第33話 《綱引きとカレーの夕暮れ》




さて、自由な世界と不自由な世界の境界は、果たしてどこにあるのだろう。



・・・・一般的なアレやコレやの人間社会において、これほどシンプルでいて

これほど多義性と一般性を立て、そして人を苦しめる線引きはあるだろうか。



融和し得ない有相無相の雑踏の中で、摩擦に堪えかねた人の流動が雑音と共に

誰かの苦しみを押し流し、笑い去ってしまう様だった。

誰かのリアリティは誰かのリアリティを裏切るのである。


カンカンと鳴る踏み切りの警鐘が濁った空気に響き、遮断機の向こうを流れる

雑多な人混みがその色をまるで変えてしまったのではないかと思わせたが、当然

それは今のおれが漂わせている精神的バイアスによるものだし、他人に成り代わる

事が出来ない以上、その景色に客観的かつ普遍的な意味を着色する事が不可能なのは

どう考えても明らかだ。



抑圧と解放とは何だろう。


意識的である事なのか、それとも無意識状態である事なのか。

物理的束縛なのか、心理的不自由なのか。人を指すのか、人ならざるを指すのか。


抑圧しか知らないのならば、抑圧と解放にどれだけの意味があるのだろう。

自由の裏側はいつだって残酷だ。



「・・・ねぇ、どうしたの?」


『ん?あぁ・・・・ストレラの事を、少しな。』



「ふぅん、直接会った事すらない人の心配でもしていたわけ?」

「お兄ちゃん。」


『お兄ちゃん・・・・なんかムズムズするな。』



此所は大阪市のとある踏切。

時刻は4:00PM、買い出しの途中である。


ここは都市部だから、人が密集しがちなこの環境はアニマが出現しやすい。

しかし、アウロラに生み出されたフォスはおれの生体反応をアニマのそれに

カムフラージュする事ができるらしい。


そのお陰でこうして街中を堂々と歩けるという訳だ。



・・・・新生アニマの消滅、そしてアルの救出から3日経った。


この出来事は単なるアニマとの戦いではなく、身内からはみ出た刃先で自傷した

側面が強く強調されるため事後処理が大変らしく、Pちゃんさんはサピエンテスの

会議に赴いたきりまだ帰艦していないのだった。


バルバトスではY子とウェルシュとパーマが療養し、ヘリコは医務に加えて

総司令代理としての各部門へ対する通達や、物資の運搬手続き、データ処理を

こなしている。


シアンは引き続き、損傷したバルバトスの修理と防衛システムの改良、

アニマとY子達の戦闘データの分析、軍事開発本部へ送る情報の整理等に忙しい。


アルとニャンぷくはヘリコとシアンのかわいいお手伝いだ。


医者と技術者の仕事が多忙を極め、Y子達も戦闘で蓄積したダメージが

回復しきっていない。


一番自由が利くおれも体中の痛みが凄まじいが、このままではヘリコとシアンが

体を壊しかねない。せめて食事くらいは体力のつくものをと買い出しに出掛けた

訳だが、杖突きで荷物を持つのは大変だ。そこでフォスとアンダーソンが同行

してくれたのだ。



「人の心配ばかりしているけれど、お兄ちゃんだってボロボロじゃない。」

「全身打撲と擦り傷切り傷だらけで、片腕と片足が殆んど動かない上に片耳の

 鼓膜も破れている。」


「健常的な人間からしたら、だいぶ不自由な体だと思うな。」


『生きているだけ儲けものさ。』

『戦いの矢面に立って一番無理してるのはあいつらだし、実際できる事が

 一番少ないのはおれなんだ。やれる事はやらないとな。』


『人類の命運も掛かってるんだ。』



「ストレラという人を助ける事も、“できる事”の一つなのかな?」

「その命を狙う者達が支配する強力な兵器の巣窟に赴いて、囚人の救出を試みよう

 だなんて・・・あえてリスクを取るんだね。」


『なあに、着いたら直ぐに取り囲まれるなんて事は多分ないさ。

 きっと向こうだってそう簡単におれを殺せるとは思っていないだろう。

 それにPちゃんさんとタイフォンとの話に出たってやつのデータ検証だって

 必要なんだろ?それが何なのかは知らんが、こちらの行動に自由があるのなら

 ストレラを助ける隙はどこかにあるはずだ。きっとな。』


『そう簡単に人が殺されてたまるかよ・・・』



『・・・・にしても長いなこの踏切。』


「いいじゃない。」


「ぼくは待つのだって楽しいよ。」

「データを眺めるのではなくて、本物の景色を見て空気に触れるのは

 初めてだもの。」


そうか、フォスはアニマの内部で “アウロラの瞳” に生み出されたんだよな。

それなら既に人間の社会は物理的に全て消滅している訳だから、いま目にする

物はその全部が初めてって訳か。


『そっか。』

『どんな気分なんだ?データで眺めて、世の中の物を知ってはいるんだよな?』



「軽く感動だよ。」

「気温も音も質量も、そるぞれが単一の情報として存在するのではなく、

 一つの空間に混合してお互いに影響し合っている。」


「主体性さえ必要としなければ、全てを単一と見なす事もできるけれど

 それは生ある者の世界とは言えないものね。アウロラにより生み出された

 この体が人間ベースで得したよ。」


『よく解らんが、よかったな。』

『初めてに満ちているってのは羨ましいよ。』


『・・・・あっ!って事は何を食べても、何の映画を見ても初めての感動を

 味わえるのか!羨ましいな・・・大人の思考で子供を生きれるのか・・・・』


「ふふ。面倒見てね、お兄ちゃん!」


『むぐぐ・・・嫉妬しちゃいそう。』



子供の見てくれで大人を “キミ” だの何だのと呼んでいたら外で浮くからと、

フォスはおれを “お兄ちゃん” と呼ぶことにしたらしい。


アンダーソンはサイズの大きいパーカーを着て顔を布で巻き、グラサンをかけ

静かにフォスの後をついて来る。これまで騒ぎを起こしたアニマの目撃情報から

人々がアンダーソンに気付いて、騒ぎを起こさない様にと工夫しての事だが・・・・


明らかに怪しい。

浮くとかではなく普通に怪しい。職質されないといいなぁ・・・



「ぼく、特に楽しみなのが食事なんだ。」

「バルバトスにあるのは所謂レトルトってやつだよね。」

「茹でて和えるだけのレトルトパスタも美味しいけれど、もっと色んなものを

 食べてみたいな!」


『へえ、何が食べたいんだ?』


「熊の手料理!」


『いや無理!売ってない!!』


おれだって食った事ないよそんなの・・・

レトルトから飛び級しすぎだ。もっと庶民的なものを作ろう。


好き嫌いが無さそうな物がいいな。

食卓に出たら無条件にテンションが上がり、それほど料理の手前が問われず

野菜と肉を同時にとれて、ご飯がどんどん進む食欲のトールボーイ大型爆弾・・・・


・・・・・そう、カレーだっ!!


