒ様と結婚するわ! 私とディートリヒ様の結婚式には、絶対シェリルも呼ぶからね!」
「うん」
興奮冷めやらぬという感じで、レナは両手を強く組んで顔を赤らめている。
「ディートリヒ様と結婚する」これは、レナの口癖のようなものだった。
誤解がないように言っておくが、レナとディートリヒは婚約者でもなんでもない。レナが勝手に言っているだけである。
とはいえ、この国の最高峰である魔法学園に通っていて、その中で抜きん出ている優秀な二人で、爵位でも大きな乖離がないとくれば、あながち嘘にはならない。
お互いに気がなくても周囲がヨイショするくらいには、お似合いの二人なのかもしれない。
シェリルは学園内の様子は分からないので、憶測でしかないのだが。
テーブルに用意されたお菓子がなくなりかけた頃、レナははっとしたように懐中時計を見た。
「あぁ、いけない。もうこんな時間! シェリルと話していると、時間があっという間に過ぎていくわ」
「話を聞いてるだけだけどね」
「それがいいんじゃない! 取り繕わなくてよくて、気兼ねなく話せるのだもの。ほかの方は、ね?」
できそこないのシェリルには縁のない話だが、貴族同士の交流というのもなかなか疲れるものらしい。美人で明るいレナがこんなにも疲れた顔をするのだから、そうに違いない。
シェリルとこうしてお喋りをすることで、少しでも彼女の癒しになるのならば、シェリルは甘んじて受け入れる所存だ。
心做しかしょんぼりしているように見えるレナの背中を見送りながら、シェリルは「さてと」と髪をかきあげた。
貴族との交流で疲れたレナの癒しがここにあるように、できそこないと蔑まれるシェリルにだって、癒しの場所はあるのだ。
そこに向かうべく、辛うじて与えられた上質なドレスを脱ぎ、庶民が着るような質素なワンピースに身を包んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます