赤門の女

@koro_suke_sikiyoku

赤門歩き

男は激怒した。

しかし、今はその時でないと考え直してやっぱりやめた。

もちろん、世の中には怒ることなどごまんとあるし、夕張市の前市長の顔とか釧路の現状とか思い浮かべると、腹の暗い奥底から壮絶なる怒りが込み上げてくる。かの顔を思い浮かべるだけで、憤怒が込められたヤカンは一瞬にして鳴き出すし、釧路駅を出て眼前に広がる風景を思い出すだけで地団駄を踏み、それだけで大地を揺らすことだってできる。しかし、今は時合が微妙、つまり怒る気にならないのだ。そういえば、少し前にこんな事があった。

ある日、いつものように酒に狂い川縁でうだっていると、前からいかにも教養のある歩み──右足が地面につく前に左足を出し、左足が地面つく前に右足を出す歩法。エアマックス狩りに合った東京大学の生徒が、狩られた後に裸足でも足を汚さず帰れるよう編み出された門外不出の技───いわゆる、赤門歩きをしながら、男の少し向こうを歩いていた。ツィーツィー、と滑るように歩く姿を見て、うわぁ知的だなぁ、なんかいい感じで風流だなぁと、ひとりごちていると、その女が男の視線に気が付きツィーツィーと近づいてきた。うわうわうわうわ、なんか近づいてきた、こわこわこわこわ、やっぱ見ていたのがバレたのかなぁ、なんか言われんのかなぁと、焦っていると、女は見事な赤門歩きで音もなく距離を縮めてきた。近づいてくると、いきなり男の横に座り、彼の顔をジッと見つめた。


「どう思った?」

「は?」

「いやだから、どう思ったのって。見てたでしょ、あたしの赤門歩き」

「いやいやいやいや、見てない、見てないっす」

「見てたね。あたしにはわかるの。だって、あたしの赤門歩きって結構有名なんだよね。見事だ風流だってだけで、なんかお金とか土地の権利書とか色々もらったことあるし」

「はぁ」

「なんその気のない返事。ホントにあたしの赤門歩き見てたのかっての」

「いや、だから見てないですって」

「嘘、まじそういうのはいいから。で、どう思ったのよ、あたしの足さばきは」

「はぁ」

「素直に言っていいよ」

「え、いいんですか?」

「いいよ、怒らないし。何でも言って」

「いやぁ、なんか、なんかですよ、むちゃ風流で」

「うんうん」

「ドラえもんみたいだなぁって」

「は?」

「いや、だから、ドラえもんみたいだなぁって。知ってます?ドラえもんって」

「いや、知ってるけど、なんでドラなのよ」

「あ、知ってんすね、ドラえもん。いやぁ、嬉しいなぁ」

「知らんほうがおかしいでしょう。いや、そんなことはどうでもよくて。なんでドラなのよって」

「いや、なんかぁ、ドラえもんって、地面から数ミリ浮いてるっぽくて、足が汚れないみたいなんすよね。なんか、そこがぁ、ドラえもんみたいで風流だなと思って」

「は?」

「いやだから、」

「もういい、わかった。聞いたあたしがバカだったわ。ところで、もう一つ聞いていい?」

「なんすか」

「あなた、世の中に不満とかないのかしら?」


いきなり素っ頓狂な問答を引っ掛けられた上、漠然とした質問に返答が窮してしまい「え、なんすかそれ。ないすけど」と、凡夫のような返答をした。あ、しまった。と思う間もなく、赤門女は非常に落胆した顔をして「あ、そう」と一言だけ残して、足を汚さずに去っていった。もちろん、彼女はスニーカーは履いていた。


あのとき、どう答えておけばよかったのだろうかと今も考えている。ずんだもん解説動画で仕入れた夕張市や釧路のことを話題にして、適当なことを交えて怒り心頭、俺の唾は音速を超えるぜ、みたいな激怒の姿勢を見せながら不満を述べればよかったのだろうか。いや、それは簡単に見透かされるだろう。あいつは、変な歩き方はされども天下の東大生。日本最高学府の学徒であり「それ、ずんだもん解説動画からの入れ知恵でしょう。あたしも見たから知ってる」などと、突っ返されるだろう。そんなことを言われたらめちゃ恥ずかしいし、知識が付け焼き刃しかないことに付け入られて、想像もしない論調で言いくるめられるだろう。挙げ句には、むちゃ泣かされパシリにされる未来が見える。あぁ、インテリというのはおとろしい。そういえば、風の噂でこんな話を聞いたことがある。


To:man@vodafone.co.jp

From:kaze@vodafone.co.jp

件名:とある噂について

本文:

いつもお世話になっております。

合同会社 噂の風と申します。


この度は、弊社にお問い合わせいただき、誠にありがとうございました。

お問い合わせいただきました東京大学についてですが、

どうやらバトリング・サークルという団体が存在しているみたいです。

詳しい内容は添付にて記載しておりますので、

お手数おかけしますが、ご確認のほど宜しくお願い致します。


かしこ


添付:バトリング・サークル_東大.exe


ってね。

このバトリング・サークルはなんぞやということなんだけど、軍用兵器が民間に払い下げられてそれを使った大学の学徒同士で命のやり取りを楽しんでいる、ってわけじゃないけど、どうやら、炎上大好き人間たちが徒党を組み、なんでもかんでもバトルに発展させているサークルのことらしい。そんで、そのサークルは本家分家みたいに分派があるらしく、あの女・赤門女の言動から察するに、彼女の所属はレス・バトルであろう。本来はインターネットにある概念だが、何を考えたのか知らないけど、現実にその概念を持ってきた挙げ句、道行く人にいちゃもんを付け、それにつられた民間人に議論をふっかける、みたいなことを楽しんでいるらしい。なんつか、むっさクソである。赤門女、あいつ本当に頭良いのか?

さらにこれを掘り下げると、どうやらレス・バトル分派には入会試験というものがあるらしく、赤門歩きを覚えたての新米たちは会堂に集められ、レス・バトル十戒律を喉が破れるまで叫ばされた挙げ句に「それってあなたの感想ですよね?」とか「根拠を示してください根拠を」みたいな某が言いそうなセリフを用紙400枚を書写するらしい。この時点で最悪なのだが、最終試験として、ランダムに生成された匿名が記載された名刺と匿名のツイッターアカウントが付与され「今から100人とレス・バトルするまで帰ってくるな。それを達成できるまで東大敷地内には入れないし授業も出させない。お前らが払った入学金・授業料なんか全然気にしない。それでは行け!!」という試験があるらしい。つか、ある。わかる。さっきの赤門女がそうだろうし。まじであいつ本当に大丈夫か?頭がアホかどうかとか言うより、普通に心配になってきた。

こんな事があったもんだから、時をおいて激怒しようかどうしようか悩んだのだけれど、赤門女と会った川縁で遊ぶ子どもとか夫婦とかを眺めていると、なんかどうでも良くなってきた。アホくさ。

思考が纏まったので川縁から立ち上がり、ケツについた土や草などはそのままにして、近所のスーパーに行って酒とつまみを購入した。男の住むアパルトメントでは、窓から街の様子と中川に沈む夕日を眺めることができる。その荘厳な夕日の朱を眺めながら酒を飲み、今日の出来事を思い返していると、視界の端から赤門歩きが入ってきた。

どうやらこの街もバトリングの侵食が進んでいるらしい。隣町の連絡所も三日前から連絡が取れないし、もうダメなのだろう。

男は、先ごろ買ったミックスナッツを口に含み噛み砕いた後、酒でそれらをゴクリと流し込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

赤門の女 @koro_suke_sikiyoku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