『カレーにしようか。』


「わあい!食べてみたかったんだ!」


カレーと聞いて喜ぶなんて、本当に子供みたいだな。


『アンダーソンもきっと気に入るぞ。』

『沢山作るからな、いっぱい食えよな。』


「アンダーソンには永久機関を搭載してあるからね。実は食事は必要ないんだけど

 食事を摂取する事はできるし、味覚もあるんだ。リコフォスのアニマと違ってね」


『へぇ~~~、アンダーソンってやっぱ特別なんだな。』


『・・・・・・』


『・・・・って、ええっ!?』

『永久機関!? 人類の夢が今おれの目の前にっ!?』


「一緒に食べようね、アンダーソン!」


さらっと世界が引っくり返る様な事を明かしたフォスであった。


相変わらず無言のアンダーソンと楽し気なフォスを連れて踏切を超え、暫く歩いて

スーパーに着き、野菜にお肉にカレールウ、果物とお米、お菓子に日用品をカート

のカゴに放り込んでゆく。食材を買い貯めしておきたいが、帰りに持ちきれるかが

問題だ。


フォスは微笑みながら大丈夫というが、アンダーソンはパッと見て割と細身だし

おれはこんなんだから正直心配だ。


「お米も30キロで売っているね。6袋は買った方がいいかな。」


『ろっ・・・!?』

『い、いやいや、30キロは1袋でも持つのが大変だから、もっと小さいのを

 買わないと持って帰れないぞ?』


「ふふ。アンダーソンなら簡単に持てるよ。」


アンダーソンを見ると、静かに小さくコクンと頷いた。

初めて見るアンダーソンの意思表示である。

なら任せてみようか。・・・するとアンダーソンは30キロの米袋を6袋重ねて

両腕で簡単に担ぎ上げた。


『うぉっ・・・・!ま、マジかよ・・・!』


周囲のお客達から、おおぉ~・・・、と驚嘆の声がこぼれる。

一気に注目の的となり、立ち止まったおばちゃんが「んもぉ~~すごいっ」といって

小刻みに拍手した。釣られておれも拍手してしまった。


流石はこの世界の住人だ・・・・


そのまま持たせるのも何だか忍びなく、おれは急いで別の棚に移動して

忘れずに猫用のトイレとおやつをカートに放り込み、レジへ移動した。


会計にキングカードを使ってみると、これが本当に決済できてしまうのだから

驚きだ。カート一杯の荷物を持参したリュック2つと買い物袋に詰め込み、

リュックを一つ背負い、買い物袋をフォスに持ってもらい、もう一つのリュックは

どうしようかと考える。するとアンダーソンは米を下ろしてリュックをするっと肩に

かけてまた米袋を持ち上げた。


『わ、悪いな、アンダーソン・・・!』

『お前すごいな。』


スーパーを出て、来た道を戻り、公園の公衆トイレに入るとそこが異空間の

入り口だ。


・・・・だから何でトイレに出入り口を設定するんだよ。おい。



バルバトスに戻って来たおれ達は、シアンに帰艦の連絡を入れキッチンの冷蔵庫に

買ってきた食材をしまい、早速夕飯の準備をする事にした。


『フォス、アンダーソン、ありがとうな。助かったよ。』


「いいんだ。ぼく達はアニマから分離して、きみ達の行く末を見守ろうと

 思うけれど、身を置く場所が無いからね。お世話になるならお手伝いくらいは

 やらせてよ。」


『そうか?』

『なら、たまに手伝いを頼もうかな。』


『そんじゃあ晩飯出来たら呼びに行くから、適当に時間でも潰しておいてくれ。』


「うん。館内には本も沢山あるみたいだし、色々と見させてもらうよ。」


この艦には確かに本棚が多く置かれている。

特にPちゃんさんの執務室には壁一面の本棚に、本がぎっしり詰まっていた。


デジタルじゃないんだよなぁ、何で紙の本を置くのだろう。


おれは液晶越しに字を読むのが好きじゃないので本は紙専門だが、バルバトスは

未来的な・・・というか未来の施設だから、そういった物は全てデジタル管理

していそうなイメージなんだが。


ともあれ、アンダーソンを伴ってキッチンを出て行くフォスを見ながら、

人類の情報が膨大に詰め込まれているであろうその頭に、今更何を収納しようと

いうのだろうなどと考えた。後でフォスに聞いてみよう。


えーっと、バルバトスの人口は現在9人と一匹だよな・・・・米は何合炊けば

丁度いいだろう。ま、余ったら冷凍保存すればいい事だし、Y子はアホみたいに

食べそうだから、結構気持ち多めで炊いてみるか。

カレーは野菜を細かく切って肉を沢山入れ、どこをすくっても具があるトロトロの

カレーが理想である。


あとは適当にポテトサラダと、スープには鶏塩スープでも出しておこう。

むかーし、一人暮らしをした時にほんの少しだけ嵌まったのが料理だったが、

忙しさに追われて次第に手を付けなくなってしまったんだよなあ。

こうしてよくある独身男性の寂しい食卓が出来上がってゆくのである。


えぇっと、鶏もも肉と水菜とお酒にダシと・・・あと何だっけ?

