第3話 陰陽得業生保憲、五条第にて上巳の祓せし語

          一


 三月三日には、曲水(きょくすい)の宴(えん)が開かれる。昔は朝儀として行なっていたらしいが、今は上級貴族などが邸に客を招いて催す私的な行事となっている。賀茂保憲宛てに、五条第(ごじょうてい)で催される曲水の宴に招く文が届いたのは、三月一日、夕刻のことだった。五条第は、四条大路(しじょうおおち)の南、東洞院大路(ひがしのとういんおおち)を挟んで東西二町に渡ってある、左大臣藤原忠平(ふぢわらのただひら)所有の邸である。文使(ふみづかい)も、藤原忠平家の家人だった。しかし、渡された文は、内容から察するに、皇太后(おうたいごう)が書いたもののようだった。

(この日は、内々に、五条第にいらっしゃるのかもしれないな)

 保憲は、渡された文を読みながら微かに眉根を寄せる。

 皇太后穏子は、今上と、御年八歳となった東宮成明親王(なりあきらしんのう)、十四歳となった康子(やすこ)内親王(ないしんのう)、そして、故保明親王の母宮(ははみや)だ。普段は内裏の後宮におられ、昨年六月二十日の宣耀殿(せんようでん)からの宮移り以降、清涼殿にも近い飛香舎にお住まいのはずだ。清涼殿で仕事をする今上の傍にできるだけいるためだろう。けれど、曲水の宴と同じ三日の夜に、大内裏では、御燈(ごとう)という、天皇が国土安穏を祈願して北辰(ほくしん)に燈火を奉る年中行事の儀式があり、そのために今上は一日から潔斎に入っておられるので、逆にお傍を離れ易いのかもしれない。

(保明親王(やすあきらのみこ)が、お寄りになった際、何か仰って逝かれたのかな)

 保憲が小丸から聞いたところに拠れば、二月十八日にこの邸の釣殿に現れた保明親王の亡霊は、「寄るべき辺りには寄ってきた」と告げたらしい。寄るべき辺りとは、親しかった人々のところで、その中には当然、皇太后も含まれていただろう。そうとでも考えなければ、自分などに皇太后から招きの文など来るはずがない。その同じ十八日に亡くなった藤原兼輔は、忠平や穏子と同じ北家藤原氏の人とはいえ、間柄は再従兄(はとこ)なので、喪はあまり関係なく宴(うたげ)を催せるのだろう。

 文が結んであった八重桜(やえざくら)の枝に、零れるように咲いている花を見つめ、保憲は文机の前で溜め息をついた。


  さきぬれどあだにちるべき花なればをしと思はむ同じ心で

  〔咲いたけれども儚く散ることになる花なので、同じ気持ちで惜しみませんか〕


 招きの文の最初にある歌。この歌への返歌を考えなければ、返事はできない。

(やはり、伺うべきなんだろうな……)

 曲水の宴に招かれるなど初めてで、勝手もよく分からないが、断る訳にもいかない。文を持ってきた文使は寝殿の南廂で、父の忠行に相手をされつつ返事を待っている。


  あはれ知る人しなからばいたづらにちるべき花も今やさかりか

  〔しみじみと感じる人がいなければ、虚しく散ることになる花も今や盛りですね〕


[謹んでお招きをお受け致します 賀茂保憲]

 薄様に返歌と返事を書きつけ、送られてきた八重桜の枝に結びつけて、保憲は腰を上げた。

「――行くのか?」

 襖障子の向こうで、小丸の声がした。

「行かない訳にはいかないからな」

 答えて、保憲は、文を結んだ桜の枝を手に、寝殿へ行くべく東廂へ出た。曹司にいる小丸からは、もう何も言ってこなかった。

 返しの文を文使に渡して部屋へ戻ってきた保憲は、硯と筆を入れた硯箱(すずりばこ)を柳筥(やないばこ)の中へ片づけると、部屋の隅に置いた長櫃をちらと見遣って、また溜め息をついた。最大の問題は、着ていく衣だ。

 やはり、桜の季節の、しかも上級貴族の邸の宴となると、直衣、それも衣更(ころもがえ)前なので白い地色の直衣で行かないといけないだろう。風流めかして表は白、裏は赤や二藍(ふたあい)の桜襲(さくらがさね)の直衣を着ている人もかなりいるだろう。だが、保憲のような無位の身分では、直衣など持ち合わせがない。そもそも、直衣や狩衣といった、絹製で紋のある衣は高価で、保憲の身分ではそうそう手に入らず、だからこそ、普段着として布衣を着ているのだ。蚕の繭の繊維から作られる織物の絹に対して、布(ぬの)は、麻(あさ)や葛(くず)などの繊維から作られる織物のことであり、最近は絹製が多い布衣も、もともとは、布製の衣という意味だ。

 おまけに、この賀茂忠行邸において、衣に関することを取り仕切っているのは、忠行の室(しつ)の真木である。保憲のことを嫌っているのかどうかははっきりしないが、事情を知っても、恐らく、よい衣を回してくれたりはしない。

「――衣は、どうするの?」

 隣の部屋から襖障子越しに、同じことを考えたらしい姉の声がした。

「さて、どうしましょう。何もなければ、父上に頼んで貸して頂くしかありませんが。父上も、そのことは御心配下さってましたし」

 答えて座り直した保憲に、姉は言った。

「何とか絹を用意して、わたくしが縫いましょう」


          二


 翌日の昼下がり。部屋の南廂に莚を敷いて座り、絹を膝に乗せて、ちくちくと針を動かすひぐらしの手許を、小丸は傍らに座って、じっと眺めていた。南廂の上格子を上げ、簾と壁代を巻き上げ、几帳もどけているので、穏やかな春の風がそのまま吹いてきて心地いい。外はいい天気で、市が開かれる正午になってすぐ、ひぐらしが東の市へ絹を買いに行かせた下人は、汗を掻いて帰ってきた。絹の店はもともとは西の市にしかなかったが、西の市でしか売れないものについて東西の市の間に争いが起こったので、延喜格、及びそれを捕捉する太政官符によって、絹、雑染物、土器については東の市でも売ることが許されているのだ。けれど、大した幅の絹を買った訳ではない。ひぐらしが用意した絹の殆どは、既に衣に仕立てられているものだった。ひぐらしが裳着(もぎ)をした折に着た白い綾織(あやおり)の単衣や、彼女の母のあやめが残していったという白い綾織の袿などである。直衣に合わせる袴の指貫は、保憲が大内裏へ着て行っているものの中から、ましなものを選ぶという。学生の保憲はいつも、布袴に次ぐ略装の、冠、袍、指貫という衣冠(いかん)姿で大内裏へ行っているのだ。

「宴だろうと、毎日大内裏へ行く格好で行ったらどうなんだ?」

 ぽつりと問うた小丸に、ひぐらしは少し困った顔をして答えた。

「袍は朝服だから、私邸の宴に着ていく訳にはいかないの」

「そんなに違いがあるとは思えないけどな……」

「そうね。直衣はその名の通り、もともとは、縫腋(ほうえき)の袍を着易いように直したものだから。でも、直衣は私服、袍は朝服なの」

 ひぐらしの説明に、まだ納得できないものを感じつつも、小丸はとりあえず頷いた。保憲が毎日着て行く袍は、文官の朝服たる縫腋の袍だ。脇をきちんと縫い合わせたその袍と、直衣との間にそれほどの差異があるとは思えないが、決まり事というものはややこしい……。

 縫われていく白い絹を見るとはなしに見ている内、小丸の脳裏に、ふと過去の情景が蘇った。

 あれは、保憲がまだ夏虫だった頃。一度だけ、女童の姿をしているのを見たことがある。その頃は、まだ保憲のことを正真正銘の男だと思っていたので、女装だと思ったものだ。

 あれは、ひぐらしの裳着の日だった。その日一日は、ひぐらしについていたいからという理由で、夏虫はいつも束ねている髪を解いて背に垂らし、汗袗を着て、まるで白君のような姿で、ひぐらしの傍についていた。

――「姉上へ、いい贈り物を考えたんだ。何だと思う?」

 夜、まだ寝殿で裳着の宴が続いている合間に夏虫から問われて、小丸は首を傾げた。そもそも、贈り物のことなど、全く頭になかったのだ。

――「食べ物か?」

――「名を、差し上げることにしたんだ」

――「名?」

 聞き返した小丸に、夏虫は大きく頷いた。

――「ああ。本当は、女子(をんなご)は、男子の元服の時みたいに名を付けたりしないで、官位を賜る時、公文書に載せるために付けるだけだけれど、こっそり名を決めておいても、何も障りはない訳だから。呼び名は今まで通り、ひぐらしだしね。で、いろいろ考えて、理子(まさこ)にしたんだ。理(ことわり)の子と書いて、理子。姉上にぴったりだと思わないか? きっときっと、そういう道を歩んでほしい、姉上には」

 嬉しげに告げた夏虫を――垂らした髪に愛らしく縁取られた顔を、小丸はただ眩しく見つめていた――。

 それにしても、ひぐらしの針を使う手は早い。ちくちくちくちくと、実に正確に素早く絹を縫っていく。思わず引き込まれる手並みだ。

「上手いな……」

 小丸が呟くと、ひぐらしは微笑んで言った。

「縫い物は、京の娘のたしなみだから」

「――あいつは、そういうことはしないのか」

「自分の衣の綻びくらいは繕っているけれど、一から衣を仕立てるのは、できないと思うわ。あの子は、十歳の時、お父様に見鬼の力を認められてから、男として生きているから」

 その話は、夏虫だった頃の保憲に聞いたことがある。

 夏虫も、小丸同様、鬼神の類は幼い頃から見えていたが、父の忠行にそのことを特に知らせたりはしなかったらしい。話を聞いた当時は知らなかったが、今から思えば、女ゆえ、だろう。しかし、その日、夏虫はとうとう決意して、陰陽師として祓(はらえ)に赴く忠行に、同行したいと願い出たのだという。あり合わせの衣で、男子の格好をして。忠行も何かを察したのか、夏虫をともに牛車に乗せて同行させた。そうして夏虫は、忠行の祓の一部始終を、黙って見たのだという。その帰りの牛車の中で、夏虫は自分の目で見たままを――、即ち、祓の時、鬼や物怪が何十匹もいて、祭壇の供物を食い散らかし、作り物の船や車や馬に乗って去っていったということを、忠行に告げた。忠行は、何の修行もしていない夏虫が全てを目にできたことに驚き、以来、夏虫が陰陽道を学ぶことを認めたのだという。つまりは、その時から、夏虫は男としての生活を始めたのだ。

――「陰陽道を学び始めてすぐ、葛城山へ修行に行った。帰ってきて最初にしたことは、隠し持ってた白君を、式神にしたことだった」

 複雑な笑みを浮かべて語った夏虫の横顔が、脳裏に蘇る。

「あいつは、自分で望んで、今の生活をしてるんだよな……?」

 何となく問うた小丸に、ひぐらしは手を止め、顔を上げて答えた。

「そうね。自分の力を腐らせたくはないのでしょうし、お父様の御ためというのもあるのでしょう。得意なことは人それぞれだから、生き方も人それぞれになるわ。わたくしは縫い物ができるけれど、あの子は式神を使える。人とは、そういうものよ。だからみんな、生まれつき授かったその力を大切にして生きていけばいいのだと思うわ」

 小丸は小さく頷いて、軒の向こうの空を見上げた。

――「あの陰陽得業生、普通ではない。何か、尋常ならざる力を纏っている。人の呪いか、神の祟りか、そういったよからぬ類のモノだ。そなたも、あの陰陽得業生を案じているなら、傍にいることだ」

 先日、保明親王の亡霊が告げたことが、気にかかる。

(保憲が、呪われるか、祟られるか、してるっていうのか……?)

 分からない。あれから、密かに何度か保憲を観想しようとしたが、何か邪魔が入ったり、気づかれそうになったりして、成功していない。直接訊こうかとも思うが、本当にそんなことがあったとしても、保憲は決して、正直には答えないだろうという気がする――。

「小丸、手がお留守になっているわ」

 ひぐらしが、小丸の物思いを破って、やんわりと言った。小丸の手には、碁石がある。目の前には碁盤を置き、脇には、黒と白、それぞれの碁石が入った碁笥も置いている。このところ、碁を覚えるため、ずっと棋譜並べをしているのだ。

 保憲は、二年前と同様に、小丸に大内裏にはついて来るなと言い、その代わり、修行するようにと言った。それも、一般によく行なわれる山野での修行ではない。そんなものは、この二年間、ずっと熊野でやってきた。保憲が小丸に課した修行は、六壬式盤について学ぶことと、碁を打つことだった。碁を勉強し、誰彼となく捕まえて、相手をして貰えというのだ。

――「おまえは、人について、一番無知だ。だから、人の考え方を知らなきゃならない。それが、自分を省みて、心を強くすることにも繋がる。碁を通して、人の考え方を知るといい。それに碁もまた、六壬式盤と同じく、宇宙に通じるものだ。十九路かける十九路の三百六十一目は、一年という時間を表し、四角い碁盤は地、丸い碁石は天で、空間を表す。時空とは即ち宇宙。また、黒と白という碁石の色は、陰陽を表す。六壬式盤を使う時同様、宇宙を俯瞰するつもりで、碁を打つといい」

(心を強く――、宇宙を俯瞰するつもりで――)

 霞のかかった、どこまでも長閑(のどか)な青い空から、目の前の碁盤へと視線を戻し、小丸は集中を高めた。今のままの自分では、保憲を助け、守ることはできないのだ――。


          三


 三月三日も麗らかな日だった。正午過ぎに大内裏を出て邸へ帰った保憲は、ひぐらしが縫った綾織の白い直衣に着替えて立烏帽子を被ると、未(ひつじ)の時になる前に邸を出て、徒歩(かちありき)で、高倉小路(たかくらこうぢ)を真っ直ぐに下っていって、五条第の東の四足門(よつあしもん)から中へ入った。賀茂邸にも牛車はあるが、この道程(みちのり)と己の身分を考えれば、徒歩以外はあり得ない。

 五条第内の、東の中門の外には、牛車と人とが混み合い、賑やかだった。牛を導いて牛車を動かす布衣姿の牛飼童(うしかいわらわ)、白張(しらはり)を着て平礼烏帽子(ひれえぼうし)を被った車副(くるまぞい)、褐衣(かちえ)を着て冠を被った随身(ずいじん)や従者(ずさ)、牛車から降りて、中門を潜り、中庭へ行く貴族、中門の廊へ入る貴族、互いに談笑する貴族、様々いる。だが、客として招かれ、徒歩で来た人間は自分一人のように見える。

(場違いなところへ来た感じだな……)

 保憲が気後れして足を止めていると、蝶を象った臥蝶丸紋(ふせちょうまろもん)が鮮やかに織り出された白い直衣を纏った少年が、ふっと目の前に現れた。その凛々しい顔立ちには、見覚えがある。

「あなたは、あの折、左衛門陣で湯漬を下さった雑色の……」

「改めまして、藤原重輔(ふぢわらのしげすけ)といいます、保憲殿」

 少年は嬉しげに名乗って、気安く保憲の手を取る。

「どうぞ、こちらへ。わたしも客人の一人ではありますが、皇太后(おおきさい)の宮様は、わたしのお爺様、時平様の御妹君に当たるので、この邸のことは、よく知ってるんです」

 中門へと歩きながら話す重輔の言葉に、保憲は俄かに緊張した。ということは、この少年は、かの藤原時平の孫なのだ。

(しかし、権勢は今や、時平様の御弟君、忠平(ただひら)様に移ってる)

 長男であった時平には、仲平、兼平(かねひら)、忠平といった弟達がいるが、次男の仲平はこの二月十三日に正三位(しょうさんみ)の大納言から従二位の右大臣になったばかり、三男の兼平は従三位(じゅさんみ)宮内卿(くないきょう)であるのに対し、四男の忠平は官位で兄達を抜いて従一位(じゅいちい)左大臣になっている。それもそのはず、忠平は、時平亡き後、氏(うぢ)の長者(ちょうじゃ)として、北家藤原氏の嫡家を継いでいるのである。

(だから、この子も、雑色なんて下積みをしてる訳か)

 蔵人を手伝って雑務をこなすという仕事でありながら、昇殿は許されていない、無位の雑色。時平が生きていて大臣家の孫であったなら、重輔も、もう少しましな官に任じられていただろう――。

「保憲殿は、歌はお得意ですか?」

 問われて、保憲は困った顔で答えた。

「いえ。得意とは到底言えません」

 詠めることは詠めるが、さらりと詠むという訳にはいかないのだ。

「では、下流のほうへ参りましょう」

 重輔は明るく提案して、人込みを擦り抜け、中門を入る。曲水の宴では、庭に曲がりくねった溝を掘って水を引き入れ、人々はその流れの曲がり角などに座って、上流から流されてくる酒杯(さかづき)が自分の前を通り過ぎない内に歌を作って杯(つき)を取って酒を飲み、下流の次の人へとまた流すのだ。

「心配しないで下さい。わたしも歌は決して得意ではありませんから」

 そんなことを堂々と言う重輔に手を引かれ、中庭へ足を踏み入れた保憲は、咲き誇る八重桜の華やかさに目を奪われた。名のある老木や巨木がある訳ではないが、数が多い。庭の南には寝殿造(しんでんづくり)の常として広い池があるが、そこの中島(なかじま)にも松や藤とともに八重桜が植えられ、池の周りにも多く並べて植えられている。そして、どの木も、満開だ。

「美しいですね」

 称賛しながら、保憲は何かを感じて辺りを見回した。春の日差し、水面(みなも)の煌き、着飾った貴族達、瑞々しい若葉とたわわな八重の花びらを付けた桜、桜、桜――。憂き世離れしたような光景に、違和感を覚える。

(少しばかり、美し過ぎる)

「――何かを、感じますか?」

 不意に、重輔が振り向いて問うてきた。真顔で、じっと保憲の顔を見つめる。ふっと息を吐いて、保憲は問い返した。

「つまりは、そういうことですか?」

「いえ、皇太后の宮様のお考えは存じません。でも、わたしは、感じるんです。それで、今日、あなたがいらっしゃると聞いて、お尋ねしてみようと」

「詳しく観想していないのでまだ分かりませんが、確かに何かを感じます。しかし、宮様のお許しがないことには、何もする訳には参りません」

「そうですね……。わたしも、宮様に何か申し上げられる身分ではありませんし……、まあ、何も起こらなければ、それでいいんですが」

 重輔は、桜の木々を見遣って答えた。

 曲水の宴は、和やかに始まった。貴族の邸では、外の溝水から引いた遣水(やりみづ)で池に水を入れているが、その遣水を更に曲がりくねらせて伸ばし、池の北、寝殿の南に小川が作ってある。その小川の近くに座って歌を詠む用意をしているのは、男ばかりだ。女達は皆、寝殿や東西の対の簾の内から、笑いさざめきつつ、男達を眺めている。

(あの御簾(みす)の奥に皇太后の宮様もいらっしゃる訳か)

 重輔の口振りでは、やはり、皇太后はこの邸へ内々にいらしているらしい。とりあえずは、何も起こらないことを祈るしかないのだろう。慣れない場所で、でしゃばった真似などしたくない。保憲は、重輔とともに、下流の一隅の狭莚(さむしろ)が敷いてあるところへそれぞれ座した。硯箱を手近に置き、膝に乗せた硯蓋(すずりぶた)の上に陸奥紙(みちのくがみ)を置いて、上流からゆっくりと流れてくる酒杯を待ちながら歌を考える。厚手で、香りがよく、美しい陸奥紙は、保憲の身分ではあまり手にしたことのない、上質の紙だ。

「次は、わが兄上です。あ、兄は非蔵人(ひくろうど)ですので、お見知りおき下さると、便利ですよ」

 傍らの重輔が、笑顔で囁いてきた。見れば、成るほど、重輔より少し年上に見える少年が、陸奥紙にさらさらと歌を書き付けている。非蔵人とは、蔵人の身習いであり、雑色と同じく、いずれ六位蔵人に出世できる役だが、一つだけ異なり、昇殿が許されているのだ。

「元輔(もとすけ)兄上は、歌がお得意なんですよ」

 重輔の小声の説明に前後して、直衣を上品に着こなした少年は丁度よく流れてきた杯を取り、僅かに口を付けて、また流した。

(来てるのは、殆ど北家藤原氏、それも基経(もとつね)様の末だな)

 故藤原基経(ふぢわらのもとつね)は太政大臣(だいじょうだいじん)にまで上り詰めた人物であり、時平、仲平、忠平、穏子らの父親である。

(時平様の御一族も仲平様の御一族も、忠平様の御一族もいらっしゃるか。同じ北家藤原氏とはいえ、時平様の急死で、随分と明暗が分かれたんだろうな)

 曲がりくねった小川の思い思いの場所に陣取った貴族の男達の顔は、大内裏でよく見かけるものもあれば、そうでないものもある。父の忠行ならばもう少し誰が誰か顔が分かるのだろうが、保憲はまだそれほど貴族達の顔と名を覚えてはいない。

(とにかく、適当に歌を詠んでおいて、後は注意深く観想してよう)

 保憲は歌の題材として、桜を見た。

 保憲が好きな桜の歌は、古今和歌集にも収められている、紀貫之が、山寺に詣でた折に詠んだものだ。


  やどりして春の山辺にねたる夜は夢のうちにも花ぞちりける

  〔春の山辺に泊まって寝た夜には、夢の中でまで花が散ったのだ〕


 昼と夜、現(うつつ)と夢が混じり合った、何と幻想的で美しい歌だろう。後から後から音もなく散っていく花びらが、夜の帳(とばり)の中、閉じた瞼の裏にも見えたということなのだろう。

 歌を頭の中で繰り返し詠唱し、似たような一首が詠めないものかと考えた保憲は、はたと気づいて眉をひそめ、青空の下の桜の木々に、その根元や水面に、目を凝らした。やはり、どこにも、淡い色の一片はない。この五条第の中庭において、数多(あまた)植えられた八重桜の木々がどれも満開に咲き誇っていながら、ただの一片の花びらも、散ってはいないのだ。

(違和感の正体は、これか――)

 皇太后穏子の邸に咲き誇る、散らない桜花。集った北家藤原氏の面々。和やかな宴。

(そう言えば、招きの文のお歌にも、「ちるべき花」とあったな)

 保憲は、観想するまでもなく、全てが見えた気がした。


            ◇


 小川の下流のほうに座した陰陽得業生賀茂保憲を、簾越しにじっと見ていた穏子は、ふと息を飲んだ。酒杯を取った賀茂保憲が、それに口を付ける前にすっと立ち上がり、よく通る声で歌を詠唱したのだ。


  ひとさかりさきたる花よ時し来(こ)ばあだにちるべきものとかはしる

  〔一時の盛り咲いている花よ、時が来たなら儚く散ることになるものと知っているだろうか〕


 歌の読み上げは、酒杯を流し終えた後、寝殿にて宴を催しつつ行なわれるもので、今はただ歌を作り酒を飲むだけでよいのである。周りの女達、庭の男達がひそひそとざわめく中、穏子は目頭が熱くなり、溢れる涙をそっと袖で拭った。「一(ひと)盛(さか)り」に掛けた「人(ひと)離(さか)り」。人が散る――離れ離れになるという意味も含む「散る」。「あだ」は「まめ」に対する言葉で、儚いという意味の他に、仮初(かりそめ)、浮気という意味もある。賀茂保憲の詠んだ歌は、その身分、行為ともども、この華やかな藤原氏の宴には相応しくないと思われたかもしれない。或いは、恋に破れた歌とでも取られただろうか。けれど穏子には、保憲の言わんとするところが、明確に察せられたのだった。

(散ることになるものと知っているだろうか、というその問いは、北家藤原氏の皆に、この庭の桜花に、そして、未(いま)だ心の中ではあの子を諦め切れずにいる、わらわ自身に向けられたものなのですね)

 穏子は、目頭から袖を離すと、傍に控えている女房、右近(うこん)に、静かな声で言った。

「紙と筆をこれへ。あの陰陽得業生に、歌を返す」

 簾の向こうでは、賀茂保憲がむしろ悠然として再び腰を下ろし、次の重輔へと酒杯を流していた。


          四


 申(さる)の時に至り、寝殿で宴が始まる中、保憲は池の辺(ほとり)に立っていた。


  ちるべきとしりてさくらむ桜花春の夜に見し夢のごとくに

  〔散ることになると知って咲くのでしょう桜花は、春の夜に見た夢のように〕


[今上と亡き親王(みこ)を救ってくれたそなたに、この邸の祓を頼みます]

 皇太后からの文には、短くそう記されていた。「春の夜に見た夢」は、普通に読み解けば、儚さの象徴であり、或いは保憲も好きな紀貫之の「やどりして……」の歌を踏まえていると取れるだろう。だが、皇太后の事情を知っている保憲が深読みすれば――。

(保明親王は、やはり、皇太后の宮様の許を訪れてから逝かれたのだな……)

 皇太后は、歌に事寄せて、保憲を招いた理由の一端を明らかにしたのだ。招きの歌にあった「ちるべき花」は、そもそも保明親王になぞらえてあったのだろう。だが、何故、皇太后がこの五条第に祓(はらえ)の必要性を感じたのかは、まだ不明だ。

「つまりは、上巳(じょうし)の祓、ですね」

 何故か、宴に加わらず傍らに残った重輔が言った。

「そうなりますね」

 保憲はたわわに咲き誇った桜の花々を見上げ、軽く頷く。古く大陸で、三月の上(かみ)の巳(み)の日に、水辺で不祥を禊(みそぎ)祓(はらえ)する風習が起こり、のちには三月三日に行なうこととなった。日本の朝廷に伝わったその風習は、三月三日の曲水の宴となり、また三月の上の巳の日に、賀茂川などの水辺で、陰陽師を招いて、穢れを移した人形を舟に乗せて流すなどする行事ともなって、こちらを上巳の祓と呼ぶのだ。

「では、始めます。少し、離れていて下さい」

 観想は、既に充分である。保憲は、浄天地咒(じょうてんちじゅ)を唱え始めた。

「天地は自(おのづか)ら然(しか)り、穢(けが)るる気は分散す、洞(どう)の中なる玄虚(げんきょ)、晃朗(こうろう)たる太(たい)元(げん)、八方に威(たけ)き神あり、われをして自(おのずか)ら然(しか)らしむ、霊(れい)宝(ほう)たる符命(ふめい)、普(あまね)く九天(きゅうてん)に告ぐ、乾羅怛那(ケンラダツナ)、洞(どう)岡(こう)の太(たい)玄(げん)たる、妖(よう)を斬り邪(じゃ)を縛り、鬼を殺すこと万千、中山(ちゅうざん)の神呪(しんじゅ)、元始(げんし)の玉(ぎょく)文(ぶん)、持ちて誦(とな)うこと一遍、鬼を却(しりぞ)け年(とし)を延ばし、五岳を按(あん)行(こう)し、八海を知り聞き、魔王の東首、わが軒に侍衛(じえい)す、凶穢(あい)は消(しょう)蕩(とう)し、道気は長存す、急ぎ急ぎ太上老君の律令勅の如くせよ!」

 大陸の大いなる神の威光を借りて命じる朗々とした声は、水面の上を渡り、金色(こんじき)の西日に溶け――。

 池の上に、ひゅうっと風が起こった。竜巻(たつまき)のようになった風は、轟と鳴って、桜の木々を襲う。次の瞬間、ぶわあっと桜の花びらが乱れ散り始めた。無数の花びらが舞い飛び、吹雪(ふぶ)いて、中庭の空中に満ちる。

 ――これをこそ、本当に美しいというのだろう。

 祓が無事終わった安堵も相まって、保憲が、ほうと息をつくと、言葉もなく空中を見上げていた傍らの重輔が振り向いて、改まった様子で頭を下げた。

「藤原氏に連なる者として、お礼を申し上げます。わたしはただ感じるだけですが、あなたは、藤原氏の何かを救って下さったのですね……」

 祓の首尾を報告するため、保憲は、皇太后のいる東の対へ赴いた。案内がてらか、重輔も当然のようについて来る。庭から声をかけると、右近と名乗る、背中から裳(も)を垂らして引き摺り、唐衣(からぎぬ)を羽織って正装した皇太后付き女房が出てきて、二人に廂の間に上がるように言い、先に立って案内し始めた。皇太后がいる邸で、廂の間に上がることを許されるというのは、破格の待遇である。二人が連れて行かれ、座るよう促されたのは、日当たりのいい南廂だった。目の前に下がった母屋の簾の内には、皇太后がいるのだろう、保憲と重輔を案内してきた右近は南廂の隅に、静かに控えた。代わりに口を開いたのは、もう一人の、簾の前に座って待ち受けていた、こちらも正装した女房である。

「保憲とやら、祓のこと、申し上げよ」

 保憲は、命じてきたその女房の顔を一瞬見つめてから頷くと、母屋の奥へ向かって深々と頭を下げた。

「この五条第に凝っておりました陰気及び邪気は祓えました。全ての異常は消えましてございます」

 淡々と述べながらも、簾の前に座した女房が気になる。

「邪気だけでなく、陰気も凝っておったのか?」

 簾の内の皇太后の言葉を受けて問うてきた、その女房には見覚えがある。が、実際見るのは初めてだ。

(大輔の君――、保明親王が、最も心許してらしたお方か)

 保憲は顔を上げ、心の内の感慨を面(おもて)には出さずに説明する。

「陰気が凝っていたので、邪気も集まり易くなったのです。陰とは、動きにおいて、不活発、緩慢、静であること、心の働きにおいては、行く末を気にすること、また、鬼や、修行の妨げをする魔王を呼び寄せ易いということがあります。藤原氏の皆様が行く末を気になさるあまり、この邸に陰気が溜まり、静であることが生じ、桜が散らぬということが起こったのでしょう。更には溜まった陰気によって、鬼なども寄り始め、邪気も溜まり始めておりました。なれど、溜まっていたモノは全て祓えましたので、どうぞ御安心下さい」

「――御苦労であった。禄として、こちらの絹三疋(さんびき)を取らせる。後は重輔殿とともに、寝殿の宴に戻られよ」

 大輔が伝えた言葉に、もう一度深々と頭を下げ、傍らの台に置かれていた、筒状に巻いた絹三疋を捧げ持つと、後ろ向けにいざって、保憲は簀子へと出た。

「では、参りましょうか」

 重輔が言い、先に立って、簀子を寝殿へと歩く。密やかに白君を呼んで、三疋の絹を預けた保憲は、重輔の背中へ、ずっと引っかかっていたことを問うた。

「宮様は、この邸に祓が必要なことを、御存知だったのですね?」

「そのようですね」

「あなたがそう申し上げなさったのではないのですか?」

「わたしは、わが父、顕忠(あきただ)にそう申し上げただけです。でも、それがこういう結果になって、本当によかったです」

 振り向いた重輔は、にこりと笑って答えた。


            ◇


 あれは、流れる水の底のような記憶。保憲は忘れているのだろう。だが、重輔は覚えている。

(御上に憑いた怨霊を肩代わりしたと聞き、そして、左衛門陣で魔物を出されて確信したんです。あなたが、あの時の陰陽師の子だと)

 七年前、八歳だった重輔は、父が邸の社(やしろ)に招いた賀茂忠行の祓の一部始終をこっそりと見ていた。重輔にとって、祓というのは一大行事だった。重輔が物心付いた時、既に父は、菅原朝臣の祟りを恐れる生活を始めていて、邸中に物怪を恐れる空気が満ちていたからだ。邸の庭に社が設けてあり、祓殿(はらえどの)があったのも、そのせいだろう。そうして重輔は、忠行の息子だという少年に出会った。ざわざわとした気配の、常人の目には見えないモノ、重輔がただ感じるだけのモノを、その少年はしっかりと見据えていた。重輔は、祓が終わった後、意を決して、その少年に話し掛けた。大した会話はしていない。だから、保憲は覚えていないのだろう。けれど、重輔は忘れられなかった。父も覚えていた。皇太后の宮も、父からその話を聞いていたはずだ。ゆえに、今上の容態が悪化した時、忠行とともに保憲を召したのだろう。そして今度は、保憲のみを召した。穏子は、時の権力者。保憲の未来は明るい。

――「もう一度お目にかかることがあるとすれば、それは、わたしが陰陽師の道を進んだ時です」

 十歳だった少年は、重輔の問いに端然として答えた。強い意志を宿したその眼差しに、重輔は惹き付けられた。得体の知れないモノを見据え、将来をも揺るぎなく見据えた二つ年上の少年に、身の回りにいる人間達とは異なるものを感じたのだ。あの時、胸に焼きついた憧れは、今も熱い。

(あなたはきっと、当代一の陰陽師になる)

 重輔は、誇らしく、宴の開かれている寝殿の南面へと保憲を伴っていった。


            ◇


 賀茂保憲と重輔は、もう宴の席へ行ったことだろう。

 顕忠から重輔の進言を伝えられて、穏子の頭にはすぐ、賀茂保憲のことが浮かんだ。保憲に、祓を依頼してよかった。

(それにしても、重輔殿は、さすが、なかなかの切れ者よな)

 菅原朝臣の祟りを恐れて質素な生活を営む顕忠には、息子が五人あって、利口者揃いだと聞く。中でも、歌の得意な長男、元輔の噂はよく耳にするが、あの三男、重輔の将来も楽しみだ。顕忠は去年、次男正輔(ただすけ)が十五歳で元服する際、十四歳の重輔も、ともに元服させた。それだけ期待しているのだろう。

(しかし、時平兄上の孫たる彼らが権勢を得るは、難しい)

 今は、人望厚く政治的手腕もある忠平の世の中だ。

(亭子院を疎んじ、その寵臣であった菅原朝臣を太宰府へ追いやってしまわれた時平兄上の過ちが許されぬ限り、その子孫が繁栄することはあるまい。全ては、怨霊となられた菅原朝臣のお心次第。反対に、菅原朝臣を尊敬し、亭子院の御政道を引き継がれている忠平兄上の子孫の繁栄は、約束されておるのであろうな)

 深い溜め息をつくと、穏子は手にしていた衵扇(あこめおうぎ)をぱらりと開いた。保明を救ったという陰陽得業生に会い、その力を実際に見、その人となりに触れて、心は平らかだ。会えてよかった。賀茂保憲は、いい陰陽師となるだろう。

(さあ、帰らねば)

 母たる自分には、まだ、守らねばならない子供達が手許にいる。特に今上の寛明は、体が弱いので、少し離れているだけでも心配だ。今夜は、御燈という儀式もある。寛明を簾の外にそうそう出す気はないので、大変なことは何もないだろうが、それでも傍についていてやりたい。

「内裏へ戻る」

 右近や大輔を始めとする女房らに短く告げ、穏子は立ち上がった。控えていた右近達も素早く立ち上がり、簀子や渡殿で姿を隠すための几帳を持ったり、通り道の簾を上げたりする。さらりさらりと袴を捌き、廂へ出ようとした穏子は、ふと足元に目を留めた。淡い色の花びらが一枚落ちている。先ほどそこに座っていた賀茂保憲に付いてでもいたものだろう。つと屈んで、穏子は花びらを拾い上げた。そのまま廂へ行き、簀子へ出ると、扇で顔を隠しつつ、右近達が差し掛ける几帳を押し留めて中庭を望み、掌に乗せた花びらを、ふっと吹いた。薄い花びらは風に舞い、夕暮れの空へと昇っていく。

(保明、わが愛(いと)し子よ、安らかに。いずれ、母がそちらへ参るまで、今暫く、待っていて下され)

 過日、穏子や大輔、仁善子、貴子らの夢に現れた保明は、賀茂保憲に救われたと言って、微笑んでくれていた。その微笑みに、穏子達もまた、救われたのだ――。


          五


 この京でよく見る八重桜は、山桜よりも花の時期が遅く、今が盛りである。しかも、花びらの数が多いだけあって、山桜よりずっと華やかで、花びらが一斉に舞い散るさまも、圧巻だった。


  さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに波ぞ立ちける

  〔桜花が散ってしまった風の余波(なごり)としては、水のない空に波が立ったのだ〕


 亭子院歌合(ていじのいんのうたわせ)の時に詠まれた紀貫之の歌がぴったりと合う空を見上げ、小丸は五条第の釣殿の屋根に寝転んだ。よく日に当たっていた檜皮葺の屋根は、日が暮れかけても、まだじんわりと温かい。

「何故、ここへ?」

 絹を三疋抱えた白君が傍らに現れ、見下ろして問うてきた。

「あいつの傍にいて守ると決めた」

 微かに紫がかった水色の空を見上げたまま、小丸は答えた。保憲の傍にいて、助け、守るために京に留まったのだ。

「だが、大内裏には行っていないようだな」

 白君に言われて、小丸は憮然とする。

「あいつがするなと言ったことは、もうしない」

「……殊勝な心掛けだな」

 感心したような白君の言葉に、小丸はむすっとして顔をしかめた。

 保憲が大内裏にいる間は、邸の細々とした雑用の手伝いなどもしつつ、言われた通り、六壬式盤を触り、碁を打つ毎日だ。六壬式盤のほうは、四課(しか)三伝(さんでん)と呼ばれる課式(かしき)を立てられるようにはなったが、そこに表れた象(かた)の読み解きはまだまだだ。碁のほうは、ひぐらしの手が空けば、相手を頼み、真木の目を盗んでは、すがるにも相手を頼みなどしている。お陰でめきめきと上達中だ。最初は二、三目置いていたが、近頃は等し碁で打っている。

――「もう少しうまくなったら、弓削時人殿か、その式神に相手をして貰えるよう頼んでみるか。あの人は、碁聖と言われた寛蓮(かんれん)大徳(だいとこ)とも因縁があるらしいからな」

 保憲がそんなことも言っていた。けれど、その保憲自身はまだ一度も相手をしてくれない。忙しいのもあるだろうが、意図的に避けられているという確信がある。

(あいつ……、おれに何か隠してる)

 それは恐らく、保明親王が告げたことと関係があるのだ。六壬式盤で、保憲のことも占ってみるが、力不足で、はっきりしたことは何も掴めない。

(おれは、まだ、助けになれないでいる……)

 遠目に保憲を見ているしかない、不甲斐ない自分に、無性に腹が立つ。

「白君」

 小丸は、ふと、傍らに立つ式神を見上げた。

「おまえは、知らないか? 保憲の奴、人の呪いか、神の祟りか、何かそういった力を纏ってるんじゃないのか?」

「わたしは知らない」

 白君は、保憲と同じ顔、同じ声で、感情を表さず答える。

「ただ、そういうことがあるとすれば、それは、わたしが式神となる前に起こっているはず。つまりは、七年前の夏以前だ」

「おれが、賀茂邸に預けられる二年前か……」

 小丸は、五条第の寝殿に視線を戻しながら、暗く呟いた。


            ◇


 市や祭(まつり)を避ける小丸のように、人の集まりそのものを嫌う訳ではないが、保憲も、宴はあまり好きではない。歌も舞も楽器も得意ではないし、酒の進んだしつこい相手に、自分のことをいろいろと聞かれるのも嬉しくないのだ。女だという、重大な秘密を抱えているせいかもしれない。

(後一つ用事を済ませたら、頃合いを見計らって、夜が更けないうちに帰ろう。小丸も来てるようだし、仕事は済んだんだしな)

 目の前の懸盤(かけばん)に並べられた料理を箸で突つきつつ、保憲は思う。隣の席には、重輔がいる。彼にはいきなり三十六禽を見せたりしたので、もしかしたら、小丸との出会いの時のように、懐かれてしまったのかもしれない。


  さくらびと その舟縮(ちぢ)め 島つ田を 十町(とまち)作れる

  見て帰(かへ)り来(こ)むや ソヨヤ 明日(あす)帰り来む ソヨヤ

  言(こと)をこそ 明日とも言はめ 彼方(をちかた)に 妻さる夫(せな)は

  明日もさ寝(ね)来(こ)じや ソヨヤ さ明日もさ寝来じや ソヨヤ


 催馬楽(さいばら)の桜人(さくらびと)を歌いつつ、皆が扇で手を打って取る拍子に合わせ、抑えた動きで舞っているのは、元服がまだで、髪を鬟に結った十四歳の少年。一品式部卿敦実親王の三男で、桜君(さくらぎみ)、或いは、桜王(さくらのおおきみ)などと呼ばれている。つまりはあの寛朝の弟である。母親が時平の娘なので、この宴に来ているのだろう。

 寛朝には、この桜君の他に更に二人の弟と、既に元服を終えた寛信王(ゆたざねおう)という兄がいると聞く。確か侍従(じじゅう)に任じられていて、王侍従(おうのじじゅう)と呼ばれているはずだ。兄弟に恵まれているがゆえに、心の赴くまま出家したのか、それとも、若くして出家しなければならない事情があったのか。

(きっと、後者だろうな……)

 寺などに喜んで入るような人には見えなかった。自由奔放で明るく、寂しがり屋で愛嬌のある、人の集まる中心にいつもいるような、そんな人に見えた。

(おれが、男として生きる道を選んだように、あの方にも、出家の道を選んだ何かがあるはず……。そして、どこかで、わが母上と、関わりを持った……。もしかしたら、寛朝様も知らない、どこかで)

 確信を持って想像しつつ、保憲は、目の前の舞人(まいびと)に見入る。

(これも、縁なんだろう……)

 ここで会えるとは思っていなかったが、この機会を逃がす手はない。

(……それにしても、あの寛朝様とは、あまり似てない美しさだな)

 桜襲の細長の袍を纏い、神妙な面持ちで歌い舞っている紅顔の少年は、桜人そのものだ。「さくらびと」は、もともとは「さ蔵人(くらびと)」で、蔵で働く新米の人という意味だったらしいが、今では「桜人」と表記され、年若い人というような意味に取られている。満開であった桜に合わせての選曲だろう。

 ――桜の盛りが過ぎれば、次は山吹、そして藤の盛りが来る。

(道真様も、御自分の教えに忠実だった忠平様のことは評価なされてるはず。藤原氏の繁栄は続くんだろう……)

 つと、袖を引かれて、保憲は重輔を振り向いた。重輔は、目だけで、上座のほうを見るよう促す。そちらを見ると、不思議な出で立ちをした童が、こちらへ歩いてくるところだった。舞っている桜君と同じ桜襲の袍を纏っているのだが、その着こなしが、女童のようなのだ。衣の前を合わせず、汗衫や袿のように、衵の上にだた羽織っている。しかも、髪は結わず、尼削ぎのように、ただ肩に垂らしているのだ。

 眉をひそめた保憲に、重輔が小声で告げた。

「小野宮(をののみや)様の一郎君(いちろうぎみ)、瑪瑙君(めのうぎみ)です」

 教えられた童名で、保憲は合点がいった。小野宮とは、忠平の長男である参議藤原実頼(ふぢわらのさねより)の呼称である。その長男は、今年十三歳になっているはずだ。

(この方の母君も、確か時平様の女君(おんなぎみ)だったな)

 その実頼室(さねよりしつ)は、この正月に亡くなったと聞いている。十三歳の子を残して逝くのは心残りだったろうが、瑪瑙君が宴へ来ているということは、喪は明けたのだろう。

(時平様、忠平様、双方の血を継いだ、貴公子様か。だからこその、女姿だな)

 仏教で七宝に数えられる瑠璃や瑪瑙は、よく女子に付けられる童名だ。そのような童名を与え、女童のような恰好を十三の年まで続けさせる目的は、ただ一つだろう。

(男子ではないと見せかけて、道真様から守ってる――)

 そもそも童名には、汚いものや卑しいもの、下らないものや異なるものの名を付けて、その子供を守る意味がある。男子に女子の姿をさせるのも、同じ意味で、ままあることだ。

 近づいてきて、保憲の懸盤の前で足を止めた瑪瑙君は、檜扇で口元を隠したまま、言った。

「少し、お付き合い願いたい」

「分かりました」

 保憲が立ち上がると、隣の重輔も立ち上がって言った。

「わたしも御一緒して宜しいでしょうか?」

「構わないだろう」

 瑪瑙君は鈴を転がすような声で鷹揚に言い、先に立って簀子へと歩いていった。

 寝殿の簀子から渡殿へ進んで西の対へ行き、瑪瑙君は二人を振り向く。

「こちらで暫し待たれよ。じきにいらっしゃる」

 誰が、とは告げず、瑪瑙君は寝殿へと戻っていった。

「瑪瑙君を使われるとは、一体どなたでしょう……」

 重輔が、やや不安そうに呟いた。重輔にとって、瑪瑙君は、父方では再従弟(はとこ)、母方では従弟に当たる無位の少年に過ぎないはずだが、三十六歳で従四位下(じゅしいのげ)右中弁(うちゅうべん)という顕忠と、三十四歳で従四位上(じゅしいのじょう)参議という実頼、二人の父親の権勢の違いが、控えめな言動を取らせるのだろう。けれど、やがて現れた人物を見て、重輔は納得した顔になった。ゆったりと柳襲(やなぎがさね)の直衣を纏った、宮中にもその直衣姿で参内できる壮年の男。

「お待たせしてすまない。しかし、暖かい宵ですな」

 穏やかに言いつつ西の対の簀子を歩いてきたのは、従一位左大臣で東宮傅(とうぐうふ)を兼ね、摂政でもある藤原忠平だった。かの折、幻のように見た、保明親王の御息所(みやすんどころ)であった、あの貴子の父親でもある。

「まあ、お座りなされ」

 そう促して、自らがまず腰を下ろした左大臣から僅かに離れて、保憲と重輔も腰を下ろした。

「あそこにおられるは、保憲殿のお連れかな?」

 不意に問われて、保憲ははっと顔を上げる。忠平が手にした檜扇で指し示した先には、西の釣殿があり、その屋根の上に、庭の篝火の光を受けて、小丸と白君の姿があった。常人には見えない程度に気配を薄くした白君はともかくとして、小丸は万人の目に見える。

「申し訳ございません。わが家の家人にございます」

 頭を下げ謝った保憲に、忠平はにこやかに言った。

「あの白い衣の女童は、人ではありませんな」

「……見えておいでなのですか?」

 驚いた保憲に、忠平はゆっくりと頷いた。

「神のお姿も、鬼も、時折見える。時平兄上も鬼を見たことがあると仰っておられたし、頭の中将も、どうやら見えるようだ」

 頭の中将、即ち蔵人頭(くろうどのとう)兼右近衛権中将(うこんえのごんのちゅうじょう)藤原師輔(ふぢわらのもろすけ)は、忠平の次男で、今年二十六歳。この正月二十一日に、頭(とう)の少将(しょうしょう)、即ち蔵人頭兼右近衛権少将(うこんえのごんのしょうしょう)から位を進めたばかりで、多忙のせいか、この宴には姿を見せていないが、兄の実頼とともに出世街道を駆け上がるその名は、保憲もよく知っている。

