第2話 前触れ
玄関を開ければ、花瓶にオリーブの長い枝が、無造作に差されてあった。
水はなみなみに注がれてあり、ちょいと枝をかきまぜてみたらコポコポと泡を出して笑いそうな、そんな夕暮れ時だった。
今日の夕焼けは薄く伸びた雲に覆い被さった夕日が桃色の世界を演出していた。
白いパレットに赤色と白色を遊ばせたときに出現する淡い赤のような桃色。
バレンタインデーの幼き少女のような甘いため息は、闇夜に続くようないくつかの暗い言葉の先へ下っていった。
自室へ続く階段を上っていた。
なのに電気のついていない先の景色はあまりにも暗くて、
まるで地下牢へと下っていくがごとく。
もしもこれが童話ならば、心強いランプが現れてそっと私を天国へ連れて行ってくれるだろう。
「お兄ちゃんだって暴れたの。どうしたらいいかわからなかったのよ。」
と、昔の父と息子の殴り合いの喧嘩の次第を、父の口からではなく母の口から先日聞いた。
(お兄ちゃんが統合失調症で暴れてたのはわたしもわかってる。
ただ、何が起きていたのか知る権利があるはずの私の問いに父の口から答えて欲しかった。)
『ああ、父さんが殴ったよ!!』
と、いくらでも憎悪が深まるような捨て台詞で終わりにしてしまう父が嫌いだ。
「(私が蒸し返した過去の話は)些末なこと。でもお兄ちゃんに何があったのか知る権利はあったはずなんだ。」
結局、父母は兄の亡くなった話は、肺炎だったことで終わらせるようになった。
“食事を喉に詰まらせた窒息死”という最初の説明は消えていた。統合失調症の薬の悪性症候群にかかり肺炎にもかかっていたのは本当らしいが。
病院を訴えなかったことは、私は悪いことだとは思っていない。
本当はどうするべきなのかは答えは不明だが、真実を簡単に消してしまう父母は、
たとえば、その先の未来へ生きていかなければならない死にぞこないの私の、あったかもしれない幸せさえ、“自分都合”で簡単にもみ消してしまうんだろう。それに失望しても、生活する家とご飯があるだけで私は恵まれていた。
「自動車関連会社に勤めているなら、車が交通事故に遭ってしまう問題につて関連会社としてどう責任をもつの?」
社会人としてのあり方と役職付きだった父の働き方について知りたくて聞いた私の質問は、
「交通事故の責任なんてとらなくていい。」
と一蹴されそれ以上無視された。
続けて私は、アメリカ、 中国、韓国などにも出張に行っていた父に、第二次世界大戦日本の歴史問題について聞いたが、もう無視の一点張りだった。
人と人は関わり合って生きるもの。こうした一つ一つのことでさえ、自国を飛び越えて海外にかかわるなら個人としての見解も必要不可欠な意固地な私の考え方。
そして、車は人に幸せと便利さを与えるが、同時に命を奪う可能性もある危険な乗り物でもある。交通事故が起きることに対する会社としての考え方を知っても良かったんじゃないだろうか。
父が肩書だけを得るために奔走しそして兄の死の真実でさえもみ消してしまう人柄であることに頷けた。それが、やっと37歳になろうとしている私だった。
ついでに、そんな父に恋い焦がれ少女のように微笑む母にも嫌気がした。
毎朝、夫婦揃って読むお経が、私の耳をいくらでも痛ませたが、墓参りに行くのも骨が折れる私はそうしたこともきちんとする父母を恨まないように心がけるしかできることがなかった。
「わがままに生きたかったんじゃない。
すべてはちちははに愛されるために。」
その声は、極寒の季節に蚊の鳴く声のごとく極小で、1度消えたはずの私は天に召されず雪雲に引っかかってしまい、自然の摂理のように雲の上から下降気流にのてふっと舞い散って地上に落ちた。
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