スープなんて尚更ずっと作らないで生活してきたからな。何を作るにも作り方を

脳内で発掘しなければならない・・・・まぁ、当たって砕けろの精神で取り組もう。


12合の米を研いで大型の業務用炊飯器に入れ、水を注いで電源をいれる。

ぼちぼちカレーの下ごしらえでも始めますかと野菜を取り出すと、キッチンに

アルとニャンぷくが現れた。


『おぉ~、二人ともどうした?』

『お手伝いはおわったのか?』


買い物袋からポッキーの箱と猫用おやつのカリカリを取り出して二人に渡すと

ネコはシッポをピンと立て、分かりやすくデヘッとニヤけた。ネコのくせに。


「まさゆき。ある、お手伝いする。」


『手伝ってくれるのか?お~!それは助かるなあ!』


「なあなあ!手伝ったら何かくれるニャ?」

「オレ様、肉食系男子だから、できれば牛ロース肉の切れ端なんか貰えると

 完全にやる気出るんだけどな!」


『何言ってんだ。んな高級なものじゃねーよ、今日の晩飯は。』

『それに今カリカリやっただろう。食ってばかりいると太るんだぞ?』


「けちーーっ!!」


『やかましっ』


折角だから、アルにも少し手伝いを頼もう。

しっかり手を洗って、ニンジンとジャガイモをどっさりボールに入れ

広い調理台に置き、持ってきた椅子の上にアルを乗っけた。

ニャンぷくもピョンと調理台に飛び乗って、ボールの中の野菜に鼻を近付け

すんすんと嗅ぎはじめた。


『あっ、おまえな、ここは調理場なんだから、乗るなら足を拭いてだな・・・』


「オレの足はな、オレの足であるというただ一点の事実によって常に清潔が

 保証されてるんだよ。」


『はい意味不明ー。』


軽くフキンで足を拭いてやり、作業に取り掛かる事にした。


『よーし、それじゃあ見習い料理人のアルとニャンぷくに、これから

 野菜の皮剥きを実践してもらうぞ!料理は知恵と冒険心と真心だ!