「お血筋、なのですね」

 保憲は、目の端でちらと重輔を見つつ言った。重輔は、見えはしないらしいが、その感じる程度は、姉のひぐらしと同じくらいのようだ。

「賀茂氏の血筋には負けるでしょうが」

 忠平は笑って言い、改めて、保憲のほうを向いた。

「過日は、御上をお守り下さり、感謝しております」

「いえ、わたしは、ただ、わが父の手伝いをしたに過ぎません」

 畏まった保憲に、忠平は静かな口調で尋ねてきた。

「その折、菅原朝臣には、お会いになられたか?」

「――はい」

 保憲は、ますます畏まって答えた。怨霊であり、他方、正二位を贈られている菅原朝臣に関しては、慎重に答えざるを得ない。

「何か、仰っておられたか?」

「――御家族のことも、政の行く末も気にかかり、まだ、お留まりになるとの仰せでした」

「……そうか……」

 嘆息して、忠平は、夜空を見上げる。

「わしも、もう一度、一目(ひとめ)なりと、お会いしたいものよ……」

 ぽつりと呟かれた言葉に、保憲はただじっと沈黙を守った。忠平と道真の交流も、道真の左遷も、全ては、自分の生まれる前のことである。重輔も同じ思いなのか、一言も口を利かず、忠平に倣って、星の瞬き始めた、三日月の浮かぶ空を見上げている。寝殿のほうから、時平の三男、二十八歳の左近衛権少将(さこんえのごんのしょうしょう)藤原敦忠(ふぢわらのあつただ)が弾いているものであろう、琵琶の妙(たえ)なる音色が聴こえ始めた。


          六


 宴も酣(たけなわ)を過ぎ、人々に酔いが回った頃、桜君がそっと席を外すのを見て、保憲は自らも静かに席を立ち、後をつけて行った。

 桜君は、軒に下がった燈籠(とうろう)の灯りの中、沈みかけた三日月を見遣りながら、西の対へ渡ると、そこから伸びた廊を、釣殿へと歩いていった。保憲は、その後を、できる限り気配を絶ってついて行く。釣殿の簀子へ出た桜君は、邸の灯りを水面に映す池の向こうの桜の木々を見つめながら、低い声で歌を詠んだ。


  とく散れとたれかはいはむ桜花めでざるはただ風のみと知れ

  〔早く散れと誰が言うだろうか、桜花を愛でないのはただ風だけと知れ〕


「それとも、やはり、誰かが疾(と)く散れと、そう望んだのでしょうか?」

 言いつつ、元服もまだの少年は、鬟に結った髪を揺らして、保憲を振り返る。釣殿の戸口で足を止めた保憲は、微苦笑して問うた。

「気配は消していたつもりでしたが、御存知でしたか」

「いえ。ただ、あなたがわたしをずっと気にしておられたのには気づいたので、こうしてお誘いしてみた訳です」

 淡々と答え、桜君は体ごと保憲に向き直る。

「それで、何の御用ですか?」

「あなた様の兄上、寛朝様について、お訊ねしたいことがあるのです」

 単刀直入に切り出して、保憲は後ろ手に戸を閉め、釣殿の中に入った。

 桜君は、怪訝な顔して言った。

「兄は、七年前、十一歳で出家しました。わたしが七歳の時です。わたしが寛朝兄上について語れることなど、大してありません」

「その出家の理由が何であったのか、御存知ならば教えて頂きたいのです。大変不躾なことをお訊ねしていることは、よく分かっております。が、何卒、お願い致します」

「――本当に、不躾な問いだな」

 軽く驚いた口調で言ったのは、釣殿の片隅に、最初からひっそりと片胡座を掻いていた人物だった。桜君が、何の気遣いも遠慮も見せず、そこにいるのが当然という様子で振る舞う相手。烏帽子を被り、桜襲の直衣を纏った、二十代前半に見える青年。親しい身内以外、あり得ないだろう。

「……王侍従でいらっしゃいますね」

 確認した保憲に、青年は、閉じた檜扇を口元に当てながら、悪戯っぽく微笑む。

「ああ。但し今は、この、桜の随身だがな」

 随身とは、身分高い者に、護衛として付けられる近衛府の者のこと。勿論、無位の桜君に随身が割り当てられる訳はなく、保護者という意味の冗談である。檜扇でちらと弟を指してから、王侍従――寛信王は、表情を改めた。

「寛朝のことについては、弟である桜より、兄であるおれのほうが詳しい。おれから話そう」

「ありがとうございます」

 恭しく頭を下げた保憲から、高欄越しに、池のほうへ視線を転じて、寛信王は語った。

「あいつが生まれて暫くした頃、父上の大切にされていた琵琶が壊れたり、母上の夢見がよくなかったりというようなことがあったらしい。それで、母上は、女房の一人に、夕占を聞きに行かせた。女房が辻に散米をして待っていると、一人の女が通りすがりに言ったそうだ。生まれた子には、前生(ぜんしょう)からの呪いがかかっている。長生きしない上、周りに呪いを振りまくが、童の頃から寺に入れたなら、全て良い方向へ巡って、その子も長生きするだろう、と。それゆえ、あいつは十一歳で出家した。させられた。――しかし、何故、そんなことが知りたい?」

 問いとともに、池から保憲へと戻された寛信王の眼差しは鋭い。保憲は真顔で答えた。

「先日、わたしは寛朝様にお会いしました。そうして、わたしの極近しい者と、寛朝様との間に、確かに縁ができたことを悟りました。それで、寛朝様について、できる限り知っておきたいと思うようになったのです。寛朝様は、わたしの目には、まだ出家を望まれるような方には見えませんでした。明るく、気さくで、このような宴の席こそ相応しいような方に見えました。ゆえに、今日桜君をお見かけしてより、ずっと、出家の理由について、お訊ねできたらと思っていたのです。思いもかけず、王侍従からお話を伺うことができ、恐悦至極です。お教え下さり、本当にありがとうございました」

 一礼して顔を上げた保憲に、寛信王はまた、桜君を檜扇で指して見せる。

「礼なら、桜に言うんだな。おれが涼んでいるここまで、わざわざおまえを連れてきたんだから」

「そうですね。桜君にも、御礼申し上げます」

 向き直った保憲に、桜君は、初めて微笑みを見せた。

「あの方は、とても寂しがり屋です。寺の中では、不自由なことも多いでしょう。また会われた際には、どうか、お慰めして差し上げて下さい」

「承りました」

 謹んで、もう一度頭を下げた保憲の横を、訳知り顔で立ち上がった寛信王が優雅に通り抜け、桜君も続く。が、桜君はそのまま行ってしまわず、戸を開けて廊へ出たところで、振り返った。

「そう言えば、まだ、わたしの最初の問いに答えて貰っていませんでした。散らずにいた桜に、早く散るよう望んだのは、誰ですか?」

「人は誰も、花の散るを望んだりはしません。敢えて答えるならば、神と申し上げましょう。時の移ろいは、人の営みを超えたものです」

「――そうでしたね」

 頷いて、桜君は、寛信王に従い、静かに寝殿へ戻っていった。

「……通りすがりの女、か」

 一人呟き、保憲は釣殿の簀子へ出る。

「どう考えても、怪しいな」

「何がだ?」

 屋根の上から、小丸が問うてきた。

「おまえに夕占を告げた市女笠の女と、寛朝様が出家する切っ掛けになった夕占を告げた女は、同じ女かもしれないということだ」

 保憲は答えて、白君を呼んだ。

「屋根の上へ」

 応じて傍らに現れた式神は、無言で保憲に肩を貸すと、床を蹴って宙を飛び、釣殿の屋根の上、小丸が座った隣へと運んだ。保憲が幾ら身軽とはいえ、小丸のように一跳びで屋根の上へ上がるというような芸当はできない。小丸は、風や水の流れを感じるのと同じように気の流れを感じ、或いは見、それを利用して身軽に動く。保憲も、確かに気の流れを感じたり見たりしているが、生まれつき恐ろしく力に恵まれている小丸ほどには、上手く利用できない。保憲が生まれつき持っていた力は、小丸ほど強くはなかったのだ。けれど、七年前の夏、更なる力を与えられた。小丸のように動くために、後、必要なのは、慣れだけだが――。

(慣れるだけの時を、おれは得られるのか……)

 七年前は、なくてもいいと思った、十七歳の三月十五日より先の時。確実な七年間さえあれば、その先はなくてもいいと思った時を、欲してしまっている自分がいる……。

「いいのか?」

 小丸が驚いた様子で、桜の花びらだらけの屋根へ腰を下ろす保憲を凝視した。自分はいつも屋根の上にいる癖に、それが非常識だということは分かっているらしい。

「陰陽生の行動が多少突飛なことくらい、許されるさ。左大臣様には白君までしっかり見られてたし、王侍従にも、ここにいるおまえとおれが話すこと、気づかれてたみたいだしな」

 諦めた口調で言ってから、保憲は本題に入った。

「で、その女だが、恐らく、おれと姉上の母、あやめだ」

 今分かっている状況では、そうとしか考えられないのだ。あやめは、十七年前、まだ保憲が生まれる前、寛朝が生まれたすぐ後辺りから、動き始めていたのである。

「何故、そんなことが分かる?」

 小丸が怪訝そうに、当然の問いを口にした。今まで、あまり関わらせまいとして、蚊帳の外に置いてきたのだから、仕方ないことだろう。

「姉上の夢枕に立った母上の言動を考え合わせると、そういう結論が出るんだ。後は、子としての勘かな」

 あまり説明にならない説明をして、保憲は眉根を寄せる。

「意図はまだ分からないが、これから、母上がおまえの人生に関わってくることは、必定だ。だから、知っておいてくれ。そして――」

 自分がいなくなっても、姉と妹と弟を守り、父を助けていってほしい。

「――寛朝様との縁を大事にしろ。あの方の生い立ちは、おまえに少し似てる。きっとおまえのためになるはずだ」

 自分は、小丸を都合のよいように利用している。小丸は、京に残る限り、その並外れた力のせいで、ずっと利用され続けるだろう。ここは、小丸にとって穢土だ。それでも、自分にはもう他に、頼める相手がいない。一ヶ月前なら諦めもついたが、自分の意思で京に再び住み始めた小丸の手を、今から離すことなどできない。三月十五日は、もう目前なのだ。

「分かった」

 生真面目に答えた小丸の双眸を見つめてから、保憲は、桜の花びらで斑になった檜皮葺の上へ仰向けになった。三日月が見えなくなった夜空には、星々がきらきらと瞬いている。人に、時の移ろいを告げる星々。

「――このまま、時が、止まればいいのにな……」

 ふと、保憲は呟いてしまった。先ほど行なった祓とは大いに矛盾してしまう言葉。けれど、微かに見開いた目でこちらを見下ろした小丸は――。

「……そうだな」

 低く呟いて、保憲と同じように夜空を見上げた。


            ◇


 板葺の荒ら屋の隙間から差し込んでいた微かな三日月の光が消えた。三日月が沈んだのだろう。吹き込む夜風は温く、眠りではなく、物思いを誘う。物思うことは、いつも、ただ一つ。

――「上の子は、人に親しまれる性だろう。腹の子は、神に愛でられる性になろう」

 桂女(かつらめ)の祖母は、重々しく告げ、母となったあやめを痛ましく見つめた。「あやめもしらぬ恋」と言われ、思い留まるよう言われた恋の行方がこれだと、その双眸が語っていた。

 桂女、或いは桂姫(かつらひめ)と呼ばれる自分の一族は、都の西南、桂川沿いの桂という里に住まう女系の巫(めかむなぎ)一族だ。鵜飼(うかい)の夫達を持ち、鮎売(あゆうり)の供御人(ぐごにん)として鮎を売り歩いているが、他方、産婆として安産の祈祷をしたり、戦勝祈願をしたり、軍に随行して士気を鼓舞したりすることも生業(なりわい)としている。古、神功(じんぐう)皇后(こうごう)に仕えて、新羅(しらぎ)遠征に同行し、そのお産のお世話をした下仕(しもづかえ)の末だという伝説もある。産屋(うぶや)では生に関わり、戦場(いくさば)では死に携わる巫。血の穢れに、自ら手を差し伸べる女達。世俗の者と気安く交わることを許されない一族。自分は、その素性を隠し、ただの市女(いちめ)として、陰陽師賀茂忠行と交わった。並ではない力を持った者同士の交わり。一人目の子は人並みに生まれ、安心した。だが、二人目の子は、そうはいかなかったのだ。

――「神に愛でられるということは、そなたも知っての通り、人並みには生きられぬということ。常に過酷な運命に立ち向かわねばならぬ。その定めの中で人並みに幸せに生きるには、同じく神に愛でられる性の子が傍に要ろう。希なる性だ。見つけられるかえ?」

 一族の非難から庇い続けてくれた祖母の言葉に、自分は縋った。

――「――必ず」

 そうして誓った通りに、わが子と同じく神に愛でられる性の子を見つけた。それも、二人も。一人目の子は、宮家の子だった。その子が、わが子と関わる道を歩むよう、折々に標(しるべ)を示した。二人目の子は、安倍家の子だった。しかも、葛葉というその母は、桂女の一族以上に、世俗との関わりを許されない山の一族の者だった。葛葉も、子の行く末を案じていた。自分は、葛葉に自分の祖母の言葉を告げ、その子が、賀茂邸に預けられるよう、わが子の傍にいることになるよう頼んだ。葛葉は快く自分の言葉を受け入れた。

(葛葉、あなたは今、どこからわが子の心配をしているの……?)

 温い闇の中、あやめは、手にした布衣の袖を、ぎゅっと胸に押し当てた。肩口から千切られた片袖は、小丸との間を繋ぐ手掛かりとなる。いざとなれば、これを使って小丸の夢へと渡り、頼むしかない。生霊となって寛朝を促す以外には、それくらいしか、自分にできることはない。

 神に愛でられる性の子の人並みの幸せのために、祖母が教えてくれたことは、もう一つあった。それは、できる限り、母が傍にいないこと。

――「母が傍にいれば、子は弱く育ち、神に呑まれる。乳離れが済めば、子の傍を離れることだ」

 その言葉があったからこそ、自分は、今の陰陽頭葛木宗公(かづらきのむねぎみ)の娘、真木が後妻(うわなり)になるよう、忠行が真木のもとへ通うことになるよう仕組んだ上で、賀茂邸を出た。忠行には、自分が桂女であることを告げ、子供達の将来のためにも、最早、ともには暮らせないこと、自分の素性については隠し通してほしいことを伝えただけだった。だが、多くを語らなくとも、陰陽師であり、博識でもある忠行は、あやめの事情の殆どを察してくれたようだった。葛葉も、歌を残して安倍邸を出た。寛朝については、母と別れて寺に入るよう仕向けた。できることは全てした。後は、ただ、知らせ、頼み、祈り、願うことしかできない。

(小丸、寛朝、あの子を守って――)

 保憲に、近々、よくないことが起こる。巫としての力で、それだけは分かる。七年前から、夏虫――保憲が、白い霧に撒かれ、飲み込まれる夢を繰り返し見てきた。時折見るだけだったその夢を、近頃は毎夜見る。しかも、以前の夢より霧は濃さを増し、保憲の姿を完全に飲み込んでしまうのだ。夢解(ゆめとき)をするまでもなく悪夢であり、吉夢に変える夢違(ゆめちがえ)をしようとしたが、あやめの力ではどうにもならない強い力が働いているようで、違えることはできなかった。

(あの白い霧は、何れかの神――)

 夢解では、そう出た。心当たりのある神は、賀茂氏の神である賀茂別雷神(かものわけいかづちのかみ)と玉依姫(たまよりひめ)、賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)か、夢路(ゆめぢ)で会ったひぐらしから、保憲が修行中に関わった神として名の出た、葛城山の一言主(ひとことぬし)か、或いは、もっと別の神か。何れの神にしろ、陰陽師の忠行であっても、祈り、願うことしかできない相手だ。となれば、保憲を助けられるのは、同じく神に愛でられる性の、小丸と寛朝しかいない。そして、保憲自身が、神に呑まれないだけの強さで、定めに勝たなければならない。

(神よ、どうか、あなたの愛でる子らの思いに、耳を傾け給(たま)え――)

 あやめはただ、一心に祈った。

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