 あと金だ!これらが揃って作れない物はなぁ~~~いっ!』


「よっ、美食倶楽部ぅ~~~!」


『まぁまぁ、ありがとっ、まぁまぁ、静粛に!』


『そこで見習い料理人のアルにこの魔法のアイテムを授けよう。』


「まほうのあいてむ・・・!」


『銀の、スップーンだっ!』



刃物を使う訳にもいかないので、簡単だし、スプーンで皮を剥いてもらう

事にした。ジャガイモを洗って、スプーンの端でジャガイモの表面を擦って

皮を削いでいく。お手本を見せるとアルは目を輝かせてスプーンを握った。

ジャガイモの表面をぎこちなくスプーンでなぞり、皮が剥けるとアルは

どんどん夢中になっていった。


おれはその隣で玉ねぎを切り始めた。


「なぁなぁ!オレ様も何かしようか?」


『ニャンぷくは気分を上げるために歌ってくれ。』


「・・・・いささか料理とは関係ないように思えるが・・・・まあいいか。」


ニャンぷくはどこからともなくレコーダーを咥えて来て横に置き、カセットテープを

セットして再生ボタンをタッチした。

・・・・渋い伴奏がローファイの小さなスピーカーから流れ出した。


「あー、あーっ、テステスっ!それではわたくしの十八番、熱唱させて頂きます。」


「・・・・ “酒よ”」


「ん涙には・・・ん幾つものん・・・ん思い出がぁ~~あるぅぅ・・・」


何でこいつはそういうの知ってるんだろう。

っていうか、カセットレコーダーなんて何処から引っ張って来たんだオイ。


吉幾三の珠玉の名曲を熱唱する黒猫の奇っ怪な絵面はしかし、明らかに

気分が上がる曲というおれのリクエストを完全に無視し、もはや周囲に

草臥れた場末の酒場の消えかけたランプ光を彷彿とさせ、さらには

日々の疲労で疲れきったこの鼻腔をまるで磯香る小樽の潮風を孕んだ

スルメの香ばしさがさも弄ぶかの様な錯覚すら催した。

孤独・・・哀愁・・・嗚咽・・・土砂降りの港町・・・痩せ細ったなけなしの日銭を

握りしめて潜った古い暖簾は、まるでおれを歓迎してくれる様に優しくこの頭を

撫で、煙草の灰色の臭いと、薄い墨汁で描いた様な、まるで時代に置き去りにされた

このしがない酒場だけが唯一おれの心を包み込み許してくれる・・・・


・・・・ここは酒場・・・・人生の難破船・・・あの戻らぬ愛しき日々・・・嗚呼


『とも子ぉぉ~~~~~!!!』


「飲みたいよぉぉ・・・!!浴びるほどぉ~~・・・!眠りにつくぅんまでぇぇ」


気付けばおれとニャンぷくは涙と嗚咽を垂れ流していた。


隣でアルは黙々とジャガイモの皮を剥き、何も聞いちゃいなかった。


おれは5分後ぐらいに正気にもどった。





――『・・・・よし。』


『取り敢えず、あとはカレーは煮込むだけだな。』


スープもサラダも完成し、少しカレーを煮込んで完成だ。

さっき買ってきたチョコレートアイスを冷凍庫から取り出して、アルに渡して二人で

食べる事にした。お手伝いのお礼である。


『他の皆には内緒だぞ。』


「うん・・・!」


アルが小さい笑顔を浮かべてアイスをなめた。


「アル!オレ様にもくれっ!アイスっ!」


こいつは普通のネコとは違って、人間と同じものを食べても平気だそうだから

アイスもカレーも食べて問題ないのだが、ヘリコが言うには食べ過ぎると腹を

下すらしい。ヘリコは獣医ではないから、あまり食べさせ過ぎないようにと注意を

受けている。


が、まあいいだろう、晩飯を減らせば。


『ほら、ニャンぷく、こっちのアイスをなめろ。』


「げへへ、わるいにゃあ、お前の分まで」


『さてと、皆は通信で呼べるが、フォスに対してはこちらから通信を繋げない

 からな・・・・呼びに行くか。』


「あのガキんちょだったら、ここに来る時に執務室の方へ歩いて行ったぜ。」


『え、執務室?・・・いやぁ、確かに本は沢山あるが今はPちゃんさんが不在

 だからな。勝手に弄り回したら叱られたり・・・まあPちゃんさんだしそれは

 ないかな。』


『まあいいや、呼びに行くか。』



アイスを食べ終えてアルがおれの手を握ったので、そのままでキッチンを出て

手を繋いで執務室へと向かった。ニャンぷくはおれの頭にずっしりと乗り、

くあっ、と欠伸をする。おれも猫になりたい。


ガチャリと扉を開けるとフォスは本棚の前に立って静かに本を読んでいた。


『フォス、アンダーソン。晩飯の準備ができたぞ。』


「もう?早いね。」


手を繋いでいたアルがおれの後ろにすっと隠れた。

・・・・人見知りだろうか。


『しかし、資料室に行けばもっと沢山本が揃ってるんだけどな。』

『何かめぼしい物でもあったか?』



「まあね。」


「でも、ぼくは別に、新しい情報を頭に入れたくて本を読むんじゃないんだ。」

「置いてある本からその持ち主の性向を考えたり、情報を再考するために

 読むんだよ。」


『ふーん。』

『とは言っても、ここは仕事場だからな。プライベートな興味に基づくような

 本は置いてないんじゃないか?』


「そうでもないよ。ここにはアニマが自家撞着を引き起こしたプロセスを説明する

 あらゆる書物が揃っている・・・この辺の棚は特にそうさ。」



『どれどれ・・・?』


『えーっと、・・・・・・ベルクソン・・・フロム・・・オルテガ・・・

 メルロポンティ・・・キルケゴールにカールポランニー・・・ソクラテスetc...』


『・・・・哲学関係だな。』

『Pちゃんさん、こんなの読むのか・・・・』


「哲学から心理学、医学、生物学、あらゆる分野の本が揃っているけれど

 この棚は特に、人が人たり得る根拠や有機性を紐解くヒントがふんだんに

 詰まっている。」


「・・・・どれも現在のKINGSから消失している真実だよ。」


一冊手に取ってページをめくってみる。

ふむふむ、ふむふむ、おれは本を閉じた。

黙って本を戻して、あー、ナルホドね、コレね!ってな雰囲気を出そうとしたが、

まぁ無理だった。


『Pちゃんさんに釣り合う男はこんなのを読む男なのか・・・・』


「あれ、お兄ちゃん?足元から崩れ去ってどうしたの?」


『・・・いや、なんでもない。なんでもないんだ。』


『流石は総司令官だよ。勤勉だよなぁ』

『おれだって、昔この手の本は手に取った事くらいはあるんだがな。』

『でもまぁ、その時は自分の理解力の低さにただ凹むだけだったっけ。』


『より良い仕事を成す為に手に取ったんだろうなぁきっと。』


「ニャふふっ!!人間が人間に脳みそで負ける様って面白いな!それがお前ら人間の

 唯一の取り柄なのになっ!ぷーっ!」


『なんだとこの化け猫!中国の屋台に売るぞおまえ!』


「出ました~虐待~~ひゅーべろべろ」


『むがー!こんの中二猫野郎が・・・・!』


フォスはパタンと本を閉じて本棚に戻した。


「・・・きっと、きみに出会ったからだよ」



『え?』



「ふふ。なんでもない。」

「あぁ、そうそう。今度のアメンティっていう場所にはぼくも同行するよ。」

「あの調子じゃあ他のメンバーは結局出動できないだろうしね。」


『い、いや。同行するってお前・・・・』

『危険な場所なんだぞ?』


「そうみたいだね。でも大丈夫。アンダーソンもいるし、それにぼくだって

 小さくたって少しは強いんだよ。」


「後ろに隠れているアルちゃん程とは言わないけどね。」


「・・・・・」


『おまえも戦えるのか・・・・』


新生アニマで敵を引き止めたアンダーソンの戦闘能力は、この目でハッキリ

見た訳じゃないけれど本物の筈だ。


「ぼくは興味があるんだ。KINGSにね。」


「人を守る為の人の尖兵が、戦いの為に人を捨てていく様は皮肉という他ない

 からね・・・・KINGSは確実にアニマに近づいている。」


『・・・・・!』


「その内部構造を見学するのに、アメンティの螺旋監獄という場所はとても都合が

 良い場所に思えるよ。」


『KINGSが・・・アニマに・・・』


「アニマは実体としての感覚をほぼ失い、“人間” をシステムの中に抑圧し、

 自己閉塞の殻の内側に暗示を刻んで魂が完全に死んでしまった存在。」


「・・・・この集団の導く世界で人類はアニマとなるだろうね。」


「だからきみが必要なんだ。森川まさゆきお兄ちゃん。」


フォスはニコッと笑った。


「アニマに解放の可能性は存在しない。」

「そしてKINGSも解放の為に戦うんじゃない。」

「・・・・でもきみは監獄に囚われた囚人を解放する為に戦うんだよね。」


「その光の意思を持ち続ける事のできるきみが、KINGSをノアの方舟に

 変え得るんだ。」


「心が死んで、痛みを失くした世界から、痛みの世界へ・・・・」


「それを象徴する戦いが起きるのかもしれないね。」



『・・・・難しい事はよく分からんが、ただ今はストレラを監獄から出す事だけを

 考えるさ・・・」


KINGSがアニマに近付いている・・・・・

確かにそれはかなり説得力のある言葉だ。おれがKINGに感じてきた胸の内の

嫌なつっかえは、言葉にすれば正にソレなのだ。


痛みを失くした世界・・・・か。

確かにアニマに生み出された存在は、ここにいる三人以外は兵器として

生きる苦しみなんて持ち合わせていない様に思える。システムと合一化して存在

している以上は生きているとは到底言えないし、つまり死もあり得ない。


でも、監獄に捕まっているストレラには痛みがあるはずなんだ。


・・・・そうだ。痛みがある種の希望になっている。


それを失った時、ストレラも無感動が極まり自ら死を選んでしまうかもしれない。



『・・・・一つ言っておくけどな、フォス、人は見世物じゃないんだからな。』


「ふふ。わかっているよ。」



当日の作戦を詳しく練るまでは、あまりこの事を考えても仕方ないように思える。


煮込んでいる最中のカレー鍋を思い出し、全員引っ連れて食堂に戻る事にした。



今はまだ分からない目下の苦痛と救済の境界線を、おれ達は探し当てる事が

できるのだろうか。


もしかして、ストレラはもう既に諦めてしまっていやしないか・・・・



そんな不安を横に置いておれはバルバトスの全員に夕食の知らせを入れたのだった。



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